Sincerely 〜竜の消息、再会を願って。 〜
江東乃かりん様主催「離別アンソロ」寄稿作品
今日はお日様がご機嫌だ。
ミリアが二階の窓から身を乗り出して物干しロープに洗濯物を吊るしていると、住宅街のレンガ道を子供たちが駆けていく。その中に弟のテオが混じっているのを見つけて、ミリアは声をはりあげた。
「こらテオ! 水汲みどうしたの!」
「やったよ! そこに置いた! ねーちゃん、スカーフ忘れてるよー!」
ミリアの声にテオが怒鳴り返す。ミリアが水汲みを任せた桶が玄関のところに置かれているのを見つける間に、テオはやいやいと子供たちと駆けて行ってしまった。
遊びたい盛りのテオに家のお手伝いをさせるのは骨が折れる。それでも言ったことはきちんとやったなら、とミリアは苦笑しながら窓から頭を引っ込めた。
玄関の桶をとりに行こうとして、廊下にかかる壁かけ鏡が視界に入る。鏡に映る自分を見て、そういえばテオにもスカーフを忘れてることを指摘されたな、と思い出した。
ミリアはいつも首にスカーフを巻いている。生まれた時から顎の下に大きな傷跡のようなものがあって、それを隠すためだ。
赤子の頃、首に傷を負ったわけじゃない。生まれた時にはすでにあったのだと、亡き母は教えてくれた。
醜い傷だと近所の少年にいじめられた時、スカーフを与えてくれたのは父。ミリアもテオも、両親に愛されて育った。その両親が二年前に事故で亡くなり、ミリアは幼いテオを育てながらその日暮らしをしている。
「それもこれも、前世のおかげね」
ミリアは鏡を見ながら、顎下の痕をなぞった。
二年前の事故。両親が亡くなったその事故に、ミリアもテオも巻き込まれた。
事故の原因は〝狂竜病〟。
狂竜病に犯された野生の竜が、街道を走っていたミリアたちの馬車を襲った。父と母が犠牲になり、間一髪のところをミリアとテオが街道警備の騎士団に救われた。
その時に走馬灯のように脳裏に浮かんだ、前世の記憶。
ミリアの前世の死因もまた〝狂竜病〟だったらしい。
前世の彼女は竜の恐怖を知らなかった。まだ〝狂竜病〟が知られる前で、人懐こい竜は人里によく姿を現した。前世のミリアもそんな竜の一匹と仲睦まじく、彼の尾花のような尾から柔らかな毛をもらって糸を紡ぎ、機を織って生計を立てていたほど。
だけどその最後。魂に刻まれた記憶はあまりにも悲しくて、苦しくて。
その上、現実では両親の死がミリアとテオに降りかかって、ミリアの感情は許容量を超えてしまった。騎士団に保護されていなかったら、寝込んだミリアと幼いテオでは何もできなかったと思う。
昔のことを思い返しながら、ミリアは自室からスカーフを一枚取ってきて首に巻く。
そのあとでようやく水入りの桶を回収するために玄関へ向かった。
「ミリアー、いるかー」
「スティーヴ様?」
はかったようなタイミングで玄関のほうから声がかかる。
ミリアがひょっこりと扉を開ければ、予想通り騎士スティーヴがいた。
「お、良かった。テオが家にいるって言ってたからさ。仕事に行く前で良かったぜ」
にこやかに話すスティーヴの口元には無精髭がちょろっと生えかけていた。彼は事故の時にミリアとテオを助けてくれた騎士の一人。保護してくれたあとも、両親を失った姉弟の後見人になってくれた優しい人でもある。ただし仕事人間な一面が災いして、こうして無精な部分がたまに目立ったり。でもそういうところも憎めない、ミリアたちの保護者だ。
「テオがやりかけて行った水汲みを終わらせたら、仕事に出るつもりだったわ。今日はどうしたの?」
ミリアはスティーヴの無精髭をじっと見つめながら、問いかけた。スティーヴが顎をざりざりと触りながら視線を自分の背中へと向ける。
「織機工房の女将には俺からあとで話を通しておくから、今日は休みにしておけ。ミリアにな、客を連れてきたんだ」
「客?」
ミリアは無精髭からようやく視線を外して、スティーヴの背後へと視線を向ける。
スティーヴの後ろには確かに人がいた。埃よけのフードをかぶっていたその人物が、そっとフードをうしろへと払う。
フードの下から出てきたのは人知を超えるような美貌の男性だった。さらりとした短めの銀髪で、すっきりとした切れ長の金の瞳。冬精霊の化身と言われたら頷いてしまいそうなほどの冷たい美貌。
その人と視線があった瞬間、ミリアの喉元が熱を持ったかのようにチリっとした。
スカーフ越しに喉元を抑えたミリアを、スティーヴがうんうんと頷く。
「声も出ないほどの美人だろ?」
違う、そうじゃない。
スティーヴの勘違いにミリアは微妙な気持ちになる。とはいえ、心配させたいわけではないので、一瞬だけ感じた痛みのことは胸の中に留めた。
「すごく綺麗な方ね。でも私、こんなに綺麗な方の知り合いはいないわよ」
「だろうな。でも今日からは知り合い以上、家族未満だ」
「どういうこと」
ほんとうにどういうこと。
ミリアが疑問符を頭に浮かべていると、朝九つの鐘が鳴る。いつもなら、ミリアが織機工房に向かう時間だ。
「あ、やべ。俺、仕事に行かねぇと。ミリア、俺も今日はここに泊まるから! 昼のうちにライアンに必要なもん買ってやってくれ。織機工房にはちゃんと連絡しておく!」
スティーヴはそれだけ言い置くと、踵を返してすごい勢いで駆けていく。さすが現役騎士。初速からかっ飛ばして、追いかけようとしたミリアが玄関を出ても、もう声をかけるのには遅い距離だった。
説明不足のスティーヴに、ミリアは頭を抱えてしまう。
「あんの保護者……! 説明もなしに……!」
「……ごめん。迷惑をかけるね」
銀髪の麗人が困ったように眦を下げた。それだけでもため息をついてしまうくらい、目が惹かれてしまう。ミリアも一瞬見惚れかけたのを、ハッとして頭を振った。
「いいえ! 悪いのはスティーヴ様なので……! ここは元々スティーヴ様のお家です。私も弟も、お借りしているだけなので……」
ミリアはそう言いつつ、銀髪の麗人を部屋の中へと招いた。ついでにテオが置き去りにした桶も回収しようとすると、銀髪の麗人がすいっとその桶を奪ってしまう。
「お世話になるからね。運ぶよ」
「えっ、あ!」
軽くなった腕にびっくりしていれば、銀髪の麗人はさっさと桶を持って家の中へと入ってしまう。どこに置くのかと聞かれて、ミリアは慌てて案内した。
「ここが台所です。桶はそこの水瓶のそばに。あっちの部屋がリビングで、ご飯はそこで食べてます」
二階には部屋が三つ。
一つはミリアの部屋、二つはテオの部屋。もう一つはスティーヴの部屋だ。
「とりあえず荷物は、リビングのほうへどうぞ。えぇと……」
そういえば自己紹介をしていない。
ミリアの語気が萎んでいくと、銀髪の麗人はそれに気づいたように微笑んだ。
「ごめん、自己紹介もまだだったね。僕はライアン。人を探して旅をしているんだ」
気さくな言葉をかけられて、ミリアは目を瞬かせた。
冷たくも感じる美貌だけれど、言葉は優しい温かを持っている。なるほど、スティーヴが気に入りそうな人物だわ、とミリアは納得した。
「旅の方だったのね。スティーヴとはどういう繋がりなの?」
居間に移動して、ライアンから外套を預かる。
外套を脱いだライアンが、ちょっと困ったように頬を掻いた。
「久々に家に帰ったら、家がなくなっていたんだ。途方に暮れていたら、スティーヴに声をかけてもらったんだよ」
「それは大変」
帰宅したら家がなくなっていたってどういう状況だろう。もう少し詳しく聞きたいな、と思いつつ、ミリアは居間の隅にあるハンガーラックに外套をかけた。
でも今は。
「そうなると、しばらくこの家に一緒に住まれるってことですよね。お部屋とか、スティーヴ様はどうするつもりなのかしら……」
「寝袋はあるから、僕は廊下で寝れるよ」
ミリアはぎょっとして首を振る。こんな美人を廊下で寝させるなんてとんでもない!
「部屋の工面は、スティーヴ様が帰宅したら聞きます! えっと、スティーヴ様も仰っていたので、先に必要な日用品を買い出しに行きましょう。お疲れではないですか?」
そっとお伺いを立てれば、ライアンは口もとをゆるめて微笑んだ。
「大丈夫だよ。買い物に行くなら、早いうちに行こうか」
ソファーに座ったのも束の間。
快く外出を承諾してくれたライアンの人柄のよさに、ミリアはほっとする。
それなら外套をもう一回着てもらったほうが良いのかな、と思うけれど、今かけたばかりの外套はだいぶ汚れているし、擦り切れていた。これを着て商店街を歩くのは目立つかもしれない。
「ライアンさん、新しい外套を持ってきますね。これだと、少し悪目立ちしますので」
「あ、大丈夫。今日は風も強くないからこのまま行くよ」
あっけらかんと言われて、ミリアはちょっと微妙な気持ちになった。こんな美人を隣につれて歩いていたら、別の意味でも目立ってしまう。
まぁ、でも。
スティーヴが懐に入れることを決めた人物だ。悪い人ではないだろうし、今後しばらくは街に出かけることもあるだろうし。近所の人に顔を見知っておいてもらったほうが、不審者だと思われずに済むはず。
ミリアは「それじゃあ」と頷くと、自分の部屋から外出用の鞄を取ってきて、ライアンと出かけることにした。
ミリアの住む街は、高低差のある丘の街だ。丘の上には領主館があり、緩やかな傾斜の中に住宅街や商店街が立ち並ぶ。
ミリアたちの住む場所より少し下った先の大通りには〝花束通り〟がある。花の名前を冠した小さな小径が、この大通りで集合する様から名づけられた。小径の中には商店街もたくさんあるので、ミリアの買い物はもっぱら花束通りだ。
「スティーヴ様も帰ってこられるなら、夕飯の量を増やさなきゃ……ライアン様も、必要なものがあればおっしゃってくださいね。お店を案内しますので」
「あ、じゃあ古着屋だけ、先にいいかな。この街の服を買っておきたい」
ライアンの服装はよくも悪くも旅人だと分かるものだ。温暖で蒸しやすいこの街の人たちの服装は、袖や裾が広がっているものが多いけれど、ライアンの服装は泥や砂が入らないように袖や裾が絞られている。ミリアはそれならと、服屋の多い小径を選んだ。
「古着屋はここです」
「ありがとう。すぐ選んでくるから待っていて」
一緒に店に入ると、ライアンは男性用の服を探しに店内を彷徨きはじめた。ミリアも手持ち無沙汰なので、最近ぐんと身長の伸びたテオの服を探そうかと物色をする。
いくつか見繕って、一着ぐらい買っておこうかと思案していると、ミリアの肩に誰かの手が触れた。
「ミリア、お待たせ。その服は?」
「あ、えっと。弟用にと思って。最近あの子、身長がぐんぐん伸びてるから、すぐに丈が足りなくなっちゃうんです」
「そっか。それなら僕が買ってあげるよ」
「えっ!? いいです! 大丈夫です!」
ライアンがしれっとミリアの手から少年服を取り上げてしまった。ミリアが慌てて取り戻そうとすれば、やんわりと微笑んで、彼女の手が届かないように服を背中に隠してしまう。
「いいの、いいの。お世話になるんだから。あ、それだとミリアの服も買ってあげたほうがいいか」
ミリアは文字通り飛び上がってしまった。テオの服だけじゃなくて、自分の服までなんて、気にしなくていいのに!
「大丈夫ですっ、私の服は足りてるので……!」
「いやいや、女の子は服がいくつあっても足りないものだろう。あ、この服とかどう?」
ライアンが目星をつけたのは、蔓花の刺繍が可愛らしいワンピースだ。ただ問題は、この街の風土に合わせて襟元が大きく開いているところだけ。
せっかくの好意とはいえ、あんまり着るつもりのない服に、ミリアは首をぶんぶん振った。
「あの、本当に大丈夫なので……! それに早く食材を買いにいかないと、新鮮なものが買えなくなっちゃいますよ」
「そっかぁ」
すごく残念そうなライアンの背中を押して、店員のほうへと向かわせる。もちろん、ライアンが手に取っていたワンピースは展示の中に戻した。
支払いを済ませて店を出る。良い服が買えたよ、とにこにこ微笑むライアンが通りすがりの人たちの視線を奪い取っていく。中には隣にいるミリアに気がついて、すごく睨みつけてきたり、あからさまにがっかりした表情をする女性もしばしば。
(このあとの買い物もこの調子で続くのかしら)
この麗人を連れて歩くには、思っていた以上に度胸が必要だったのかもしれない。
ミリアは何も言わずに仕事に戻ったスティーヴをかなり恨んだ。
なんとか人の視線ばかりが集まる買い出しを済ませたミリアとライアンが家に帰ると、子供たちと遊んでいたはずのテオも帰ってきていた。テオはライアンを見ると飛び上がってミリアのうしろに隠れてしまったけれど、ライアンが膝を折って彼と視線を合わせたらすぐに仲良くなった。
テオがライアンに旅の話を強請るので、ミリアはその間に粛々と夕食の仕込みをすることにした。今日は成人男性二人分が食卓に追加される。いつもの量だと絶対に足りないから、ミリアは張り切った。
いつもならテオに頼む芋の皮むきなども全部一人でやる。しょりしょりしょり。多めに処理して、今晩用のマッシュポテトと、明日用のポトフにするつもりだ。
芋の他にも、玉ねぎや人参も下処理をする。野菜の処理が終わったら、燻製ベーコンを切ってポトフ用の鍋に落とした。
全部下処理ができたら、あとは鍋で煮込むだけ。小さい小鍋で卵も三つ茹でておく。大鍋で茹でた芋の中でも大ぶりのものを五つ取り出して、茹でた卵と一緒にマッシュした。贅沢なバターを少しと、ハーブソルトで味付けも忘れない。今夜のマッシュポテトの出来上がり。
突然できた休みだし、ついでにパンも焼いておこう。スティーヴの帰宅に合わせて、鶏むね肉の下味もつけておく。そろそろ帰ってくるだろうなという時間に肉を焼き始めたら、案の定、スティーヴが帰宅した。
「めっちゃ美味そうな匂いじゃん」
「スティーヴ様、おかえりなさーい!」
「スティーヴ、おかえり」
「ライアンめっちゃ馴染んでるじゃん」
帰宅早々、居間を覗いたスティーヴが快活に笑いながら、ライアンに懐くテオの頭をくしゃくしゃにかき回した。テオは嬉しそうに頭を揺らしているし、ライアンも穏やかに微笑んでいる。
そんな男たちの会話を聞きながら、ミリアは夕食の支度の手を止めた。
「スティーヴ様。おかえりさい。ご飯、もうすぐできますけど、どうしますか」
「先に食う! よーし者共、ミリアを手伝うぞー」
「はーい!」
スティーヴの号令にテオが元気よく返事をした。ライアンもにこにこ笑いながら、テオの真似をして台所に入ってくる。
ミリアはそれぞれに食器を持ってくるように指示をだした。もちろん、スティーヴにも。そこにいるなら恩のある騎士でも使え。遠慮はするな。それがこの家のルールだと、ミリアとテオがこの家にきた時に言われたルールだ。
居間の大きなテーブルに料理を並べる。
焼き立てのパン。マッシュポテト。鶏肉のソテー。ポトフの具なしスープ。
マッシュポテトや鶏肉を多めに出したのに成人男性二人は余ることなく夕食を食べきってしまった。育ち盛りのテオも負けじと食べたので、多かったかな……と心配することなく、テーブルは綺麗に空になった。
食後の片付けをしたあとは、まだ子供のテオを寝かせる。
そうしてやっと、大人たちの話し合いが始まった。
「突然すまんかったな、ミリア。いきなりライアンを連れてきちまって」
「本当よ。せめて、前もって連絡くらいください」
「面目ねぇ〜」
明日は非番らしいスティーヴが、グラスに注いだ酒を煽りながら呵呵と笑う。ライアンも涼しい表情で酒を飲んでいる。けっこう度数の高い酒なので、スティーヴの顔はもう若干赤い。それに対してライアンの顔色があんまり変わっていないことに、ミリアはひそかに驚いていたり。
「ライアンさんは人探しをしているって聞いたのだけど、いつまでここにいらっしゃるの? 長くなるなら、部屋を整えてあげたほうがいいわ」
「いいよ、いいよ。僕は廊下でも寝れるから」
「俺の部屋を使えよ。俺は基本的に、領主館の宿舎で寝泊まりしてるしな」
ライアンはしばらく遠慮していたけれど、どうせあんまり使っていない部屋だからと言ってスティーヴがゴリ押した。これでライアンの寝泊まり事情は一旦解決だ。生活費用に関しても、ライアンから週にまとめて一定額をもらうことに決まった。
新しい住人が増えることによる問題点は、スティーヴとライアンが話し合って綺麗にまとめてくれた。ミリアはほっとして決まったことを頭の中に留めおくだけでいい。すごく楽だ。
生活のことで話がひと段落すると、お酒の瓶も空になる。スティーヴがまだ飲み足りないというので、仕方なくミリアは二本目を出して上げた。いつもなら一人で一瓶空けるのを、今日は二人で飲んでいるから特別だ。
「それで、人探しって誰を探しているの?」
ライアンのグラスにもお酒を継ぎ足しながら、ミリアは尋ねてみた。人探しをしていることは聞いたけれど、どんな人を探しているのかは聞いていなかったのを、今さらながら思い出したから。
ライアンはグラスを揺らしながら、寂しそうな瞳で微笑む。
「大切な人さ。もっとも、向こうは僕のことを忘れているかもしれないけどね」
「もう何年も会っていないの?」
「そうだねぇ……百年くらい会ってないなぁ……」
百年。
冗談みたいな年月に、ミリアはライアンが酔っているのかと思った。
酔っぱらいにこれ以上、酒を与えないようにしようと思っていると、スティーヴが「ふふん」と得意そうに鼻を鳴らす。
「聞いて驚け。ライアンはな、竜人なんだよ。それも〝狂竜病〟を克服した稀な竜だ」
ミリアの動きがぴたりと止まる。
(〝狂竜病〟を克服した竜……?)
ちりっと顎の下の痕が、灼かれたように痛んだ。
でもその痛みよりも、スティーヴの言葉のほうが、ミリアの胸の奥に隠れていたものを引っ掻くように痛めつける。
「竜って……ライアンさんは人間じゃない」
「見た目はな。ライアン、見せてやれば?」
「いいけど」
スティーヴに言われたライアンが、すっと椅子を立つ。何をするのかとミリアが眺めていると、ライアンがいきなり自分の服をめくりあげた。
「きゃ……っ」
「これ、竜の鱗だよ」
思わず目元を伏せたミリアに、ライアンがくすくす笑いながら声をかけてくる。
他意はないようなので、おそるおそる視線をあげてみれば、ライアンの服の下はびっしりとした鱗で覆われていた。
「きゃ……っ!?」
「二回も驚かれた」
「ミリアも女の子だなぁ〜」
ライアンはくすくす笑うし、スティーヴも酒を煽りながらケラケラと笑う。
ミリアは酔っぱらい二人にイラッとした。
「今日のお酒は没収です」
「ごめんなさい!」
「すまんて!」
懇願する酒飲み二人をじろりと睨めつける。「お酒ください」と言い続ける二人に話を続けさせるため、お酒を抱えたまま、ミリアはそっぽを向く。
「話し終わったら返してあげるわ」
「うっす。おい、ライアン」
「あ、僕?」
スティーヴに促されて、ライアンがぱちりと瞬く。
それから了解したというように話しだした。
「ご覧の通り、僕はもともと竜だったんだよ。ここからずっと北にあるドラグナー山脈が僕らの住処でね。基本的に竜たちは山から降りずに一生を終えるんだ。だけどたまに山を降りてしまう竜がいる。それが人間たちの言う〝狂竜病の竜〟。その本質は……運命の番いに狂わされた竜なんだ」
ライアン曰く。
竜には〝番いの本能〟というものがあるらしい。本来であれば竜同士で発現する本能だけど、稀に同族以外の種族に対して働いてしまうこともある。そうした竜は下界へ降りて、番いを探す。けれど竜は山の澄みんだ空気の中でしか生きられないため、下界の空気にあてられて狂ってしまう。それが〝狂竜病〟の真実だ。
そしてその〝狂竜病〟を克服する方法が。
「番いを喰うこと。〝狂竜病〟の竜が見境なく人や動植物を喰うのはこの本能のせいなんだ。こういった竜は人間や同族によって討伐される。でも稀に、討伐される前に番いを見つけて喰らう竜がいる。――それが克服した竜で、僕だ」
金色の瞳が悲しそうに伏せられる。
ミリアの顎の下の痕が、またチリッと熱を持つ。
「でも、どうして? 竜は、竜でしょう? 人の姿になるなんて聞いたことがないわ」
一般的な竜は家よりも大きく、蜥蜴のように四足で翼を持っている。人間とはまったく違う生き物だ。
だからミリアもまだ半信半疑でいると、ライアンは困ったように頬を搔く。
「僕もびっくりしたよ。竜族は番いを見つけると、相手と近しい種族に進化する。僕の番いは、人だったんだ。……気づいたのは、〝狂竜病〟を克服したあとなんだけどね」
また寂しい顔をする。
ライアンのこういった表情を見るたびに、ミリアの胸の奥がざわめいた。彼が竜である話も衝撃的だけれど、それ以上に前世の自分の死や、両親の死の理由を垣間見て、行きあたりのない感情がとぐろを巻いていく。
「……それで、それがどうして人探しと繋がるの?」
問いかける。
ライアンの瞳が切なさに揺れる。
「僕の番いが転生しているからだ」
違和感を感じたのは、三十年経っても老いなかったことだとライアンは呟く。
竜族の寿命は番いの長さと同等になる。人族だと七十あればいいほうだ。でも、ライアンは寿命がつきなかった。老いることもなかった。理由を探して竜族の里に戻り、番いが転生するまでの猶予だと聞かされたそう。
「〝番い殺し〟の業は深い。相手の来世にまで及ぶ業なんだって。だから僕は……転生したはずの彼女を探して、旅をしているんだ」
お酒の入ったグラスを揺らしながら、まるで夢物語に近いけどね、と話すライアンに、ミリアは曖昧に頷く。
竜に殺された前世を持つミリアだから分かる。
きっと、ライアンが探している人は。
(自分を殺した相手になんか、会いたくない)
そう思ってるはずだ。
だってミリアも、そう思うから。
「ライアンさんは……その人に会って、どうするの? 謝りたいの?」
「んー……どうだろう。謝りたいけど……謝っても、許してもらえるようなことじゃないと思う。それに相手が前世のことを知っているとは限らないしね。でも、困っているようだったら助けてあげたいかな」
番いだからこそ、今度はちゃんと大切にしてあげたいんだ、とライアンははにかむ。
そんな彼の言葉が、ミリアの胸の奥にある黒い感情を少しだけ和らげてくれた。
そういうことなら、ミリアも陰ながら人探しを手伝ってあげようと思った。ライアンには他意がない。こんなに優しい人だからこそ、手伝ってあげたいと思って。
「そういうことなら、そうね。私も人探しを手伝ってあげたいわ……って言いたいところだけど……お手伝いって、できるものなのかしら」
「ほんとう? あぁ、スティーヴに聞いて良かったよ。もしかしたらミリアが手がかりを知ってるかもって聞いていたんだ」
「どういうこと?」
思わずスティーヴを見ると、すっかり彼は酒に呑まれて寝息を立てていた。静かだな、と思っていたらこの始末。ミリアは頭を抱えた。
「この呑んだくれ保護者……」
「スティーヴってば、本当にお酒好きだよね」
ライアンがくすくすと笑う。ミリアは仕方なくライアンに手伝ってもらい、スティーヴを居間のソファーへと移した。風邪を引かないようにブランケットをかけておく。
二人でまたテーブルに戻ると、さっきの話の続きをして。
「私が手がかりを知ってるって、どういうこと?」
「番いの業はね、来世にも遺る。具体的に言うと、前世の死因が、来世にも遺るんだ」
チリッと、顎の下がまた痛む。
なんだか嫌な気配が、足の下から這ってくるようで、ミリアの心臓が早鐘を打つ。
聞かなければいいのに。
ここでやめればいいのに。
ミリアは指先が冷えるのを感じながら、尋ねてしまった。
「来世にも遺るって……」
「僕の番の場合は……顎の下、かな。このあたりに、傷痕があるはず」
それは、番いの頭を食いちぎった時の傷だと、ライアンは話した。
ライアンの話を聞いたあと、ミリアは自分がどうやって部屋に戻ったのか、覚えていなかった。
気がついたらベッドにいて、ぼんやりと天井を見上げていて。
(どうしよう。私が、ライアンの番いだったら)
そのことだけが、ぐるぐると頭を巡る。
むしろ、自分がライアンの番いであることに対して、確信すら持っていて。
(ライアンは、竜だったときに比べて、竜人は番いの本能が薄いと言っていた。感じ取るのが難しいと。眼の前にいた私に気づかないのは、たぶんそれが理由)
ミリアの前世の死因。顎の下の痕。あまりにも、一致していて。
前世の死に際を思い出すと、身体がぶるりと震える。あまりにも思い出したくない出来事。ただただ、怖かった。
「スティーヴ様は、どうしてライアンを連れてきたんだろう……」
スティーヴはミリアのこの痕のことを知っている。スカーフをつけている理由だって。それを誤魔化したのは、どうして。
ぐるぐると考えてため息をつく。
答えを聞きたいのに、肝心のその人は酔っ払っているから今夜はまともに話せない。
明日、話せる時間があるといいけれど。
そう思いながら、ミリアは瞼を閉じた。
結局、翌日のスティーヴは使い物にならなかった。いつもは悪い酔しないように、お酒は一種類だけしか飲まないのに、調子にのって二瓶目を違う銘柄にしたのが良くなかった。スティーヴは二日酔いに負けた。
昼過ぎには起きてきたけど、起きてきたら起きてきたで、やってもらわないといけないことが山ほどある。スティーヴの部屋をライアンに貸すのなら、まずは部屋の片付けをしっかりやってもらわないといけないわけで。
そうしてミリアの指揮下のもと、なんとかライアンの寝床を整えたものの、夕食もそこそこにスティーヴは領主館にある宿舎へと帰ってしまった。話す時間が取れなかったミリアは、夕食の後片付けをライアンと二人でやることになってしまい、一方的に気まずい思いをしている。
「あのさ、ミリア」
「え、あ、はい」
「僕のこと、怖い?」
ライアンの洗ってくれる皿を、ミリアが拭いていた。そんな時に無造作にかけられた言葉に、ミリアはいっそう気まずい気持ちになってしまう。
態度に出していたつもりはなかったのに、やっぱり避けようとする気持ちがどこかでにじみ出ていたのかもしれない。視線をうろつかせていたら、洗い物が終わったらしいライアンがミリアから距離を取るように、一歩二歩下がった。
「ミリアの両親が、僕の同胞に殺されたことはスティーヴに聞いているよ。だから最初は、僕もミリアと直接話すのはやめたほうがいいって言ったんだ。でもスティーヴが、ミリアはそんなに弱い子じゃないと言っていて、つい甘えちゃったよ」
ミリアはじっと手元の皿と布巾を見つめる。
ライアンの顔を見てみたい。すごく申し訳なさそうな声の主は、きっと声のとおりに申し訳なさそうな表情をしていると思う。
だけどそれ以上に。
自分が彼の番いかもしれないということを知られるのが、怖かった。嫌だった。
過去のことは、終わったこと。
それがこうして、今のミリアの人生に干渉してくるのが、恐ろしい。
だって、もし、ライアンに謝られでもしたら。
「……ごめんなさい。怖いのかも、しれないわ。スティーヴ様が思っているよりも、私にとって竜は特別かもしれないの」
ミリアはライアンの存在が怖い。それは認めないといけない。もし彼に謝られたら、ライアンをなじり、八つ当たり、自分と同じように理不尽に殺されてしまえと、言ってしまうかもしれない。そんな自分を想像するのでさえ、恐ろしいし、嫌だった。
ライアンは優しい人だ。たった二日一緒にいるだけでも分かる。テオがあんなに懐いた。職業柄、人の善悪に敏感なスティーヴですら懐にいれた。ミリアを気遣って重い荷物を持ってくれた。今だって、夕食の後片付けを積極的に手伝ってくれている。
ライアンはそういう人だと、ミリアも感じている。
感じているからこそ、彼に酷い言葉や態度をとってしまうかもしれない自分が嫌だ。
ミリアは顔を上げられずに項垂れる。
そんなミリアに、ライアンはやっぱり優しくて。
「そうだよね。普通はそうだよ。明日から僕は外で食事を摂るから。夜、寝るときだけ部屋を借りるけど……できる限り、ミリアの前には現れないようにするよ」
そう言われた瞬間、心臓がずきりと痛んだ。顎の裏の痕も燃えるように痛む。ライアンからの拒絶を感じたミリアの魂が、それは駄目だと悲鳴をあげた。
「ごめ……っ、ちがうの、ごめんなさい……っ」
「ミリア?」
かしゃん、とお皿が割れる。心臓と、喉と、痛む場所を抑えてうずくまった。
ライアンがすぐさま傍らに膝をついて、呻くミリアの背中をさすってくれる。震える手を伸ばせば、ライアンはしっかりとミリアの手を握ってくれた。
「スカーフ……」
「スカーフ?」
ミリアはこくりと頷いた。察したライアンが、スカーフの結び目をほどいてくれる。ちょっとだけ頭を反らせてみれば、顎の下にある痕へとライアンの視線が向く。
「……っ、これって」
ミリアは目を閉じたまま、ごくごく小さな声で囁いた。
「私を殺した竜は、銀色の鱗で、金色の瞳だったわ。翼が四枚あって、尾花のように柔らかな尾を持っていたの」
ライアンが息を呑む気配がした。
ミリアは身体が震えるのを我慢して、少しずつ、少しずつ、尋ねる。
「ねぇ、貴方が食べてしまった番いは、赤毛だったかしら」
「……うん」
「貴方が食べてしまった番いは、緑の瞳だったかしら」
「…………うん」
「貴方が食べてしまった番いは、機織りが得意な――」
「ごめん……ッ」
ぎゅうっとライアンがミリアの手を握りしめる。痛いほどに握りしめられた手。
前世の死に際の痛みよりもよっぽど軽いけれど。それでも、やっぱり痛くて。
「君には、前世の記憶があるんだね」
ミリアはこくりと頷く。
ライアンがミリアの手を額に押しいだく。
「……ごめん。本当にごめん。まさか君だったなんて……! 無神経でごめん。前世のことも、謝っても謝りきれない……!」
悲痛な声。
小さな家の台所に蹲って、ライアンはミリアに懺悔する。
ミリアはゆっくりとまぶたを押し上げて、ライアンを見つめた。うつむき、短い銀髪に隠れてしまった彼の表情。綺麗なつむじを見つめながら、ミリアは囁く。
「貴方は優しいわ。優しいけれど、残酷ね。私、どうすればいいのかしら。貴方をなじりたいのに、貴方をなじったら自分を嫌いになりそう。だから、貴方をなじれないの」
それが苦しい、と伝えると、ライアンがハッとしたように顔をあげて。
金色の瞳と目が合う。ライアンの瞳に、苦しそうな自分が映る。
ライアンもまた、苦しそうに表情を浮かべて。
「……僕はやっぱり君の前から姿を消すよ。そのほうが、君の心に優しくあれるのなら。僕が君を探すこと自体が、やっぱり間違いだったんだね……」
ライアンがゆらりと立ち上がる。
そのまま玄関のほうへと向かう彼に、ミリアは。
「待って……!」
もう一度、呼び止める。
ライアンが振り返る。
ミリアは言葉を一生懸命、探した。
「……無理しなくていいよ。僕はもう、出ていくから」
「違う、違うの……!」
離れることばかり言うライアンに、ミリアは駄々をこねるように首を振って。
「ごめんなさい、そうじゃないの! 貴方に、竜の貴方に、伝えたいことだって、ちゃんとあったの……!」
喘ぐように言葉を紡ぐ。
そう、本当は。
人懐こかったあの竜が。
尾の毛をわけて糸を紡がせてくれた、優しい竜が。
「私、好きだったの――」
だからこそ、苦しかった。悲しかった。憎らしかった。
頭からがぶりと噛みちぎられて。生まれ変わって前世を思い出した時に最初に思ったのは、心を通わせていたのは自分の勘違いだったのかもしれないということ。
竜はあまりにも身勝手で、おそろしい。
両親のこともあって、そう思ってきたのに。
ライアンがこんなにも優しいと。心を通わせていた頃のあの竜のような穏やかな心の持ち主であると。そう感じるほどに、自分の中にある竜への気持ちが分からなくなっていく。ぐちゃぐちゃになっていく。
「……今の私は、竜が怖いし、竜が憎いの。でもね、昔の私は、貴方のことが好きだった。貴方が貴方のままであるなら、竜じゃないライアンのことだって嫌いになれない。なのに、ライアンは竜で……っ」
視界がぼやける。たっぷりの雫が瞳を覆って、頬へと伝ってしまう。
そんなミリアに触れていいのか、ライアンが躊躇ったようにその場に膝をついて。
心配そうに自分を伺うライアンが、本当に優しくて。
「ねぇ、ライアン。もし、私に償ってくれるなら……私の願いを叶えてくれる?」
「もちろんだとも」
ミリアは涙を流しながらも、微笑んだ。間髪入れずに返ってきた答えそのものが、ライアンの優しさと誠実さを表している。
だから願う。このやりようのない気持ちの行き場を求めて、ライアンにぶつける。
「出会ってしまった以上、過去のことはなかったことにできないわ。私も貴方も、会うだけで心が擦り切れてしまう。だから……手紙を書いてくれる?」
優しい貴方が綴る手紙は、きっと優しい言葉で溢れているはずだ。
手紙であればきっと、竜ではなく、ただのライアンの言葉だと受け取れるから。
「野原で見つけた花を押し花にして。海辺で見つけた綺麗な貝殻を贈って。世界は綺麗なものだと、言葉で綴って。そうしたらきっと――」
行き場のない憎しみも、恐怖も。
いつか上書きされて。
「貴方と笑顔で会えるから」
ミリアが泣きながらも微笑めば、ライアンもまた泣きそうな顔で微笑んで、頷いた。
ライアンは早々に旅立っていった。
テオには散々やつ当たられた。ミリアがよそよそしい態度をとっていたのはテオもお見通しだったらしい。せっかくの遊び相手がいなくなったのはミリアのせいだとなじられたけれど、ミリアはそれを受け入れた。間違いなく、ミリアのせいだったから。
スティーヴは何も言わなかった。たぶん、ミリアがライアンの番いであることは予想ができていたんだと思う。だからスティーヴが仕事の合間に様子を見に来たときにライアンがいなくても、何も触れずにいつも通り接してくれた。
それからしばらくして、一通の便りが届いた。
薄紅色の便箋には、赤い花の押し花が添えられていて。
『拝啓、ミリアへ。
お元気ですか。
僕は今、赤い髪の君といっしょに過ごした場所へ来ています。
いっしょにいた頃は伝えられなかったけど、
君の髪はこの赤いヒナゲシのように素敵だと思います。
また、手紙を送ります。
どうかお元気で。
ライアン』
あまりにもそっけなく、不器用な手紙。
そんな手紙でも、ミリアは自然と笑顔が浮かんでしまった。
(彼は知っているのかしら)
赤いヒナゲシの花言葉。
感謝と、慰め。
彼のありったけの真心を胸にいだき、少しずつ過去を乗り越えていきたい。
そうしていつか、手紙を返す時はこう伝えるの。
また会いましょう、と。




