8話 女学生の過激な遊び
転入してから、初めての金曜日がやってきた。
この一週間、いじめの兆候も、怪しげな闇の集会も、後ろめたい事実は何一つ見当たらなかった。
廊下を歩く生徒たちの視線は相変わらず熱を帯び、
授業中の空気は完璧に整えられた静けさを保ち続けている。
失踪事件の核心に触れたいのは山々だが、転入早々という立場では、まだ深くは踏み込めない。
制服の襟が首に軽く食い込み、毎朝の礼拝で手を組むたびに、
この学校の完璧さが、ゆっくりと私の息を締め付けてくるような気がする。
強いて収穫を挙げるなら、夜の校舎や寮の死角から、時折少女たちの秘めやかな情事を感じさせる声が聞こえてくることくらいか。
熱を帯びた湿り気のある吐息、シーツが擦れるかすかな音。
そして同性同士ゆえのどこか、逃げ場のない切実な鳴き声が聞こえていた。
外の世界のそれよりも純粋で、だからこそ毒のように甘く響く。
月光がカーテンの隙間から差し込み、白い生地に絡みつく影を淡く浮かび上がらせていた。
そんな園の背徳を、真面目くさった顔で、理事長に報告するわけにもいかず。
人の恋路何とかやらになりたくないし。
私は今日も仮面を被って一日を過ごした。
「ごきげんよう」
今日も今日とて、形ばかりの挨拶を振りまく。
廊下を歩くたびに、すれ違う生徒たちが丁寧に頭を下げ、
「ごきげんよう」と柔らかい声で返してくる。
その声が、揃いすぎて機械のように響く。
水曜日あたりまでは、珍しい外部入学生を囲む小鳥たちのさえずりが、騒がしくて仕方がなかった。
私の基本ローテンションな雰囲気が功を奏したのか?
金曜の昼休みを迎える頃には、ようやく平和な静寂が戻っていた。
教室の窓から差し込む陽光が机に長く伸び、
埃がふわふわと舞うのが見える。
こういう時は、事務所のコーヒーが飲みたくなる。
「どうしたの、綾さん。随分と深い考え事?」
声をかけてきたのは舞だった。
彼女は私の隣の席に腰を下ろし、弁当箱を机に置く。
制服の袖が軽く擦れ、甘いシャンプーの匂いがふわりと漂う。
「ん? ああ、舞か。いや、みんなよくこの閉塞感に不満もなく耐えられるなぁと思ってね」
私は小さく息を吐いて、窓の外を見た。
白壁の塀が遠くに続き、緑の木々が静かに揺れている。
外の世界が、遠く感じる。
「でも、うちの学校ってこれでも校則は緩い方なんですよ?」
「……またまた。冗談でしょ?」
舞は呆れたように教えてくれた。
「本当ですって。普通の全寮制なら、平日も完全外出禁止ですから」
「嘘だろ……」
絶句する私に、舞が呆れたように首を傾げる。
彼女の髪が肩に落ち、陽光に淡く光る。
「ダメですよ綾さん。最近外部から入学したからって、その言葉遣いに気を付けないと。また『反省室』行きですよ?」
「すみま……せん……」
正直、この一週間は屈辱の連続だった。
状況を知らない教師から、歩き方ひとつ、箸の上げ下げひとつで叱られ、
二十四歳のプライドが音を立てて崩れ、ガチで泣きたくなった。
休憩中にスマホをチェックしていただけで、犯罪者を見るような目で詰め寄られ、
反省室という名の監獄に連行された。
転入生という事で取り上げられなかったが、その分ぐちぐちと怒られた。
教師の視線が背中に刺さり、淑女たるものって言葉が耳にこびりつく。
なんだよ淑女って、女は商品のラベルじゃないんだぞって言いたい。
ガチで何時代だと思ってるのって反論したくなったけど、とりあえず我慢した。
これで外に出て、学生は、きちんとやっていけるのかな?
あまりにも我慢ができなくなって、理事長にも「話が違う」と文句をねじ込んだが。
返ってきたのは「そこは上手く演じてください」という無慈悲な回答だけだった。
外界の仲間たちと連絡を取り、状況を把握したい。
だが、本当に今日、事務所に帰ってもいいのだろうか。
失踪の犯人が週末の緩みを狙って動くなら、私が不在の隙に事は起きる。
それはプロとして最悪の大チョンボだ。
スマホの画面を睨みながら、指先が軽く震える。
みんなの顔が頭に浮かぶ。
今ここで帰ったら、すべてが水の泡になる気がして、胸がざわつく。
情報が足りなすぎる。
学内の停滞した空気の裏に、何が隠れてる気もする
それさえもわかっていない。
一応理事長には報告をしているけど、「何も無いのなら安心です」との事。
思考の海に沈みながらサンドイッチを咀嚼していると、舞がじっと私を見つめていた。
「綾さん」
「何?」
「話しかけると嫌そうな顔するのに、見られるのは平気なんですね」
ちらっと私達を遠巻きに見ている生徒を見てみる。
彼女たちの視線が、好奇な目で、私に注がれていた。
「実害ないしね。まぁ一応目の保養にもなるしいいんじゃない。……で、用件は?」
「刺激、ないですねぇ。つまんないの」
「ないねー」
「それで、今日はこの後来るの?」
「行くとしたら、明日にしときます。」
「事務所に居ると思うから、でもいなかったら後ヨロ」
「だから、言葉使い」
「わかりましたわ。雑賀さん」
私がこの一週間、調査と称して校舎を徘徊してばかりいたせいか、舞も遊びに行かずに付き合ってくれている。
暇なのだろうが、付き合わなくていいのに。
そのおかげで、学院の各部署は大まかに把握できたし、退避ルートも把握した。
廊下の死角、階段の裏、屋上への通路……すべてが頭に叩き込まれている。
事件が起きたのは、その日の放課後だった。
一度、玲奈の自宅に寄り、学校の制服を脱ぎ捨てて、愛用の黒いジャケットへと身を包み直した。
玲奈は仕事で不在だったが、肌に馴染む革の感触を確かめると、ようやく落ち着ける。
ジャケットの袖を軽く引き、革の匂いが鼻をくすぐる。
肩に落ちる重みが、事務所の埃っぽい空気を思い出させて、
胸のざわつきが、少しだけ静まる。
鏡に映る自分の姿が、ようやく私らしく見えて、息が楽になる。
表通りから、私の事務所がある裏通りへと足を踏み入れようとした。
その時、私は反射的に足を止め、物陰へと引き返した。
視線の先に、白壁女学院の生徒が三人。柱の影から何かを覗き込んでいる。
彼女たちの顔は土気色に青ざめ、ガチガチと奥歯を鳴らしていた。
唇が震え、瞳が恐怖で揺れているのが、遠目にもわかる。
私を見ているのではない。
その視線の先にある、路地のどん詰まりを凝視しているのだ。
嫌な汗が背中を伝う。
冷たい滴がシャツに染み込み、背筋をぞくりと這う。
私の借りている雑居ビルは、立地こそいいが家賃は破格だ。
理由は単純。
治安がドブ川以下だからである。
表通りはまだしも、今、彼女たちが目を向けている裏道は。
本職の連中ですら、掃除を諦めた吹き溜まりだ。
ゴミの匂いと湿った空気が、鼻を突く。
即座にインカムを起動し、千景に回線を繋ぐ。
「千景、今大丈夫?」
『おや、綾。今夜ならたっぷりと空いてるよ?』
「魅力的な誘いだけど、今はパス。私の現在地、GPSで追って」
『……了解、確認した。どうしたの?』
「私の背後に、震えてる女学生が三人。それから、多分哀れな子羊が一匹、路地の奥に引きずり込まれた。情報を頂戴」
『了解』
心配だからと、むやみに突っ込むのは素人のすることだ。
情報が無いのなら仕方ないけど、あるのならそれが届くまで待つのがいい。
通信を切ってから二十秒後、千景から正確な回答が届いた。
「ビンゴ。女学生が一人、薬か何かで落とされて連れて行かれてる。方向は――」
「了解。向かう。ありがとう」
千景のナビゲートに従い、入り組んだ路地を疾走する。
路地の壁が迫り、足元に散らばったゴミが靴底で砕ける音がする。
視界が開けた先、意識を失った少女を荷物のように抱え、逃走を図る三人の男の背中が見えた。
男たちの荒い息遣いと、少女の制服のスカートが揺れる様子が、街頭にぼんやり浮かぶ。
「――そこまでだよ」
ジャケットの内側から、鈍い銀光を放つ短剣を三本引き抜く。
櫻華流古武術、――『飛刃』。
手首のスナップ一閃。放たれたナイフが風を切り裂き、回転しながら男たちの太ももへと正確に食い込んだ。
肉を断ち、骨にまで達する嫌な音が響く。
悲鳴とともに男たちがもんどり打って倒れ、抱えられていた生徒が地面へと無造作に転がった。
地面に落ちた少女の制服が泥で汚れ、赤いリボンが緩くほどける。
男たちの血が路地に広がり、鉄の匂いが鼻を突く。
「私の庭で、随分と下劣な真似をしてくれるじゃない」
冷徹な声を投げかけながら、ゆっくりと歩み寄る。
革靴の踵が地面を叩く音が、静かな路地に響く。
男たちは激痛に顔を歪め、鮮血で路地を汚しながらも立ち上がり、こちらを睨みつけてきた。
「おい、この女……めちゃくちゃ上玉じゃねえか」
「チッ、あと一人増えれば、全員で回して楽しめるな」
「待て……こいつ、ヤベェって! 銀髪に黒のジャケット、もしかして……」
「馬鹿言え、噂のヤツはもっと野獣みたいな『紅い目』をしてるって話だろ!」
あ……
学校用の茶色のカラコンを外すのを忘れていた。
私は警戒を解かぬまま、指先で器用にコンタクトを外し、路地裏へと捨てる。
「……これで満足? さあ、どうする。私に嬲られたい? それとも、その子を置いて今すぐ失せる?」
彼らの目がわずかに揺れ、下卑た笑いが凍りつく。
だが、数に勝る彼らは、すぐに笑いを始めてきた。
全く、面倒くさかったのに、実力を測れないバカはこれだから嫌い。
「ハッ、女一人で威勢がいいな! 俺たちは三人、それに時間が経てば仲間も合流するんだよ」
「いけるぜ。まとめて、この勝気な面をアヘらせて、よがらせて、俺たち無しの身体にしてやろうぜ」
奴らの後ろから足音が四人分が聞こえる……計七人か。面倒くさいな
倒れている生徒を保護しながらでは、流石に骨が折れる。
増援が現れ、男たちのボルテージが上がっていく。
「いいぜ、多人数プレイだ!」
「強気なツラが、絶頂の果てにボロボロになるのが楽しみだなぁ!」
舞、こいつらの台詞聞いてる?
私は色情魔じゃないって、証明されたよ。
今心底、こいつらにムカついてるし。
「私が動こうとしたその瞬間だった。」
「あれ? 綾さんじゃん。何してんの、こんなトコで」
間の抜けた声とともに、フードを深く被った少年木崎君が手を振って現れた。
彼のフードの影から覗く目が、路地の暗闇で少しだけ光る。
いつものように、声に少し眠たげな響きが混じっている。
「知らない男と遊ぶくらいなら、俺たちと遊んでくださいよ。ね?」
相変わらず千葉君が、私を誘おうとしてる。
いつも断ってるけど。
彼の明るい声が、路地の重い空気を少しだけ軽くする。
「……多分、遊びじゃないと思う。厄介事に巻き込まれただけじゃないかな、綾さんは」
不健康そうな顔色の倉橋君が冷静に分析していた。
その横では片岡君が、すでに前髪の隙間から鋭い視線を男たちに蹴り飛ばしていた。
彼の目が、影の中で冷たく光る。
「ぐはっ……!?」
片岡君の重い安全靴が、男の脛を容赦なく踏み砕いていた。
鉄板入りの一撃は、肉と骨が潰れる感触を伴って響いた。
男の悲鳴が路地に短く反響し、血の匂いが一瞬で広がる。
「片岡君、許可する前に動いちゃダメだよ。……まあ、いいけど」
私は地面に座り込み、気を失っている生徒を膝枕してやる。
少女の体が軽く、制服のスカートが泥で汚れている。
彼女の呼吸が浅く、頰が冷たい。
私は彼女の髪を軽く撫でて、脈を確認する。
「みんな、助かったよ。どうしてこんなところに?」
「綾さんの事務所に遊びに行ったんですけど、留守だったんで。帰りにたまたま見かけたんですよ。ラッキーでした」
千葉君の軽いノリに毒気を抜かれる。マジで助かった。
彼の笑顔が、路地の暗闇の中で少しだけ明るい。
「本当に助かった。手間が省けたよ。……それで、何か知らない? このあたりの不穏な動き?」
彼らはここら一体を遊んでいる少年達だから意外と詳しい。
「綾さん、まだ終わってなかったんっすか? 例の女学院の件」
「木崎君。場所が場所だけに、力づくでは動けないのよ」
「違いない。綾さんって脳筋じゃないんっすね」
舞と同じこと言っている。
「殴られたい」
そう言ったら首を横に振ってきた。
遠慮しなくてもいいのに、学校でのストレスを発散しようかなって思ったから。
私は少女を膝枕したまま、少年たちを見上げる。
「ん?どうしたの倉橋君?」
倉橋君が、青白い顔をさらに曇らせて、何かを言い淀んでいた。
彼の唇がわずかに震え、息遣いが浅く速い。
路地の外灯が彼の顔を青白く照らし、影が頰のくぼみを深く刻む。
「いや……多分事件と関係ないから」
ぼそっと倉橋君が言ってくれた。
「……綾さん。多分、それ、今追ってる事件とは関係ないっすよ」
木崎君がそのようにフォローしてきた?
フードの影から覗く目が、いつもの眠たげなまま、私をじっと見つめている。
「ああ、例の噂のことか」
千葉君が思い出したように口を開く。
彼の声が、路地の重い空気を少しだけ軽くする。
「千葉君、何? 判断は私がするから、隠さず話しなさい」
「えー、代金はSEXでいいっすか?」
私は無言で、上空を旋回する監視ドローンを指さした。
ドローンの小さなプロペラ音が、遠くでかすかに聞こえる。
「千景に殺されたいなら、どうぞ。多分この会話聞いてると思うし」
「……冗談っす。やめときます」
「でも、事件解決に繋がる情報だったら……一度くらい、一人ずつ相手してあげてもいいけど」
「マジっすか!? 言ってみるもんだな!」
「ただし、添い寝よ。それ以上は面倒だから、変なことしたら殺すよ?」
私の言葉に、少年たちは一気に色めき立った。
彼らの目が、路地の暗闇の中で少しだけ輝く。
空気が一瞬、軽やかになる。
代表して、木崎君が声を潜めて切り出した。
「最近、ホームレスの自殺が相次いでるんですよ。ただの行き倒れじゃない。場所が一点に集中してる……。どうも、不自然なんです」
「……特定の場所? 心当たりがあるの?」
嫌な予感が背中を走る。
事情があって路上に出た人が自ら命を絶つ。
悲しいけど、珍しい話じゃない。
でも、場所が一点に集中してる……
それは、ただの偶然じゃない気がする。
けれど特定の場所でだけ連鎖しているとなれば、話は別だ。
そこには、明確な理由があるはずだから。
「心当たりがなきゃ言いませんよ。……外堀通り、それと主税町付近。そこだけ異常に多いんです」
外堀と主税町。二箇所か。
どちらも『白壁』に隣接してる地域だ。
名古屋屈指の高級住宅街、白壁。
お嬢様たちが通う『白壁女学院』が鎮座するその聖域には、ホームレスは一晩だって居着くことはできない。
パトロールの目は執拗なまでに厳しく、余所者を弾き出す『見えない壁』が張り巡らされているからだ。
そんな潔癖な街のすぐ側で、社会の底に追いやられた人々が次々と死んでいる。
学院で起きた『生徒の失踪事件』と、その境界線で起きる『ホームレスの自殺』。
無関係と切るには短絡すぎる。
私はゆっくりと目を細めて、路地の奥を見据えた。
外灯の光が届かない暗闇が、黒く広がっている。
「なるほどね。……ありがとう、有力な情報だわ。あ、それと。そこの倒れてるばか、任せてもいい?」
「いいっすよ。笹原さんの所まで連れてけばいいっすか?」
「ええ、よろしく。白壁女学院の生徒が誘拐されそうになっていた、とだけ伝えて」
みんなは、男たちを連れ、表通りの方に向かって言った。
木崎君がフードを深く被り直し、千葉君が軽く肩を叩きながら、
倉橋君と片岡君が黙って男たちを押さえていく。
彼らの足音が、路地の暗闇に溶けていくように遠ざかる。
すぐ近くにお迎えが来てると思う。
多分千景が連絡入れてると思うから。
彼女のドローンが上空で小さく音を立てて旋回してるのが、耳の端にかすかに聞こえる。
千景の「監視」は、いつもこうやって私をカバーしてくれる。
頼もしいけど、ちょっと怖い時あるけどね。
私は地面に座ったまま、気を失った少女の頭を膝に抱えた。
彼女の呼吸がようやく落ち着き始め、頰に少し血色が戻ってくる。
制服のスカートが泥で汚れ、赤いリボンが緩くほどけている。
私は彼女の髪をそっと撫でて、
「もう大丈夫だよ」と小さく呟いた。
少年たちの背中が、表通りの灯りに消えていく。
路地の空気が、血の匂いと湿った土の匂いで重いまま、
少しだけ静かになった。
数分後。
膝の上で、可愛らしい少女が目を覚ました。
次の瞬間、私の真紅の瞳を間近に見た彼女は、喉が裂けんばかりの悲鳴を路地裏に轟かせた。
その悲鳴が、暗い壁に反響して、夜の静けさを切り裂いた。
「紫微綾の事件簿 case2 白き子羊の檻」をお楽しみいただけましたか?
もし「続きが気になる」「応援したい」と感じていただけましたら、ぜひブックマーク登録と、ページ下部にある【評価する】ボタンから評価ポイントをいただけると、とても励みになります!
皆さんの応援が、次の話の執筆を進める力になりますので、どうぞよろしくお願いします!




