第31話 「治療室の訪問者」
学園の治療室で目を覚ましてから、二日が過ぎた。
右腕は肘から先を包帯で覆われ、胸の前に固定されている。ミレイアの治癒魔法で傷口は塞がったものの、深く傷んだ皮膚や筋肉が元どおりになったわけではない。昨日、指を動かしてみたら思いのほか痛みが走り、ミレイアに見つかって叱られたばかりだった。
今朝もリゼットが様子を見に来てくれたが、授業があるからと先ほど教室へ戻っていった。午後にはまた顔を出すと言っていたし、それまでは一人でゆっくり休むことにしよう。
「……今日は大人しくしてよう」
その時、扉が勢いよく開いた。
「アカメェェェ!!」
「うわっ!?」
飛び込んできたのはルカだった。両目を真っ赤にして、鼻をすすりながらベッドへ駆け寄ってくる。その後ろではヴァルが、何とも言えない顔で片手を上げた。
「お、お前、生きててよかったぁ……!」
「生きてるよ! 昨日もお見舞いに来てくれたでしょ!?」
「だってよぉ! 昨日は寝てたし、今日も腕がそんなになってるし……!」
ルカはぼろぼろ涙をこぼすと、背中に隠していたものを勢いよく差し出した。
「これ! 見舞いの花だ!」
「……花?」
アカメは差し出された一束を見つめた。確かに小さな黄色い花は混じっている。けれど、ほとんどは細長い草や、見覚えのある葉っぱだった。根元には土までついている。
「……ルカ、これ、どこで買ったの?」
「買ってねえよ! 来る途中で綺麗なの集めてきた!」
「集めてきたって、これ雑草じゃ――」
その時、葉の裏から小さな虫が這い出してきた。
「うわっ、虫! 虫ついてる!」
「えっ、どこだ!?」
「そこ! 俺の枕に向かって歩いてる!」
「ちょ、待て! 逃げんな!」
「何してんだよ、ルカ! お見舞いに来て虫まで連れてくるなよ!」
アカメが吹き出すと、ルカも涙を残した顔で笑い始めた。二人が騒ぐ横で、ヴァルは無言のままベッドの足元を覗き込んでいる。
「……あれ。こっち、少し沈んでるな」
「ヴァル?」
「右の脚だけ高さが違う。床の継ぎ目に乗ってるせいか」
ヴァルはしゃがみ込み、ベッドの下へ手を伸ばした。がた、と小さな音がして、背中に伝わる傾きがわずかに変わる。
「よし。これで水平だ」
「……何してんの?」
「ベッドの傾きを直した」
「見れば分かるけど! なんで俺の心配より先にベッドの傾きを直してんだよ!」
「してるだろ、心配。寝にくそうだったから直したんだ」
「……ああ、そっか。ありがとう」
「おう。あと、お前が倒れた時、右腕の具合は聞いた。短剣を握るのはまだ先だな」
「うん。俺も早く動きたいんだけど」
「焦るな。壊れた道具なら直せるが、人の腕はそう簡単にはいかない」
ヴァルはそう言って、少しだけ表情を緩めた。
虫を外へ逃がしたルカが花瓶を探すと、ヴァルは土のついた草束を取り上げた。
「なんだよ、せっかく摘んだのに!」
「洗ってからにしろ。治療室だぞ」
「……あ、それもそうか」
ルカはしょんぼりと肩を落としたが、帰り際にはいつもの調子で拳を突き出した。
「治ったらまた勝負な! 今度は負けねえから!」
「うん。俺も、もっと強くなって戻るよ」
アカメが左の拳を合わせると、ルカはようやく安心したように笑った。
―✧―◇―✧―
翌日の昼過ぎには、アリアとノア、それにセドリックが顔を見せた。
「アカメぇぇっ! よかったぁ!」
扉を開けるなり、アリアが両腕を広げて駆け込んでくる。
「えっ、ちょっと待っ――」
「……怪我人に飛びつくなよ」
セドリックが後ろからアリアの襟元をつまんだ。勢いを止められたアリアは、ベッドの手前で宙をかくように両手を動かす。
「うぐっ! ちょっと、セドリック!」
「……その腕、見えてないの?」
「見えてるけど! だって、アカメが無事で……!」
「それなら余計に、無事じゃなくするなよ」
眠たげな声で言われ、アリアはしゅんと肩をすぼめた。頬には涙の跡が残っている。
「……ごめんね、アカメ」
「大丈夫。気持ちは嬉しいよ。でも、今抱きつかれたら、たぶん俺も泣いちゃうかな」
「それは駄目! 絶対に治ってからにする!」
「……治っても、予告はしてあげなよ」
ノアが苦笑しながら口を挟む。その手には小さな布袋があり、アカメの枕元へそっと置いた。
「これ、香りのいい乾燥葉だって。眠りやすくなるらしいから、先生に確認してもらってから使ってね」
「ありがとう、ノア。グラウは元気?」
「うん。いつもどおりだよ。でも、君がいないと訓練の時、少し物足りなさそうにしてる」
「そうなの?」
「だから、よくなったらグラウの毛並み、好きなだけ触っていいからね」
「本当に!? あれ、前から触ってみたかったんだ!」
「グラウにもちゃんと聞いておくよ」
アカメが嬉しそうにしていると、セドリックがベッド脇の椅子へ視線を向けた。
「……それにしてもさ」
「うん?」
「お前、いつか何かやらかすやつだと思ってたよ」
いつもの淡々とした口調だったが、その口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。
「ええ!? そんなふうに思われてたの!?」
「……人を助けに飛び込んで、自分が先に倒れるとか。いかにもお前らしい」
「……う。何も言えないな」
「まあ、助けたのはすごいと思うけどね。次は助けたあと、自分の足で帰ってきなよ」
「……うん。そうする」
―✧―◇―✧―
その日の夕方、今度はレオンとガレスが訪れた。
「具合はどうだ、アカメ」
「レオン、ガレス! 来てくれたんだ」
「ああ。手ぶらというのも失礼かと思ってな」
レオンは上品に包まれた籠を机へ置いた。中には艶のある林檎や、香りのよい柑橘が綺麗に並んでいる。
「うわ、すごい。こんなにたくさん……!」
「日持ちするものを選んだ。食べられないものがあれば、遠慮なく言ってくれ」
「ありがとう。なんだか贈り物の包み方まで綺麗だね」
さすが、小貴族の家で育ったレオンだ。アカメが感心している一方で、ガレスは分厚い本を抱えたまま、右腕の包帯を真剣に見つめていた。
「……熱傷の経過について、少し調べてきた」
「えっ、俺のために?」
「気になっただけだ。深い傷の場合、表面が塞がっても無理に動かすと回復が遅れることがある。痛みはどうだ?」
「動かさなければ、だいぶ楽になったよ」
「痺れは?」
「少しだけ。前よりはよくなってる気がする」
ガレスは本に挟んだ紙を開き、包帯で覆われた部分と図を見比べた。
「……診察はミレイア先生に任せるべきだけど、無理だけはするな。ここにも、安静が大切だと書いてある」
「うん。ありがとう、ガレス」
「……別に。早く授業に戻ってこないと、課題の班分けが面倒になるからな」
「ガレスは昨日から、その本をずっと読んでいたんだけどな」
「レオン!」
「えっ、そうなの?」
「……必要なところを確認していただけだ」
ガレスが顔を逸らす。その耳が少し赤くなっていて、アカメもつられて笑った。
―✧―◇―✧―
それから数日、エアシルは授業の合間を見つけては治療室を訪れるようになった。
「アカメさん、今日はどうですか?」
「おかげさまで、昨日よりずっといいよ。いつもありがとう」
「よかったです。少しだけ、腕を診てもいいですか?」
彼女は必ずミレイア先生に確認を取り、許可された範囲で治癒魔法を使った。痛みを和らげる淡い光が包帯の上から広がり、蒸し暑い午後には柔らかな風を送ってくれる。
「気持ちいいな。エアシルの風、すごく優しいね」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
ある日、彼女の後ろにマーレンが立っていた。
アカメも無理に呼び寄せることはしなかった。何か話さなければと焦るより、ここにいても怖い思いをしなくて済むと、少しずつ知ってもらいたかった。
「……マーレン」
「……何よ」
「俺は大丈夫だよ。腕も少しずつよくなってるから」
マーレンの目が、包帯へ向けられる。
「……そう。なら、いいわ」
それだけ言うと、彼女は顔を背けた。エアシルがそっと微笑み、二人は並んで治療室を出ていく。
―✧―◇―✧―
治療室で過ごし始めて、一週間が経とうとしていた。
毎日いろいろな仲間が顔を見せてくれたが、一番長くそこにいたのはリゼットだった。
「失礼します。アカメ、起きていますか?」
「うん。おはよう、リゼット」
「おはようございます。では、今日も確認させてくださいね」
両腕に本を何冊も抱えたリゼットは、ベッドの横へ小さな机と椅子を寄せた。机には記録用紙と筆記具、それから体温を測る魔道具が順番に並べられる。最初の頃は手間取っていた準備も、今では迷いがない。
「昨夜、痛みで目が覚めたりはしませんでしたか?」
「ううん。よく眠れたよ」
「頭痛や目眩は?」
「ないかな。腕も前より動かしやすくなった」
「無理に動かして確かめたり、していませんよね?」
「……してないよ」
「今、少し間がありましたけど」
「気のせいじゃないかな」
「ミレイア先生にお渡ししてきます。少し待っていてください」
「はーい」
この一週間、ずっとこんな調子だった。診察をするのはあくまでミレイア先生だが、リゼットは体調の変化を書き留めては先生に報告している。アカメが何か言うより前に水差しが満たされ、枕元には読みかけの本が置かれるようになった。
戻ってきたリゼットは、机に研究資料を広げた。古い術式の写しや、魔力の流れを描いた図が、次々と並んでいく。
「授業、忙しくない? 俺のところに毎日来て、大丈夫なの?」
「課題は終わらせていますから。それに、ここは静かで集中できるんですよ」
「そっか。じゃあ、邪魔しないようにするね」
「ふふ。普通に話しかけてくださってもいいんですよ」
「……あれ? ここの式、違いま……あっ、間違えた」
小声が聞こえた。
リゼットは慌てて線を引き直し、今度は別の頁を開く。
「循環の向きが逆だから……ええと、ここで術式を折り返して……。あれ、そうすると、こちらの値が……」
考え込むと、どうやら声に出してしまうらしい。しばらくして正しい答えを見つけたのか、彼女は小さく頷き、嬉しそうに筆を走らせた。
アカメは思わず笑みをこぼした。いつも落ち着いているリゼットにも、こんな一面があるのだ。
「……アカメ、何か面白いことでもありましたか?」
「ううん。リゼットって、研究してる時、結構お喋りなんだなって」
「……えっ」
自分では気づいていなかったのか驚いた表情を見せる。
「わ、私、声に出していましたか?」
「少しだけ。でも、楽しそうだなって思った」
「……もう。気になるなら、ちゃんと言ってください」
「気にならないよ。むしろ、そのままでいてほしいな」
リゼットは少し頬を赤くして、再び資料に向き直った。
彼女が研究へ戻ると、アカメも目を閉じた。身体を動かせない間に、何かできることはないだろうか。そう考えて、この数日、こっそり続けている練習があった。
《気配感知》。体内の魔力を利用し、周囲にいる人や生き物の存在を捉えるスキルだ。通常の使用なら魔力の消費はごくわずかだが、感知する範囲を広げ、長く維持しようとすれば、それだけ多くの情報を処理しなければならない。
最初は治療室の扉の向こう。そこから少しずつ廊下へ、階段の方へと意識を伸ばしていく。今は以前より遠くまで届く気がするが、広げた感覚を保ち続けるにはひどく集中力がいる。周囲の小さな気配が重なり、頭の奥がじわじわと熱を帯びた。
アカメは額に滲んだ汗を、左手の甲で拭った。今日は少しだけ、昨日より長く保てそうだ。
「……アカメ?」
声がして、意識が戻る。
目を開くと、リゼットが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「汗が出ています。大丈夫ですか? 頭は痛くありませんか?」
「うん、平気だよ。ちょっと暑いだけかも」
「……そうですか? では、少し涼しくしますね」
リゼットが指先に魔力を集めると、小さな水の球が幾つも生まれ、ベッドの周りに浮かんだ。水球はアカメの身体に触れない距離をゆっくり巡り、周囲の熱を吸っては冷たさを保つ。ひんやりした空気が頬を撫で、アカメは思わず息を吐いた。
「わあ、気持ちいい。ありがとう」
「どういたしまして。でも……」
リゼットは水球を漂わせたまま、首を傾げる。
「ここ数日、毎日のように汗をかいていますよね。部屋はそれほど暑くありませんし、何か理由があるんでしょうか?」
アカメは答えに詰まった。これまでにも何度か同じことを聞かれ、そのたびに曖昧に笑ってごまかしていた。
黒い光の事故以来、魔力を体外へ放出することは禁じられている。
《気配感知》は体内で完結する自動術式だから、その禁止には当たらない。けれど、感知範囲を無理に広げれば神経に強い負担がかかることも、アカメ自身よく分かっていた。
けれど、寝ているだけの時間がもどかしかった。特級に編入されたばかりなのに、みんなが先へ進んでしまう気がして、何もせずにはいられなかったのだ。
「……リゼット」
「はい?」
「怒らないで聞いてほしいんだけど」
「……その言い方、もうすでに心配になります」
アカメは苦笑した。ごまかしても、彼女にはいつか分かってしまうだろう。
「実は、毎日《気配感知》の練習をしてたんだ。届く範囲を広げて、そのまま長く保てるか試してて……」
リゼットの表情が消えた。
「……毎日、ですか?」
「うん。ちょっとずつだけど」
「アカメ」
名前を呼ぶ声が、いつになく低かった。
「ミレイア先生から、今は身体に負担をかける訓練も控えるように言われていますよね?」
「……うん」
「《気配感知》は、範囲を無理に広げると神経に大きな負担がかかるんですよね? 以前、使い過ぎて辛くなったこともありましたよね?」
「……はい」
「でしたら、どうして私にも先生にも黙っていたんですか!」
強い声に、アカメは思わず肩をすくめた。浮かんでいた水球が一斉に消え、リゼットの唇がきゅっと結ばれる。
「……私、またアカメが倒れるんじゃないかって、ずっと心配していたんですよ」
「……ごめん」
「謝ってほしいんじゃありません。……いえ、謝ってはほしいですけど、それより……」
リゼットは言葉を探すように目を伏せた。
「また、自分だけで何とかしようとしているのが嫌なんです。あの時、一緒に考えようって約束したじゃないですか」
「……そうだね。みんなが訓練してるのを聞いてたら、俺だけ遅れたくなくなって。でも、黙ってやるのは違った」
「……はい」
「もう勝手にはしない。今から先生にも話すよ」
リゼットは少しだけ肩の力を抜いた。それでも、まだ心配そうな顔をしている。
「……頭痛や目眩は、本当にありませんか?」
「今はないよ。でも、さっきは少し頭が重かった。ちゃんと言っておけばよかったね」
「……そうですね。診てもらいましょう」
リゼットはアカメの左手へそっと触れた。叱られたばかりなのに、その手は驚くほど優しかった。
話を聞いたミレイアには、当然もう一度叱られた。
体調を確かめられ、回復途中の身体に負担をかける訓練を続けていたことを厳しく注意されたうえで、許可が出るまでは《気配感知》の範囲を広げる練習も控えるよう、改めて約束させられた。
ただ、傷の回復そのものは順調だったらしい。診察を終えたミレイアは記録用紙を閉じ、アカメをまっすぐ見た。
「明日から、座学への復帰を認めます。ただし、実技は見学のみ。右腕に負担をかける行為や、《気配感知》を無理に広げる訓練は禁止です。それから、魔力の体外放出も引き続き認めません。守れますか?」
「……はい。今度こそ守ります」
「リゼットさん、念のため、明日も様子を見てあげてください」
「もちろんです」
隣で即答するリゼットを見て、アカメは小さく笑った。
「……なんだか、監視されるみたいだね」
「監視ではありません。確認です」
「同じじゃない?」
「違います。少なくとも、アカメが隠し事をしなければ、何も問題はありませんから」
「……それはそうだね」
言い返せずに笑うと、リゼットもようやく微笑んだ。
窓の外では、午後の授業を終える鐘が鳴っていた。明日になれば、またあの教室へ戻れる。ルカの大きな声も、アリアの賑やかな話し声も、ヴァルが何かを直している姿も、きっとすぐそばにあるだろう。
アカメは包帯に覆われた右腕を見下ろした。まだ短剣を握ることはできないし、分からないことだって山ほど残っている。それでも、この一週間で、待っていてくれる人がこんなにいるのだと知った。
「……リゼット」
「はい?」
「明日、一緒に教室へ行こうか」
リゼットは机の上の本を閉じ、いつもの柔らかな笑みを浮かべた。
「ええ。もちろんです」
その返事を聞いて、アカメは久しぶりに明日の朝が待ち遠しくなった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
今回は少し賑やかな、特級の仲間たちとの日常回でした。
それぞれの個性が出るお見舞いと、リゼットの意外な一面を楽しんでいただけたら嬉しいです!
次回は、ようやく授業に復帰するアカメ。怪我をきっかけに、新たな成長が見られるかもしれません。
次回もよろしくお願いします!




