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神授のアサシン ~ジョブが人生を決める世界で、誰も知らないジョブを授かった~  作者: 茜 南峰


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第5話 「世界は、思っていたより広い」

 ヴァルと再会してから、アカメの日常には一つだけ大きな変化があった。暇さえあれば鍛冶場へ顔を出すようになったこと――もちろん、それも変化ではあるのだが、一番大きいのは二人の間に共通の目的ができたことだった。


 その目的は、この世界のどこかにいる奏馬を探すことだ。


 あの日、鍛冶場の前でそう約束した時には、二人になれば何かできるような気がしていた。アカメ一人では分からなかったことも、ヴァルと一緒なら調べられる。行ける場所だって増えるし、いつかは奏馬の居場所へ辿り着ける。そんな期待があった。


 ところが、実際に探そうとしてみると、二人は開始早々に大きな問題へぶつかった。


「……俺たち、奏馬のこと何も知らなくない?」


 鍛冶場の裏手に積まれた木材へ腰掛けながらアカメが言うと、隣で小さな金具を磨いていたヴァルが手を止めた。


「知ってるよ。永川奏馬。前世では同い年。甘い卵焼きが好き」

「今世の話」

「知らないね」

「だよね」


 分かっていたことではある。それでも声にすると、どうしようもなさが際立った。


 アカメたちが女神から聞かされたのは、三人とも同じ世界へ転生するということだけだった。どこに生まれるのか、どんな家族の子供になるのか、新しい名前が何になるのかまでは知らされていない。


「『永川奏馬って子供知りませんか』って聞き回っても意味ないんだよな」

「むしろ怪しいよ。いない人を探してる子供になる」

「年齢なら同じじゃない?」

「同じ年の子供、何人いると思ってるの?」

「……知らない」


 二人で顔を見合わせ、揃って黙り込んだ。


 そもそもリュネ村の外にどれだけ人が暮らしているのかさえ、アカメは正確には知らない。


 アルセリア王国という国に生まれたことは知っている。リュネ村がベルディア領にあることも聞いたことがある。しかし、それが世界のどこにあって、どれほどの広さがあるのかとなると、途端に曖昧になった。


 前世なら地図を開けば済んだ。知らない町の名前を入力すれば、距離も道順もすぐに表示された。

 この世界には当然、そんな便利なものはない。


「まずさ」


 ヴァルが磨き終えた金具を布の上へ置いた。


「奏馬を探す前に、どこを探せばいいのか知らないと駄目なんじゃない?」

「……それ、俺も今思った」


 奏馬がどこにいるのか分からない以前に、アカメたちは、この世界に「どこ」があるのかさえ知らないのだ。


『この世界を救ってください』


 白い空間で女神から告げられた言葉を、アカメは久しぶりに思い出した。


 あの時は、世界というものをもっと単純に考えていた気がする。魔王か何かがいて、それを倒せば終わるのだろう、とどこかで思っていた。


 けれど十年生きても、魔王が攻めてきたという話は聞かない。リュネ村では季節ごとに畑が実り、ロンドが狩りへ出て、アレシャが服を繕い、ガルドが壊れた農具を直している。


 この村だけを見ていれば、救わなければならない世界には到底見えなかった。


「……やっぱり、知らないことばっかりだな」


 アカメが呟くと、ヴァルが首を傾げる。


「何が?」

「この世界のことだよ」

「そりゃまだ十歳だし」

「前世合わせたらもっと生きてるけど」

「じゃあ余計に知らないの恥ずかしいね」

「うるさい」


 翌日、ちょうどその答えの一端を知る機会がやってきた。


 ―✧―◇―✧―


 リュネ村の教会には礼拝堂のほかに、子供たちが読み書きや計算を学ぶための小さな部屋がある。


 村には専門の学校がないため、十歳を過ぎた子供たちは家の仕事を手伝いながら週に何度か教会へ通う。アカメも例外ではなく、少し前からヴァルと一緒に授業を受けるようになっていた。


 その日、部屋へ入ったアカメは、いつもとは違うものが壁に掛けられていることに気づいた。


 大きな一枚の紙だった。


 紙面には複雑な輪郭が描かれ、その中がいくつもの色と線で区切られている。山脈らしき記号、川、海、大小さまざまな文字。前世でも似たものを何度も見たことがある。


「地図……」

「そうです」


 教壇に立っていた神官が、長い棒を手に取った。


「今日は、この世界について勉強しましょう」


 その一言で、アカメは思わず姿勢を正した。

 隣を見ると、ヴァルも珍しく地図をじっと見ている。


「まず、皆さんが暮らしている場所からですね」


 棒の先が、地図の中央付近にある大きな領域を指した。


「ここが、私たちの暮らすアルセリア王国です」


 知っている名前だった。

 けれど、地図の上で見るのは初めてだった。


「アルセリア王国は、五つの国の中で三番目に広い国土を持つ国です。広い平野と豊かな土地に恵まれ、小麦や野菜、果物、家畜など、多くの食料を生産しています。皆さんの家で作られたり採れたりしたものの中にも、領都を経由して遠くの町へ運ばれるものがあります」


 アカメは地図へ目を凝らした。

 思っていたより、大きい。

 アルセリア王国だけでも紙面のかなりの面積を占めている。


「じゃあ、リュネ村はどこなんですか?」


 誰かが尋ねると、神官はアルセリア王国の東寄りへ棒を移した。


「皆さんの住むリュネ村は、この辺りです。正確にはベルディア領に属しています」

「小さ……」


 思わず声が漏れた。


 地図にはリュネ村の名前など書かれていない。ベルディア領の位置が示されているだけで、村一つなど点にすらならなかった。


 これまでアカメにとって、世界の大部分はリュネ村だった。

 けれど世界から見れば、それはほんの小さな場所にすぎない。


「アルセリア王国の西には、ドルガリア王国があります。五つの国の中では二番目に広く、ドワーフが多く暮らしています」


 神官の棒が西へ動く。


「鉱山と鍛冶、そして魔道具の製造技術で世界を支えています。アルセリアとは古くから交流があり、私たちは食料を送り、代わりに魔道具や金属製品を輸入しています」

「世界一の鍛冶師もいるんですか?」


 ヴァルがすぐに手を挙げた。

 予想通りすぎて、アカメは横で笑いそうになった。


「世界一かどうかは私には分かりませんが、名の知られた鍛冶師は大勢いますよ。王侯貴族がドルガリアの職人へ武器を注文することもあります」

「へえ……」


 ヴァルの目が明らかに変わった。

 地図そのものより、ドルガリアという国だけを覚え始めた顔だった。


「ドルガリア王国行ってみたい?」

「そりゃ行きたい」

「即答だな」

「アカメは行きたくないの?」

「行きたいけど……」


 小声で話していると、神官がこちらを見た。


「二人とも。続けますよ」

「はい」

「はい」


 次に示されたのは、さらに巨大な領域だった。


「こちらが神聖ソリア帝国。五つの国の中で最大の国です」


 アカメたちが住むアルセリア王国より明らかに広い。


「ソリア帝国では教会が国を治める上で非常に大きな役割を担っています。また、世界でも有数の軍事力を持つ国として知られています」

「教会が国を?」


 アカメが尋ねる。


「ええ。国によって政治の仕組みは違います。アルセリアでは国王陛下を中心に貴族や教会が国を支えていますが、ソリアでは教会の権限が非常に強いのです」


 同じ教会でも、国によって立場が違う。

 それだけでも、アカメには少し新鮮だった。


 神官は続いて、深い森のような印が描かれた地域を示す。


「そしてエリフリア王国。五つの国の中で四番目の広さを持つ、エルフたちの国です」

「エルフ、本当にいるんだ……」


 前世の感覚が残っているせいか、アカメにとっては未だに少しだけ物語の中の存在に聞こえる。


「もちろんいますよ。エルフは人間より長い寿命を持ち、魔法との親和性が高い種族です。そして、人間社会とは大きく異なる文化を持っています」

「どんな文化なんですか?」

「例えば、エリフリアには私たちと同じ形の教会がありません」


 教室のあちこちから驚きの声が上がった。

 この世界で育った子供たちにとって、教会がないという方が、エルフがいることより不思議らしい。


「じゃあ神授は?」

「エルフには、人間と同じ《神授》の制度がないと言われています」


 アカメも思わず神官を見た。人間なら十六歳になれば神から《ジョブ》を授かる。まだ詳しく習ってはいないものの、それがこの世界では当たり前なのだと思っていた。けれど、同じ世界に生きていても、その当たり前が通用しない場所がある。その事実が、アカメの中に妙に強く残った。


「さらに南にはミストラル王国。五つの国の中では最も小さな国ですが、『水の都』として知られています。美しい水路や温泉が多く、世界中から旅行者が訪れます」

「温泉あるの?」


 アカメが反応すると、ヴァルが横目で見る。

 元日本人にとっては重要案件だ。


「反応するとこそこ?」

「温泉は何よりも大事だろ」

「ドルガリアの方が大事」

「それはヴァルだけだよ」


 もう一つ、地図の中には国境線で囲まれていない小さな印があった。


「ここが自由都市リベルタ。どの国にも属さない中立都市です。冒険者ギルドや生産者ギルドの本部があり、世界中の商人や冒険者が集まります」


 アカメはその名前を頭の中に留めた。


 父ロンドは冒険者ギルドに所属しており、母アレシャと、ヴァルの両親であるガルドとエルナは生産者ギルドに所属している。


「じゃあ、いろんな国の人が来るんですか?」

「そうですね。アルセリア人も、ドルガリアのドワーフも、ほかの国の人々も訪れます。国同士が争っていても、リベルタでは都市の法に従わなければなりません。そのため、国同士の話し合いや大きな商取引が行われることもあります」


 世界には、国に属さない都市まである。

 アカメが地図を眺めていると、その端に他とは違う広大な領域が描かれていることに気づいた。


「先生、これは?」


 指差すと、神官の表情がほんの少しだけ変わった。


「魔族領です」


 教室が静かになる。


「魔族が暮らしている地域で、人間が立ち入ることはほとんどありません。皆さんも、近づくことはないでしょう」


「魔族って、悪い奴らなんですか?」


 一人の少年が尋ねた。

 神官はすぐには答えなかった。


「人間と魔族は、長い間争ってきました。ですから互いを恐れている、と覚えておきなさい」


 悪い存在だとは言わず、互いに恐れている。子供向けの授業にしては少し曖昧な答えだったが、アカメにはその曖昧さの方が妙に引っかかった。


 女神は、世界が今、少しずつ悪へ傾き始めていると言っていた。魔族が存在する以上、あの言葉が彼らを指している可能性もあるのかもしれないが、まったく別の何かを意味している可能性もある。今のアカメには、まだどちらとも判断できない。


 ただ一つ分かったのは、十年間暮らしてきたにもかかわらず、自分はこの世界のほんの一部しか見ていなかったということだった。


 ―✧―◇―✧―


 授業が終わった後も、アカメとヴァルは地図の前に残っていた。

 ほかの子供たちはすでに帰り始めている。神官も片づけをしていたが、地図を眺める二人を急かすことはなかった。


「思ってた以上に広いな」


 アカメが言った。


「広いね」


 ヴァルも珍しく素直に頷く。


 リュネ村は地図に名前すら載っておらず、ベルディア領でさえアルセリア王国のほんの一部にすぎない。さらに、そのアルセリアより広い国が二つあり、海や山脈の向こうにも大勢の人々が暮らしている。

 

 昨日までアカメは、奏馬もこの世界の「どこか」にいると簡単に考えていた。けれど今、その「どこか」が途方もなく広いものなのだと初めて実感していた。


「どうする?」


 ヴァルが聞く。


「何が?」

「奏馬。これ全部探すの?」


 答えは考えるまでもなかった。十歳の子供二人で世界中を歩き回るなど、どう考えても不可能だ。


「……先生に聞いてみる」


 アカメは片づけをしていた神官へ向き直った。


「先生」

「何でしょう?」

「人を探したい時って、どうしたらいいんですか?」

「人、ですか?」


 神官が少し驚いた顔をする。


「名前も分からないし、どこに住んでるかも分からなくて、でも同じくらいの年の人」

「それは……なかなか難しいですね」


 想像していた答えが返ってきた。


「家族の名前や出身地は?」

「分かりません」

「容姿は?」

「今の顔は分かりません」

「……本当に何も分からないのですね」


 隣でヴァルが小さく吹き出した。


「笑うなよ」

「いや、改めて聞くとすごい条件だなって」


 神官は少し考えたあと、地図へ視線を戻した。


「この世界に暮らすすべての人間を記録した名簿はありません。町や村ごとに住民の記録はありますし、十六歳を迎えて《神授》を受ければ、教会にも記録が残ります。しかし、それ以前の子供を名前も分からず探すとなると……」

「神授……」

「皆さんも十六歳になれば《神授》を受けます。その時に授かった《ジョブ》は、教会にも記録されます」


 それなら、今すぐは無理でも手掛かりが増える可能性はある。

 もっとも奏馬の今の名前が分からない以上、それだけで探せるわけではなさそうだった。


「それに、人を探すには世界を知ることも大切ですよ」

「世界を?」

「どんな国があり、どんな人々が暮らし、どこへ行けば何を調べられるのか。知らない場所から人を探すことはできませんから」


 昨日ヴァルと話したことと同じだった。


 アカメはもう一度地図へ目を向けた。今は名前しか知らない場所ばかりだが、それでも昨日までとは違う。世界がどれほど広いのかを、ほんの少しだけ知ることができた。


「だったら、覚えよう」


 アカメが言うと、ヴァルが地図から目を離した。


「これ全部か?」

「全部は無理だよ? でも、少しずつ。奏馬を探すなら、知らないより知ってた方がいいだろ」

「まあ、それはそうだね」


「ドルガリアのことしか覚えてない顔してるけど」

「ミストラルも覚えたよ」

「温泉?」

「アカメがうるさかったから」


「じゃあ問題。五つの国の中で一番大きい国は?」

「ソリア」

「二番目」

「ドルガリア」

「三番目」

「アルセリア」

「四番目」

「エリフリア」


 四つとも、ヴァルは淀みなく即答した。


「……ちゃんと聞いてたんだ」

「失礼だな」


 ヴァルが少し得意そうに笑った。

 アカメも笑い返し、それから地図へ視線を戻す。


 この広い世界のどこかで、奏馬も今頃十歳の子供として生きている。アカメやヴァルと同じように前世の記憶を持ち、新しい家族と暮らしながら、何かを好きになり、何かに悩んでいるはずだ。今の名前も、暮らしている町も分からない。それでも、健太がヴァルとして見つかったのだから、奏馬だってきっとこの世界のどこかにいる。


「待ってろよ、奏馬」


 小さく呟くと、ヴァルが隣で地図を見上げた。


「そのうち見つけよう」

「うん」


 二人の目の前には、これまで知らなかった広い世界が広がっている。十年間暮らしてきたリュネ村は、その地図の片隅にさえ名前の載らない小さな村だった。それでもアカメにとっては、父と母がいて、ヴァルがいて、帰る家のあるこの村こそが、今も世界の中心だった。


 だから、ここから少しずつ外へ出ていけばいい。知らない場所を知り、知らない人と出会い、いつかこの地図の向こう側まで足を運ぶ。その旅のどこかで、まだ見つかっていない最後の一人にもきっと辿り着ける。


 この日初めて、アカメは自分の暮らす世界が、想像していたよりもずっと広いことを知った。そしてその広さを知ったからこそ、自分がまだ、この世界についてほとんど何も知らないのだということも改めて理解した。

 読んでいただき、ありがとうございました!


 今回は、アカメとヴァルが初めて「自分たちの暮らしている世界の広さ」を知るお話でした。

これまでのアカメにとって世界の中心は、家族がいて、ヴァルがいて、帰る場所のあるリュネ村でした。

けれど地図を開けば、そのリュネ村は名前すら載らないほど小さな場所。


 その外には、

【アルセリア王国】

 アカメたちが暮らす、広大な平野と豊かな土地を持つ農業国。五つの国の中では三番目に広く、多くの食料を生産している。

【ドルガリア王国】

 ドワーフが多く暮らす、鍛冶と魔道具の国。

【神聖ソリア帝国】

 五つの国の中で最大の国土と強大な軍事力を持つ、教会の権限が非常に強い国。

【エリフリア王国】

 エルフたちが暮らし、人間とは異なる文化を持つ国。

【ミストラル王国】

 美しい水路や温泉で知られる水の都。

【自由都市リベルタ】

 どの国家にも属さず、世界中の人や物が集まる中立都市。


 そして、人間がほとんど足を踏み入れない【魔族領】。


 まだアカメたちは、それぞれの国について名前と簡単な特徴しか知りません。

 奏馬を探すためにも、そして女神から託された「世界を救う」という言葉の意味を知るためにも、これから少しずつ世界そのものを学んでいくことになります。

 果たして奏馬は今、どこで、どんな人生を送っているのか。


 次話もよろしくお願いいたします!


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