第6話 「神が決めたもの」
世界地図を初めて見た日から、二年が過ぎた。
十二歳になったアカメの世界は、以前より少しだけ広くなっていた。
もちろん、実際に遠くまで旅をしたわけではない。相変わらず生活の中心はリュネ村で、森へ入る時にはロンドがつき、村の外へ出る時にも大人の許可が必要だった。
それでも教会の授業を通して、アルセリア王国の王都がどこにあるのか、ドルガリアとの間でどんな品物が取引されているのか、世界には自分たちとは異なる文化を持つ人々が暮らしていることくらいは分かるようになった。
奏馬については、まだ何の手掛かりもない。
それでもアカメとヴァルは、以前のように焦らなくなっていた。今は探すための知識も、自由に旅をする力も足りない。それなら、できることを増やしていけばいい。
そう考えるようになった頃、教会でこれまで以上に気になる授業が始まった。
「今日は皆さんに、《ジョブ》についてもう少し詳しく説明します」
教壇に立った神官の言葉を聞き、教室の空気が目に見えて変わった。
十二歳にもなると、《神授》という言葉に特別な意味を感じ始める子供が多いらしい。十六歳になれば、自分が何者になるのかが分かる。剣士なのか、魔術師なのか、商人なのか。それとも、両親と同じような仕事に関わるジョブなのか。
アカメ自身も興味はあった。
何より、女神本人と会った記憶がある。
前世では神という存在を深く考えたことなどなかったが、この世界では「神から与えられる力」が実際に人間の人生へ影響しているのだという。
「人間は十六歳になると教会で《神授》を受け、神より一つの《ジョブ》を授かります。そしてジョブには、E級からS級まで六つの階級が存在します」
神官は黒板へ、上から順に「S級、A級、B級、C級、D級、E級」と書き記していった。
「S級が最も高く、E級が最も低い階級です。ただし、数が多いのはD級とE級です。皆さんの周囲にも、この二つの階級を持つ大人は多いでしょう」
アカメの脳裏には、真っ先に家族や身近な大人たちの顔が浮かんだ。父のロンドはD級《狩人》で、母のアレシャはE級《裁縫師》。ヴァルの父ガルドもD級《鍛治師》、母エルナはE級《商人》だ。そう考えれば、神官の言う通り、D級やE級は決して珍しいものではないのだろう。
「先生」
一人の少年が手を挙げた。
「S級だったら、何でもできるんですか?」
「何でも、ではありません。ジョブにはそれぞれ得意な分野があります」
神官は少し考えたあと、壁際に立て掛けられていた木剣を一本手に取った。
「例えば、ここに《剣士》のジョブを持つ人間がいたとしましょう。《剣士》には、剣を扱うための能力を成長させやすくする補正があります。剣術に関するスキルを習得しやすくなったり、身体能力が伸びやすくなったりする場合もあります」
「補正?」
アカメが聞き返した。
「簡単に言えば、神から与えられる『成長しやすさ』です。同じ百回の素振りをしても、《剣士》と《裁縫師》では得られるものが違う、と考えると分かりやすいでしょう」
その説明には、妙な説得力があった。
アカメはロンドから弓や短剣の扱い方を教わっている。まだ狩人と呼べるほどではないが、二年前に比べれば確実に上達した。
では、もし自分が《狩人》だったなら、今より早く覚えられたのだろうか。
「じゃあ、《裁縫師》になったら剣は使えないんですか?」
今度はアカメが尋ねた。
「いい質問ですね。そんなことはありません」
神官は木剣を机の上に置いた。
「《裁縫師》でも剣を握れますし、訓練することもできます。法律で禁止されているわけでもありません。ただし、《剣士》のような補正も専用のスキルもありません。五年、十年と努力すれば多少は扱えるようになるでしょうが、同じ時間を《剣士》が訓練すれば、その差はさらに広がっていくでしょう」
「……頑張っても?」
「努力は無駄にはなりません。ただ、神から与えられた適性の差を完全に埋めるのは、とても難しいことです」
教室が少しだけ静かになった。
神官の口調に意地悪さはない。ただ、この世界では当たり前の事実を説明しているだけなのだろう。
「階級が違う場合は、もっと差があるんですか?」
「基本的にはそう考えられています。例えば、同じ剣術を扱うジョブでも、B級とS級では成長速度や獲得できるスキル、能力の上限そのものが異なる場合があります」
「じゃあ、B級の人がめちゃくちゃ努力して、S級の人が何もしなかったら?」
問いかけたのはヴァルだった。
神官は少し困ったように笑った。
「条件によりますから、必ずとは言えません。ただ、同じ分野のジョブであれば、階級差は非常に大きいものです。S級というのは、それほど特別なものなのですよ」
アカメは黒板に並んだ六つの文字を見つめた。前世では、少なくとも建前としては、努力すれば何にでもなれると教えられることが多かった。
もちろん現実には、生まれ持った才能も環境も違う。それでも最初から「お前はここまで」と目に見える形で線を引かれることはなかったはずだ。
けれど、この世界では違う。十六歳になれば神から一つの方向を示され、しかもその方向には階級まで存在する。
「だから皆、自分のジョブに合った仕事をするんですか?」
「そうですね。それが最も能力を生かせますから」
「違う仕事をしたら駄目?」
「駄目ではありませんよ」
神官はそう答えてから、少し間を置いた。
「ただ、難しいでしょうね」
その一言の方が、禁止されるよりずっと重く聞こえた。できないわけではないが、選んでも上達しづらく、同じ時間を使えば適したジョブを持つ者との差は広がっていく。それなら最初から、神から与えられたものに従った方がいい。
そう考える人間が多くなるのも、アカメには理解できた。
神様って、ずいぶん先まで決めるんだな、とアカメは思った。
―✧―◇―✧―
午後の授業は、子供たちの空気を一変させた。
「では次に、魔法について学びましょう」
今度はアカメの方が露骨に身を乗り出した。
異世界へ転生して十二年。アカメはすでに魔物を目にし、本物の武器や鍛冶場にも触れ、エルフやドワーフといった前世では物語の中にしかいなかった種族が実在することも知った。それでも、元日本人としてどうしても一度は叶えてみたいことがある。
魔法を使ってみたい。
神官が右手を胸の前まで上げた。
「魔法にはいくつもの系統がありますが、人間が扱う一般的な属性は《火》《水》《風》《土》《氷》の五つです」
掌の上に淡い光が集まった。
次の瞬間、小さな火が灯る。
「おお……!」
教室中から声が上がった。
炎は蝋燭ほどの大きさだったが、アカメにとっては十分だった。本当に何もない場所から火が生まれている。
神官が指先を閉じると炎が消え、今度は空中へ小さな水球が浮かんだ。
「魔法を使うには、まず自分の魔力を感じ、それを動かす必要があります。そのうえで起こしたい現象を明確にイメージし、対応する術式を組み上げ、そこへ魔力を通すことで初めて魔法が発動します。魔力の量だけでなく、属性との相性や制御力、術式への理解も必要になります」
「ジョブが魔術師じゃなくても使えるんですか?」
「可能です。ただし先ほどと同じですね。《魔術師》系のジョブを授かった者は、魔法に関する成長補正やスキルを得やすくなります。それ以外のジョブでも才能と努力次第では使えますが、習得にはより長い時間がかかるでしょう」
やはり、ここでもジョブだった。
「ほかにも《白魔法》と呼ばれる治癒系統があります。使い手は少なく、怪我人を治療できるため、とても重宝されています。また、《光属性》と《闇属性》という非常に希少な魔法も存在しますが、皆さんが実際に使い手と出会うことは、そう多くないでしょう」
「闇って何ができるんですか?」
「呪いや毒、相手の精神へ影響を与える術などですね。その性質から、扱いには厳しい規則があります」
「光は?」
「治癒や浄化、それに強力な聖域を作り出す魔法として知られています。特にアンデッドへの有効な対抗手段ですね」
アンデッドまでいるらしい。
十二年暮らした程度では、この世界はまだまだ驚く材料を隠しているようだった。
「先生、それは?」
ヴァルが示したのは、教壇の端に置かれた小さなランプだった。
火を使っているようには見えないのに、内部には淡い光が灯っている。
「よく気づきましたね。これは《魔道具》です」
神官はランプを持ち上げ、子供たちから見えるように底を開いた。中から現れたのは、小指の先ほどの青白い石だった。
「これが《魔石》。魔物の体内に存在する魔力の核です。魔道具は、道具へ刻んだ術式に魔石から魔力を流すことで、決められた効果を発生させます」
神官が側面を指でなぞった。
よく見ると、金属部分には細かな線が幾重にも刻まれている。
「この術式が、光を作ってるんですか?」
ヴァルの声が、明らかに先ほどまでより真剣になった。
「そうです。ただし魔石の魔力は永久ではありません。使えば減りますし、魔道具自体にも整備が必要です」
「この線、一個でも切れたら動かなくなる?」
「術式によりますが、その可能性はありますよ」
「中、もっと見てもいいですか?」
「授業が終わってからなら」
ヴァルが満足そうに頷いた。
アカメには分かった。ヴァルは今日一番と言っていいほど楽しそうだった。
魔法を見ても「へえ」程度だったのに、魔道具の構造を見た途端に目の色が変わっている。
ガルドの鍛冶場で壊れた物を直していた十歳のヴァルを思い出し、アカメは少し笑った。
「最後に、皆さんが暮らす社会についても覚えておきましょう」
授業の終わり際、神官は黒板へ「王族、貴族、自由民、農奴、奴隷」と、五つの身分を書き記した。
「アルセリア王国では、国王陛下を頂点として様々な身分の人々が暮らしています。皆さんの家庭は自由民に当たります」
自分が何と呼ばれる身分なのか、アカメはこの時初めて明確に知った。
「自由民は、法律の範囲内で住む場所や仕事を選び、財産を持つことができます。一方、農奴は特定の土地や領主に属し、その土地を耕して暮らす人々です」
「同じ人間なのに?」
アカメの口から、反射的に言葉が出た。
神官がこちらを見た。
「もちろん、同じ人間ですよ」
「じゃあ、何が違うんですか?」
「生まれた身分が違います」
あまりに迷いのない返答だった。
「農奴として生まれた者は、その土地で働き、領主へ作物や税を納めます。許可なく領地を離れることはできませんし、結婚にも領主側の許可が必要になります」
「……結婚も?」
「はい」
「好きな人がいても?」
「決まりですから」
教室のほかの子供たちは、アカメほど驚いていなかった。
何人かは「何でそんなこと聞くんだ」と言いたげな顔をしている。
その反応の違いに、アカメは質問を続けるのを一瞬ためらった。
「奴隷は?」
ヴァルが代わりに尋ねた。
「奴隷は、契約や法律によって主人の所有下に置かれる者です。犯罪、借金、戦争など、奴隷となる理由はいくつかあります。国によって制度も異なります」
「人を……買えるってこと?」
「奴隷制度が認められている国では、そうなります」
神官は淡々と説明した。
アカメには、その落ち着きの方が不思議だった。
前世なら、人を売ったり買ったりするという言葉だけでも大きな問題になる。けれど、この世界では、それが一つの制度として当たり前のように教えられている。
「アルセリアにもいるんですか?」
「います。ただし、奴隷の扱いや売買には法律があります。それとは別に、農奴制度も王国内の多くの領地で続いています」
「ベルディア領にもいるんですか?」と聞こうとして、アカメはやめた。 答えを聞くのが怖かったわけではない。ただ、今まで自分の中で一つだった「アルセリア王国」という場所に、初めて見えない境界線が生まれた気がした。
リュネ村では、父が森へ入り、母が裁縫をし、ガルドが鍛冶場を営んでいる。どこへ行くかも、何をするかも、少なくともアカメには自分たちで決めているように見えた。
けれど同じ国のどこかには、生まれた時から住む場所も仕事も決められている人がいる。それを周囲の子供たちは、世界地図に国境線があることと同じくらい当然のものとして受け止めている。
アカメだけが、その「当然」に少し引っかかっていた。
この世界の仕組みがおかしいのだと断言できるほど、アカメはまだ何も知らない。農奴制度がなぜ生まれたのかも、国がなぜそれを残しているのかも分からない。
ただ、自分なら嫌だと思った。それだけだった。
―✧―◇―✧―
授業が終わった日の夕方、アカメとヴァルは村の外れにいた。
「やってみようよ!」
「本気か?」
「今日見ただろ。神官さん普通に火出してたじゃん」
「普通に見えたのは、できる人だからじゃない?」
「異世界に転生したんだぞ」
アカメは真剣な顔で右手を突き出した。
「一回くらい魔法使いたいだろ」
「まぁ……そこは分かる」
前世の記憶を持つ二人にとって、こればかりは避けて通れない。
相談の結果、火は危ないので避けることにした。土も何が成功なのか分かりにくいため、まずは目の前を流れる小川を使って《水》を動かしてみることになった。
「授業で何て言ってたっけ?」
「まず魔力を感じて動かす。そのあとイメージして、術式を組んで発動」
「術式は?」
「そこまではまだ習ってない」
「じゃあ無理じゃん」
「まず魔力を感じるところだけでもできるかもしれないだろ」
とりあえず、アカメは神官がやっていたように手をかざした。
アカメは目を閉じ、身体の内側にあるという魔力へ意識を向けた。血液でも筋肉でもない、何か温かな力が身体の中を巡っていて、それを腕から掌へ集めていく。授業で聞いた説明を頼りに、そんなイメージを頭の中へ描いてみる。
「…………」
一分ほど経った。
「どう?」
「今いいところ」
「何か感じる?」
「……右肩が痛くなってきた」
「手上げてるからだよ」
アカメはいったん腕を下ろした。
「次ヴァル」
「俺もやるの?」
「言い出した俺だけ失敗したら恥ずかしいだろ」
「理由が酷い」
文句を言いながらも、ヴァルは小川へ手を向けた。
今度はアカメが見守る番だった。ヴァルが目を閉じて眉間へ皺を寄せていると、しばらくして水面が微かに揺れた。
「おっ!」
「え!?」
「今動いた!」
ヴァルが目を開け、二人で小川を凝視した。水面には波紋が広がり、やがて細長い何かが勢いよく飛び出した。一瞬、本当に魔法が成功したのかと思ったが、現れたのはただの小魚だった。
「…………」
「…………」
魚は再び水中へ消えていった。
「魚属性の魔法ってやつ?」
「殴るぞお前」
結局、何度試しても水は浮かなかった。それでも諦めきれず、術式も知らないまま見よう見まねで風を起こそうとしたり、土を動かそうとしたりしたが、当然何も起こらない。最後には小枝へ向かって「燃えろ」と念じてみたものの、やはり火がつくことはなかった。
夕暮れの中、二人は草の上へ並んで座り込んだ。
「異世界転生したのに」
アカメが膝を抱えた。
「魔法使えない」
「まだ使えないだけかもしれないよ」
「こういうのって普通、転生したら五歳くらいで魔法撃ってるんじゃないの?」
「何の普通なんだよ」
「俺の知ってる異世界の普通」
「ここは違ったみたいだね」
ヴァルの言葉が地味に刺さった。目の前では、小川だけが何事もなかったように流れていた。
魔法は存在する。ただし、存在するからといって、自分に使えるとは限らない。
《ジョブ》も同じなのだろう。剣を握ることも、魔法を学ぶことも、将来どんな仕事をしたいか考えることもできる。けれど、この世界では生まれ持った才能や、十六歳で神から授かる《ジョブ》によって、その先にある成長のしやすさや辿り着ける場所に、簡単には埋められない差が生まれる。
この世界では、《ジョブ》もその階級も、神から授けられたものとして扱われている。
少なくとも今のアカメには、自分の得意なことや進む道の一部まで、十六歳になれば神によって決められるように思えた。さらに、ジョブとは別に、生まれた家によって身分まで決まる場合がある。
「十六歳になったら、俺たち何になるんだろうな」
アカメが尋ねると、ヴァルは少し考えた。
「分からない。でも俺は、物作るの好きだから、それっぽいのがいいかな」
「鍛治師ってこと?」
「父さんと同じでもいいし、違っててもいい。作れるなら」
ヴァルらしい答えだった。
「アカメは?」
「俺?」
アカメは自分の手を見た。狩りは好きだった。父と森へ入る時間も好きだし、剣や魔法にも興味がある。けれど、これになりたいと言い切れるものはまだなかった。
「分かんない」
「じゃあ神様に決めてもらえば?」
「……そういうものなのかな」
「この世界じゃ、そういうものなんじゃない?」
ヴァルは何気なく言っただけだったが、その言葉は妙にアカメの中へ残った。あと四年で、自分も《神授》を受ける。その時、神は自分にどんな《ジョブ》を与えるのだろう。
今のアカメにはまだ想像もつかなかったが、それより今は、魔法一つ使えなかったことの方がよほど重大だった。
「明日もう一回やろう」
「まだやるの?」
「今日は魔力を感じるところから始めたのが悪かった」
「じゃあ明日は?」
「気合いから入る」
「たぶんもっと駄目だと思う」
ヴァルに呆れられながら、アカメは夕暮れの小川を眺めた。
異世界は、想像していたほど都合よくできていない。それでも、できないことがあるのなら、まずはできない理由を知ればいい。
少なくとも今日のところは――魔法が気合いだけでは出ないということだけは、よく分かった。
読んでいただき、ありがとうございました!
今回は、《ジョブ》の階級や魔法、身分制度など、この世界の仕組みが少し見えてくるお話でした。
そして、アカメたちの両親の《ジョブ》も今回初公開です。
【今回の公開情報】
ロンド:D級《狩人》
アレシャ:E級《裁縫師》
ガルド:D級《鍛治師》
エルナ:E級《商人》
神から与えられる《ジョブ》は、アカメたちの人生にどう関わっていくのか。
次話もよろしくお願いいたします!
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