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忠犬  作者: 禅海
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 明け方に目が覚めると、それを確認するまでもなく、今頃スマフォやネットやニュースが大騒ぎで伝えまくっているであろう緊迫した気象予報に、久志は晴れやかと言ってはおかしいが、健やかな期待と落胆を寄せた。期待はこれから世界が崩壊すること、落胆は目が覚めてもまだ世界が崩壊していないこと。

 その朝の通勤路では、久志は偶然にも根元から折れたポプラの古木に道を塞がれて、少し回り道を強いられた。遠回りして辿り着いた塀の向こうの広大な校庭には、桜や銀杏の汚れた緑葉が無秩序に散らかり、その遠近(おちこち)で地殻変動が起きたように、幾つもの雨水の小池が生まれ、その表面には降り注ぐ雨の返り血のような激しい雨飛沫が立っていた。

 強風の吹きすさぶ街のそこら中で、完全武装の緊急車両の警戒音や、重装備の作業員の混乱した喚声が騒いでいた。台風に先立つ無視できない被害が、文明を麻痺させていることは疑いようもなく、それはつまり久志の日常の崩壊は確信的であるという証左にほかならなく思えた。そうすると急に世界は四方八方から狭まってきて、久志は自分がその空間に密閉され、潰されるのだと思った。

 しかもそれに助勢するかのように、久志が学校に到着したときに、校舎はもっとも地獄へ続く暗い洞窟のようだった。あの久志の胸を貫いた未明の雷が、学校全体を停電させていたのである。

 出勤していきなり現状待機を命じられ、廊下に出てすぐのトイレも使えず照明も点かない事務室でファイル整理をしながら、久志はそれが起きるまで待った。災害でも何でもいいから、致命的な何かが止めを刺してほしい。山のような大きさの、真黒で不気味な巨人のような何者かによって踏みつぶされ、世界が無次元へ回帰するような大きな出来事が。

 街はまだ辛うじて機能しているのに、中学校という認識と空間、そして事務室の時計は、ある時刻のまま停止していた。およそ午前三時四十六分で固まったまま動きそうもない時計の針は、まるで一九四五年八月六日午前八時十五分を暗喩しているようにも思えた。雷はその時刻に落ちたのである。


 だが一時間、そして二時間三時間と待ってみても、久志の周辺にはまだ何も起こりそうにない。予報通りなら、街は午後から本格的に強風域に飲まれるのだった。中心気圧920ヘクトパスカルの超巨大台風が世界を破壊するに(さきが)けて、先陣が切られているべきだった。だがそれがちっとも不正確で、正午前になっても天候はまだまだ尻込みして、何ともどっちつかずなのである。

 そこには確実に、何か只ならぬ脅威が待ち受けていて、その待ち受ける何かに我々は逆行して、しかしあえなく全滅せねばならない。そのはずなのに、今以上の何かが起こる気配はない。

 そして遂に、学校とその事務室は停滞から立ち上がり、天井の蛍光灯は点滅して、室内は煌々と光に照らし出された。時計の銀色の針もゆっくりと円形加速度運動を始めて、正しい時間へ向けて動き出した。久志は忽ち、あの預言者の色を失っていった……。

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