第28話「賢者の魔法教室」
第二演習場に、短剣が木製の標的を叩く音が響いた。アカメは訓練用の球体をかわし、身体を捻った勢いで刃先を伸ばす。標的には当たったが、踏み込んだ足が少し流れてしまった。
「……また足がずれた」
「でも、昨日より動きは滑らかですよ。次の一歩を意識してみましょう」
リゼットが記録帳を見ながら微笑んだ。この日も二人は放課後に集まり、昨日見つけた回転を利用する攻撃と、障壁と設置型の拘束術式を組み合わせた誘導戦術を練習していた。どちらもまだ未完成だが、少しずつ手応えはある。
訓練を終えると、リゼットは床の術式を消し、机から魔法の教本を取り出した。今日はアカメが頼んでいた魔法の基礎も教えてくれるという。
「では、ここからは魔法の勉強ですね」
「おお、ついに俺も魔法使いか!」
「ふふっ。使えるようになると決まったわけではありませんよ。まずは魔力を意識するところからです」
―✧―◇―✧―
訓練区画の机に向かい合って座ると、リゼットは人体の絵が描かれた教本を開いた。身体の内側から指先へと伸びる線が、魔力の流れを表しているらしい。
「アカメは、自分の魔力を意識して動かしたことがありますか?」
「《気配感知》を使う時なら、力を使ってる感じはするよ。でも、どこを流れてるかは分からないかな」
「スキルを使う感覚と、魔力を操作して術式を組み立てる技術は、同じではないんです。今日はまず、魔力を感じ取って集めるところから始めましょう」
「……魔力を出すだけじゃ、魔法にならないんだね」
「はい。起こしたい現象に合わせて、魔力を整える必要があります。まずはお手本をお見せしますね」
そう言いながらも、リゼットは少し嬉しそうだった。右手を胸の前へ持ち上げると、指先に淡い光が集まっていく。光は細い輪になり、内側へ幾つかの線が重なると、手のひらほどの魔法陣が浮かび上がった。
その中心に、小さな水の球が現れる。水は一滴もこぼれず、透明な形を保ったままゆっくり回った。リゼットが指を傾けると、それに合わせて球も横へ移動する。
「おおっ……! すごい、綺麗だね!」
「ありがとうございます。水を集めて形を保つ、基礎的な術式なんです」
「……これが基礎なの?」
「ふふっ。慣れれば難しくありませんよ」
簡単そうに水の球を操るリゼットを見て、アカメは苦笑した。見よう見まねで右手を持ち上げ、指先へ意識を向ける。ところが、しばらく待っても何も起きない。
「……何も出ない」
「魔力が集まる感覚はありますか?」
「それも全然……」
「では、一度魔法陣のことは忘れましょう。目を閉じて、ゆっくり呼吸してみてください」
アカメは身体の内側へ意識を向けた。森を走る時なら、足の裏に伝わる地面の硬さも、身体が傾く方向も分かる。なのに魔力となると、どこを探せばいいのかさえ分からなかった。
「……リゼット。これ、正解が分かんないんだけど」
「最初は難しい方もいますよ。私は小さい頃から、魔力の流れを感じるのが得意でしたけど……」
「……やっぱり天才だった」
「そ、そんなことありません! 私にだって苦手なことはありますから!」
慌てて否定するリゼットを見て、アカメは笑った。彼女は少し考えてから、アカメの右手へ目を向ける。
「……少し、手をお借りしてもいいですか?」
「うん、いいよ」
「私の魔力を、ごく弱く手のひらの表面に沿わせます。その感覚を覚えてみてください」
差し出した手を、リゼットが両手で包み込んだ。アカメは何も気にしていない様子だったが、リゼットは昨日、転びかけた自分を彼が支えてくれた時のことを思い出してしまう。触れ合う手の温かさが、妙にはっきり感じられた。
「よろしくお願いします、先生!」
「……ふふっ。真面目にやってくださいね」
そう答えたまま動かないリゼットを見て、アカメが首を傾げる。
「……もう始まってる?」
「……っ! い、いえ。今からです!」
リゼットは慌てて気持ちを切り替え、手のひらへ弱い魔力を流した。肌に沿うように細い流れを作ると、アカメが驚いた声を上げた。
「何か、温かいのが動いてる!」
「それが私の魔力です。どちらへ流れているか、分かりますか?」
「うん、指先の方だと思う」
「今の感覚を覚えて、次はご自身の魔力を動かしてみましょう」
リゼットが手を離すと、アカメはもう一度目を閉じた。しかし、自分一人では何も掴めず、不思議そうに指先を眺める。
「……また分かんなくなった」
「焦らなくて大丈夫ですよ。少しずつ練習しましょう」
―✧―◇―✧―
それから何度か休憩を挟み、アカメは魔力を感じ取る練習を続けた。リゼットの示した流れを思い出し、胸の奥から指先へ意識を向ける。ようやく小さな光が灯った時には、思わず声を上げていた。
「リゼット! 出た! これ、俺の魔力!?」
「はい! 今はアカメ自身の魔力が外へ出ています!」
「やった! これで魔法も使えるかな!」
「まだ放出できただけですよ。次は術式を作らないと」
「……まだあるのかあ」
リゼットは楽しそうに笑い、教本を開いた。いきなり水を生み出すのではなく、魔力を細い輪の形に整える練習をするらしい。
「形が崩れたり、指先に違和感が出たりしたら、無理をせず止めてくださいね」
「了解! 丸を作るだけなら、何とかなりそう!」
ところが、光は途中で途切れたり、急に膨らんだりして、なかなか輪にならなかった。何度も消えるたび、アカメは肩を落とす。
「……あっ、また消えた! 均等にするって難しいな」
「焦らないでください。昨日の回転を使った攻撃も、最初は上手くいかなかったでしょう?」
「……回りすぎたのは忘れてくれない?」
「嫌です。大切な研究記録ですから」
きっぱり断られ、アカメは笑ってしまった。何度も繰り返すうち、魔力を集める感覚はほんの少しずつ掴めてきた。
もう一度だけ試してみよう。そう思って右手を持ち上げると、淡い光が指先に集まった。今度は途切れないよう慎重に魔力を伸ばす。細い光がゆっくり弧を描き、半分ほどの輪になった。
「いいですね、アカメ。そのまま、ゆっくり……」
「うん。あと少し……」
そこで、指先にかすかな痺れが走った。
アカメは思わず眉を寄せた。慣れない魔力操作で疲れたのかと思ったが、次の瞬間、淡い光の中心に黒い筋が浮かび上がる。細く揺れたそれは、光の輪とは違う方向へ枝分かれしていった。
「……何だ、これ?」
空気を爪で引っかくような音がした。黒い筋は指先へまとわりつき、掌の周囲で不規則に明滅する。リゼットの表情が変わった。
「アカメ、すぐに魔力を止めてください!」
アカメは集めていた力を手放そうとした。けれど、どうすれば止まるのか分からない。握り込もうとした右手の内側で、黒い光が鋭く弾けた。
「……っ、ああっ!」
激しい痛みが走り、アカメは反射的に手を引いた。作りかけの輪が砕け、光が消える。手のひらから指先にかけて細い傷が幾つも走り、赤い血が指の間を伝って落ちていた。
「……何だ、今の……」
手を握ろうとすると鋭い痛みが返ってくる。《危険感知》は衝撃の直前に反応した気がしたが、何が起きるか分からず、避けることもできなかった。
「アカメ! 手を見せてください!」
リゼットが駆け寄ってきた。しかし、血のついた右手を見ると、彼女はその場で固まってしまう。
「……そんな、どうして……。さっきまで、普通の魔力だったのに……」
「……リゼット?」
震える手で記録帳を開こうとしたリゼットは、抱えていた教本を床へ落としてしまった。いつもなら失敗した時ほど落ち着いている彼女が、今は傷から目を離せずにいる。
「……知らなかったから、また……」
小さな呟きの意味は分からなかった。ただ、リゼットがひどく怯えていることだけは伝わってきた。アカメは痛む右手をかばいながら、声を掛ける。
「……リゼット。結構痛いから、先に治療してもらおう? 何が起きたのか考えるのは、その後でもいいと思う」
「でも、アカメの手が……!」
「ミレイア先生なら診てくれるよね。一緒に来てくれる?」
「……はい。そうですね……!」
我に返ったリゼットは救急箱から清潔な布を取り出し、傷を慎重に包んだ。指先はまだ震えていたが、手当てを終えるとアカメに肩を貸し、急いで治療室へ向かった。
―✧―◇―✧―
治療室へ駆け込むと、ミレイアがアカメを椅子に座らせ、傷と指の動きを確かめた。事情を聞き、すぐに治癒魔法を使い始める。
「黒い光が出て、手が切れてしまったんです。魔力の輪を作る練習をしていただけなのに……」
「分かりました。まず傷を治しましょうね」
淡い緑色の光が右手を包み込み、刺すような痛みが薄れていく。やがて傷は塞がり、言われたとおり指を動かしても、ほとんど痛まなくなっていた。
「……すごい。もう動かしても痛くないです」
「傷は塞がりました。ただし、原因が分かるまでは同じ魔力操作を試さないでください。違和感が戻ったら、すぐに知らせてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
リゼットはほっと息を吐いたが、まだ不安そうに記録帳を抱えていた。
「ミレイア先生。あの黒い光は、普通の魔力の乱れ方とは違っていました。術式も完成していないのに、何が起きたのでしょうか?」
「今のお話だけでは断定できません。魔力の制御を失敗した可能性はありますが、それだけで説明できるかも分からないですね。手順の記録はありますか?」
「はい。途中までなら……」
「では、ハロルド先生にも報告しましょう。安全を確認するまでは、再現しようとしないでください」
「……分かりました」
ミレイアは二人から訓練の手順を詳しく聞き取り、ハロルドへ報告することを約束した。原因が判明するまで同じ魔力操作を試さないよう、アカメにも改めて注意する。
アカメは治った右手を見つめた。ごく簡単な魔力の輪を作ろうとしただけなのに、なぜあんな黒い光が現れたのだろう。《アサシン》と関係があるのか、それとも別の理由なのか。今は何も分からなかった。
―✧―◇―✧―
治療室を出る頃には、窓の外は夕暮れの色に染まり始めていた。アカメの右手はもう痛まなかったが、隣のリゼットは俯いたまま、記録帳を胸に抱えている。
「……リゼット。さっきはありがとう」
「……私は、何もできませんでした。最初は動けなくなってしまって……。もっと知っていれば、防げたかもしれないのに」
「魔法を教えてほしいって言ったのは俺だよ。何が起きたかも分かってないのに、一人で全部背負わなくていいと思う」
「……それでも、私は知らないことが怖いんです」
リゼットが足を止めた。窓の外へ向けた金色の瞳は、どこか遠いものを見ているようだった。
「分からないことがあると、確かめずにはいられないんです。知らなかったせいで、誰かを助けられないのが怖くて……」
「……昔から?」
「小さい頃は、ただ勉強が好きなだけでした。人前に出るのは苦手でしたけど、本を読んだり街の勉強会へ行ったりするのが楽しくて。でも、いつの間にか、相手が困っていても質問をやめられなくなってしまったんです」
彼女は記録帳の端を指で押さえた。間違いを見つければ、相手の気持ちを考える前に指摘してしまう。正しい答えを知ることに夢中になり、言い方を選べなかったこともあったという。
「気づいた時には、同じ年頃の子たちから避けられるようになっていました。『氷の少女』なんて呼ばれたこともあるんですよ」
「……氷の少女?」
「冷たいことしか言わない、何を考えているか分からない子だって。今思えば、傷つけるような言い方をしていたこともあったんだと思います」
リゼットは困ったように笑った。なぜそこまで知らないことを恐れるのか、アカメにはまだ分からない。それでも、彼女が誰かの気持ちを踏みにじりたいわけではないことは、よく知っていた。
「……俺はさ、リゼットに心がないなんて思ったことないよ」
「……えっ?」
「だって、俺が怪我した時、すごく心配してくれたじゃん。それに、今までだって、俺のことをたくさん気にかけてくれたし」
アカメはもう痛まなくなった右手を見せた。リゼットの目がその手に向く。
「もちろん、分からないことを調べるのは大事だと思う。俺だって《アサシン》について知りたいし、知らないままだと困ることもあると思う。でも、全部分からなきゃ誰も助けられないってわけじゃないよね」
「……そう、でしょうか」
「うん。今日も、黒い光が何なのかはまだ分かってない。でもリゼットは手当てをして、ミレイア先生のところに連れていってくれた。それで俺は助かったんだよ」
リゼットは唇を結んだ。アカメは少し照れくさくなりながらも、伝えたいことを続ける。
「それに、俺、リゼットにはもう助けてもらってるんだ」
「……私が、ですか?」
「うん。《アサシン》を授かった時は、自分でも何ができるのか分からなかったし、名前を怖がる人もいた。でも、リゼットは俺のことを知ろうとしてくれたでしょ。一緒に調べようって言ってくれたの、すごく嬉しかった」
彼女の金色の瞳が、わずかに揺れた。
「分からないことが怖くても、一人で全部調べなくていいと思うんだ。俺だって難しい本は苦手だけど、力になれることがあったら手伝いたいしさ」
「……アカメは、どうしてそんなに……」
「どうしてって……リゼットは俺の友達だし、一緒に考えるって約束したから。困ってるなら、力になりたいよ」
アカメが笑うと、リゼットは俯いた。しばらく記録帳を見つめ、それから小さく息を吐く。顔を上げた彼女の瞳には薄く涙が滲んでいたが、口元には微笑みが浮かんでいた。
「……ありがとうございます。アカメは、本当に優しいですね」
「えっ、そうかな?」
「はい。……とても」
リゼットは目元をそっと拭い、少し恥ずかしそうに笑った。その表情を見て、アカメも安心したように笑い返す。
「でも……今日の現象は、きちんと調べさせてくださいね」
「……やっぱり、研究するんだ?」
「もちろんです。ただし、危険な実験はしません。まずはハロルド先生とミレイア先生に相談して、似た記録がないか探してみます」
「うん。それなら俺も協力するよ。次に同じことが起きたら困るしね」
リゼットは頷いた。先ほどまで胸に抱えていた記録帳を、今度は両手でしっかりと持ち直している。分からないものがなくなったわけではない。それでも、彼女の表情には少しずついつもの明るさが戻っていた。
―✧―◇―✧―
二人は寮へ続く道を並んで歩く。アカメは右手を開いたり閉じたりしてから、苦笑した。
「……ねえ、リゼット。俺、魔法には向いてないのかな?」
「まだそうとは言えませんよ。ご自身の魔力を外へ出すことはできました。ただ、原因が分かるまでは魔法の練習はお休みです」
「了解。じゃあ、しばらくは短剣の方を頑張るよ」
「それなら、回転を利用した攻撃の記録をまた一緒に取りましょう。私の誘導戦術も、まだ課題がありますから」
「うん。二人で完成させるって約束したもんね」
「……はい!」
笑い合ううちに、男子寮と女子寮へ続く分かれ道へ着いた。リゼットはアカメに手を振り、今日は無理せず休むように言う。アカメも、研究に夢中になって夜更かししないよう念を押すと、彼女は少し困ったように笑った。
リゼットを見送ってから男子寮へ向かおうとした時、道沿いに設置された学園の掲示板に人だかりができているのが見えた。
近づくと、《第一級・特級合同演習》の予定が新しく貼り出されている。先日の合同実技とは違い、一週間後には教師が決めた組み合わせで、一対一の模擬戦を行うらしい。
アカメは自分の名前を探し、並んでいる対戦相手の名を見て目を丸くした。
《アカメ・オルディン 対 ルカ・ハルデン》
「……えっ、ルカ!?」
幼い頃から一緒に過ごしてきた親友であり、S級を授かった少年。先日の実技でも、ルカの剣の鋭さはよく分かった。真正面から挑んだら、そう簡単には近づけないだろう。それでも、不思議と怖さより楽しみが大きかった。
「……マジか。面白くなってきた!」
アカメは治った右手を握り、夕暮れの男子寮へ歩き始めた。回転を利用する攻撃は、まだ狙いどおりに成功したことが一度しかない。一週間で完成するとは思わないが、今の自分がどこまで通用するのか確かめてみたい。
手の痛みは消えていた。しかし、あの黒い光が何だったのかという疑問だけは、胸の奥に静かに残っていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、リゼットによるアカメの魔法教室でした!
練習中に突然現れた謎の黒い光。あれはいったい何だったのでしょうか……。
また、今回はリゼットの意外な一面や、彼女が知識を求める理由にも少しだけ触れました。
まだ語られていないこともありますが、二人が少しずつお互いを理解していく様子を見守っていただけたら嬉しいです。
そして次回は、アカメと幼なじみのルカによる模擬戦!
二人がどんな戦いを見せてくれるのか、ぜひ楽しみにしていてください!
次回もよろしくお願いします!




