第33話 「受け継ぐもの」
放課後の演習場には、まだ訓練を終えた生徒たちの熱気が残っていた。アカメとレオンが三十分近く打ち合った話は、片づけが始まってもあちこちで続いている。そんな声を背に、アカメは目の前に立つ二人を見比べた。
「……話がある」
「私からも、お話ししたいことがあります」
ヴァルとリゼットが、ほとんど同時に口を開いたのだ。
「えっと……二人とも?」
「俺が先でいいか。そう長くはかからない」
「はい。どうぞ、ヴァルさん」
リゼットが一歩譲ると、ヴァルは手にしていた手帳から折り畳んだ紙を取り出した。何も言わずにアカメの目の前へ突き出す。そこには短剣の柄がいくつもの角度から描かれ、細かな数字と注釈が隙間なく書き込まれていた。
「……これ、俺の短剣?」
「ええと……こちらが現在の柄で、隣が改修後の形ですね。握りの中央を少し細くして、端の膨らみを左右で揃える予定なんでしょうか?」
「そうだ。さすが、よく見てるな」
アカメとリゼットは並んで紙を覗き込んだ。リゼットは指先で図を追い、興味深そうに線の意味を確かめている。一方のアカメには、どこが何を表しているのか、半分も分からなかった。
「ちょっと待って。ここを細くすると、何が変わるの?」
「今のお前の握り方なら、柄の真ん中に余計な力がかかってる。右手では問題なくても、左手に持ち替えた瞬間、指の位置がずれるんだ。そこを合わせる」
「……あっ。そういえば、左に渡した時だけ握り直してるかも」
「だろ。あと、逆手にした時に小指が引っかかる位置も変える。握りを滑らせずに向きを変えられれば、無理に柄をねじらなくて済む」
ヴァルは紙の端に簡単な手の形を描き足した。短剣を握る指が、順手と逆手でどこへ乗るのか。図を重ねて見せてもらうと、アカメにも少しずつ違いが分かってきた。
「なるほど……。短剣そのものを速くするんじゃなくて、俺の手が邪魔しないようにするんだね」
「そういうことだ。もっとも、刃が速くなるわけじゃない。お前が無駄なく動かせるようになるだけだな」
「それでも十分すごいよ!」
リゼットが横から図を指差した。
「でも、現在の柄も、とても丁寧に作られていますよね。持ち手の膨らみに無理がありませんし、刃との釣り合いも綺麗です」
「ああ。いい仕事だよ。古いからって、出来が悪いわけじゃない」
ヴァルは少し声を落とした。
「ただ、これはお前の手のために作られた柄じゃない。たぶん、ロンドさんの手に合わせてあるんだろう。指の長さも握り込む位置も、お前とは微妙に違う」
父の名前を聞いて、アカメは腰の短剣へ視線を落とした。先ほどの模擬戦で使ったのは訓練用の武器だったが、父から渡された短剣は今も身につけている。何度も握った木の感触は、村を離れた日から少しも変わっていない。
「……そうだ。ヴァル、まだ話してなかったことがあるんだ」
「何だ?」
「この前、父さんから手紙が届いたんだよ。村のこととか、母さんのこととか書いてあって……それで、この短剣を作った人の名前も教えてくれたんだ」
ヴァルが顔を上げる。
「……誰だった?」
「ガルドさん。ヴァルのお父さんだって」
しばらく、ヴァルは黙っていた。驚いているのかと思ったが、やがて彼は短く息を吐いた。
「……やっぱりな」
「えっ、知ってたの?」
「確信はなかった。でも、刃と柄の合わせ方に見覚えがあったんだ。親父の作る武器は、見栄えよりも先に、使うやつの手のことを考えてる」
ヴァルは短剣を指差したが、勝手に触れようとはしなかった。
「ロンドさんが持ってた時は、きっとこれが一番よかったんだろうな。長く使ってきた跡もあるし、手入れもきちんとされてる。親父が作って、ロンドさんが大事に使って、それをお前に渡したんだ」
「……うん」
アカメは柄へ手を添えた。父と森を歩いた日々、初めて短剣を握らせてもらった時の緊張、村を出る日にかけられた言葉。そんなものまで、掌の内側に残っている気がした。
「俺、できれば変えたくないんだ。父さんにもらった、大切な短剣だから」
「分かってる。だから、無理にとは言わない」
ヴァルは図面を折らずに持ち直し、真剣な顔で続けた。
「ただ、今のまま持ち替えを繰り返したら、柄の傷みが早くなるかもしれない。それに、握り直す一瞬の隙だって無視できない。いざって時に短剣を落としたり、柄が壊れたりしたら、困るのはお前だ」
「……そうだね」
「親父はよく言ってた。武器は相手を倒すためだけにあるんじゃない。持ち主がちゃんと帰ってくるために作るんだ、って」
アカメは顔を上げた。ヴァルは少し照れくさそうに視線を逸らし、それでも言葉を続ける。
「だから俺も、そういうものを作りたい。お前が帰ってこられるように、手に合った柄にしたいんだ」
胸の奥が、静かに温かくなった。以前、リゼットと交わした約束が思い出される。誰かを守って、自分も無事に帰ってくる。そのために強くなりたいと、確かに言った。
「……ヴァル。刃は、そのままにできる?」
「ああ。刃には手を加えない。必要な部分だけ外して、握りを作り直す。できるだけ今の面影も残すつもりだ」
「そっか。それなら……お願いしてもいいかな。父さんからもらった短剣を、これからもずっと使いたいから」
ヴァルは一瞬だけ目を見開き、それから嬉しそうに笑った。
「任せろ。いい柄にしてやる」
「ありがとう!」
「礼は完成してからにしろ。まだ材料も揃ってない」
そう言って、ヴァルは紙の一角を指で叩いた。
「握りに巻く滑り止めだけは、お前が選んでくれ。革でも繊維でも、手触りには好みがある。市場に素材を扱う店があるから、休日に見てこい。気になるものがあったら買ってきてくれればいい」
「俺が決めていいの?」
「お前の手に合わせるんだぞ。俺が勝手に決めてどうする」
リゼットが楽しそうに図面を覗き込む。
「素材によって摩擦や吸湿性も変わりますよね。使い心地を比べるのも面白そうです」
「……リゼットなら、店の品を全部調べそうだな」
「そ、そんなことはありませんよ!」
「今、ちょっと楽しそうだったよ?」
「それは……興味深いので」
アカメが笑うと、リゼットは小さく頬を膨らませた。
「よし。俺は工房に戻る。試したい形が何通りもあるんだ」
「もう行くの?」
「時間が惜しい。材料が揃うまでに、仮の柄を作っておく」
ヴァルは設計図を大事そうに丸めると、足早に歩き出した。途中で思い出したように振り返る。
「アカメ、素材は慌てて決めるなよ。自分の手で触って選べ」
「うん、分かった!」
返事を聞くや否や、ヴァルは工房のある校舎へ駆けていった。普段は落ち着いている彼が、あんなに楽しそうに走る姿は珍しい。
「……ヴァル、すごく嬉しそうだったね」
「ふふっ。きっと、作りたいものが頭の中にたくさん浮かんでいるんでしょうね」
リゼットは走り去る背中を見送ってから、手元の記録用紙を揃えた。
「さて、アカメ。今度は私のお話を聞いてもらってもよろしいですか?」
「もちろん。さっきから気になってたんだ」
「今日の模擬戦についてです。正確には、左右の手で短剣を扱う時の《体術》の働き方を、もう少し詳しく知りたくて」
「……やっぱり研究なんだね」
「やっぱり、とは何ですか?」
「ううん。リゼットらしいなって」
彼女は少し不満そうに眉を寄せたが、すぐに記録用紙へ目を戻した。
「私の研究室へ来ていただけますか? 今日の動きを、忘れないうちに整理したいんです」
「うん、行こう。レオンと話したことも、伝えるよ!」
少し離れたところで片づけを終えたレオンに声をかけると、彼は快活に手を振ってくれた。次の訓練を約束してから、アカメとリゼットは並んで校舎へ向かった。
―✧―◇―✧―
夕方の廊下は、授業を終えた生徒たちの話し声で賑わっていた。窓から差し込む光が床に長く伸び、歩くたびに二人の影が重なる。
「最初に左手へ持ち替えた時、重心はどこにありましたか?」
「えっと、右足かな。レオンの盾を避けようとして、身体だけ先に左へ向けたんだ」
「では、後半はどうでした? 以前より踏み込みが安定していましたよね」
「うん。左手で攻める時は、左足だけじゃなくて腰も一緒に回すようにした。レオンに教わったんだ」
「なるほど……。では、順手から逆手へ移す時も同じですか?」
「それは少し違うかな。手首だけで回すと遅いから、指の力を抜くタイミングを変えてるんだ」
リゼットは歩きながら小さな記録帳を開き、急いで書きつけた。アカメも彼女の質問に答えているうちに、自分が感覚だけで行っていた動きを少しずつ言葉にできるようになっていく。
「……本当に、アカメにはいつも驚かされます」
「どういうこと?」
「少し目を離したと思ったら、すぐに新しいことを身につけているんですから。今日の左右の持ち替えも、最初に見た時とは見違えるほどでした」
「そんなことないよ。レオンが教えてくれたからだし、ヴァルも短剣のことを考えてくれてる。俺一人だったら、きっとまだ足をもつれさせてたよ」
「周りの人から学べるのも、アカメの長所だと思います」
「そうかな?」
「はい。アカメは、十分に素敵ですよ……」
言ってから、リゼットの筆が止まった。
アカメも思わず彼女を見た。いつもは理路整然と話すリゼットが、今は自分の言葉に驚いたような顔をしている。
「……え。ありがとう……」
「……っ!」
リゼットは慌てて記録帳を閉じた。
「い、今のは、その……研究相手として、という意味です!」
「うん。そう言ってもらえるの、嬉しいよ」
「……そうですか」
少し先を歩き始めたリゼットの耳が赤い。アカメは、褒めてもらったのにどうして彼女の方が照れているのだろうと不思議に思ったが、追いかけて隣へ並んだ。
研究室に入ると、リゼットは机の上を手早く片づけ、模擬戦の記録を広げた。アカメは向かいの椅子に腰を下ろし、置かれていた紙へ目を向ける。そこには自分とレオンの立ち位置が細かく描かれ、矢印が幾重にも重なっていた。
「これ、今日の全部?」
「主な動きは記録しました。途中で何度か見失ってしまったので、全部ではありませんけど」
「十分すごいよ。俺、自分がこんなに動いてたって知らなかった」
「では、最初の持ち替えから確認しましょうか」
リゼットはアカメに訓練用の短剣を渡す代わりに、机の上に小さな木片を置いた。短剣ほどの長さしかない、刃のない模型だ。
「机の上で、握りだけ再現していただけますか? 実際に振る必要はありません」
「うん、分かった」
アカメは右手で木片を握り、ゆっくり左手へ渡した。リゼットは指の動きを注意深く見つめ、時折、自分の手でも同じ形を試してみる。
「……あれ? アカメ、左手へ移した時、親指の位置を変えていませんか?」
「えっ。あ、本当だ。自分でも気づかなかった」
「それが逆手へ移る時の滑らかさに関係しているのかもしれません。もう一度、お願いできますか?」
「もちろん」
何度か繰り返すうち、リゼットは一つの図を描き直した。《体術》は身体の動きを支える自動術式だ。体内で働くスキルそのものの魔力消費はごく小さく、魔法のように魔力を外へ放出する必要もない。けれど、身体のどこまでを補助し、何を本人の訓練に委ねるのかは、まだ分からないことが多かった。
「つまり、《体術》があるから最初から両手を完璧に使えるわけではないんですね」
「うん。右手の癖がそのまま残ってたし、左手で動く時の足の置き方はレオンに教わったんだ」
「ですが、覚える速度はかなり速いと思います。身体の使い方を理解した後は、動きが安定していますから」
「そう言われると、ちょっと自信が出てくるな」
「ふふっ。自信は持ってください。でも、無理な訓練はしないでくださいね」
「はい。ちゃんと先生の許可も取ってるし、今日はもう休むよ」
リゼットは満足そうに頷いた。しばらくして、紙に新しい線を書き込みながら、小さく「あ、そういうことですか」と声を漏らす。以前、治療室でも聞いた声だった。
アカメは椅子の背にもたれ、彼女を眺めた。分からなかったことが繋がる瞬間、リゼットの金色の瞳は本当に楽しそうに輝く。普段は落ち着いていて、どこか凛としているのに、研究のことになると子どものように夢中になる。その表情を見るのが、アカメは好きだった。
ただ、いつも研究の話ばかりではないかとも思った。リゼットと一緒にいる時間は楽しい。だからこそ、知らないことを調べる以外にも、もっといろいろな話をしてみたかった。
「……ねえ、リゼット」
「はい。どうしました?」
「リゼットって、王都の出身なんだよね?」
「ええ、そうですけど……急にどうしたんですか?」
「いや、シティーガールってやつなのかなって」
「……シティーガール?」
リゼットがきょとんとしたあと、くすりと笑った。
「何ですか、それは。どこで覚えた言葉なんですか?」
「前に誰かが言ってた気がするんだけど……違った?」
「間違いではないと思いますけど、私をそんなふうに呼ぶ人は初めてです」
「そっか。俺、リュネ村にいた頃は人混みなんてほとんど知らなかったからさ。王都に来たばかりの時は、道を歩くだけでも大変だったんだ」
リゼットは筆を置き、身体ごとアカメへ向き直った。
「分かりますよ。私も人混みは、そこまで得意ではありませんから」
「えっ、そうなの? ずっと住んでるんでしょ?」
「住んでいるからこそ、混む道も知っています。お祭りの日なんて、普段の倍くらい歩くのに時間がかかることもありますよ」
「それは大変だ……。じゃあ、休みの日はあまり出かけない?」
「そんなことはありません。王都には面白いお店がたくさんありますから」
「例えば?」
リゼットは少し考えてから、指を一本立てた。
「古い本を扱う小さなお店があります。店主さんが仕入れた本を棚に並べる前に、内容を少し見せてくださるんです」
「……やっぱり本屋さんなんだね」
「ふふっ。ほかにもありますよ。珍しい魔道具を修理しているお店とか、古い術式が刻まれた石板を扱うお店とか」
「待って、全部研究に関係ありそう!」
「……あっ」
リゼットは自分でも気づいたらしく、口元を押さえて笑った。
「すみません。つい、好きなものばかり挙げてしまいました」
「謝らなくていいよ。リゼットが好きなもの、もっと知りたいから」
「……そう言われると、少し困りますね」
「どうして?」
「私、思っていたより研究以外のことを知らないのかもしれません」
アカメは首を傾げた。
「そんなことないと思うけどな。ほら、前に貸してくれた本に、王都のお菓子屋さんのしおりが挟まってたでしょ?」
「あれは……お店の方がくださったんです。焼き菓子を買った時に」
「美味しかった?」
「はい。蜂蜜の香りがして、とても……あっ」
「今度は研究じゃないね」
リゼットは少し驚いた顔をしてから、声を立てて笑った。
「……確かに、そうですね」
「よかった。俺、お菓子の話なら詳しく聞けるよ」
「それはアカメが食べたいだけではありませんか?」
「ばれた?」
「もう。そういうところは本当に分かりやすいです」
二人は顔を見合わせて笑った。気づけば机の上の図面から離れ、今度は王都の食べ物や店の話になっていた。リゼットは人通りの少ない路地にある小さな菓子店を教えてくれ、アカメはリュネ村の祭りで売られていた焼き菓子の話をした。
「村のお祭りではね、焼きたてを紙に包んで渡してくれるんだ。熱いから持ち替えながら食べるんだけど、それがまた美味しくてさ」
「ふふっ。何だか、アカメらしい思い出ですね」
「いつかリゼットにも食べてもらいたいな。村に来ることがあったら案内するよ」
「……はい。その時は、ぜひお願いします」
彼女の返事はいつもどおり丁寧だったが、どこか嬉しそうだった。アカメはそれを見て、今度は王都でおすすめの店に連れていってもらおうと考える。研究室にいながら、二人の話は知らない街角へいくつも広がっていった。
その時、廊下の奥から慌ただしい足音が聞こえてきた。最初は通り過ぎるのかと思ったが、足音は研究室の前で止まる。次の瞬間、扉が勢いよく開いた。
「リゼット! アカメも、ここにいたか!」
飛び込んできたのはハロルドだった。いつもは落ち着いている教師が、手にした資料を握りしめ、肩で息をしている。
「ハロルド先生? どうしたんですか?」
「先生、何かあったんですか?」
ハロルドは二人を交互に見た。興奮を抑えきれない様子で、資料を机の上へ広げる。
「黒い魔力の正体が、分かったかもしれない!」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、アカメの短剣に隠された父親たちの繋がりと、ヴァルの職人としての想いを描きました。
そして、リゼットとの研究を離れた何気ない会話。二人の距離も、少しずつ縮まっているのかもしれませんね!
そんな穏やかな時間の最後に、ハロルド先生から衝撃の報告が!
果たして、黒い魔力の正体とは……?
次回もよろしくお願いします!




