7話 深夜の調査
今夜の集まりの実習は、1年生の番らしい。
それ以外の学生は、各自室での自習を命じられていた。
私は割り当てられた部屋で、今日までに集めた事件の内容をノートにまとめていた。
机のランプが紙面を淡く照らし、ペン先が紙を滑る小さな音だけが、耳に障るほどはっきりと部屋に響く。
窓の外はすでに深い闇に呑まれ。
寮の外灯がぼんやりとカーテンを透かして、床に不確かな影を落としていた。
「ねえ、舞」
「なんですか? 綾さん、勉強しなくてもいいんですか?」
舞は、教科書を膝に置いたまま、不思議そうに首を傾げる。
彼女の髪が肩からさらりと落ちて、部屋の灯りに柔らかく光った。
その声には、年上の私を少しからかうような、親愛の情が混じっている。
「……つい先日、自殺の事件があったんでしょ」
舞の目が、一瞬だけ大きく見開かれた。
彼女はゆっくりと教科書を閉じ、ベッドの上で膝を抱え込んだ。
その途端、部屋の空気が沈殿するように重くなる。
「……なぜ、それを知ってるんですか? それを知っているのは、学校でもごく僅かのはずですよ」
「昨日、千景に……教えてもらった」
口にした瞬間、昨夜の千景に抱かれた記憶が鮮明に蘇る。
彼女の淡い金髪が私の首筋をくすぐり、薄紫の瞳が至近距離で愉悦に細められていた。
なんであんなに、的確に私の弱いところばかりを攻め落とせるのだろう。
耳元で囁かれる低くぞくぞくするような声。
這い上がる指先の動き、熱い息遣い……。
体がまだその熱を鮮明に覚えていて、心臓が跳ね、頬がカッと熱くなるのが自分でも分かった。
「……なにを、赤くなってるんですか? 全く、この色情魔なんだから」
「何を想像してるの。全く、おませなんだから」
図星を指された気まずさを隠すように、私は知らん顔で言葉を返した。
舞はくすくす笑いながら、ベッドの上で落ち着かなげに膝を揺らす。
「よく千景さんが見つけましたよね。本当に、隠してたわけじゃないんですが。でも、あれは4か月前の事件ですよ? 今回の件と関係あるんですか?」
「今は、まだ分からない。でも、一応そういう過去の事例も可能性として考えておくと、思わぬところで繋がることもあるから」
「さすが名探偵。てっきり、脳筋で突っ走るタイプだと思ってました」
「あのね、舞。私のこと、一体どういう風に見てるわけ?」
「そうですね……。考えより先に体が動く人で、足を使って泥臭く探すタイプ。危険なことには慣れっこで、戦闘はすごく強い。……ただ、女にだらしない色情魔で、美人のくせに私生活は結構ずぼらで適当」
「どこが女にだらしないのよ。心外だわ」
「セフレが3人もいれば、立派なだらしなさですよ。全く」
「今はそんなのどうでもいいの。事件のこと、詳しく教えて」
私の促しに、舞の表情から余裕が消えた。
「詳しくと言われても……私、あの時は生き物係で、朝のご飯をあげようと思っていたんです。起きたのが、早くて空気が気持ちよかったから、寮の裏側まで歩いていったら……人が、倒れていました。すぐにママに連絡をして……って感じです」
舞の声が、一段と低くなる。
彼女の指先が膝の上で小さく震えているのが見えた。
部屋の空気が、静かに、そして逃れようのない重さで満ちていく。
私はゆっくりと息を吐き、机から離れて舞の横に座った。
「……その子、どんな感じだった?」
舞は目を伏せたまま、絞り出すように答える。
「……顔色が真っ白で、もう、息もしてなかったみたいで……。ママがすぐに駆けつけて救急車を呼んで……でも、もう手遅れだったって」
私は舞の震える肩に、軽く手を置いた。
「……ごめん、嫌なことを聞かせて悪かった」
舞は首を振って、健気な笑顔を作ってみせた。
でも、その端々がわずかに歪んでいるのを私は見逃さなかった。
「もう一つ聞かせて。何でこの件、表に出ていないの?」
「向こうの親御さんが、世間体もあるから発表はやめて欲しいと言われた……って聞きましたよ」
私は、淹れてもらったコーヒーカップを手に取り、立ち上る熱い湯気を頬に感じながら、舞の横顔を見つめた。
カップの縁が唇に触れると、インスタント特有の苦みが舌の上に広がる。
ランプの淡い光の中で、舞の表情はどこか遠い場所を見ているようだった。
「……友人だったの?」
「3年生のお姉さまでしたので。……直接の面識はあまり」
「ありがと。何か思い出したら、また教えて」
「はい」
舞は小さく頷き、制服の裾をぎゅっと握りしめていた。
その後、舞に入れてもらったコーヒーを飲み干し、事件の時系列をノートに整理し終える頃には、自習の時間は終わりを迎えていた。
時計の針が24時を指すと同時に、消灯の時間がやってくる。
館内の照明が一つずつ死んでいき、廊下を渡る足音も遠ざかっていく。
窓の外から差し込む街灯の光だけが、暗い部屋を頼りなく横切っていた。
急激な静寂。自分の息遣いさえも大きく聞こえるような沈黙の中で、私は30分ほど時を待った。
闇に目が慣れた頃、私は音もなくベッドから体を起こした。
セーラー服の裾を軽く整える。布地の薄い感触が、まだ肌にまとわりついている。
首元の赤いリボンが、暗闇の中でわずかに揺れた。
これから始まる潜入への予感に、心臓の鼓動が少しだけ速くなる。
「それじゃ、行ってくるね」
「……ガチで、玲奈さんの所に行くんですか?」
「さすがにないよ。軽く調査。私の相手で疲れたでしょ、ゆっくり休みなさい」
私は音を立てずに扉を開け、気配を殺して外へと踏み出した。
廊下の板がわずかに軋む音を、意識の端で拾う。
外灯の光が、壁に私の細長い影を不気味に落としていた。
足音を完全に殺し、まずは最初の目的地へと向かう。
その場所。
寮母室に到着し、扉をノックした。
コンコン、と控えめな、けれど夜の静寂には鋭く響く音。
扉が開いて現れたのは、腰まで届く長い髪を湛えた穏やかな女性だった。
寮母の五十嵐あずささん。29歳。
「こんな遅くにすみません。紫微綾と言います。今、よろしいですか?」
私が頭を下げると、彼女は「どうぞ」と穏やかに部屋へ招き入れてくれた。
生徒の監獄のような部屋とは違い。
こじんまりとはしているが、生活に必要な家具が揃った温かみのある部屋だった。
「大変ですわね、初日から」
「まったくです。挨拶に伺いたかったのですが、学校のスケジュールがあまりにタイトで、こんな時間になってしまいました」
「初めてだと、驚きますよね」
彼女から聞き出せたのは、事前に調べていた情報の裏付けだった。
帰宅の報告。
期日を過ぎても帰寮せず。寮から学校へ連絡し、事務的な処理が行われる。
4か月前に転校したという名目の生徒も、今回の失踪者も、極めて「普通」の生徒だった。
特に目立った行動もなく、誰かの恨みを買うようなタイプでもない。
部屋を出る際に、「毎朝早いですから、きちんと起きてくださいね」と念を押され、私は寮母室を後にした。
そのまま私は、本丸である学校の校舎へと潜入した。
深夜の学校というのは、どうしてこうも精神を削るような恐怖を放つのか。
静まり返った廊下を歩くたび、自分の心臓の鼓動が耳の奥で爆音のように響く。
壁の白が闇の中でぼんやりと浮き上がり、窓からの月光が床に細長い影の檻を作っている。
空気が冷たく、肺の奥を刺すように重い。
ここはただの学校のはずなのに。
まるで天井や壁の隙間から、無数の目が私を執拗に監視しているような錯覚に陥る。
鳥肌が立つような圧迫感が、湿り気を帯びて肌にまとわりついた。
ふと、何かが聞こえた。
小さく、湿った息遣い。
かすかに震える吐息と、布が擦れ合う微かな音。
私は慎重に、けれど確実に音の主へ近づき……扉の隙間を覗き込んだ。
そこでは、女生徒が別の女生徒と情事に耽っていた。
扉の隙間から漏れる月光が、重なり合う二人のシルエットを妖しく浮かび上がらせる。
床に乱雑に落ちたセーラー服のスカート。転がる赤いリボン。
絡み合う指先が、影の中で白く発光しているように見えた。
重なる息、混じり合う吐息。
小さな喘ぎが、死んだような静寂の中でかすかに、けれど生々しく響く。
私は息を殺したまま、ゆっくりと後退した。
一応、顔だけは覚えた。
暗闇の中、髪の長さと輪郭だけが網膜に焼き付く。
流石にこれを邪魔して恨まれるのは御免だ。
私だったら、相手をつぶしちゃうぐらいに。
そのまま退散することにした。
絶対に黒ミサとか、何かあると思ったんだけどな
お約束の展開を期待していたわけではないけど。
この学校の異常さが、ただの「深夜の密会」という世俗的な情景で片付いてしまうことに、拍子抜けを通り越して脱力感を覚える。
時計は深夜3時を回っていた。
これ以上は明朝に響く。
私は部屋へ戻ることにした。
廊下の軋みを殺し、自分の影を長く引きずりながら進む。
背中を伝う汗が冷たく、首筋をなぞる感触が不快だった。
部屋に戻ると、舞は深い眠りの中にいた。
ベッドの上で小さく丸まり、規則正しい寝息を立てている。
カーテン越しに差し込む月光が、彼女の幼い頬を淡く照らしていた。
閉じたまつ毛が長い影を落とし、少しだけ開いた唇。
その無防備な寝顔は、起きている時の騒がしさが嘘のように愛らしい。
私はそっと布団をかけ直し、彼女の柔らかな髪を軽く撫でた。
それから自分のベッドに滑り込む。
硬いマットレスが背中に食い込み、シーツの独特な匂いが鼻を突いた。
蓄積された疲労が泥のように体にのしかかり、目を閉じるとすぐに意識は深い闇へと沈んでいった。
わずか3時間の、短い眠り。
朝の鐘が遠くで鳴り始めるまで、私は夢も見ることなく、ただ深い無の中にいた。
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