20 - 暗雲
今日の空は生憎の雨模様だが、お屋敷の空気はどことなく明るく忙しない。
それもその筈、今日は奥様が領地からお戻りになる日だ。
旦那様も今日は登城せず、執務室にて仕事をされているようだった。
レティもイリス君と二人してそわそわしているところに、待ちにまった知らせが来た。
「「お母様!」」
「お帰りなさい、お母様。お疲れ様でした」
「お疲れ様でした!」
「あらあら、ただいま二人とも。元気にしていた? イリスは少し背が伸びたかしら? レティはなんだか……綺麗になったわね」
奥様は綺麗な人だった。
とても二人の、しかもレティのような大きな子を持つ人には見えなかったが、二人を見つめるその顔は母親のものだった。
「カリン、戻ったか。今回は大変だったようだね」
「あなた! ただいま戻りました」
そして大変旦那様と仲がよろしいようだ。
お二人の熱い抱擁はしっかりと目に焼きついた。
休息もそこそこに先に領地の話をするという奥様に、レティはこの前言っていたお願いをしていた。
奥様は困った表情をしていたが、意外にも旦那様から許可が下りた。
殿下の婚約者となった今、国のことを知っていくのは悪いことじゃないとのことだった。
私とフィリップも、常にレティと居るだろうからと、情報を共有するために一緒に聞かせて貰うことになった。
執務室に入ると、早速報告が始まった。
私とフィリップは壁際に控えているが、話にはしっかりと耳を澄ました。
やはり今回オルブライト公爵領でも、シーラが言っていたように通常よりも多くの魔獣の被害があったそうだ。
そもそも魔獣とは、魔力の濃い場所で過ごしていたり魔力を沢山含んだものなどを摂取することにより、魔力を持たないもの、もしくは持てる以上の量が体内に入ったことで変質してしまった生き物のことを言うらしい。
人の場合は変質せずに気分を悪くするか、運が悪ければ意識を失いそのまま、ということもある。
その為、本来の生態独自の思考もある程度備えているため、自らが危険だと判断すれば人相手でも襲わないし、襲ったとしても状況が悪くなれば逃げることもある。
しかし、今回オルブライト公爵領では少数ではあったが魔獣の群れが襲って来ると、どんなに仲間がやられても逃げることは無かったという。
そればかりか自らの身体がどれだけ傷ついても尚、襲って来るというものまでいたそうだ。
とにかく魔獣たちはみな異常な程に興奮している様子で、ただならぬ事態にその場の対処を終えたのち調査隊が結成された。
そしてその調査隊が持ち帰ったものは——
奥様が取り出した物を机の上に置く。
箱を開け慎重に取り出した物から異常なほどの不快感を感じて、眉間に皺がよる。
「これなのですが、近くの森の中に落ちていたそうです。これが関係あるのかは分かりませんが、なんだかとても嫌な予感がしましたので、一応結界魔法の掛かった箱に入れこちらに持ち帰りました」
「これは……魔石…か? 確かに良くない物のように思える。城へ持っていき、専門のものに調べて貰おう」
それはとても禍々しい雰囲気の、濁った黒色をした小石のような何かだった。
魔力が何らかの力で固まった物は魔石、魔力を含んだ貴石は魔宝石と呼ばれるが、あれはそのどちらとも違う様な気がした。
それに——
突然、屋敷が騒がしくなった。
全員の意識が扉の方へ向くと、廊下からライリーのものと思われる声が聞こえた。
この部屋に向かって激しく吠えている様だった。
「ライリー? なんだ、どうしたんだ?」
旦那様の合図でフィリップが扉を開けるなり勢いよく部屋へと入ってきたが、入り口付近で唸り声をあげるのみでそれ以上は進まない。
その様子に皆が戸惑いの表情を浮かべる。
取り敢えずライリーに近づき、落ち着かせるためにその背をなでてやりながら、机へと視線を向ける。
〈その石は、直ぐに元の入れ物へと戻した方が良さそうです〉
私の言葉に全員がハッとして机の上に乗る石を見る。
奥様は急いで石を結界魔法のかかった箱へと戻した。
それを確認するとライリーは旦那様の元へと駆け寄っていった。
そしてそんなライリーを撫でながら、恐らく私への質問がきた。
「あの石が原因なのか?」
〈そうだと思います。あの石は人ではなく魔獣に対して何らかの影響を与える様です。魔獣舎の方が気になるので、一応アイビーはそちらに行かせました〉
「何? 魔獣に? それならば——」
旦那様の言葉の途中で、慌てた様子の使用人が魔獣舎の異変を伝えにきた。
だがそちらは既にアイビーが行ったのでもう大丈夫だろう。
旦那様も同じ様に考えたのか魔獣舎は問題ないと伝えると、至急、奥様の使用した箱よりも強固な結界魔法のかかった入れ物の用意を命じた。
石は全部で三つあった。
全てを新しい箱へ収めると、旦那様はそれを持って至急城へと向かった。
ここからは専門家の出番であり、不気味な石については報告待ちとなった。
◇◆◇
その後休まれるかと思った奥様はイリス君を呼んで、三人でのティータイムとなった。
切り替えの速さにレティは最初戸惑っていたが、今は楽しそうに家族の会話に花を咲かせている。
奥様にはお茶会が始まって直ぐに、レティから紹介され改めて挨拶をした。
「あなたがミモザの娘ね? 彼女とは魔法学校で出会って、それ以来仲良しなのよ。あなたの話も何度か聞いていたから、レティの手紙を見た時は驚いたわ。今日会えるのをとても楽しみにしていたの。それと、あなたのおかげで今もミモザは笑えている。感謝しているわ、ありがとう」
〈え?〉
「あら? 聞いていないの? 彼女が孤児院で働くことにしたのはあなたを見つけたから。あなたが、ミモザの一番初めの子よ。でもそうね、詳しくは本人に聞いてちょうだい」
奥様は詳しくは話してくれない様で、優しく笑うのみだった。
母が孤児院で働くきっかけが私で、私は母の一番初めの子。
なんとも言えない気持ちがぐるぐると渦巻いて、それからは気もそぞろに過ごした。
——————
ここは王城の一室。
部屋の主は今日もまた、書庫の奥から持ち出した書物を読んでいた。
そして今また、一つの紙束に手を伸ばす。
それは多くの本の裏に隠れ、ひっそりと存在していた物だった。破損が酷く、表紙がない事から前半部分と思われる部分はない。恐らく今ある分も、抜けているページなどがあるだろう。
書いてある文字も古く、読むのに時間がかかりそうだと後回しにしていたものだ。
それを手に取ったのは偶然か気まぐれか、気分転換にいいと思ったのかもしれない。
その中身を見るまでは……
【今回は“もりびと”について記す
あれから森人が姿を現すことはなく、生き残ったであろう者たちのその後も分からなかった。
そしていつの間にか居なくなっていた彼女も、再び我々の前に姿を見せると、意味深な言葉を残して去って行った。
その背を追いかけ引き止める資格は、私には無かった。
その後彼女の残した言葉の意味や神獣様のことを調べるため書庫の書物を漁り、そこで父上と神殿の者たちが隠していた事実を知り、私たちは愕然とした。
そこには我々が森人と呼んだ彼等のことが記してあった。
下記その文となる。
——王と共にふりし神獣は王の死後、彼のあらぬ国にさうざうしさ感じ森へと帰りき。
それには世話係にて数人が同行申しいでき。
その中には王の末子もありき。
森の生活はゆゆしかりけめど、さるきはの月日立つと森をいで来る者は減り、彼等は森の民となりき。
かくて彼等が森にゐてとばかり、森からの魔獣の被害は減り、おのづから訪るる使者通してありがたき森の恵をくれき。
我らは国の中より、彼等は森の中より国を守ることにせり。
さる彼等をこれよりは守人と呼ぶこととす——
彼等は王国民であり、神獣様の供のものたちだった。
その上、私と同じ初代国王の血を継ぐ者までいたと思われる。
恐らく彼女こそ、王家の血を継ぐ者だったのではないだろうか。
そしてこの事を知っていた父上は、愚かにも自身の地位を奪われると勘繰ったのだろう。
それに気づかず踊らされ、彼らを裏切った我々のなんと間抜けなことか。
彼等は野蛮な森人などではなく、国を守る守人だったのだ!
やはり、私たちは見限られてしまったのかもしれない。
神獣様が眠りについたとされてから三十年程が経つ。
未だ姿は見ていない。
はたして、彼の方が目覚めた時、我々はまだ加護を与えるに相応しいと思って頂けるのだろうか。
彼女は言った。
神獣様が眠りについた今、加護も徐々に薄れゆくと。血が途絶える前に新たな——】
「これは……」
「どうした?」
「恐らく昔の王が残した手記だ」
手渡された冊子を読み、言葉に詰まる男。
「……っ!」
「肝心な所で紙が破れている……。だがこれで分かった。奴等はこれを見たんだ」
「神殿にも同じ物があったと?」
「これが原本の様だが、昔は今よりも神殿との繋がりは深かった。ここでこれを読んだ誰かが複写して、向こうに持ち込んでいてもおかしくはない」
「なら最近の彼等の行動は……」
「あの言葉からして、我々に変わり新しく加護を得るつもりなのだろう。ここに書かれた彼女、その血縁者を探しているのか。或いはすでに見つけたか」
「新しく加護を授かるなんて、そんなこと出来るのか?」
「そこなんだよな……。神獣様は深い眠りについているようだし、何かを知っているのか。こうなってくると、カミールの存在も何か意味があるのかと疑いたくなるな」
「それは……」
「はぁ、分からないことばかりだな」
「……そもそも、その本は正しいのか?」
「それも分からん。だが、これを見る限り私たちの知る歴史とはかなりの食い違いがありそうだ。この彼女が誰なのか、そして裏切りについても詳しく知りたい。これの破れた部分が必要だな。明日からはそれを探すぞ」
「分かった」
分厚い雲から落ちる雫は、激しさを増した。




