第32話 最強は、母だった
「忘れたに決まってるじゃない!
先週って、私にとっては二十年以上も前だよ!
どうして、この女と一緒に暮らさなくちゃならないの!
あと、いちゃいちゃ禁止!」
柚葉の剣幕に、先ほどまで憤っていたボリスも押し黙った。
テレビのキャスターがニュースを読み上げる。
その音だけが流れる中、柚葉の父親のため息が響いた。
俺は食事を再開する。
「食事中だ。座りなさい」
「ぐっ……。」
冷やし中華に欠かせない薄焼き卵。
このトッピングを最初に考えたやつは、天才だ。
しょっぱさと酸味の中にある甘さ。
交互に食べれば、無限に食べられる。
「先週は、二十年以上だったんだ?
さすがに、それは忘れちゃうかー」
もはや、トッピングと呼ぶのは相応しくない。
麺、スープ、薄焼き卵。
この三位一体が冷やし中華なのだ。
「ほら、あれ……。
戦争の裏で、実は宗教が闇の力に手を染めているってやつ」
「うぐっ……。」
「それ、お父さんに効くから、禁句!
でも、分かる。その展開、時間かかるのよねー」
今夜は、名香家での食卓のため、ハムときゅうりも添えられている。
だが、我が家で俺の冷やし中華は、薄焼き卵オンリーだ。
麺と同量の薄焼き卵を乗せることで、究極にして至高の冷やし中華は完成する。
「それも、召喚された勇者たちは前座。
二世代目からが、本番だったんだよ」
「えっ!? ……じゃあ、あなたたちは?」
「いや、まあ……。その……。」
柚葉の母親がぱんと両手を打ち、目を輝かせる。
柚葉は苦笑を浮かべ、縋るような横目を向けてくるが、無視した。
やはり冷やし中華は美味い。
「ごめんくださーい」
玄関から、父親の声。
ナイスアシストだと、心の中で褒め称えた。
つまり、俺の勝利だ。
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「要するに、こういうことか。
勇者には、勇者でしか対抗はできない。
だから、勇者同士で監視させる」
名香家の茶の間に、新たに父親が加わる。
遅れて訪ねてくると、事前に聞いていた。
制服まで着て玄関に立つその姿を見た瞬間、理解した。
ラヴィニアの訪日と、名香家への下宿。
この二つは、国と国の間で結ばれた密約だ。
そこから考えれば、答えは見えてくる。
「ありていに言えば、そうなる」
父親は茶を一口飲み、息を吐いた。
それから、静かに湯呑を置く。
「まあ、我が家の場合、勇者は兄であって、私ではないのですが……。」
ラヴィニアが父親の湯呑に茶を注ぎ、補足を入れた。
一般人から見れば、ラヴィニアの力は人の域を超えている。
実際には違っていても、俺と同じように、人は彼女を勇者と見る。
だが、その力を今日まで対外的に隠していたと仮定する。
見えてきた結論の愚かさに、鼻で笑った。
「人質か」
「えっ!? ……人質?」
柚葉の肩が、ぴくりと揺れた。
「勇者が血縁にいる。それだけで価値がある」
茶を啜る小さな音がした。
父親は湯呑を持ったまま、動かない。
「お前の場合、父親も母親も強者だ。
そう簡単に捕まりはしないし、仮に捕まっても、自力で脱出するだろう」
「しかし、大抵の者はナイフをちらつかせただけで身がすくむ」
「勇者を屈服させるなら、力を用いるより、その心を折ったほうが早い」
誰も口を開かない。
テレビの音だけが、場違いに流れている。
「そして、お前がそうであるように……
勇者は、見知らぬ世界で異邦人として過ごす。
数か月、数年、十数年と経ち、故郷へ帰ってきたとき、ほとんどの者は血縁に強く執着する」
柚葉は視線を落とし、わずかに唇を噛んだ。
「事実、現地に残ろうとするのは稀だ。
故郷へ帰ろうともがく者を、お前は何人も見てきたはずだ」
俺は父親に視線を投げる。
テレビでは、つまらないクイズ番組。
早く帰って、ゲームがしたい。
「今、ヒデが言ったことは正しい。
実は、勇者には海外渡航に厳しい制限もある」
「だが、勇者が海を渡りたいと言えば、それを止める術はない。
特に、柚葉ちゃんやラヴィニアさんほどになればね」
「だから、問題が起きないようにするのが、我々の仕事なんだよ」
父親の横顔に、わずかな疲れが滲んでいる。
ラヴィニアの来日は急だったのだろう。
その調整に追われていたはずだ。
ここ数日、母親が父親の帰りが遅すぎると何度もぼやいていた。
「ううっ……。」
柚葉が言葉に詰まる。
柚葉の父親の視線が、わずかに柚葉の母親へ向いた。
「もし、ラヴィニアちゃんをうちで受け入れられないとなったら、どうなりますか?」
「その場合は、我が家で引き取ることになります」
「……えっ!?」
「ああ、英雄くんと一緒なら安心ですね」
「駄目! 絶対に駄目!」
正直、柚葉の母親のやり方に感心した。
事前の調整で決まっていたはずだ。
答えを知っていながら、あえて聞いたに違いない。
「じゃあ、ラヴィニアちゃんはここで暮らす。いいわよね?」
「うぐぐっ……。」
間を置かず、母親が続ける。
「では、通い妻になりますね。
魔王様、今夜の閨はご所望ですか?」
ラヴィニアがにこりと微笑んだ。
「調子に乗るな!」
柚葉は立ち上がり、拳を振り上げる。
「小娘がいい気になるな!」
ラヴィニアは膝立ちし、拳を突き上げる。
二つの拳がぶつかる寸前、乾いた音が連続して響いた。
「……仲良くしなさい」
柚葉の父親だった。
直前まで、テーブルを挟み、俺の真向かいに座っていたはずだ。
それが今、俺の隣で二人の拳を受け止めている。びくともしない。
「お父さん、退いて! そいつ、殺せない!」
「魔王様、怖いです! こんな凶暴な女と一緒に暮らすなんて!」
お前こそ、真の勇者だ。
この魔王が認めよう。
そう、柚葉の父親を心の中で讃えた。
「うんうん、二人とも相性ばっちりね。お母さん、安心しちゃった」
柚葉の母親は、この諍いを前にしても、にこにこと笑っている。
これなら問題ない。
俺の仕事は終わった。
「さて、帰るか」
「いや、止めろよ。お前のせいだろ?」
「父さんも、どうかと思うぞ?」
「……知らん。俺は忙しいんだ」
俺が立ち上がると、ボリスと父親が白い目を向けた。
今の時間からRPGは重い。
今夜は、配管工のレースゲームでタイムアタックをやるか。




