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傾斜したオーニングテントを伝い、雨粒が地面にぽつぽつ滴っている。既に三十分も久志は店先で待っていた。仔犬が無事であることを去り際の雨に祈りながら。少女もまた、雨はもうほぼ止んでいたのに、雨宿りをするようにずっと店先で暇を潰していたが、それを咎める客も一向に現れない。
実のところ少女は、久志を見張っているつもりだったのである。彼が逃げ出さないか。
久志に似た無責任な大人を、少女は嫌っていた。動物の命運を握る職業柄、そういう人種を見るに事欠かないのである。札束を握って命を買いに来る大人を見ると、少女は反吐が出る。今まで幾度と目にしてきた無責任な大人、無責任な親、無責任な老人、無責任な人間の歪曲した責任感、そしてそれに何もできない無力な自分……どうせそこにいる男も、そういう『悪意のない人間』に違いない。
「お兄さんいくつ?」
「は、なんで?」
「こんな時間から暇してる大人ってどうかと思うんだけど」
「そりゃそうだな。今二十五だよ」
「私より八歳も年上なの。へえそう。しかもうちの店長と同い年なんだ。年齢ってなんのとりえにもなんないのね。ていうか店長のこと名前で呼んでたけど、知り合いなの」
「ああ、同じ中学だったんだ。ここから北にある、第一中学って知ってる?」
「知ってたらなんだっていうの。私は第二中だけどさ。はあ。同じ中学ってだけで、店長も大変ね」
少女は腕組みしてだらしないため息を何度もついた。久志は何も言えなかった。
沈黙が再び二人を領した。沈黙の中に、等間隔の雨垂れの音が印象的に響いている。濡れた御影石の石畳の黒を、淡い日差しが細かい宝石のように輝かせている一方で、石畳の不規則な隙間が折り重なった波のように思え、二人の前には底の見えない小川が流れているように見える。二人は川岸にいて、そこから感傷という小石を一つ一つ投げ続けていた。
すると店の入り口ドアが開かれた。優斗が少々疲れた様子で二人の間に割って入るように現れた。久志は立ち上がった。
「なんだ二人ともずっとここにいたの。中に入って待ってればよかったのに」
そう優斗に言われて二人はどう答えればいいか迷ったが、どうにもこうにも中に入るのが躊躇われたのは、あの仔犬の行く末を見守るような、その現場に居られるほどの勇気が無かったためだった。
現に優斗の手先からは、まだ仄かに動物の匂いが漂っていた。あの血生臭い野性の息づいた匂い、まとみに慣れていない人間ではひとたまりもない匂いが。二人は息をのんだ。久志も少女も、店に入っただけで容易にその匂いに圧倒され、そうなれば正気でいられないだろうことが、よく分かっていたのである。店はある瞬間店ではなくなり、いわばそれは肥沃な大地であり豊饒の海であり、命が巡り命が還るところだった。
「応急処置はしておいたよ」と優斗が言うと、
「助かりそう?」と、久志より先に少女が尋ねた。
「衰弱が酷かったからね。危なかった。でも多分大丈夫じゃないかな」
「そう」
少女は安堵して胸を撫で下ろし、明らかに緊張した弦が緩み、仄かに優しい顔つきになった。優しい顔は優しい音楽で満たされていた。久志もそれを見て、胸を撫でた。
「それで、久志君はあの子をどうするつもり」
優斗が尋ねた。問い質すつもりや責めるつもりはなさそうに思えたが、久志には良い考えが浮かばない。優斗の顔は、久志の責任ある言葉と行動を求めている。
せめて元気になるまでは、ここで預かってくれるかもしれない。だがその後はどうなるだろう。引き取りたくても久志のアパートはペットを許可していないし、だからといってずっとここに置いて貰うのも図々しすぎる。どうせこうなると半ばは分かっていたはずなのに、思い付きだけで行動するのは愚昧も良いところである。
「もし引き取り先がないなら……」
みかねた優斗が譲歩を見せると、少女はそれを見逃さずに、
「店長、保健所はだめだから。里親が見つからなかったらどうするの。それだけはこの人に教えちゃ駄目。第一この人が拾って連れてきたんだから、この人が責任持たなきゃ駄目でしょ」
また、少女は氷のように冷たい眼で久志を睨んだ。噛みついてきそうな眼だった。
「それはそうだけど」
優斗は少女の意地っ張りを持て余した。
そうして答えに困っている曖昧な優斗と、またそんな彼を見て何とも言わない久志という、二人の大人のだらしなさを少女は不満に感じた。少女はたちどころに信頼していた味方に裏切られたように感じ、本当なら苛立つつもりもなかったのに、今では自分の心は完全に孤立し、惨めに思われたのである。大人同士のやむを得ない阿諛迎合も、繊細な少女を通してみれば不名誉な汚職以外の何ものにも映らない。
それで半ば自暴自棄に、
「店長、私倉庫の片付けしてきます。大人同士でちゃんと話し合ってください」
そう言い捨てると、少女はさっさとその場を離れ、建物と建物の間の隘路を通って、店の裏手へ消えてしまった。




