第34話「黒の正体」
研究室の扉が開いたままになっていた。廊下から吹き込む風が机の上の紙を揺らし、リゼットが慌てて記録用紙の端を押さえる。その向かいで、ハロルドは息を整える間も惜しいという様子で、古びた一冊の本を机に置いた。
擦り切れた革表紙には見慣れない紋章が押され、頁には古い書体が並んでいた。
「……すごい。これは、魔族領に関する古い調査記録ですか?」
「そうだ。魔族の風習や土地のことだけでなく、彼らが使う魔法についても記されている。王立学園の所蔵本なんだが、資料室の奥にしまわれたままだったらしい」
リゼットが目を輝かせて身を乗り出す。アカメもその隣から覗き込んだが、頁の大半を占める細かな文字はすぐには読み取れなかった。ハロルドは二人の様子に構わず、折り目のついた頁を慎重に開いた。
「アカメ。以前、初めて意識的に魔力を外へ放出しようとした時のことを覚えているかい?」
「はい。黒い光みたいなものが出て、右手を怪我した時ですよね」
「ああ。君は術式を完成させる前に、魔力が黒く変わって暴れたと話してくれた。私たちが調べても、あの現象を既知の魔法へ当てはめることができなかった」
アカメは右手を見下ろした。傷は塞がっていても、黒い光が走った時の痛みを覚えている。
「それが、この本に載ってるんですか?」
「完全に同じ現象かどうかは分からない。ただ、非常によく似た記述を見つけたんだ。見てくれ」
ハロルドの指先が、一つの項目を示した。リゼットが見出しを小さく読み上げる。
「……『闇属性』」
「闇、ですか?」
「魔族が得意とする、極めて珍しい属性だよ。人間が扱ったという記録は、数えられるほどしか残っていない。そもそも調査に出向くこと自体が難しい土地の魔法だから、正確な資料も乏しいんだ」
欄外には、魔力を外へ流した術者が黒い閃光によって傷つく場合があると書かれていた。
「……黒い閃光。俺の時と、似てる」
「似ている。それも、かなりね。もちろん、似ているからといって闇属性だと断定はできない。でも、これまで見つかった資料の中では最も有力な手掛かりだ」
リゼットは顔を上げ、慎重に言葉を選んだ。
「その記録は、魔力の色だけでなく、術者が傷を負ったという点でも一致していますね。ただ、魔法が完成する前に起きた事故なのか、発動した魔法による反動なのかは、この文章だけでは判断できません」
「そのとおりだよ。だからこそ、先を調べる必要がある」
ハロルドは嬉しそうに頷いた。アカメは二人の会話を聞きながら、再び『闇属性』という文字を見つめる。黒い光に名前らしいものが与えられたはずなのに、胸の奥は少しも軽くならなかった。
「……人間で、その魔法を使える人はいるんですか?」
「現在、使用が確認されている人間は一人だけだ。この学園の学園長、オルディス・レグナート先生。《大賢者》のジョブを持つ、あの方だよ」
「校長先生が……?」
アカメは驚いて顔を上げた。学園長の名は、授業でも何度となく聞いている。高度な魔法理論をいくつも確立し、王国でも指折りの術者とされる人物だ。
「でも、そんなにすごい方なら、闇属性のことも分かっているんじゃ……」
「それが難しいところでね。オルディス先生でさえ、闇属性を自在には扱えない。初歩的な術式を使うことはできても、その本領には届いていないそうだ」
「……《大賢者》でも、ですか」
「そう。魔法を使えることと、その本質まで理解することは別なんだよ」
リゼットが考え込む一方、アカメは右手を握りしめた。《アサシン》に加えて、魔族が得意とする闇属性まで自分にあるのだろうか。
別々の出来事だったはずのものが、一つの方向を向いている気がした。
「……俺って、やっぱり……」
言いかけて、声が止まった。魔族と同じ力を持っているのだろうか。もしそうなら、自分の中にはまだ知らない危険なものがあるのだろうか。考えるほど、目の前の手が自分のものではないように思えてくる。
「アカメ」
リゼットの声がした。顔を上げると、彼女は本ではなく、こちらを見ていた。
「アカメが、いつもおっしゃっているではありませんか」
「……え?」
「分からないことがあれば、まず調べる。それでも分からなかったら、一緒に考えればいいって」
その言葉には覚えがあった。リゼットが何かを一人で抱え込もうとした時、自分が伝えたことだ。まさか同じ言葉を返されるとは思わず、アカメは目を瞬かせた。
「今分かったのは、黒い光に似た現象が記録されているということだけです。アカメが何者かまで、決められたわけではありません。だから、知らないうちから怖がらなくてもいいと思うんです」
「……そっか。そうだよね」
「それに、調べるなら私もいます。先生だって、こうして一緒に調べてくださっていますから」
リゼットは柔らかく微笑んだ。アカメは少しだけ力を抜き、握りしめていた手を開いた。
「……ありがとう、リゼット。ちょっと、考えすぎてたかもしれない」
「ふふっ。心配すること自体は、悪いことではありませんよ。でも、一人で結論を出すのは早いです」
「そのとおりだ。研究者としては、まだ分からないことばかりだからね」
ハロルドも頷いた。それから、思い出したように鞄へ手を伸ばす。
「それでだ。君たちに、もう一つ知らせがある。学園長から禁書庫の閲覧許可が下りた」
「……禁書庫、ですか!?」
リゼットが勢いよく立ち上がり、椅子が小さく鳴った。その目は、先ほどよりもずっと輝いている。
「本当ですか、先生? あそこには一般の資料室には置かれていない古代術式の記録もあると聞きました!」
「もちろん、何でも好きに読めるわけではない。私の立ち会いの下、今回の調査に必要な棚だけだよ。それでも、手掛かりを探すには十分なはずだ」
「……リゼット、そんなに行ってみたかったんだね」
「当然です! ……あっ、いえ。今はアカメの調査が目的ですから、その……」
「うん、分かってる。でも、一緒に行けるのは心強いよ」
そう言うと、リゼットは少し照れたように笑った。ハロルドが古書を閉じ、二人に立ち上がるよう促す。窓の向こうには、まだ夕日の色が残っていた。
―✧―◇―✧―
禁書庫は古い校舎の奥にあった。石造りの廊下はひんやりとし、足音が高い天井へ反響する。
ハロルドが学園長の署名入りの許可証を扉の紋様にかざすと、錠が静かに外れた。
「……こんな場所、学園にあったんですね」
「古い記録を守るための場所だからね。危険な術式の書物もあるけれど、ただ読むだけで何かが起こるという意味ではない。問題は、中身を理解せずに使おうとすることなんだ」
「はい。読むだけにします」
「アカメは、私から離れないでくださいね。棚が多いので、迷子になりますよ」
「リゼットの方が夢中になって、どこかへ行っちゃいそうだけど」
「そ、そんなことしません!」
扉の向こうには天井まで届く書架が並び、年代も形も異なる資料が収められていた。リゼットは目を輝かせながらハロルドについて歩く。
魔族と特殊属性の書架から、ハロルドが二冊の研究書を運んできた。
「まず、闇属性が一般にどう理解されてきたかを確認しよう」
開かれた書物には、見慣れない術式の図とともに、いくつもの魔法の名称が記されていた。リゼットが読み取れる部分を指で追い、アカメのために言葉を噛み砕いてくれる。
「『呪詛、毒、混乱、恐怖』……相手の身体や精神へ不調をもたらす魔法ですね。それから、生命力や魔力を奪う《吸収》系の術式も……」
「記録によっては《ドレイン》とも呼ばれているね。さらに、死者の肉体を動かす術についての報告もある。もっとも、実際に何が起きているのか、詳しい仕組みまでは分かっていない」
「……死んだ人を、動かすんですか?」
「そうした例が伝わっているということだ。事実と伝承が混ざっている可能性もあるから、書かれていることを全部そのまま信じるわけにはいかないよ」
呪い、恐怖、吸収。アカメにはどれも、相手を傷つける力に思えた。
「……これじゃ、怖がられるのも無理ないですね」
「実際、闇属性は多くの国や教会で警戒されている。魔族との争いの記録に、こうした術式が繰り返し登場するからね。ただ、魔法そのものの性質と、使う人間の意思は分けて考えなければならない」
ハロルドはそう言うと、別の書物を開いた。最初の資料よりさらに古いもので、頁のところどころが修復されている。
「ここからが、今日の本題だよ。実は闇属性には、今読んだものとは少し違う記録が残っている」
「……違う記録?」
「影を媒体とする術式の系譜だ。闇属性の中でも、特に資料が少ない」
リゼットが一気に前のめりになった。頁には地面へ伸びる人影のような図が描かれ、周囲を細い線が取り囲んでいる。見た目だけなら、光を遮って生まれる普通の影と変わらない。
「影を伸ばしたり、形を変えたりするのでしょうか?」
「そうした記述もある。ただ、注目してほしいのは術式を組み上げようとした時の事故だ」
ハロルドが指した一節を、リゼットは時間をかけて読み解いた。古い言い回しを確かめながら、やがて声に出す。
「『初めて魔力を外へ流し、影に属する術式を成そうとする時、黒き光が亀裂のごとく奔り、術者へ牙を向けることあり』……」
アカメは息を止めた。黒い光。亀裂。そして、術者自身が傷つけられるという記録。自分の右手を走ったあの不規則な光が、ありありと蘇る。
「……これだ。俺の時も、黒い線が割れるみたいに広がって……手に走ったんです」
「うん。最初に見つけた記録よりも、ずっと具体的に一致している。君が魔力を放出しようとした時の状況とも近い」
ハロルドの声は興奮していたが、慎重さを失ってはいなかった。頁の脇には、この現象を詳しく説明できる術者が見つからず、原因も断定できなかったと記されている。
「なら、俺は……影を使う闇属性なんでしょうか」
「可能性はある。かなり有力なものだと思うよ。ただし、君はまだ影の術式を使えていないし、黒い光を別の現象として説明できないとも限らない。現段階では仮説だ」
「……はい」
「それでも、ようやく調べる方向が見えてきましたね」
リゼットが隣から微笑む。アカメも小さく頷いた。怖さが消えたわけではないが、闇雲に恐れるだけだった黒い光に、確かめるための道筋ができた気がした。
「ちなみに、学園長先生が使える闇属性は、こちらの影の系譜なんですか?」
「いや。確認されているのは、主に呪いや衰弱といった系統の術式だそうだ。ただ、それも極めたわけではない。まして影の系譜については、オルディス先生も十分な資料を持っていないと聞いている」
「……学園長先生でも、分からないことがあるんですね」
「あるとも。だから研究するんだよ」
リゼットが嬉しそうに頷く横で、アカメには別の疑問が浮かんだ。
「……先生。俺の《アサシン》って、闇属性と関係してるんでしょうか」
「それはまだ分からないが。《暗殺者》の記録は、こちらだ」
ハロルドは古い職能分類の資料集を棚から持ってきた。
「『奇襲時の攻撃を増強する《奇襲強化》、標的に悟られぬよう殺気を抑える《殺気遮断》』……ほかにも、追跡や不意打ちに特化した能力が挙げられていますね」
「……俺、その二つ、持ってないよ」
「そうだね。君が確認した七つのスキルを、もう一度整理してみようか」
リゼットは空いた紙を引き寄せ、これまで調べてきた名前を書き並べた。《隠密》《気配感知》《危険感知》《急所看破》《暗視》《体術》《毒適性》。アカメも一つずつ確かめながら頷く。
「《隠密》は姿そのものを消すわけじゃないし、《気配感知》や《危険感知》は、周りの状況に気づくためのものだよね」
「はい。《暗視》も暗い場所で周囲を見る能力です。《体術》は身体操作の補助ですし、《毒適性》も、毒を相手に与える技そのものではありません」
「《急所看破》だけは、相手の弱いところを見つけられるけど……」
「それも、相手を殺すためにしか使えない能力ではありません。今日の訓練でも、相手を倒すための隙を見つけるのに役立っていましたよね」
ハロルドが資料の頁を戻し、難しい顔で考え込んだ。
「この本が示す暗殺者の系譜は、標的へ近づき、気づかれず、確実に仕留めることを重視している。君のスキル構成は、それとはかなり違う。むしろ危険を察知し、生き延びるための能力が多いように見えるね」
「じゃあ、俺は《暗殺者》の系譜ではないんですか?」
「少なくともこの資料にある典型的な暗殺者の系譜には当てはまらない、ということだ。同じ名前のジョブでも、能力の現れ方が違う可能性はある」
アカメは少し考え、それから小さく息を吐いた。《アサシン》という名前を初めて聞いた時から、自分は人を傷つけるための力を与えられたのだと思っていた。でも、これまで助けられてきたのは、人を見つけたり、危険を避けたりする能力の方だった。
「……俺のスキル、誰かを守るのにも使えるんですよね」
「もちろんです。現に、アカメはそう使ってきたではありませんか」
リゼットが迷わず答えた。ハロルドも穏やかに頷く。
「だから、記録だけで自分の可能性を狭めてはいけないよ。こうした分類は、過去に観察された例をまとめたものに過ぎないんだから」
アカメは資料に目を落とした。自分の知る《アサシン》の姿が、少しずつ変わっていく。
―✧―◇―✧―
リゼットは近くの書架に、女神をかたどった絵のある神話集を見つけた。
「……先生。こちらも閲覧してよろしいでしょうか?」
「どれだい? ……ああ、女神信仰に関する神話集か。今の調査に関係する箇所があるなら、ここで一緒に確認しよう」
許可を得たリゼットは本を開き、頁を慎重にめくった。古い言葉で書かれた物語がいくつも収められている。アカメは隣から覗き込み、女神が旅をする挿絵を見つめた。
「……女神って、こんなふうに描かれるんだね」
「教会にある像と少し違いますね。古い地域の伝承を集めたものなのかもしれません」
数頁めくると、短い詩のような一節が現れた。
「『女神の光が地を照らす時、その御身は陰より守護するものあり』……」
「……陰より、守る?」
「続きがあります。『ただ女神の進む道に先立ち、災いを祓う』」
アカメは挿絵に描かれた、女神の背後の曖昧な影を見つめた。
「女神を守っていた誰かが、いたってことですか?」
「そう読めるね。しかも、ただ後ろを守るだけじゃなく、先に進んで危険を取り除く役目もあったらしい」
「……もう少し、先を読みますね」
リゼットは頁を押さえたまま、次の行を追った。
「『冠が棲まう場所、天獣の鍛、光届かぬ場所、この三の器が揃う時、陰は天界へと――』」
そこから先は、紙が破れていた。残された文字の端をたどっても、続きを読み取ることはできない。リゼットは何度か角度を変えて確かめたが、やがて諦めて顔を上げた。
「……ここで途切れています。三つの器とは、何のことでしょう」
「冠が棲まう場所って、人の住む国なのかな。天獣の鍛っていうのも、よく分からないね」
「『鍛』という字が何を指すのかも不明です。古い表記かもしれませんし、写本の段階で別の文字になった可能性もあります」
ハロルドは腕を組んで考えた。女神の守護者、先立って災いを祓う役目、そして三つの器。どれも興味深いが、今の段階では結びつける根拠が乏しかった。
「……そういえば、教会のジョブに《聖影守》というものがある」
「《聖影守》……ですか?」
「以前、教会の職能記録を読んだことがあってね。確か《護衛感知》《侵入感知》《護衛結界》《庇護》というスキルが記されていた。護衛に特化した、珍しいジョブだったはずだ」
「感知の能力が多いんですね」
「そうだね。名前にも『影』が入っている。この神話の守護者と何か関係があるのかもしれない。ただ、同じ言葉が使われているだけという可能性もあるよ」
アカメにも《気配感知》と《危険感知》がある。ただし、結界や庇護のスキルは持っていない。
「……俺の《アサシン》と、似てるところもありますね」
「ええ。でも、同じジョブだと決めるには違うところも多いです」
「そうだね。まずは似ている点と違う点を分けて記録しよう。今すぐ答えを出す必要はない」
リゼットは熱心に頷き、許された範囲で文章を写し取った。アカメも手伝いながら、三つの器という言葉を何度か口の中で繰り返す。女神の神話と自分のジョブに、本当に関係があるのか。それさえ、まだ分からなかった。
それから三人は別の資料にも目を通したが、決定的な記述は見つからなかった。影を用いる闇属性の存在を示す断片、典型的な暗殺者像とは異なる七つのスキル、女神を陰から守った何かの伝承。それらは別々の書物に残されており、互いを直接結ぶ証拠はなかった。
「……今日はここまでにしようか」
ハロルドが資料を閉じた。リゼットは名残惜しそうに書架を見上げたが、すぐに控えた内容を整え始める。
「私も、先生と一緒に調べた内容を整理してみます。闇属性とジョブの記録、それから神話の文章は分けてまとめた方がよさそうですね」
「そうしてくれると助かるよ。私は研究室へ戻って、今日の記録と以前の事故の報告を照らし合わせてみる。学園長にも、改めて確認したいことがあるからね」
禁書庫の扉が閉まると、廊下の空気が妙に暖かく感じられた。アカメは大きく息を吐く。たくさんのことを知ったはずなのに、頭の中にはまだ整理しきれない疑問が残っていた。
―✧―◇―✧―
校舎を出る頃には、空が夕暮れの色に染まっていた。中庭の木々が風に揺れ、石畳には長い影が伸びている。ハロルドは調査記録を抱えて研究室へ戻り、アカメとリゼットの二人が残された。
リゼットもすぐに自分の研究室へ駆けていくのだろう。アカメはそう思っていたが、彼女は中庭のベンチへ歩いていき、空いた場所に腰を下ろした。
「……リゼット、まとめなくていいの?」
「もちろん、まとめます。でも、少し休んでからでも遅くありません。それに、アカメも今日はたくさん考えたでしょう?」
「……うん。頭がいっぱいかも」
アカメが隣に座ると、リゼットは小さく笑った。研究室で見せる熱心な表情とは違い、今は静かな横顔をしている。アカメはしばらく木々を眺め、やがて膝の上で両手を組んだ。
「……闇属性って、もっとみんなに怖がられるのかな」
「本質的には、怖いものだと決まっているわけではないと思います。でも……」
「イメージとか、あるよね。《アサシン》だけでも怖いって言われることがあるのに、魔族の使う魔法まで持ってるかもしれないって知ったらさ」
リゼットはすぐには答えなかった。気軽に大丈夫だと言える話ではないと、彼女も分かっているのだろう。しばらく考えてから、ゆっくり口を開く。
「……そうした印象を払拭するのは、簡単ではないかもしれません。人は、よく知らないものを怖いと感じることがありますから」
「……うん。俺も今日、本を読んでちょっと怖くなった。もし自分に呪いとか、誰かの命を奪うような力があったらって思うと……」
アカメは開いた右手を見つめた。その手で短剣を握り、仲間と訓練してきた。リゼットを守れたこともあったが、何も分からないまま危険な力を使って、今度は誰かを傷つけてしまうかもしれない。
「……俺、自分がどんなやつなのか、分からなくなりそうだよ」
「アカメ」
名前を呼ばれ、顔を上げる。リゼットはまっすぐこちらを見つめていた。
「私は、アカメのことを怖いと思ったことはありません」
「……でも、あの黒い光を見た時は……」
「驚きましたし、怪我をしたアカメを見て怖くもなりました。でもそれは、アカメ自身が怖かったわけではありません。何が起きるか分からなくて、アカメを失うかもしれないのが怖かったんです」
穏やかな声だったが、言葉の一つ一つははっきりしていた。アカメは何も言えず、彼女の顔を見つめる。
「私が知っているアカメは、困っている人がいたら手を差し伸べて、分からないことがあれば一生懸命に考える人です。自分が傷ついた時でさえ、先に私の心配をしてくれました。そういうアカメを、私は知っています」
「……リゼット」
「ジョブの名前や魔法の属性が分かったとしても、それだけで今までのアカメが変わるわけではありません。ルカさんも、ヴァルさんも、レオンさんも、きっとそう思ってくれるはずです」
「……みんな、分かってくれるかな」
「時間がかかる人もいるかもしれません。でも、アカメのことを知ってもらえれば、少しずつ伝わると思います。私も、ちゃんと伝えたいです」
闇属性の謎は解けていない。それでも、彼女が隣にいるだけで息苦しさが和らいだ。
「……ありがとう。リゼットと話してると、なんだか落ち着くよ」
「ふふっ。それなら、よかったです」
「俺も、ちゃんと調べてみたい。怖いから知らないままでいるんじゃなくて、自分に何ができるのか、できないのか。確かめたいんだ」
「はい。私も手伝います。でも、危険な実験は絶対に一人でしないでくださいね」
「……そこは、やっぱり忘れてくれないんだね」
「忘れません。約束しましたから」
二人は顔を見合わせて笑った。夕風が二人の間を抜け、遠くで夕刻を告げる鐘が鳴った。リゼットは立ち上がると、抱えていた記録帳を胸に寄せた。
「そろそろ戻りますね。今日のこと、忘れないうちにまとめておきたいので」
「うん。俺も、少し寄りたいところがあるんだ」
「どちらへ?」
「……まだ決めてないけど、聞いてみたいことがあって。今日はありがとう、リゼット」
「こちらこそ。無理はしないでくださいね」
リゼットは小さく手を振り、研究室のある校舎へ歩いていった。アカメはその背中を見送りながら、先ほどハロルドが口にした名前を思い返す。
オルディス・レグナート。《大賢者》であり、今の人間の中で唯一、闇属性を扱えると確認されている人物。会えるかどうかは分からないし、突然訪ねて迷惑がられるかもしれない。それでも、どうしても聞いてみたいことがあった。
アカメは校舎へ向き直り、学園長室へ続く階段を上った。扉の前に立つと、少しだけ緊張する。自分の胸の鼓動を確かめてから、控えめに拳を当てた。
「……失礼します。アカメ・オルディンです。少し、お話を伺ってもよろしいでしょうか」
すぐには返事がなかった。やっぱり忙しいのだろうかと考えかけた時、扉の向こうから落ち着いた声が響いた。
「入りなさい」
「……はい」
アカメが扉を開けると、広い部屋の奥に学園長の姿があった。机の上にはいくつもの書物が積まれている。オルディスは手元の資料から顔を上げ、訪ねてきた少年を優しい眼差しで見つめた。
「おっ、君か。待ってたよ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、ついにアカメの黒い魔力に関する手掛かりが見つかりました!
闇属性の謎に加え、《アサシン》のスキル構成や、古い神話に残された不可解な記述。少しずつ明らかになる情報の中で、さらに謎も深まってきました。
次回は、いよいよ《大賢者》オルディスとの対話です。
次回もよろしくお願いします!




