第21話 「貧乏神」
午後の授業が終わると、第一級クラスの教室は一気に賑やかになった。教本を鞄にしまう音に夕食の約束をする声が重なり、廊下へ出ていく生徒たちの足音が途切れずに続いている。
入学して数日が経ち、席の近い生徒同士で話す姿も増えたが、アカメが通ると会話を止める者もいる。《アサシン》への警戒は、まだ残っていた。
「アカメ、今日も特級の二人と帰るの?」
教本を片づけていると、前の席からアリアが振り返った。
「うん。ヴァルとルカに、授業が終わったら渡り廊下で会おうって言われてる」
「いいなあ、幼馴染が二人もいるなんて! 今度、私にも紹介してよ。特級クラスの話、聞いてみたいんだよね」
「もちろん。ルカなんか、放っておいても勝手に喋り出すと思うよ」
「ふふっ、楽しみ! 約束だからね!」
アリアが友人たちのところへ駆けていくと、隣のエアシルはまだ教本を揃えていた。
エアシルの茶色い革鞄は、持ち手を何度も縫い直してあった。表側には小さなクマのワッペンが付いており、彼女は教本の角が折れないよう布を挟んでから蓋を閉じた。
「エアシルは、今日はもう帰るの?」
「いえ、図書館へ寄ろうと思っています。今日の歴史の授業で、よく分からなかったところがあって……」
「ああ、領地制度の話? 俺も途中で置いていかれそうになったよ」
「ふふっ。アカメさんは、途中でちゃんと質問されていましたよね」
「分からないまま次に進まれると困るからさ。じゃあ、また明日な」
「はい。また明日、アカメさん」
エアシルが鞄を肩に掛けて教室を出ると、アカメも荷物をまとめ、少し遅れて渡り廊下へ向かった。
―✧―◇―✧―
図書館と特級校舎へ道が分かれる渡り廊下には、放課後の生徒たちが行き交い、西日が磨かれた床を照らしていた。
角を曲がろうとしたアカメの耳に、女子生徒たちの声が届いた。
「ねえ、本当にいつもそんなものを食べているの?」
「学食に行けば温かいご飯があるのに。そこまでお金がないなんて、大変ねえ」
誰かの反応を面白がるような笑い方が気になり、足を速めると、窓際に三人の女子生徒と見覚えのある銀白色の髪が見えた。
「……エアシル?」
彼女は鞄を取られ、三人に囲まれていた。一人が持ち手を掴み、もう一人が勝手に蓋を開けている。エアシルは返してほしいと繰り返していたが、相手は聞く素振りも見せない。
「そんなに大事なものが入っているの? ちょっと見せてよ」
「やめてください。返していただけませんか……」
「見ているだけじゃない。そんなに慌てなくても取らないわよ」
そう言いながら少女が鞄を傾けると、教本と筆記具が床に散らばり、小さな布包みが最後に転がり落ちた。結び目がほどけ、中から固そうな黒パンが一切れ現れる。
「あっ……!」
エアシルが手を伸ばしかけた瞬間、一人の少女がパンを靴の先で押さえた。乾いた音とともに表面が崩れ、床に黒い欠片が散る。
「本当にパンだけなのね。しかも、ずいぶん固そう」
「第一級に入れるくらいなら、もう少しいいものを食べればいいのに」
「……足を退けてください。それは、母が持たせてくれたものなんです」
声は震えていたが、エアシルは引き下がらなかった。少女たちは顔を見合わせて笑った。
「お母様って、夜のお仕事をしているっていう、あの人?」
「困ったらまた伯爵家に頼めばいいじゃない。マーレン様に気に入られていて羨ましいわ」
「昔から何かあるたびに助けてもらってたものね。それで今度はA級《風癒術師》なんだから、運だけはいいのかしら」
そのうちの一人が、思い出したように口元を歪めた。
「そういえば、昔は《貧乏神》って呼ばれてたんでしょう?」
エアシルの肩が強張る。初めて聞いた言葉ではないのか、反論する代わりに唇を噛み、靴の下にあるパンを見つめていた。
アカメは三人へ近づき、パンを踏んでいる少女の前で足を止めた。
「ねえ、その足、退けてくれない?」
「……何よ、あなた」
「それ、エアシルのものだろ。返してって言ってるじゃん」
少女は不愉快そうに眉を寄せた。
「関係ない人は黙っていてくれる?」
「関係なくないよ。エアシルは俺の友達だから」
「友達? あなた、まさか……」
三人がアカメの顔を見直し、一人が《アサシン》と呟いた。鞄を持つ少女の指が緩む。
「俺のジョブは今関係ないだろ。それより、パンから足を退けて。教本も返してやってよ」
「……脅すつもり?」
「脅してないって。人の物を勝手に取り上げるの、やめてほしいだけだよ」
アカメが足元を見ると、少女は渋々靴を動かした。しゃがんで教本を拾おうとしたところで、背後からまた声が飛んでくる。
「ちょっと! 勝手に割り込んできて、何様のつもり?」
振り返ると、背の高い少女が腕を組んでいた。アカメはエアシルの教本を一冊拾い、表紙についた埃を払いながら答える。
「三人で一人を囲んで、鞄を開けて、食べ物まで踏んでるのはおかしいと思っただけ。それに、家族のことまで笑う必要ある?」
「そんなの、あなたには分からないでしょう!」
「うん。エアシルの家の事情は詳しく知らないよ。だからこそ、勝手に笑うのは違うと思うんだけど」
少女は言い返しかけたが、隣の一人に腕を引かれた。
「もう行きましょう。これ以上、あの人に関わらない方がいいわ」
「でも……!」
「《アサシン》なのよ。何をするか分からないでしょう」
背の高い少女は「気味が悪い」と吐き捨て、鞄を床へ置いた。
「今度は《アサシン》に助けてもらったのね。よかったじゃない」
エアシルの肩が震えた。アカメは言い返すのをこらえ、床に散らばったものを拾い始めた。
―✧―◇―✧―
「……すみません、アカメさん」
エアシルが小さく謝った。
「何でエアシルが謝るの? 俺、別に何もされてないよ。それより、怪我はない?」
「はい。でも、アカメさんまで嫌なことを言われてしまって……」
「俺のことは後でいいって。まず、落ちたものを集めよう」
拾い集めていると、引っ張られた鞄の持ち手が裂けていることに気づいた。
「ここ、破れてるよ」
「……本当ですね。でも大丈夫です。また縫えば使えますから。母に教えてもらったので、直すのには慣れているんです」
「俺が触ると余計ひどくなりそうだな。母さんなら上手いんだけど」
エアシルは微笑み、鞄のクマのワッペンを大切そうに撫でた。
最後に残ったのは、床に転がる黒パンだった。靴跡がつき、押し潰された端には砂や埃がこびりついている。エアシルは布包みを広げ、汚れたパンをそっと包み直した。
「……それ、持って帰るの?」
「はい。もう食べられないと思いますけど、捨てたくなくて……」
彼女は両手で包みを持ったまま、少しだけ視線を落とした。
「王都へ出る朝に、母が持たせてくれたんです。家にある材料で焼いてくれて、日持ちするからって。少しずつ食べて、これが最後の一切れでした」
「……そっか。お母さんが作ってくれたものなんだね」
「はい。忙しいのに、私がお腹を空かせないようにって……」
家を出る朝に母アレシャが持たせてくれた食事を思い出すと、捨てたくない気持ちは分かった。
「……笑わないんですか?」
「何で?」
「こんなパン一切れを、大事に抱えているので……」
「俺だって、父さんにもらった短剣を誰かに踏まれたら嫌だよ。値段の問題じゃないだろ? 誰にもらったかって、大事だと思う」
エアシルは少し驚いた顔をしてから、布包みを抱え直した。その表情がわずかに和らいだのを見て、アカメも安心する。
「それで、さっきの三人のことなんだけど。先生には相談した方がいいと思う。エアシルはどうしたい?」
「……できれば、大きなことにはしたくありません。前にも、余計にからかわれたことがあったので」
「そっか。じゃあ、今すぐ決めなくてもいいよ。ただ、また同じことがあったら困るし、俺も見てたから、必要なら一緒に先生へ話せるよ」
エアシルはうつむいて頷いた。
「……少しだけ、考える時間をいただいてもいいですか?」
「もちろん。でも、一人で何とかしなきゃいけないわけじゃないからね」
「……はい。ありがとうございます」
二人は人通りの少ない窓際の長椅子へ移った。エアシルはようやく息を吐き、鞄を膝に置いた。
―✧―◇―✧―
「さっきの三人、昔から知ってるの?」
アカメが尋ねると、エアシルは少し迷った末に頷いた。
「一人は、同じ町の出身なんです。昔から私の家のことを知っていて……《貧乏神》という呼び方も、子供の頃からされていました」
「ひどいな。何でそんな呼び方するんだよ」
「……父が働けなくなってから、家が苦しくなったので。私がいるから不幸になったんだって、言う人もいたんです」
そこまで話したエアシルは、膝の上で指を組んだ。
「父は小さな行商をしていたんです。私も幼い頃は荷馬車に乗せてもらって、近くの町まで一緒に出掛けていました。商品を並べるのを手伝ったり、帰りにお菓子を分けてもらったり……あの頃は、それが当たり前だと思っていたんです」
「楽しそうだな。俺も小さい頃、父さんと森へ行くのが好きだったよ」
「ふふっ。アカメさんらしいですね」
しかし、エアシルの声が少し落ちた。
「でも、ある時、私が魔物に襲われそうになって……父が庇ってくれたんです。その時に、右脚を失いました」
「……そうだったんだ」
「命が助かっただけでもよかったって、父は言ってくれます。今も手紙には元気だと書いてくれるんですけど、前のように荷馬車で遠くまで行くことはできなくなりました」
もし父ロンドが二度と森を歩けなくなったら、自分はどう感じるだろう。アカメにはすぐに言葉が出なかった。
「それで、お母さんが働いてるの?」
「はい。父が行商を続けられなくなってから、母が家計を支えてくれています。ただ、その……母の仕事を知ると、嫌な顔をする方も多くて」
エアシルはそこで言葉を止めた。膝の上に置いた布包みを見つめ、何かを迷うように指先を動かしている。
「……アカメさんに、お話ししてもいいでしょうか」
「うん。でも、無理に話さなくてもいいよ」
「……いえ。聞いていただきたいんです」
エアシルは一度だけ深く息を吸い、ゆっくりと顔を上げた。
「母は、娼館で働いているんです」
アカメは目を瞬いた。言葉の意味は知っていたが、そこで働く人の家族から直接話を聞くのは初めてで、どう答えるべきか少し迷う。
「……そうなんだ」
「驚きましたか?」
「うん、ちょっと。そういう話、今まで聞いたことなかったから」
「……気持ち悪いとは、思いませんか?」
「何で?」
「母の仕事を知って、そう言う人がいるんです。私のことまで、汚いって……」
母親の仕事の大変さは想像しきれない。分かったふりをするのも違うと思った。
「仕事のことは、俺にはよく分からないよ。でも、エアシルのお母さんは家族を支えるために頑張ってるんだろ? それを知らない人が勝手に笑うのは、おかしいと思う」
「……はい」
「お父さんだって、エアシルを助けて怪我したんだよね。エアシルが悪いわけじゃないし、家族のことを誰かに馬鹿にされる理由もないよ」
彼女が俯くのを見て、アカメは昨日の授業を思い出した。
「それにさ、エアシルは昨日、薬草を全部正しく採ってただろ。ミレイア先生も褒めてたじゃん」
「……それは、勉強していたので」
「なら、頑張ったからできたんだよ。《風癒術師》を授かったからって、薬草の名前が勝手に頭に入るわけじゃないだろ?」
「でも、私はずっと助けてもらってばかりで……」
「助けてもらうのって、悪いことなの? 俺だって父さんや母さんに色々教わったし、入学試験も先生たちがいなかったら受けられなかったよ」
エアシルは俯いたまま、指先を強く握った。
「エアシルが勉強したことまで、誰かにもらったわけじゃないでしょ。昨日は本当にすごかったと思うよ」
しばらくして、膝の上に小さな雫が落ちた。
「……あれ?」
エアシルは自分でも驚いたように頬へ手を当て、慌てて目元を拭った。
「す、すみません。急に……」
「謝らなくていいって。俺、変なこと言った?」
「いえ、違うんです。そんなことを言っていただけると思っていなくて……」
アカメは無理に励まさず、隣で彼女が落ち着くのを待った。
やがてエアシルは小さく息を整え、少し照れくさそうに顔を上げた。
「アカメさんは、不思議な方ですね。私の家のことを聞いても、今までどおり話してくださるので」
「そりゃ、友達だからな。急に変わる理由ないよ」
「……友達」
「あれ、違った?」
「い、いえ! 違いません。私も、アカメさんのことを友達だと思っています」
慌てて首を振るエアシルにつられ、アカメも笑った。
「……ありがとうございます、アカメさん」
「どういたしまして」
中庭の木々が夕日に照らされるのを眺めていると、エアシルが口を開いた。
「私、昔も同じようなことを言ってもらったんです」
「へえ、誰に?」
「マーレンです」
思いがけない名前に、アカメは彼女へ顔を向けた。
「子供の頃、家のことでからかわれて、石を投げられたことがあったんです。その時、マーレンが間に入ってくださって。私が悪いわけじゃないって、はっきり言ってくれました」
「……そうだったんだ」
「破れてしまった鞄も、縫ってくださったんですよ。あまり上手ではなかったんですけど……ふふっ」
エアシルはクマのワッペンへ目を落とし、懐かしそうに指でなぞった。
「このクマも、その時に付けてもらったんです。少し曲がっているでしょう? でも、私には大切なものなんです」
「いいじゃん。可愛いと思うよ」
「ありがとうございます。マーレンには、何度言っても『縫い方が下手だっただけよ』って言われるんですけどね」
二年前、少し強気に笑っていたマーレンの姿が浮かんだ。
「マーレンは父のことも母のことも知っています。私たちの暮らしが苦しくなった時には、伯爵家の叔父様にお願いして、食料や薬を届けてもらえるようにしてくださったんです。学園へ来る時の準備も、たくさん助けてもらいました」
「へえ、そこまでしてくれたんだ」
「はい。私にとって、本当に大切な幼馴染なんです。だからこそ、助けてもらってばかりで申し訳なくなることもあるんですけど……」
「マーレンは、そんなふうに思ってほしくないんじゃないかな」
「……そう言ってくださるんです。でも、なかなか難しくて」
「そっか。難しいなあ」
エアシルは声を立てて笑った。二年前のマーレンも、今のマーレンも同じ人間なのに、まだ知らないことが多い。
《アサシン》を恐れる理由をエアシルに尋ねるのはやめた。マーレン自身が話したくないと言っていたからだ。その時、廊下の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。
―✧―◇―✧―
「エアシル!」
深い赤色の髪を揺らしながら、マーレンが駆け寄ってきた。普段の落ち着いた姿とは違い、少し息が上がっている。二人の前へ来ると、まずエアシルの肩を確かめるように触れた。
「大丈夫? 廊下で騒ぎがあったって聞いたの。あなたが泣いていたとも聞いて……怪我はない?」
「マーレン……はい。怪我はありません」
「本当? また誰かに何かされたんじゃないでしょうね」
マーレンが眉を寄せると、エアシルは鞄を抱え直して頷いた。
「……三人の方に、鞄を取られてしまって。中のものも落とされて……」
「三人? 名前は分かるの?」
「一人は知っています。でも、今はまだ……どうするか考えているところなんです」
マーレンは何か言いかけ、エアシルの手元にある汚れた布包みを見た。さらに裂けた鞄の持ち手へ視線を移すと、その表情が一層険しくなる。
「……許せないわ。あなたが嫌だと言っているのに、こんなことまでしたのね」
エアシルは俯いたままだったが、やがてアカメへ顔を向けた。
「アカメさんが助けてくださったんです。鞄を取られていたところへ来て、返すように言ってくださって……」
そこでマーレンはようやくアカメへ目を向けた。肩がわずかに強張り、視線が一度だけ腰の短剣へ落ちる。
「……アカメが?」
「はい。落ちたものを一緒に拾ってくださって、私が落ち着くまで話も聞いてくださいました。アカメさんは何も悪くありません」
普段は控えめなエアシルが、今ははっきりと言い切った。マーレンはそんな幼馴染を見つめ、それからもう一度アカメへ目を向ける。
「……そう。助けてくれたのね」
「たまたま通りかかっただけだよ。エアシルが困ってたから」
マーレンは小さく頷いたが、アカメからは一歩離れたままだった。
アカメも近づかなかった。マーレンがまだ自分を怖がっていることを、知っていたからだ。
「それより、鞄の持ち手が切れてるんだ。俺、縫い物は苦手でさ」
「……見せて、エアシル」
マーレンは鞄を受け取り、傷んだ糸と裂けた革を確かめた。クマのワッペンに指が触れると、エアシルがほんの少し笑う。
「また縫えば使えると思うんです」
「そうね。でも、今のまま使ったら余計に裂けるでしょう。道具を持ってくるから、女子寮の談話室で一緒に直しましょう」
「……いいんですか?」
「もちろん。あなたがずっと大切にしてきた鞄じゃない」
エアシルが頷くと、マーレンもようやく表情を緩めた。
「それと、三人のことなんですけど……」
エアシルが自分から切り出すと、マーレンは黙って耳を傾けた。
「明日、先生に相談してみようと思います。怖いですけど、また同じことがあったら嫌なので。……一緒に来ていただけますか?」
「ええ、もちろんよ。必要なら私も話すわ」
マーレンの返事にエアシルはほっとしたようだった。アカメも、さっき自分が見たことは先生に話せると伝える。
「俺もその場にいたから、聞かれたらちゃんと説明するよ」
「ありがとうございます、アカメさん。……本当に、助かりました」
「うん。何かあったらまた言ってね」
歩き出す前にマーレンは一度だけ振り返ったが、何も言わず、小さく頷いた。
「……行きましょう、エアシル」
「はい。アカメさん、また明日」
「また明日!」
エアシルが手を振り、二人は廊下の角へ消えた。マーレンは笑わなかったが、アカメも少しだけ肩の力を抜いた。
―✧―◇―✧―
二人を見送っても、パンを踏んだ少女たちの笑い声は耳に残っていた。
家に金がないことも、親の仕事も、子供の努力だけではどうにもならない。それなのに、あの三人はエアシルが大事にしていたパンを踏みつけた。
ルカは《ソードマスター》を授かって自由になった。エアシルは《風癒術師》を授かっても、家族のことでからかわれている。そして自分は、《アサシン》というだけで怖がられる。
同じ神授なのに、どうしてこんなに違うのだろう。
「……何だか、ややこしいよな」
答えが見つからずにいると、廊下の向こうから聞き慣れた声が響いた。
「おーい、アカメ! こんなところにいたのか!」
顔を上げると、ルカが手を振りながら近づいてきた。その後ろにヴァルもいる。
「ごめん、待たせた?」
「いや、俺たちもさっき終わったとこ。それより何してたんだ?」
「エアシルと話してたんだ。ちょっと色々あってさ」
「……何かあったのか?」
ヴァルはアカメの顔を見て、いつものように短く尋ねた。説明し始めるとエアシルの家庭の話まで出てしまいそうだったので、アカメは少し考えてから答える。
「友達が困ってたから、手伝ってた。先生にも相談するって決めたみたいだし、今は大丈夫だと思う」
「そうか。ならいい」
ヴァルはそれ以上聞かなかった。代わりに鞄から一枚の案内用紙を取り出す。
「明日、特級の実習施設を見学できるらしい。工房と訓練場を見に行くつもりなんだけど、お前も来るか?」
「えっ、俺も入れるの?」
「見学なら大丈夫だって先生が言ってた。使うには別の許可がいるらしいけどな」
「俺、訓練場が楽しみなんだよ! ちゃんと広さを見ておきたいし、どんな設備があるのかも気になる!」
「お前、明日まで待てるのか?」
「待てるって! ……たぶん!」
ヴァルは呆れながら案内用紙をしまった。
「俺も見てみたいな。じゃあ、明日は一緒に行こう」
「決まり! そうと決まったら、今日は早めに飯食おうぜ」
「何で施設の見学と夕飯がつながるんだよ」
「腹が減ったからに決まってるだろ!」
「普通にそう言え」
ヴァルの返事にアカメが吹き出すと、ルカは納得がいかないとばかりに言い返した。三人で歩き出せば、夕日を受けた廊下に影が並ぶ。
明日、エアシルが先生に相談する時には、自分も必要なら話をしよう。マーレンの気持ちは分からなくても、エアシルを大切にしていることは確かだった。
昨日、リゼットと話したことを思い出す。知らないことは少しずつ知ればいい。名前や家柄だけで相手を決めつけるのは、もう嫌だった。
「アカメ、さっきから考え事してないか?」
「……ちょっとね」
「腹減った?」
「お前と一緒にするなよ」
「何だよ! 俺だって考え事くらいするぞ!」
「夕飯のことだろ」
「……何で分かった、ヴァル!?」
二人のやり取りに笑いながら、アカメは歩く速さを少し上げた。明日は明日で、きっと新しいことが待っている。だから今は、隣にいる二人と夕飯を食べに行こうと思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
第21話「貧乏神」は、エアシルの過去と、彼女を支えてきた家族やマーレンとの絆を描いたお話でした。
誰かにとっては何でもないものでも、別の誰かにとっては、かけがえのない宝物だったりします。
そして、生まれや家柄、授かったジョブだけでは、その人の本当の価値は決められない。そんな思いも込めてみました。
アカメとエアシル、そしてマーレン。今回の出来事が、三人の関係にどんな変化をもたらすのか、これからも見守っていただけると嬉しいです。
次回もよろしくお願いします!




