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第35話「真実」

 管理局が——結晶の真実を公開した。


 ギルドの掲示板に、管理局の公式文書が貼り出された。


「管理局告示第1号。結晶安定化処置について」


 200年前の改造の事実。全登録結晶への処置。本来の結晶の挙動——Lv7での返還。選択肢としての結晶崩壊。


 そして——「結晶定着不全」の分類の撤廃。


「今後、Lv7到達時の結晶返還は『結晶定着不全』ではなく、『到達返還』として分類します。これは結晶の正常な挙動であり、欠陥ではありません」


 到達返還。


 17回——「壊れている」と言われ続けた。管理局の窓口で、受付で、検査ブースで。「結晶定着不全ですね」と記録された。技師の淡々とした声。書類のインクの匂い。毎回同じ手続き。同じ言葉。同じ診断。


 それが——「到達返還」に変わった。


 名前が変わっただけだ。結晶の動きは何も変わらない。Lv7で色が消えることも変わらない。手の甲が冷たくなることも変わらない。


 でも——名前が変わることの重さを、俺は知っている。


 「ビビりの剣士」が「魔物の先読みができる魔物使い」に変わった時、リラの人生が変わった。名前を変えただけで——同じ人間が、違う場所で輝いた。


 「壊れている」が「到達した」に変わる。「欠陥」が「正常」に変わる。たったそれだけのことで——17回分の重みが、少しだけ軽くなった。肩の荷物が、一つだけ降りた感覚。まだ残っている。でも——一つ降りた。


 ◇


 掲示板の前に人垣ができている。朝日が紙面を白く照らしている。インクの匂いが新しい。昨夜刷られたばかりだ。


「マジかよ。結晶が——改造されてたのか」


「Lv7で色が消えるのが本来の動きだって? じゃあ俺のLv6の結晶も——」


「20年やってきたのに……知らなかった」


「じゃあ——一つのジョブを続けてた俺たちは——選ばされてたのか?」


 声のトーンは様々だ。怒りもある。困惑もある。でも——意外と多いのが「そうだったのか」という静かな受容。心のどこかで——薄々感じていた冒険者が少なくないのかもしれない。「なんでLv7の壁が越えられないんだろう」と疑問を持っていた者。「一つのジョブしか選べないのはおかしい」と感じていた者。


 混乱はある。でも——200年前の崩壊は起きない。なぜなら、今回は「強制」ではなく「選択」だからだ。処置を解除するかどうかは、個人の判断に委ねられている。


「希望者は——管理局の窓口で処置解除の申請ができます。ただし、Lv7到達時に結晶が返還される可能性があります。選択は自己責任です」


 選択。そう——選択だ。強制ではない。200年前は全員に強制した。今回は——選ばせる。続けるか変えるか、自分で決める。


 ほとんどの冒険者は——様子を見ている。いきなり処置を解除する勇気がある人間は少ない。当然だ。一生をかけて積み上げてきたジョブが——Lv7で消えるかもしれない。その恐怖は本物だ。


 でも、選択肢があること自体が変化だ。


「結晶は——本来、到達のサインとして色を返す」。プロアが言っていた言葉が、管理局の公式見解になった。


 ◇


 ヴェルが帳簿に書いている。今度は堂々と。管理局の正式な調査報告書として。


「カイさんの結晶返還記録17回分を——公式記録として再分類しました。全て『到達返還』です。『定着不全』の記録は——訂正されました」


「……17回分」


「17回分です。あなたの記録が——制度変更の根拠になりました」


 ヴェルが眼鏡を押し上げた。目が——穏やかだ。告発の緊張が解けて、技師本来の顔に戻っている。


 ヴェルが帳簿に赤い線を引いて、その横に「到達返還」と書き直していく。17回分。機械的に、でも丁寧に。ペンが震えていない。


 あのブースの消毒液の匂いを思い出した。拡大鏡の下に差し出した、俺の透明な結晶。震える手で帳簿を握っていた技師。あの時、一度だけ口に出された言葉があった。今、その言葉は帳簿の上に、訂正された17回分として並んでいる。


「……ありがとうございます。ヴェルさん」


「報告書に——」


「書く必要がないやつで」


 ヴェルが少し笑った。眼鏡のレンズに、窓からの光が反射した。帳簿のインクの匂いが、いつもより温かく感じた。


 ◇


 ノアの秘密も——少しだけ、解けた。


「カイさん。ノアが手の甲に鼻先を寄せる仕草——あれは、結晶の状態を感知しているのだと思います」


「……どういう意味ですか」


「正確なところはわかりません。でも——ノアがシンのLv9に怯え、カイさんには最初から懐いた。その差が、結晶の改造と関係している可能性は——データ上、否定できません」


 それだけ言って、ヴェルは帳簿を閉じた。珍しく、結論を出さなかった。「推測に過ぎませんから」と付け加えて。


「……こいつ。最初から——何か、嗅ぎ分けてたのか」


 ノアが耳を動かした。金色の瞳が俺を見ている。尻尾が揺れている。答えない。答えるわけがない。こいつは影狐だ。言葉は持っていない。


 でも——鼻先を寄せた。手の甲に。いつもの仕草。色がある時も、ない時も、同じ仕草。


「クゥ」


 小さく鳴いた。


 あの日もそうだった。ギルドの前で。干し果物を食べた後に、こうやって鼻先を寄せて——鳴いた。


 ……面倒くさい。こいつの方が、俺よりずっと先に正解を知っていた。


 ノアが手の甲に鼻先を寄せた。灰銀の結晶の上に、黒い鼻。尻尾がゆっくり揺れた。


 ——おかえり。


 ……ああ。ただいま。


 体は知っていた。結晶の声を聞いていた。頭が追いつかなかっただけ。


 でも今は追いついた。


 楽しみだ。面倒くさいが。楽しみの方が勝っている。


 結晶は還る。色は消える。でも——温度は残る。


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