29 - 聖獣
早朝シーツを干す時に、裏庭の花壇にあったパンジーの蕾が開いているのを見つけた。
涼しい風が吹き抜けるのを感じて、此処へ来てからの時間の経過の早さに驚く。
今日は以前話していた、お城の魔獣舎にいるはずの聖獣の確認に行くことになった。
やはりどの書類にもそれらしきことは載っておらず、一度魔獣舎を隅々まで確認させてみたものの、聖獣は勿論、書類にない魔獣は見つからなかったらしい。
今回は表向き、お城にある魔獣舎をレティが見学に行くということになっている。
そして同じく少し興味があるということで殿下も同行し、その案内は旦那様が務める。
聖獣がいるかもしれないというのは、他の人にはまだ教えていない。
大事になった後で、やっぱりいなかったでは済ませられないからだ。
私の信用がないとかではなく、やはりそれだけ聖獣が珍しいのだと、レティが説明してくれた。
◇◆◇
お城へ着くとまずは、殿下の執務室へと案内された。
ここで少し、忙しい旦那様を待つようだ。
ソファーに向き合う形で座るレティと殿下。
それぞれの後ろに立つ私とフィリップ、そしてアルヴィン様。
何も可笑しなことはないのだが、少し居心地が悪い。
「なんか、兄貴すげーこっち見てない?」
そんな時に隣から聞こえた囁き声に頷きを返す。
そう、なんだか凄く視線が刺さるのだ。
〈フィリップ何かしたの?〉
「え、俺? カミールだろ?」
〈私は何もしてないもの。フィリップでしょう〉
「俺だって何もしてねーよ。そもそも怒ってるとかじゃなさそうだよな。何か、観察されてる?」
〈何でフィリップを観察するのよ〉
「知らないけど。って、だから俺じゃないっ」
二人でこそこそとしたやり取りを続けていると、なんとなく冷ややかな空気を感じた。
なんとも言えない雰囲気にフィリップと二人黙り込むと、殿下のものと思われる噛み殺した笑いが漏れ聞こえ、空気が緩んだ。
不思議そうなレティ、肩が震え下を向いている殿下。そしてアルヴィン様へと視線を移すと、眉間の皺は凄いが目を閉じていて、何かを我慢しているような感じだった。
「え? そういうこと? まじかよ、勘弁してくれ」
〈なんの話?〉
「なんでもない。取り敢えず、お前は俺に近づかないでくれ」
〈はぁ?〉
フィリップからの理不尽な要求は意味が分からなかったが、男性陣には何か通じるものがあったのだろう。
それから少し経つと旦那様が現れ、あまり時間がないのかすぐさま魔獣舎へと移動する。
以前シーラに案内して貰った道を歩く。
今回は一緒にいる人達のお陰で、とても目立つ移動となった。
魔獣舎の入り口に立つ兵士はかなり緊張しているようで、なんだか凄く可哀想に思えてしまうほど。
いくら先にお触れがあったとしても、突然こんな偉い人達に会うのは嫌だと思う。
そう考える余裕のある私は、少しこの状況に慣れてきているのかもしれない。
なんだかんだで、あれからもう半年が過ぎようとしている。
「さて、中に入った訳だが……。どうだカミール、居るのか?」
〈はい、確かにいます。あら? こちらに近づいてきていますね〉
やはり前回同様、聖獣の気配は感じた。だが今回は何処か浮かれたような、嬉しそうな気持ちが凄く強い気がした。
少しすると羽ばたきの音が聞こえ、視線を向けると——
〈フィリ。こんにちわ〉
「フィリ! 久しぶりね。元気にしていた?」
「「……」」
「……ちょっと、普通に会話始めないでくれますかねえ?」
シーラの契約獣のフィリが来て、フィリップの肩に止まった。
立派な鉤爪にフィリップは恐々としているが、フィリはちゃんとマントの留め金の上にいるし、力を入れ過ぎないようにして止まっている。
「あら? フィリ、あなた背中に何か付いているわよ?」
そう言いながらレティが覗き込むと、ピンク色の細長いものが飛びかかってきた。
悲鳴をあげるレティと、剣に手を伸ばす三人。
私は急いでレティとレティの肩に乗ったものを自分の後ろへと隠す様に立ち、両腕を横へ広げた。
場所が良かった。
私が間に立っていなければ、今頃真っ二つになっていただろう。いや、三人いるからもっと細切れだったかもしれない。
〈ふぅ。落ち着いて下さい、あの子に害意はありません〉
「あの子?」
怪しげに聞いてくる殿下に頷き、一拍挟んだことで大丈夫だろうと思い横へとずれ、レティが見える様にする。
そこには悲鳴をあげた時にしゃがんだレティと、その肩に乗るピンク色をした小さなヘビ。
そしてそれは必死にレティの頬へと自分の頭を擦り付け、尻尾はブンブン振られている。
どう見てもレティに対して好意的だ。
突然のことにレティはしゃがんだまま固まっており、他の人たちもここで漸く抜きかけた剣を仕舞いながらも、困惑している様だった。
「これは、どういうことだ?」
〈……さあ? ただ、この聖獣はレティがお気に入りのようです〉
「そうなのか。…………もう一度頼む」
〈この聖獣はレティを大変気に入っているようです〉
「これが、聖獣……?」
〈はい。こちらに近づいていると、最初に言いましたよ?〉
全員唖然とした顔でレティとピンクのヘビを見つめていた。
◇◆◇
場所は再び殿下の執務室へと戻ってきた。
しかし今度は先程と違い、全員が席についている。
そして正面に座るレティの掌の上には、彼女を見上げご機嫌に尻尾を振るピンク色のヘビ。いや、聖獣。
「なんだかいまいち状況を飲み込めないのだが、ヴィーの持つそのヘビ、本当に聖獣で間違いないのか……?」
〈はい、間違いありません。証拠は……そうですね、フィリップ少し剣を貸して貰える?〉
「は? ……何で?」
右隣にいたフィリップにお願いするも、怪訝な表情を向けられたので、半ば無理矢理剣を借りると、半分ほど鞘から引き出し、そこへ腕を押し当て少しずらす。
思いの外切れ味がよくパックリといってしまい血が溢れ出す。
少し焦ったが、それ以上に周りが騒がしかった。
「きゃぁっ! カミール!?」
「ちょい! 俺の剣でなにしてんの!?」
「「!」」
レティは悲鳴を上げて立ち上がり、フィリップには剣を取り上げられた上に怒られる。
左側に座っていたアルヴィン様に素早く腕を取られ、ハンカチを当て止血される。
殿下と旦那様は何か理由があると理解しているらしく、最初は驚いていたが今は呆れた視線を隠さず向けてくる。
その視線から逃げるように、レティが立ち上がった拍子に飛ばされたのか、テーブルへと落ちた聖獣へ視線を向ける。
目が合うと何をして欲しいか分かったらしく、小さな頭が頷いたように見えた。
そして腕に暖かな光が集まる。
全員の視線が私の腕へと移り、そして光は直ぐに消えた。
恐る恐るといった感じにアルヴィン様が押さえていたハンカチを退かすと、そこには傷跡も何もない普通の腕があった。
「……癒しの光。アルには扱えないし、ヴィーがやるには触れていなかった。聖獣に癒しの力があるというのは本当だったのか……」
「まさかこの目で見ることが出来るとは……」
殿下と旦那様の言葉に再び視線はピンクのヘビへ。
神獣様とそれに次ぐ聖獣には、癒しの力があると言われていた。
そのため今ので聖獣だと、信じてくれたようだ。
「いや、いくら証明するにしてもだぞ? いきなり剣で腕を斬るのはどうかと思う」
〈少しだけのつもりだったのに、あんなに斬れるなんて私も驚いたわ。痛かった……〉
「なんだよ、俺が悪いみたいに言うなよ。剣の手入れは騎士の基本だ〉
呆れた表情のフィリップだが、視線はチラチラと違うところを向く。
私も少し気になっている。
アルヴィン様は未だ私の腕を掴んだままのため、距離が近い。
「驚かさないでくれ、心臓に悪い」
どうしようかと思っている時に、腕をそっと下ろしながら顔を寄せ、耳元で囁かれたその言葉こそ心臓に悪いと、席に戻る彼を見つめながら思う。
そして私も意味無く座り直しながら、近くにあった何か言いたげなフィリップの足をさりげなく踏んでおく。
間抜けな彼の声で気持ちは少し落ち着いた。
レティに少し怒られた後、再び彼女の掌に収まった聖獣の話に戻る。
「聖獣としてではなく、魔獣としてもこのピンクのヘビが城の魔獣舎に来た記録はないんだな?」
「間違いありません。この様な奇抜な色ですから、かなり目立つと思うのですが……。先程の様に何か違う魔獣にくっついてきてしまったのかもしれません。長毛種ですと埋もれてしまい分かりにくそうですから」
「そうなるか……。所で、何故あんなにもヴィーに懐いているんだ?」
「そこは私も不思議に思っているのです。昔うちで預かった魔獣の中に混ざっていたのでしょうか?」
殿下と旦那様が喋るなか、レティは何かを考えているのかじっと自分の掌に乗る聖獣を見つめている。
普通はヘビなど令嬢は嫌がりそうな生き物だが、邸にある魔獣舎の色々な生き物で慣れているのかレティは何とも思っていない様だった。
「何だか、私このこを見たことある気がするわ……」
「ヴィー、それは本当か?」
「はい。何処で見たのか、いつ見たのかは思い出せないのですが……」
レティの話を聞いて、なんとなく思ったことを聞いてみる。
〈聖獣は、魔獣のように契約することは出来ないのですか?〉
すると皆が驚いたようにこちらを見る。
「ヴィーと契約させるつもりか? それは……、いや、いいかもしれないが、出来るのか?」
殿下に釣られるように、今度は旦那様に視線が集まる。
「そうですね、聖獣と契約したというのは資料には残っていません。そもそも姿を見かけることが稀でしたので、その段階へと至らなかったのだと思います」
〈でしたらやってみてはどうでしょう? この通り、凄く懐いていますし〉
「でもカミール、私は……」
〈ずっと気になっていたんです、レティが契約出来ない理由が。旦那様は二重契約の時の拒否反応に似ていると仰ったそうですが、相手はこのこなのではないでしょうか?〉
「何故、そう思うんだい?」
〈……僅かですが、魔力の繋がりがある気がします。今までは離れていて分からなかったのでしょうが、こうして見ると感じるのです〉
「なんだって……!?」
〈レティも昔会った記憶がある様ですし、聖獣ですから何か別の条件や契約方法があったりして、今は仮契約のようになっているのではないかと考えたのですが……〉
私の言葉に少し考え込んだ旦那様は、殿下へと視線を向ける。
そして殿下が頷くと部屋の隅へと控えていた秘書を呼び、必要な道具を用意するよう伝える。
道具と言っても特殊なインクと、描くための筆くらいなので直ぐに持ち込まれた。
その様子を不安そうに見つめるレティに声をかける。
〈レティ、この子と契約するのは嫌?〉
「そんなことないわ! ただ、今まで何回やっても失敗してきているから……」
〈心配なのね? 大丈夫、この子はあなたをずっと待っていたみたいだから。信じてあげて?〉
頷いたレティが、それでも遠慮がちに隣に座る旦那様へと手を差し出すと、優しく微笑んだ旦那様が手の甲へとするする魔法陣を描いていく。
そして皆が見守る中、その手を聖獣へ向けると、小さい頭が魔法陣へと触れた。
すると淡い発光とともに文字や紋様が少し浮き上がり、一列になるように手首に上がっていく。
皆が緊張して見守る中、ぐるりと巻きつきそこで一度強く光り、消える。
魔法陣は……そのまま定着した。
ガラスの割れるような音は聞こえなかった。




