38 - 想定外の一歩
「君は、いつも思うが危機感が足りていない」
そう言った彼は、少し空いていた距離を一歩で詰めた。
驚き下がると、その分また詰められた。
また下がると詰められ、そのまま家の壁へと追いやられる形になってしまった。
見上げると視線が絡み、伸びてきた指が髪を耳にそっとかける。
少しの間そのままでいると、彼はもう一度「危機感が足りない」と言って離れた。
〈……あ〉
「ん?」
今、かもしれない。
彼を引き止めるように聞いた。
〈……今日は、しないんですか?〉
何をとは聞かずに目を細める彼を見つめる。
〈少し期待したんですけど〉
甘えることは悪いことじゃない。
〈私は慣れてないので、出来ればそちらからして欲しい、です〉
頼ることも大事。
〈お仕事中ですし、難しいですか?〉
後は一歩、踏み出すだけ。
「……くそっ」
少しの逡巡の後、彼にしては珍しい少し雑な言葉使いをしながらも、私のお願いを聞いてくれた。
今私の隣には片手で目元を覆い「やってしまった」「流された」とぶつぶつ言っている人がいる。
何処か満たされた気持ちでそれを横目に見ると、森へと入る。
あの後直ぐに森へと向かおうと言う私に何処か怪訝な表情で頷いた彼は、歩いているうちに本来の目的を思い出したらしく、反省しているらしい。
真面目な彼らしいと思った。
森の周りは確かに人がよく訪れたような痕跡がぽつぽつと見られたが、今はその人影らしきものはなく、そのまま中へと入ってみた。
少し歩くと奥の茂みが揺れ、私の半歩前に立ったアルヴィン様が警戒するが、私は慣れ親しんだ気配に気が緩む。
そのままゆっくりと姿を現したアイビーは私たちを見ると、着いてこいとばかりに背を向け尻尾を振り歩き出した。
森の中は、普段と変わりない様だった。
やはりここまで来ることは難しいのだろう。
木々の隙間から差し込む日差しに、何処かキラキラとして見える澄んだ空気。
「……凄いな。この森にこれほど深く入ったのは初めてだ。とても、美しいのだな」
何度も訪れている私でさえ思うのだから、初めて来るアルヴィン様は殊更そう思うのだろう。
よく一緒に過ごしていた少し開けた場所に出ると、アイビーはいつものように寝転ぶ。
私もそれにもたれるように側に座ると、二人(一人と一匹)でアルヴィン様を見る。
戸惑いつつも私と向き合う形で腰を下ろした彼に、アイビーが鼻を鳴らした。
いつも私たちだけだった場所に、今はもう一人いる。
そんな違和感がくすぐったくて、少し心地よかった。
特に何をするでもなくぼーっとしていたが、アイビーに尻尾で合図され立ち上がる。
〈少し心配していたけれど、何も変わりなさそうで安心したわ。アイビーも無事そうだし〉
その言葉に心配いらないとばかりに頭を擦り付けてくるアイビーを撫で、戻る事を伝える。
〈きっと騒がしいのは今だけでしょうけど、無理しないでね。夜にアイビーがいないのは、寂しいわ〉
優しく目を細める彼女に背中を押され、この日はそのままアルヴィン様と森をでた。
◇◆◇
森での余韻に浸るように静かに歩いていた私たちだったが、門を潜りにぎやかな街へと近づくにつれそれも徐々に薄れる。
〈後は、お使いをして戻るだけですね〉
そう、私と彼はそれぞれ主人に頼み事をされている。
私はレティにお菓子を頼まれ、彼は殿下に何処かの商会へ荷物の受け取りを頼まれている。
門から乗っていた馬車を街中で降り、歩いていると彼に集まる視線の多さに驚く。
整った顔立ちに、体格のいい長身とそれに見合った騎士の制服。
なるほど、とても目立つ。
様々な視線を受けつつも慣れたものなのか何も動じた様子の彼に、少しの尊敬を向けながら隣を歩く。
その後私は無事にレティに頼まれたお菓子を買い、別の店でアルヴィン様も綺麗に包装された小包を受け取っていた。
それを少し離れて待っている間、ショーケースにある綺麗な黄色をした小粒な石の耳飾りが目についた。
そんなに見つめていたつもりは無かったのだが、それにアルヴィン様も気づいたらしい。
「店主、これも包んでもらえるだろうか」
〈……え?〉
「……気に入ったのだろう?」
〈確かに綺麗だなとは思いましたが、欲しいとは……〉
「いらない?」
〈いらない訳じゃないですけど……〉
「それなら問題ないな」
私の声は聞こえないので、周りからはアルヴィン様が一人で喋り続けている様に見えてしまう。
「店主、よろしく頼む」
「はい、少々お待ち下さい」
それに気を取られているうちに、ご購入となった。
帰りの馬車の中、その包みを受け取った。
小粒ではあったが、あれは宝石だ。
気楽に受け取るには少し高価な贈り物に戸惑う私に、彼は言った。
「……誕生日、だったのだろう?」
〈! ご存知だったんですか?〉
「昨日殿下に聞いた。恐らくヴィオレット嬢からの手紙に書いてあったのだろう。しかし、流石に用意する時間は無くてな。最初から、あの店で何か選んで貰おうと思っていた。良いものが見つかって良かった」
そう言って目元を少し和らげる彼を前に、レティの満面の笑みが頭に浮かんだ。
誕生日の贈り物と聞いては、これ以上遠慮するのも逆に失礼に感じ、素直に受け取ることにした。
目についたのは当然、気になったからだ。
じわじわと嬉しさが湧き上がり、許可を得てから包みを開き小箱の蓋を開ける。
〈……綺麗。ありがとうございます〉
「きっと似合うだろう」
その言葉にもう一歩、踏み込んでみる。
〈付けてくれますか?〉
アルヴィン様は一瞬眉を少し上げたが、私の隣に座り直すと丁寧に一つづつ付けてくれた。
〈どうですか? 似合いますか?」
「……ああ、とても似合う」
〈お揃いですね。ふふっ〉
「ふっ、アイビーか?」
〈アイビーも、でしょうか……〉
そのまま見つめていると、少し困った様な表情のまま、大きな掌がそっと私の目を覆った。
「……見すぎだ」
少し笑ったような声の後、冷たい輝きの瞳とは反対の、優しい温もりが唇に落ちてきた。
「カミール、お帰りなさい! 街はどうだった? 楽しかった!?」
馬車から降りた私たちを元気いっぱい迎えてくれたレティに微笑む。
〈森に行って来たのよ? ふふっ、でも久しぶりの街も楽しかったわ。ありがとう。頼まれていたお菓子も買ってきたわ〉
そこへアルヴィン様がお店で受け取っていた小包を、彼から渡された殿下が近寄ってくる。
「ヴィー、君にプレゼントだ。次会うときに使ってくれると嬉しい」
「まあっ、ありがとうございます!」
「カミールも……ふっ、無事に受け取ったみたいだな。私からは城の料理人が作った菓子を預けてある。また皆で食べるといい」
〈はい、ありがとうございます〉
私の耳元を確認した殿下の言葉にお礼を言い、そのままお城へと戻って行くお二人を全員で見送った。
その後興奮したレティに今日の事を聞かれたので、私は包み隠さずしっかりと、自分から“甘え“、“頼った“のだと二人に報告した。
「そうだけど、そうじゃない〜っ!! 何か違う!」
「ぶははっ! 一歩踏み出せとは言ったが、一回で踏み出しすぎだろ! にしても、兄貴振り回されてんなぁ……ぶふっ」
窓には優しい満月が、輝いていた。




