15 - クロイユリ
シーラは本当に彼が苦手らしく少し私との距離が近くなり、表情も消え、身体にも力が入ったように見えた。
しかし此方に向かってくる彼に恐らく私に用があるのだろうなと思い、彼女の態度に内心苦笑いしながら彼に言葉をかける。
〈どうかされましたか?〉
「殿下が少し話たいことがあるそうで、部屋を用意したので案内も兼ねて迎えに」
〈私に話ですか? レティは一緒にいるんでしょうか?〉
彼はシーラを一視すると私に近づき、それに合わせてシーラは下がった。
「ヴィオレット嬢はまだ王妃様のところにいます。しかし後で合流予定なので問題ないかと」
そして声を落とした少し早口で言われた内容に思わず眉が寄るが、なんとなく予想もできていたので、溜め息を飲み込んで了承の頷きを返した。
シーラにはいままでの案内のお礼と、レバンについてまた必ず連絡すると約束して別れた。
長い回廊を彼の後ろを歩きながら、これからのことを思い少し憂鬱になる。
いずれこのようなことが訪れるかもしれないとは思っていたが、まさかこんなに早いとは思わなかった。
いや、敢えてそうしたのかも知れない。
私に対して気を使ったり、余裕を与える必要はないだろう。
それでも私に後ろ暗いことはないし、隠すこともないのだから堂々としていればいいのだけれど、流石に少し緊張はする。
なんだかアイビーに会いたいと、似た色彩を持つ彼の後ろ姿を見ていると、突然振り返った彼に驚く。
「何も聞かないのだな」
〈……え?〉
反応が遅れたことに声が届かなかったと思ったのか、彼は隣に並んで歩き出した。
いつの間にか、周りに人の気配はない。
「急な呼び出しに何も思わないのかと」
〈大凡の……予想はついてますから〉
「なるほど」
〈でも、少し緊張はしますね〉
「……そうは見えないが」
〈ふふ、良く言われます。フィリップにも図太さは尊敬するって言われました〉
「それは……」
〈ふふふ〉
最初の頃フィリップの印象は最悪で、よく睨みつけていた気がする。
それが今では異性ではあるが、気の置けない友人の様になりつつあるから不思議なものだ。
そんなことを考えて、さらに口角の上がった私を不思議そうに見るアルヴィン様。
気遣いからか偶然か、無意識に入っていた力が抜けた様な気がしてお礼を言った。
彼は少し困惑したようにも見えたが、私のその後の足取りは軽かった。
やがて一つの部屋へと辿り着き、彼に続いて部屋へと入る。
そこは広くも狭くもなく、真ん中にソファーとテーブルの応接セットのみがある。
薄暗い部屋に落ちる私の影は、小さく薄い。これはどう反応するべきか。
部屋へ入った私たちと入れ替わる様に、殿下の側にいた騎士たちが出て行く。
部屋には三人だけになった。
「取り敢えず座ってくれ。あぁ、レバンはそこにあるケージの中へ。少し窮屈な思いをさせるが、抱えたままでは落ち着いて話が出来ないからな」
言われた通り、部屋の隅に置かれていたケージにレバンを入れる。
嫌がったが、少しだけだとお願いすると大人しくしてくれた。
「話には聞いたが、本当に魔獣に好かれるのだな。公爵の契約獣も君には懐いているとか」
〈そうですね、ありがたいことに〉
「そう固くなるな。ほら、座ってくれ」
やはりいざ殿下を前にすると少し固くなる体に、細くため息を吐き出しながら指定された向かいのソファーに座る。
「色々と話をしてみたいが時間が限られているからな、早速だが本題に入らせて貰う」
膝の上、重ねた手のひらに力が入る。
「脱いでくれ」
〈は?〉
「ふっ、くくっ、くっ。ははは! 聞いたかアル! 今までにない反応の速さだったぞ!」
「当然でしょう。私も同じ反応をしましたよ」
「くくっ、そうか? ……カミール、君がここで素直に脱ぐようなら、問答無用でヴィーとは引き離して何処か遠くにでもやっていたところだ」
〈? はあ〉
「それがまさか、そんな顔をされるとはな。仮にも王子に言われたのだぞ? 脱がなくともせめてもう少し困ったり、悩んだり照れたりくらいはするかと思ったが……」
なんだか楽しそうに笑っている殿下を見て、先程の言葉が冗談だと分かる。
思わず汚いものを見る様な目を向けてしまったが、何故か楽しそうなので少し引いた。
「殿下、時間がありませんので」
「ああ、そうだった。彼女の所為で無駄な時間を使ってしまったな」
その言葉に少し呆れて、思わずため息が出た。
「お? 大分気安い雰囲気になったものだ」
〈今からならどんな態度を取ろうと、レティの傍には居させて貰えそうなので〉
「成程? 先程の言葉を良い様に取ったか。まあいい。君はヴィーとはまだ付き合いは短いだろう、何故そこまで彼女の傍を望む?」
その質問に、少し前のことを思い出した。
〈私、可愛いものが好きなんです。レティはいつも明るく元気で、とても素直。そんな可愛らしい彼女の傍は暖かくて、居心地がいいんです〉
「……それが理由か?」
質問の答えが不服なのか、怪訝な顔で見てくる殿下に内心苦笑いする。
この理由だけでは納得してくれないらしい。
〈そちらは後付けの様なものです。ただ、私もよく分からないんです。何故か初めて会った時から彼女には惹かれるものがありました。……でもそうですね、レティは、初めて私を必要としてくれた人でした。私が必要とする前に、彼女が私を求めてくれた〉
私のことを大切にしてくれる母も、私の側で温もりをくれるアイビーも、最初に必要としたのは、求めたのは私だ。
でも彼女は——
“またこうして会って、私の話を聞いて貰えないかしら?”
「最初にヴィーが君を必要とした、ね。では、彼女に会ったのは偶然だったと?」
〈もちろんです。私は貴族の方にはなるべく関わらないようにしていましたから。育ての母にも厳しく言われていましたし〉
「育ての母、ミモザ殿か。確かカッセル伯爵の妹御だったな」
〈偶然が二度も続けば怪しく思うのも分かりますが……〉
自分でも思っていたことなので伝えると、殿下は苦笑いを浮かべていた。
〈……結局のところこれですよね、聞きたい事は〉
なんだかだんだん面倒になってきたこともあり、横を向くように座り直すと投げ遣り気味にここでもスカートの裾を捲った。二度目ともなると戸惑いはない。レティもいないので怒られる心配もない。
丁度紅茶を口に運んでいた殿下は変なところに入ったのか咽せており、失礼ながら少し気分が晴れた。
その後ろに立つ人は固まっていたけれど。
「んんっ、君は良く分からないな。さっきは嫌がっていた様なのに」
〈突然脱げと言われれば相手の正気を疑うのも当然かと。それに、一度公爵家でも同じことをしましたので今更かなと〉
「公爵の前でもしたのか! 本当に物怖じしないな。不敬と取られると思わないのか?」
公爵様の時は少し気が動転していた気がするので深く考えていなかった気がする。
今、笑いながらこちらの様子を窺う殿下には——
〈体にこんなものがある時点で、私の場合は手遅れな気がするので〉
ヤケクソだろうか。
この国には神獣に纏わる嘘か本当か分からない話がいくつかあるが、その中でも本当の話として知られているものがある。
それは、昔神獣から加護を授かったとされる王の、直系の王族にのみ現れるという百合を象った痣。
体の何処かに現れるというその百合は、王家の紋章としても使われており、以前はその誇らしくも高貴な痣を支障のない限り曝すのが当然だったらしく、貴族の間では有名な話だった。
そして私の右脚、太腿の外側には百合の花を象った痣がある。
しかし王族に現れるものは白い百合に対し、何故か私のは黒い百合だった。
ただでさえ百合の痣というありえないものがあるのに、真っ黒。偏見かもしれないが、白に比べて黒は良くないイメージが強い。
見る者によっては、王家の加護への冒涜だと取られてもおかしくはない。
当然自ら彫ったものではなく生まれつきだ。だからこそ余計、質が悪いのだが。
「話ぶりからして、その痣の意味は知っているようだな」
〈はい、母に聞いています〉
「では、ここ数代前から王族に現れる痣が薄くなっていることについては?」
〈それも……噂話として聞いています。私の脚にある痣は最初から濃かった様なので、母は凄く気を使ったようでした〉
「ということは、それでも薄くなった方だと?」
〈そうです〉
「実際に目にしていないから分かっていないようだが、今でも十分私のもつものより濃い。……君は、自分が王家の血を引く者だと考えたことはないのか?」
確かに幼い頃は少し、この話を聞いて自分との繋がりを感じ、期待したこともあった。
だが王家に緑の色彩を持つ人は存在しなかったし、なにより私の痣は同じであって同じでは無かった。
〈このように不吉な百合など、紛い物も良いところ。そんな考えを持ったところで一笑されるか、不敬と処刑されるくらいかと〉
今ではしっかりと現実を見ている。
「もし周りに担ぎ上げられたらどうする? たとえ色が黒かろうと、百合は百合だ。それにそれだけの濃さだ」
〈その様な面倒なことにならないよう気をつけて来ましたし、興味もないので当然お断りします〉
「君の近しい者を引き合いに、言うことを聞くよう脅されたらどうする?」
それはレティのことか、もしくは母や孤児院の子供たちのことだろうか。
〈そういった話も母としました。孤児院や母のことは、もし何かあった場合母の生家を頼るから心配するなと。レティの方は中々手出し出来ないでしょうし、一応優秀な護衛騎士がいるので大丈夫かな、と思っています〉
こうなってくると、面倒だからと深い人付き合いを避けていたことが吉と出た。
「君自身が脅された場合は?」
〈それこそどうにでもなるかと。私にはアイビーがいますから、いざとなれば森へ逃げます。例え捕まったとしても何とかなると思っています〉
「意外とそれなりに考えてはいるんだな」
〈まあ、一応は……〉
ただ、全てが考えたことの様に上手くいくとは限らない。
私は本来ならば貴族、ましてや王族になんて関わるつもりは全くなかった。
それなのに今こうして向き合い、自分から痣のことも話している。
なので何かあった時にどうとでも動けるように、優先順位だけしっかり付けていればいい。
昔からあまり物事を深く考えることは好きじゃない。
今は一番大切なのはレティの傍にいること。
正直、後は周りの人が上手くやってくれると助かる。
公爵家と王家ならば優秀な人が多いだろうし、私が深く考えるよりもその人たちの言う通りにしていた方が確実にいいと思う。
殿下にも、私はレティが大切で他意はないと伝えたつもりなので、恐らくあるだろう監視ついでに私の身の安全も護って貰えるとありがたい。
そんな小狡い考えを隠し、こっそりため息と共に気持ちと思考を切り替える。
〈ただ、場所によっては助けが来るのに時間がかかりそうなのが心配ではありますけど。この部屋のように。なんだかここは少々暗いですからね〉
「あぁ、ここは人目を避けたい時に使うからな。日が入りにくい場所でもある」
〈この影の薄さではアイビーを呼べません〉
「……ふっ、そう警戒しなくとも、ヴィーの大切な侍女に何もしないさ。彼女が来るまでもう少し待ってくれ」
もう聞きたいことは終わった様だが、レティがここに来るまではこのままらしい。
〈……そうでしょうか? アルヴィン様の視線が先程からずっとこの辺りにある気がします〉
「……はっ!? いや、見ていない。私は見ていないぞ!」
なので少しアルヴィン様をからかってみれば、殿下まで乗ってきた。
「なんだアル、見ていないのか? いい機会なんだ、しっかり見させてもらえ」
「何を言うんですか! そんな、女性の脚を見るなど……っ」
「脚〜? 私は痣のことを言ったんだ。こんな機会でもなければ二度と見れんぞ。まあ、お前は痣など視界に入っていなかったようだがな」
「!!」
〈ふふっ〉
頃合いを逃してしまい、未だ曝していた脚をスカートの下にやっと隠す。
その後レティが来るまで、殿下に揶揄われるアルヴィン様をしばらく見ていた。




