25 - 事故と事件
帰り際、何か話している殿下とアルヴィン様の横を通り、レティたちに続き個室を出ようとすると、後ろから腕を引かれ個室に残された。
振り向くと、真剣な表情をしたアルヴィン様がいた。そして何故かウインクを残して去っていく殿下。
再び視線をアルヴィン様へと戻し、どうしたのかを問う前に、左頬に彼の手が触れ驚きに思考が止まる。
そしてそのまま親指が唇に触れ、優しくなぞるので呼吸まで止まった。
「一つ聞きたい。君からすればこの前の夜のことも事故で、気にもならない事なのだろうか?」
〈……〉
「君はヴィオレット嬢の侍女だ。これからも何度か会う相手に対して、多少酔いがあったとはいえ手を出してしまったことを悔いていたんだが……」
最初ならばまだしも、今はとても後悔している様には見えない彼を不思議に思いつつ、小さく深呼吸をしてから答える。
〈あれは、私が誘ったようなものでしたし、アルヴィン様は悪くありません。気にしないで下さい。私こそ軽率でした、すみません〉
「そうだな。君は今日会った時から全く気にした素振りが無かった」
謝罪の言葉は何故か流された。
だがそれよりも、未だ唇の端に触れる指が気になって、話に集中出来ない。
〈それは……もう、忘れていると思っていたので……〉
「それはつまり、君には簡単に忘れられる様なことだったと? 確かに随分慣れているようにも見えたな」
〈え、いえ、別に慣れては——〉
「気に入らない」
その言葉を聞くが早いか指で顎を捉えられ上を向かされる。
視線の先、少し細められた目はいつもより仄暗く感じる金色。
それでも尚、綺麗な瞳に思わず漏れたため息は、そのまま彼に飲み込まれた。
◇◆◇
最近の日課であった夜空を眺めることも、見るものが無ければ意味がない。
夜になり降り始めた雨は、日付が変わった今もまだ降り続いている。
(……今日は楽しかった)
腕を見るとレティとシーラとお揃いで買ったブレスレットが光る。
レティには少し安物だろうけれど、彼女は私達とのお揃いをとても喜んでいた。
シーラも嬉しそうで、二人を見た私も凄く胸が暖かくなった。
初めてのお揃い。まさか自分がこんな普通の女の子みたいなことをするなんて、今まで考えたこともなかった。
それに、そのことをこんなに嬉しいと感じるなんて。
失くさないように大事に仕舞っておきたいけれど、他の人に自慢して回りたい気持ちもある。
レティは殿下ともお互いに贈り物を買ったみたいだし、シーラはフィリップとのお揃いが買えず少し残念そうにしていた。
(みんな楽しそうだった。それに……)
まだ高揚した気分が続いているのか眠れず、休憩室で今日のことを思い出していた。
腕を上げ、ブレスレットを辿り手から指先へと視線が移動したところで、声がした。
「眠れないのか?」
〈少しね。……フィリップも?〉
「俺はまだこの時間は起きてることのが多い」
〈そう。何か飲む?〉
「紅茶頼むわ」
二人分の紅茶を準備しながら静かな雨音に耳を傾け、明け方には止むだろうかと考えていると、少し遠慮がちな声が聞こえた。
「なあ、……この前のあれ、相手はあの人なんだろ」
〈んー、なんのはなし?〉
「誤魔化すなって。あれで気づかない訳ないだろ。……お嬢さんは置いといて」
〈ふふっ、レティは殿下しか目に入ってないから〉
手を動かしながらもどこかはぐらかす様に会話を続ける。
「んで? なに、好きなの?」
〈えぇ? フィリップとその話をするの?〉
「俺だってしたかないよ。けどさー、あの人って貴族じゃん。俺ら庶民とは違う訳で……」
〈フィリップはもう立派な騎士様になったじゃない。もしかして、心配してくれているの?〉
「悪ぃかよ。……身内が昔、貴族に酷い目に合わされたんだよ。あの人がそうって訳じゃないし、むしろいい人だと思う。けどさ、やっぱり貴族との恋愛にいいイメージがないっつうか」
〈だからシーラに応えてあげないの?〉
「……俺のことはいいんだよ」
紅茶を差し出しながら見た彼の表情は、どうやら本当に心配してくれている様で、私も腰を下ろしてしっかり向き合った。
〈私にもよく分からないの。恋愛なんて今まで無縁で、これからもすることなんてないと思ってたから。それに……別に彼とどうにかなりたいとか、思っている訳でもないし〉
「はあ?」
〈素敵な人だなとは思う。容姿も中身も。でも、レティやシーラから聞く恋の話とは違うし。だから今は流れに任せてる感じ。どうなるかは……うーん、私にも分からないわね。彼次第? ふふっ〉
「何をそんな楽しそうに……」
〈うん。なんか少し楽しい〉
「はぁ。……やっぱお前って分かんないわー。けどそれってさ、後から辛くなったりするんじゃないのか?」
〈どうかしら? でも先のことばかり気にしてたら何も出来ないじゃない。慎重になりすぎたら何処にも進めない。そうなるくらいなら私は走るわ。そうすれば何かあっても勢いで意外とどうにでもなるものよ。それに全力で走った後なら、止まった後も案外清々しいかも〉
「あー、そうかい。……何かあったら言えよ」
〈ふふっ、ありがとう。おやすみ〉
紅茶を飲み干し、ぶっきらぼうに言葉を残して去って行く彼は、本当に優しい。
いつもと違ってあの人呼びしていたのも、私と彼のことを客観的に見るため、なんて思ったりもして。
兄なら沢山いたのに、フィリップは本当にお兄ちゃんって感じがする。
自分でもよく分からない考えに思わず一人で笑った。
あの後、残された個室で見つめあっていた私たちだが、私を呼ぶレティの声が聞こえると、無意識に彼の瞳の近くに添えていた私の手を掴んだ彼は、そのまま指先を口許へと寄せた。
指先に走る鈍い痛みの後に聞こえた“これも事故にするのか?”という言葉。
少し、怒っていたように思う。
彼に気遣ったつもりで言った言葉は、少し的外れだったらしい。
結局彼は私の返事を聞くことなく先に部屋を出て行った。
さすがに私もあれを事故とは言えない。
というか、あの夜のことも事故だと思っていないのだけれど、それを話す時間は無かった。
店でのことを思い返し、チラリと見た指先には跡は残っていない。
(また、噛まれた)
今日の事件は当分忘れられそうにない。
少し緩む口元は紅茶のカップで隠した。




