騎士カルネの逆鱗
南雲皋様主催
「一人称変化アンソロジー 《僕》→《俺》」
2025/12/1
カルネは妹に呼ばれて、その部屋に入ったはずだった。
「騎士カルネ、出迎えご苦労さま」
「え、リーリア姫……?」
今日のカルネは非番のはずで、ここはリーリアがいる辺境伯の城ではなく、城下にある劇場のはずだ。
もっと言えばここは舞台裏の楽屋で、今回の劇の主役である妹がこの部屋にいるはずだった。
でも目の前にいるのは、カルネが普段護衛をしている辺境伯令嬢のリーリアで。
エメラルドグリーンの瞳を細め、たっぷりの金髪を身体ごと揺らしながら、リーリア姫は笑う。
「ふふ。兄さんを騙せたらもう完璧ね! 私の演技力と衣装、色硝子の瞳、メイク、全て整った今、忠実に姫様を再現できちゃうわ!」
急にお淑やかさを捨てた姫に、カルネはがっくりと脱力した。
「なんだよ、中身はフィオナか。びっくりした」
「失礼ね。本物の姫様がここにいるわけないでしょ」
「だよね。あーもう、でも心臓に悪いくらい似ているよ」
きゃらきゃらと笑う妹の頭を、カルネは苦笑しながらぽんぽんと撫でた。
途端に毛を逆立てたような猫のように、姫様の顔でフィオナが威嚇してくる。
「ちょっと! ウィッグがずれるからやめて頂戴!」
「あ、ごめん」
だから怒らないでよ、とカルネはフィオナから大きく一歩下がって距離を取った。
一歩距離を取るだけで、フィオナの全身が視界に映る。見れば見るほど、カルネが仕える辺境伯令嬢にそっくりだ。
「今日の舞台は、先月の討伐の話だっけ」
「そうそう。我が辺境伯様の珠玉の姫君が騎士団を携えて大型火竜から街を救ってくれたお話。うちの脚本家が三日徹夜して書き上げた傑作よ」
ふふん、と胸を張るフィオナ。
そういうことならと、カルネはちょっとわくわくしながら聞いてみる。
「もちろん僕の活躍はあるんだろ?」
「あるわよ」
「えっ、本当かい?」
「自分で聞いたのに聞き返すの?」
フィオナがちょっと呆れながらカルネを見てくる。
カルネは頬をかきながら、そろっと明後日の方向に視線を向けた。
「いやぁ、僕もとうとう劇に出れるくらい有名になったのかって思って」
「そうねぇ。貧民街のガキ大将だった兄さんが、なんたって姫様の護衛騎士だものね」
カルネとフィオナは貧民街の出身だ。どこぞのお金持ちの愛人だった母が亡くなってから、貧民街の隅っこで二人でその日暮らしをしていた。
カルネもフィオナも母の血を継いだおかげで、すごく美人に生まれついた。銀色の髪は月女神セレナーデのように目映く、紫の瞳は純度の高いアメジストのよう。幼い頃はその美貌を狙う悪党に絡まれることも多かったから、カルネは妹を守るために腕っぷしがやたらと強くなってしまった。
そんなカルネを辺境伯騎士団の隊員が見つけ、騎士に勧誘したことでその才能がさらに開花した。今では辺境伯令嬢の護衛騎士にまで抜擢されているほど強い。
妹であるフィオナも騎士としての収入を仕送りに送ってやれば、自分の顔を活かすために身綺麗にするのに金をつぎこみ、今や領内きっての売れっ子女優。
人生何が起こるか分からないものだと、カルネはしみじみと頷いた。
「今回の劇でもちゃんと護衛騎士として出ているわよ」
「やった!」
そして自分も物語にされるとか。なかなかの出世だと思う。妹とそろって有名人だ。
「セリフが『御意』と『姫様! お下がりください!』だけ、だけど」
「しょっぱいな!?」
全然、有名人なんかじゃなかった。
がっくりとうなだれたカルネはがばりと顔を上げると、フィオナに抗議の声をあげる。
「ちゃんと火竜討伐にだって貢献したんだよ!? 前線に出過ぎた姫様を救うために身体を張ったんだぞ!」
「姫様のかっこ悪いシーンなんてカットするに決まってるじゃない」
「せめてピンチって言えよっ!」
「そうね。だからセリフが入ったのかしら。『姫様、お下がりください!』って」
「オブラートが過ぎる……!」
悔しそうにするカルネ。
そんなカルネを尻目に、リーリア姫とそっくりな顔でフィオナはきゃらきゃらと笑った。姫様が大口開けて笑うなんて幻滅するから、自分の前以外では絶対にやらないでほしい。
兄妹でそんな雑談をしていれば、そろそろ開演の時間のようで劇団員が呼びに来る。
「それじゃ、行ってくるわ」
「がんばってきなよ」
「もちろん。だから今夜はご馳走にしてね?」
カルネはフィオナを応援すると、満面の笑みでフィオナは部屋を出ていく。
カルネもまた笑ってうなずく。フィオナからもらったチケットで妹の晴れ舞台を観てやろうと部屋を後にした。
シャルム劇団の本日の公演は、辺境伯令嬢リーリア姫の火竜討伐記。
つい先月、実際にあった火竜の襲来から討伐までを、華麗に大胆に情熱的に演じたものだ。
リーリア姫は領民にも親しまれている。視察としてよく領内に出かけており、街の人々はその顔をよく知っていた。
もちろん今日の公演を観に来てくれている人たちだって、姫君の顔をよく知っているわけで。
フィオナが演じる瓜二つなリーリア姫に、今日の公演はおおいに盛り上がった。
観劇した客たちはリーリア姫万歳、プレズィール辺境伯万歳と、大喜び。
大成功を収めた公演に、リーリア姫役を演じたフィオナもとびっきりの笑顔で舞台挨拶をした。
カルネも久々に見た妹の演劇に、全力の拍手を贈った。
これは同僚たちに良い土産話になる。自分役の出番はフィオナの言う通りさらっとしていたけれど、それも致し方ない。姫様の素晴らしさを伝えるにはカルネの見せ場なんてなくて良かったのだと思えるほど、満足感があった。
人の流れに乗りながらカルネは劇場を出ると、辺境伯の城ではなく、下町にあるフィオナの家へと向かう。普段は宿舎で寝泊まりしているけれど、上司である騎士団長から外泊許可をちゃんともらったから。
ぷらぷらと町中を歩いていると、不意に声をかけられた。
「よぉ」
最初、カルネは自分に話しかけられたとは思っていなかった。向こうから歩いてきた男が目の前に立ち止まって、ようやく気がついたくらいだ。
埃だらけの襤褸に、鼻につく饐えた匂い。身汚い薄汚れた男が、カルネの前に立ちはだかっている。
カルネが何事もなく避けて通り過ぎようとすれば、その手を掴まれた。
「なんだい、僕に用?」
「金をくれ」
呆れたことに、金を無心された。
カルネが眉をしかめて腕を振り払おうとすると、男は随分と声を潜めて耳打ちをしてきた。
「金でお前の妹が救われるんだ。安いもんだろ」
瞬間、カルネが男の腕をひねりあげようと、逆に腕を掴み返す。
けれど男は手練れた動きでカルネの握力から逃れると、するりとその背後に抜け出た。
「金をくれる気になったか?」
「面白い冗談だよね。詳しく話を聞かせておくれよ」
「おっと、派手な動きはしないほうが良い。俺は二枚舌の蝙蝠だ。すぐに手のひらを返しちまうかもしんねぇなぁ?」
くつくつと喉の奥を震わせる男を、カルネは鋭い視線で射抜く。飄々とした態度のまま、二枚舌の蝙蝠を自称する男はたたらを踏むようにカルネから距離をとった。
「大金貨一〇〇枚だ。三日後の夜の鐘三つまでに、南の神殿の裏手にある廃屋敷に持って来い。相手は貴族だ。粗相のねぇようにな」
「待て……!」
カルネが手を伸ばす。
男は人混みに紛れるように駆けて行く。
カルネは騎士だ。城下の治安を守るため巡回に参加することも、犯罪組織を相手に大立ち回りをしたこともある。団長には、騎士の中でも上位に入る索敵能力の持ち主だと褒められたことだってある。
だけどそんなカルネを嘲笑うかのように、男はカルネの視界からふっと消えてしまった。
男を見失ったカルネは舌打ちをすると、思考を巡らせる。
二枚舌も蝙蝠も、嘘つきの暗喩だ。
嘘つきの嘘つき。まるで言葉遊びのようだが、逆の裏は表とも言える。
「大金貨一〇〇枚とか、ふっかけ過ぎだろ」
カルネはもう一度舌打ちをすると、踵を返して今通ってきた道を戻る。その足は徐々に早くなり、人混みが少しでも空くと、カルネは全速力で走り出した。
――無事でいておくれよ。
そう、願った。
カルネが劇場へ戻ると、既に観客たちは捌けた後だった。
会場入口が封鎖されていたので裏口へと回る。人気はなくなり、やけに静かなのが気にかかった。
裏口まで来ると、当然のように警備員がいる。カルネの姿を見つけた警備員は動揺したように身体を揺らした。
「か、カルネさん」
「フィオナ、まだいる?」
「そ、それが……」
警備員はカルネがフィオナの兄であることを知っている。沈鬱な表情で俯いた警備員に、カルネは顔色を変えた。
「入る」
有無を言わせない語気で、カルネは警備員の横をすり抜ける。
警備員は何も言わず、カルネを通した。
劇場の裏は雑然とした搬入口だ。荷車や大型の舞台装置などが乱雑に立ち並び、その隙間を埋めるように小物が置かれている。そこまで踏み入れば、劇場の中のざわめきがカルネの耳にも届いた。
「なんで追いかけなかったんだよ!」
「うっせぇ! 追いかけたところで何になんだよ!」
「その筋肉は見せかけだけか!?」
「見せかけだけなのはてめぇがよく知ってんだろ、だあほ!」
大声で言い争う二人の男たち。今日の公演で騎士役を演じた二人だ。その周りには止めようとする団員の姿もいる。
だけど、この人の輪の中にフィオナの姿はない。
「ごめん、ちょっと良いかな」
カルネが声をかけると、ざわっと人の視線が一斉にこちらへ向いた。
近づいてきたのもまったく気づかれていなかったらしい。その場にいた全員が気まずそうに口を閉ざし、黙ってしまった。
誰一人としてカルネと目を合わせようとしない。
異様な光景に、カルネの表情も硬くなる。
「妹に会いに来たんだけど。フィオナはどこ?」
この場にいる人間でカルネの顔を知らない者はいない。フィオナが劇団に入った時から、身内特権でちょこちょことカルネは差し入れしたりと裏方へと出入りしているから、親しい顔だっている。
そのカルネが問いかけた瞬間、全員顔を伏せってしまった。
「ダン、フィオナはどこ?」
カルネは言い争っていた男のうち、ガタイの良い筋肉質な男の名前を呼んだ。
ダンは拳を握りしめながら、懺悔するかのように教えてくれる。
「……さらわれた」
「誰に」
カルネの視線が鋭くなる。
団員の中にはその殺気に震えてへたり込む者もいるけれど、ダンは青褪めながらカルネの問いかけに答えてくれる。
「分からない。子役を人質にとられた。向こうの要求はフィオナの身柄だった」
なんとなく理解できてしまった。
間違いなくフィオナは子役の代わりとなって自分から着いていったのだと。
カルネは舌打ちしそうになるのをぐっとこらえ、ダンに詰問する。
「相手の人数は」
「五、六人はいたと思う」
「どこへ向かった」
「馬車に乗り込んだのは見た。警備員の一人が馬で追いかけて、一人がカルネさんを呼びに行って、もう一人が警邏を呼びに向かったはずだ」
カルネを呼びに来た警備員とはすれ違ったのだろう。
何も手を打たなかったわけではないらしい。
それでも解決したわけではなく、フィオナはどこぞの誰だか分からないやつに連れ去られたまま。
カルネはふぅ、と大きくひと息ついた。ダンを含め、その場の全員がびくっと身体を震わせる。
それほどに、今のカルネの雰囲気は恐ろしかった。
フィオナと一緒にいる時はいつも愛想が良くて、ちょっとからかい甲斐のある兄という人柄だった。
でも劇団員なら、フィオナから一度は聞いたことがある。
カルネは喧嘩が強くて、騎士としても強くなって、誰にも負けない自慢の兄なのだと。
小さい頃からフィオナを守ってきてくれた、かっこいい騎士なのだと。
その彼が、妹のことを一等大切にしているのは劇団員全員が察していた。知っていた。気づいていた。
だからこそ、その逆鱗に触れたことを感じて。
「分かった」
カルネが静かに告げる。
言葉は静かだった。静かだったけれど、煮えたぎるような怒りの感情が腹の奥に溜まっている。カルネのアメジストの瞳が、激情によって一層濃く染まる。
「ちょっと取り戻してくる」
手掛りは二つ。
追いかけた警備員の足跡と、二枚舌の蝙蝠。
警備員の足跡は警邏に任せる。闇雲に動くよりは良い。
だからカルネは、警邏ではできないこと、自分だからできることをするために動く。
(まずは城に戻ろう。そして聞かないと)
カルネの記憶が正しければ、二枚舌の蝙蝠はプレズィール辺境伯の諜報部隊の通り名だ。
緊急かつ休みとはいえ、城に上がる以上、正装は欠かせない。
全速力で宿舎に戻って黒い騎士服の上着を引っ掴むと、カルネは主君への取り次ぎをメイドに頼んだ。
騎士服に袖を通し、手ぐして邪魔な横髪をざっくりとハーフアップにする。ぴしりと姿勢を伸ばして腰に剣を佩けば、堂に入った立ち姿。
主君であるリーリアはちょうど書斎にいたようで、カルネはそちらへと通された。
「どうした、カルネ。今日は妹の晴れ舞台だと言ってたじゃないか。もう帰ってきたのか?」
「その妹が、どうやら人攫いにあったようでして」
「何?」
書斎の本棚の側にいたリーリアの眉が潜められる。
本日の護衛である騎士ティエンもまた、同じように表情をしかめた。
「何があった」
リーリアの問いかけに、カルネはこれまでの出来事をさっくりと話す。
「二枚舌の蝙蝠が関わっています。知っていることを教えてください」
据わった目で見てくるカルネの気迫に、リーリアとティエンが顔を見合わせる。
リーリアは瞑目すると、本棚から離れて書き物机に積まれた書類から、一枚の紙を抜き出した。
「二枚舌の蝙蝠が関わっているもので、私が知っているのはこれだ」
カルネは差し出された紙を手に取ると、ざっと目を通す。
「聖女選抜の候補者一覧……?」
「不思議なことに、私の名前があるんだ」
肩にかかるたっぷりとした金の髪を背中へと払って、リーリアが椅子に深く腰掛ける。そのまま腕を組んで、書類を睨みつけているカルネへ視線を向けた。
カルネは顔をあげると、訝しげに眉を潜める。
「聖女になりたいんですか?」
「興味ないし、立候補した記憶もない」
つまり、リーリアの知らない所で、誰かが聖女候補として辺境伯令嬢の名前を出した。
その調査のために二枚舌の蝙蝠を一人派遣したと、リーリアの父であるプレズィール辺境伯が情報を共有してくれたらしい。
「聖女といっても女神の化身として見目よく飾られるだけの象徴的存在だ。伝説のような奇跡の御業なんか、ここ三百年、聞いたこともない。神殿の偶像崇拝主義に付き合っている暇はない」
至極冷静に返すリーリアに、カルネもティエンも頷く。
とはいえ、それはそれ、で。
「どこで二枚舌の蝙蝠と、カルネの妹が繋がるんだ?」
ティエンの言う通りだ。
本来なら、神殿の聖女選抜について探っているはずの二枚舌の蝙蝠がフィオナに関わる理由がない。
逆に、反転して考えれば。
「おそらく、カルネの妹が聖女選抜に関わってきたんだろうな」
「どうしてさ!? 僕の妹が聖女とかなんの冗談……っ」
カルネが言いかけて、ハッとした。
最後に会った時のフィオナの姿を思い出す。
一つの可能性がある。
でもそれは考えるまでもなく、荒唐無稽な話だ。
黙り込んだカルネに、リーリアの眉が跳ねた。
「どうした。何か気がついたか」
カルネは唇を引き締めた。
ぶっちゃけ、これを考えた人は本気で頭が悪すぎるとさえ思う。
告げたとして、カルネ自身も半信半疑になるくらいの穴だらけの話だ。
リーリアが早く話せと視線を向けてくるので、カルネは渋々口を開く。
「……僕の妹、すっごい女優なんですよ」
「突然のシスコン」
ティエンがぼそっと呟いたので、すっと身を寄せたカルネが肘鉄を放つ。ティエンは半身で避けた。カルネが睨みつければ、リーリアが咳払いする。
先を促されたので、カルネは改めて背筋を伸ばした。
「妹のフィオナは役者の才能があります。時には生き写しのようにすら思えることもあります。そんな妹が今期の公演で演じるのは――リーリア姫です」
「私か」
実話を元にした脚本の都合上、リーリアにもシャルム劇団から脚本が上がってきている。ひと通り目を通していたものの、リーリアは好きなようにすれば良いとノータッチだった。当然、自分のことなのに役者の名前すらきっちりと把握していなかった。
その上、護衛騎士のカルネに妹がいることは知っていたけれど、その名前までは知らなかった。リーリアは騎士たちにもプライベートはあるからと、あまり踏み込んだ会話はしないので、そうしたことが今回裏目になったのかも。
「そんなに似ていたのか?」
「僕でも一瞬、見間違えましたよ」
「それほどか……」
そんなフィオナの才能に目をつけられたら。
カルネとリーリア、ティエンの視線が交わる。
「私の替え玉として攫われたか」
「杜撰としか言いようがないですね」
「逆かもな。うちは神殿にあまり興味がないからこそ、好き勝手できると思われたのだろう」
そんなことを本気で思う輩がいるのは業腹で、舐められきっているとも言うが。
リーリアが立ち上がる。
金の髪が揺れ、真っ赤なルージュの唇が不敵に弧を描く。
「カルネ、妹君を奪還するぞ。ついでに我が名を騙る不届き者にお灸を据えられたら完璧だな」
リーリアが動くということは、彼女の騎士が動くということ。
カルネはここに来て正解だったと、胸に手を当て深く頭を垂れた。
フィオナの消息は、二枚舌の蝙蝠が〓伝言を残してくれたおかげで簡単に掴めた。
南の神殿の裏手にある廃屋敷。
大金貨一〇〇枚は、ここで人攫いたちが貴族にフィオナを引き渡すことができた時の報酬らしい。三日後の夜の鐘三つまでというのが、その取り引きの刻限だ。
辺境伯が二枚舌の蝙蝠を動かしたのは、闇ギルドが関わっていたからだという。リーリア曰く、フィオナを攫ったのが闇ギルドの者たちではないか、とのことだ。
故に、リーリアは自分の騎士を総動員してフィオナの奪還を計画してくれた。
夜の鐘三つまで待っていられない。刻限までにフィオナを奪還し、闇ギルドの人間を捕縛してすり替わり、取り引き相手の貴族も捕まえる。
目に入れても痛くないくらい可愛がっている妹に手を出されたカルネの気迫は、他の騎士たちをドン引きさせた。
小石を投げて見張りにいた手練れの者たちの意識を逸らすと、一足で見張りの背後に迫り、その意識を刈り取る。相手が剣を抜けば、自分の剣で相手の剣を叩き折り、剣を持たないほうの手で顔面をぶん殴る。
いつもへらりと笑って何事もそつなくこなすカルネが、無表情で、無言で、敵を屠っていく様は味方の騎士たちすらも戦慄させた。
先陣を切って手際よく手練れたちを狩るカルネの背後で、騎士たちは命拾いをした者たちを捕縛していく。
やがて、最奥の部屋までたどり着いて。
扉越しに人の気配が複数動くのを察知したカルネは、問答無用で扉を蹴り破った。
ガィンッと蝶番がけたたましい悲鳴をあげる。
扉の向こうには男が三人。
斬りかかってくるけれど、カルネは無言で一歩引き、入り口の狭い範囲でまごついた男の顎を掌底で打ち上げる。
白目をむいて後ろに倒れた男を、他の二人がぎょっとして見下ろした。
動きを止めた男たちを尻目に、カルネは扉の境界を越える。
カルネの視線が部屋の奥、顔を守るように腕をあげているフィオナと、その彼女を殴ろうとしている四人目の男に向いた。
ぶちっと、何かの切れる音。
「――妹に何してんの」
ぶわっとカルネの殺気が膨らむ。
すぐ側にいた男たちは殺気にあてられ失神し、騎士たちも激昂したカルネに声もかけれずに足踏みする。
そんな中で、フィオナを殴ろうとしていた男だけが動く。
座りこんでいたフィオナに短剣を向け、人質にした。
「動くな。こっちには人質がっ」
カルネが持っていた剣の切っ先を床に叩きつける。
「俺の妹に何してるんだっつってんだよッ!」
剣は叩きつけられた衝撃で床に刺さった。
抜けない。
フィオナが可哀想なものを見るように、自分に短剣を突きつけている男を見上げた。男は一瞬だけ呆気にとられたものの、すぐさまにたりと嗤う。剣の扱いが下手な騎士だと、カルネを軽んじた。
「そこを退いて道を開け、ろ」
男の言葉の途中で、カルネの身体が沈む。
低姿勢のまま突進し、男の腹目がけて拳を放つ。男は気づいてフィオナから離れるように避ける。
カルネの拳は壁を一枚ぶち抜いた。
場が静まり返る。
顔面蒼白で、ようやく手を出してはいけないものに手を出したことを理解した男の手から、短剣が滑り落ちた。
もし、あの拳が腹に入っていたら。
「あー……派手にやったな」
ティエンがドン引きしている騎士たちの隙間を抜けて、カルネの側までやってきた。カルネの肩を軽く叩いて、戦意を喪失した男の顔を覗きこむ。
「こいつの拳ほど怖いものはないぞ。剣をもっているうちが手加減されていたと思え」
手を出してはいけない男の逆鱗に触れたのだと、ティエンは教えてやる。
なにせ。
「先月の大型火竜、こいつが片翼をへし折ってくれたから討伐できたもんだしな」
あの時も騎士たちはカルネの膂力にドン引きしていたな、とティエンは思い出し笑いがこみ上げる。
カルネもその時のことを思い出したのか、ばつが悪そうに拳の土埃を払いながら視線をそらした。
殺気もおさまって、騎士たちが部屋へと入り、フィオナを監禁していた男たちに縄をかけていく。
その光景をカルネが見渡そうと振り返れば、真後ろでフィオナが仁王立ちしていた。
「ちょっと、兄さん……?」
「あ」
フィオナの金髪の鬘は取れていて、カルネとお揃いの美しい銀髪がさらりと揺れる。色硝子を嵌めたエメラルドグリーンの瞳が真っすぐにカルネを射抜く。
カルネは忘れていた。
フィオナには火竜討伐での出来事を一部、黙っていたことを。
カルネが口を挟むよりも早く、フィオナが眦をつり上げて捲し立てる。
「無茶はしてないって言ってたわよね!? なに!? 火竜の翼折ったの!? 兄さんが!?」
「いや、それはその、そうしないとリーリア姫に火竜が衝突――」
「信じらんないっ! あっ、だから僕の活躍は〜とか言いやがったのね!? 私に黙っていたわね!?」
「フィオナ〜〜」
あ〜、とカルネが項垂れる。
リーリアの騎士随一の実力を持つ男でも、妹には口で勝てないらしい。
ぷんすこと怒るフィオナの前で、カルネがしょんもりとする。ティエンが呆れた様子でその光景を見ていると、やにわに後方にいた騎士たちがざわめいた。
「壁が吹き飛んだからまさかとは思ったが、やっぱりお前か。カルネ」
エメラルドグリーンの瞳を猫のように細め、楽しそうに喉の奥を震わせながら、リーリアが部屋に入ってくる。
黒幕を捕縛したあとで登場予定だったはずのリーリアがどうしてここにいるのか。
ティエンが訝しげに見やると、リーリアは教えてくれる。
「ここの壁が破壊されてな。このすぐ近くに来て停まっていた馬車があったんだが、急に御者たちが挙動不審になった。離れようとしたので、ちょっと警邏のフリをして馬車を改めさせてもらったら、案の定だ」
控えていた騎士が持っていたトランクケースを床に置く。ぱかりと中身を開ければ、大金貨がじゃらりと並んでいた。
「数えてきっちり大金貨一〇〇枚。二枚舌の蝙蝠が御者と中にいた人物を尋問しているから、こっちの件もすぐに決着がつく」
それは良かった、とカルネもティエンも頷いた。
そんな中、リーリアがフィオナに視線を向ける。自分に視線を向けられたことに気がついたフィオナは、スカートの裾をつまみ腰を落とす。
貴族令嬢のような洗練されたカーテシーに、リーリアは面白そうに微笑んだ。
「そう堅苦しくなくて良い。楽にしてくれ。貴女がカルネの妹君だろう。彼に似てすごく美人だ。ひと目で分かった」
「もったいないお言葉です。兄がお世話になっております」
「しっかりした妹君じゃないか。これではカルネのほうが抜けてるように見えてしまうな」
「ちょっと、姫」
苦々しそうにカルネはリーリアを止めようとするけれど、フィオナにギッと睨まれた。
カルネが口籠ると、フィオナは鋭い視線からにっこりと表情を和らげて。
「そういえば姫様、私、シャルム劇団で演劇をしているのです。当劇団から最新作の脚本を姫様に献上させていただいているのですが、ご覧になられましたか?」
カルネがぎょっとする。
その話題はよくない。本当によくない。
「もちろんだ。エンターテイメント性に優れていて、演劇としてやるには申し分ない内容だった」
「ですが、現実味に欠けると思いませんか? どこぞの兄が火竜討伐の際に火竜の片翼をへし折った話が入ってなかったり」
「あぁ、あれか。確かにあれは一番の見せ場になるな。あれのおかげで身動きがとれなくなった火竜に対して、騎士たちに突撃命令が出せたんだ。脚本では火竜が私の色香に悩殺されたような展開だったが……」
だからこそのエンターテインメントかと思っていた、とリーリアが続けると、カルネの表情が死んだ。
もう言い逃れができない。妹に言質を取られてしまった。
フィオナはにっこりと微笑む。見る者全てを魅了するような綺麗な笑み。女優としての仮面を脱ぎ捨てて、フィオナ本来の表情でカルネを見上げてくる。
カルネはもう駄目だと悟った。
「兄さん、視線が高いわ」
「はい……」
カルネはすごすごと言われるまま正座する。
そのカルネを見下ろして、フィオナは決して声を荒げることなく、訥々と言い聞かせ始めた。
「騎士になって昔よりも強くなったのは知っているわ。人間相手に兄さんがその馬鹿力で怪我させないように苦労したのも知ってる。騎士は討伐の仕事もあるから危険なことはしないでとは言えない。だからって無茶はしないでほしいって前から言ってたわよね。火竜の翼を折るって何? 折らないと火竜は倒せなかったの?」
「いや、あの、リーリア姫を助けるにはそれしか……」
「リーリア姫を抱いて逃げればよかったじゃない」
「そっか……!」
「そっか、じゃないこの脳筋!」
とうとうフィオナが声を荒げた。
色硝子をはめたエメラルドグリーンの瞳に涙が浮かぶ。
「兄さんまで死んじゃったらひとりぼっちになるじゃない! そんなの嫌よ! 兄さんだけは、私を置いていかないって約束したくせに……!」
涙を拭うために目元を擦ろうとしたフィオナの手を、腰を浮かせたカルネがとっさに掴んだ。
「目が傷つくから、擦るなって」
「じゃあ兄さんが外してよ」
絶大の信頼を寄せる妹からの頼みに、カルネはへにょりと眉を下げながらそっとフィオナの瞳に触れる。
恋人よりも近しいその距離感。
薄い緑の色硝子をそっとつまめば、カルネとお揃いのアメジストの瞳がうるりと艶めく。
「はい、とれた」
「ふん」
ぷいっとフィオナがそっぽを向く。
ご機嫌ななめな妹に、カルネはどうすればいいのかと肩を落とす。
そんな兄妹を見ていたリーリアがくつくつと喉の奥を震わせて笑った。
「仲が良いことだな」
「これじゃ、目に入れて痛くないのはどっちのほうなんですかね」
ティエンの揶揄に、それはそうだとリーリアはますます笑う。
普段、へらりとしていて何事もそつなくこなすカルネの意外な弱点。
ティエンは騎士団に入ったばかりの頃の乱暴なカルネをよく知っているから、最近入った新人騎士たちは今回の一件で大変驚いたことだろう。
カルネの言葉遣いが柔らかくなったのは、護衛騎士としてリーリアにつくようになってからだ。
騎士という役の仮面を、フィオナに教わったらしい。
女性が羨む理想の騎士様の仮面。フィオナの調教がよかったのか、最近では新人メイドの初恋泥棒になっていたり。
そんなカルネも、妹に何かあればそんな役は放り捨て、ただ一人の兄の姿になる。
美人なくせに、腕っぷしも強い、乱暴な口調の青年。
見た目にそぐわないその性格を知れば、新人メイドたちの恋も冷めたり――しそうにはないな、とティエンは想像して嘆息する。
フィオナのご機嫌を必死に取ろうとするカルネを一瞥して、リーリアとティエンは顔を見合わせて頷いた。
「撤退するぞ! 悪党共を繋いで牢に放りこめ!」
応、と騎士たちの声が上がる。
カルネもフィオナのほうをちらちら見ながら、リーリアの元へと戻って来る。
そんなカルネに、リーリアは不敵な笑みを浮かべて命じた。
「カルネ、お前はフィオナを送るついでに観劇の手配をしてこい」
「え?」
「今回の件、私が事前に防げなかったことに責があるからな。その穴埋めをしたい。迷惑料として『救国の姫と火竜の戦い』にかかる今後一切の公演費用は辺境伯家が出す」
そのための視察として、シャルム劇団を一日貸し切って、騎士たちを連れて観劇するための手配をしてこい。
リーリアの命令に、カルネは目を丸くする。
その後ろではフィオナがぴょこんと跳ねて喜んだ。
「姫様ったら太っ腹ね! 姫様にこんな一面があるなんて! 役作り、もう少し詰めないといけないかしら……」
「ちょ、待っ、姫! フィオナも!」
「じゃあ頼んだ。ティエン、行くぞ」
「はい」
「えー!?」
リーリアはティエンと他の騎士たちを連れて、颯爽と去っていく。
この状況で置いて行くの!? とカルネが唖然としていれば、フィオナがふんっと鼻を鳴らした。
「行きましょ、兄さん」
「フィオナ〜……」
「……怖かったんだから、送ってくれるくらいしてよ、お兄ちゃん」
そっぽをを向きながらも、昔のように呼びかけてくれたフィオナ。
カルネは胸の奥がじぃんと震えて。
「フィオナ……!」
「早く行くよ、兄さんっ」
歩き出すフィオナの後ろを、カルネはだらしない笑顔で追いかける。
妹に頼られることが何よりも嬉しいカルネは、やっぱりどうしたって、フィオナのお兄ちゃんなのだ。




