26 - ミモザとカミール
今日は久しぶりに森へ行くことになった。
旦那様にお休みを頂けないか相談をしようとしたところ、すでに殿下より話が行っていたらしく、休みではなく仕事として森へ行くことになった。
レティは今日は奥様と一緒に過ごすらしく、エドラさんもいるとのことで、安心して屋敷を出てきた。
屋敷から馬車を出してくれたものの、やはり立派な馬車は目立つので貴族街を抜けた所で降ろしてもらい、久しぶりに一人で街中を歩いた。
変わらない街並みの中、以前と違うのはフードを被っていない私だ。
人との関わりが面倒で、それを避けられるならと髪色と瞳をフードを深く被ることでなるべく隠してきた。
しかし母以外にもこの色を綺麗だと言ってくれた人が増えただけで少し誇らしくなり、隠している事がバカらしくなった。
私は案外単純な人間なのかもしれない。
それに私の気にしすぎだったのか、思うほど視線も感じない。
そもそも髪色自体は特に珍しくないのだ。人の顔をジロジロと見ない限り瞳の色はそう分からない。
案外街中に馴染むのは簡単だったのかもしれない。
◇◆◇
森へとやってくるとアイビーが待ち構えており、懐かしい光景に頬が緩む。
今では毎日のように会っているものの、やはり森で会うのとは違う。
そのまま一緒に奥へ奥へと進んでいくと、濃い森の香りとともに澄んだ魔力を感じる様になる。
途中まではアイビーのお陰で魔獣は寄って来ないが、この辺りまでくるとそもそも魔獣はいない。
何か理由があるのだろうが、アイビーは普通に居るので更によく分からない。
そして一つの古い建物に入り、以前見つけた書物を手に取る。
それは色褪せており、所々字が滲み読めそうにないところもある。
千切れそうなものもあるので丁寧に鞄の中へと仕舞った。
これらが無事なのは建物も含めて恐らく保護の魔法のようなものがかけられているのだろう。
私は魔法に詳しくないためよく分からないが、そのようなものがあると聞いたことがあるし、他に理由は無さそうに思える。
そういった点から考えても、本来ならば殿下や専門家の人が実際この場に来た方がいいのだろうが、こればかりは仕方がない。
彼等はきっと、ここを荒らされたくないのだろう。
他は古いだけで特に珍しい物は見当たらないので、埃っぽい場所を出て外で寝転んでいたアイビーの側へと私も座る。
空を見上げ深く息を吸って吐く。
お屋敷での生活は不自由もなく、みんないい人ばかりで楽しいが、やはり長年通ったこの場所は落ち着くものがあり、久しぶりに一人と一匹でゆっくりとした時間を楽しんだ。
いつの間にか寝ていたらしく、慌てて飛び起きる。
こんな森の中で呑気に一人昼寝が出来るのはきっと私くらいだろう。
だが今日はゆっくりしてきていいとも言われているので、孤児院へと行き母に会うつもりだった。少し聞きたいこともある。
昼寝のせいで少しばかり予定がずれたが、まだ時間はある。
もう一度鞄の中へと入れた書物を確かめ、名残り惜しく思いつつも森を出た。
アイビーとは一旦ここでお別れだ。
◇◆◇
孤児院では母にいつもの様に温かく迎えられた。
今日は予め母と話がしたいと伝えていたため、姉二人が手伝いに来ていた。
二人にも挨拶をしてお土産を渡すと、母と奥の部屋へ行き、今までのことを簡単に話せる範囲で話した。
「心配していたけれど、大丈夫そうね。前よりもいい顔をしてるわ」
〈そんなに顔にでてるの? カザルムさんにも似たような事を言われたわ〉
「小さい頃からずっと見てきたのよ? それくらいのことすぐに分かるわ。カザルムさんも付き合いが長いし、何より彼は商人として人の顔色を読む事には優れているから」
納得の頷きを返しながらも、今が聞くタイミングだと思った。
〈公爵家で奥様、カリン様にお会いした時に、気になることを聞いたの〉
「カリンに? 何かしら」
〈ミモザさんが孤児院で働くきっかけは、私を見つけたからで、……今笑えているのも私のおかげって〉
「……ふふ、懐かしいわ」
〈?〉
「そうね……。あの時の私は、もう死んでもいいって思っていたの」
その言葉に驚いて思わずカップを倒し、紅茶を溢してしまった。
「あら、大丈夫? 突然すぎたかしら。昔の話であって、今はそんな事全く思っていないから安心してちょうだい」
そう言って笑いながら私の溢した紅茶を綺麗にする母を、私はただ眺めていた。
いつも温かく私たちを見守ってくれていた母が、そんな考えを一度でもしていたことが衝撃だった。
この話を続けることでまたその気持ちを思い出させてしまうのではないかと、少し怖くなった。
しかしそんな私の気持ちをよそに、下を向いたまま母は続けた。
「貴族の女性として生まれて来た以上、やはり子を産めないというのは好ましくなくてね。父も母も私には何も言わなかったけれど、外では色々言われたと思うわ。家の為の結婚、後継を産む事は当然求められるから。勿論そんな私に縁談なんて来なかったわ」
〈……〉
「……でもそんな私にも好きな人が出来たの。そして幸運なことに相手も同じ気持ちだと知った。でも彼は一人息子で、彼との間に子を生せない私には望めない恋だということも知ったわ。幸せから一転、暗闇に落とされた気分だった」
顔は見えないけれど、それでも伝わる母の苦しみに胸が痛くなった。
「たかが恋愛でって思うかもしれないけれど、今まで陰で言われていたことも気にしないようにしていただけで、実際はやっぱり辛かったみたい。今までの分も合わさった悲しみが一気にきて、耐えきれなくて一人北の森へ行ったわ。消えて居なくなってしまいたかったの」
そこで顔を上げた母と視線が合う。
「そしてカミール、あなたに会った」
〈……私に?〉
「そうよ。森に入って適当に歩いていたら不安定な魔力の揺れを感じて、何かに導かれる様にして着いた先で、あなたは一人布に包まれて泣いていた。その時から声は出ていなかったけれど、大きく口を開けて手足も頑張ってバタバタさせていて。ふふっ、凄い暴れっぷりだったわ」
昔の、それも赤ん坊の頃の話なのに、泣いた記憶があまりないからか恥ずかしくなってくる。
「一切声が聞こえないのを見て、なにか問題を抱えているのはすぐに分かったわ。でもあなたは必死に生きようとしていて、偶然か必然か私と出会った。こんな小さな子が生きるために頑張っているのに、私は何をしているんだろうって思ったら何だか泣けてきて、あなたを抱きしめながら私も一緒になって声をあげて泣いたわ。あんなに泣いたのはあの時が最初で最後ね」
そう言った母は少し恥ずかしそうに微笑むと布巾を片付け、私の隣に腰掛けた。
「気づいたらあなたは泣きやんでいて、お腹が空いていたのか私の指を必死に吸っていたわ。それを見て森へきた理由なんてすっかり忘れて、急いで家に向かって走ったの。途中で家に赤ん坊が飲むミルクなんてないことに気付いて、狼狽える私に孤児院の前の院長さんが声をかけてくれて」
私が小さい頃にもう一人居たのはなんとなく知っていたが、私は母にべったりだったらしいのであまり記憶に残っていない。
「やり方を教えて貰って作ったミルクを、私の手から一生懸命に飲むあなたは本当に可愛かったわ。それと同時に、二度と私はこの気持ちを味わえないだろう事に悲しくもなった。でも、ここに預けて帰ろうとする私に、あなたはまた泣き出して。私が抱くと泣き止むものだから、院長さんが笑いながら“あなたをお母さんだと思ってるのかしらね?“って言ったの。それで気づいたわ。別に自分で産めなくても、育てることは出来る。私を母だと思っている、あなたの母になろうって」
それからの母の行動は早かったという。
なんなら沢山の子の母になろうと考えた母は、孤児院の手伝いを申し出るとそのまま私を抱いたまま家へと帰り、驚き狼狽える家族を前に家を出て孤児院で働くことを伝えたらしい。
当然反対され、なんなら私を養子にすればいいとまで言われたらしいが、これ以上迷惑はかけられないと、母は家を出ることを強く望んだ。
話し合いは何日も続いたが、譲らない母に家族の方が折れ、何かあれば絶対に相談する事、無理をしない事、貴族籍を抜けたとしても家族であることは変わらないと、何度も念を押されつつも無事孤児院で働くことが決まったらしい。
この時点まで何も知らされていなかった当時の院長はとても驚いたらしいが、優しく迎えてくれたとのこと。
「家を出るなんて強く言ったものの、なんだかんだ実家には沢山助けて貰ったわ。……まあ、それは今もね。本当に沢山の人に助けて貰った。カリンもその内の一人なのよ。独りで悩んで相談もせずに勝手に色々決めたことに最初は怒っていたけれど、彼女、優しいでしょう? 元気になって良かったって、私の顔を見て急に泣き出すものだから……ふふふ。それを見て笑ってしまって、また怒られたわ」
当時を思い出しているのか、楽しそうに笑う母につられて私も頬が緩む。
その後も奥様との話や、ここで働き始めたばかりの頃の、慣れないことばかりで苦労したという話をたくさん聞いた。
その話の間中母はずっと笑顔で、苦労の中にも幸せがあったのが分かった。
気付けばだいぶ日が落ちて来ており、遅くなる前に帰ることにした。
最後に気になっていた事を戸惑いつつも聞いた。
〈……こんなこと聞いてもいいのか分からないけれど、好きだった人とはどうなったの?〉
「そうね〜、彼には特に何も言わずにここへ来て、その後も連絡は全く取っていなかったの。何年かしてから可愛い奥さんを貰って、子供にも恵まれたって話を聞いたわ。その後奥さんは残念なことに早くに亡くなってしまったけれど、男手一つで立派に子供たちを育てあげた。本当に凄いと思うわ」
落ち着いた表情で話すその言葉に、今はもう何とも思っていないのかと考えたが、やけに詳しく、それに何処か既視感のある話に首を傾げた。
「本当に、自分も大変だったのに孤児院のことも気にかけてくれて、今でも凄くお世話になっているから、頭が上がらないわ」
〈……え?〉
「どうかした?」
〈えっと、もしかして、その相手って……〉
「ふふ、みんなには内緒よ?」
口元に人差し指を立て、小首を傾げながら少し恥ずかしそうに笑う母に、そしてその相手に今日一番の衝撃を受けた気がした。
(やっぱり、それってカザルムさん……!)




