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第34話「シンの明滅」

 聴聞会の翌日。シンがギルドに来た。


 一人で。パーティメンバーなしで。いつもの深い赤の結晶が光っている。でも——目が違う。昨日の聴聞会で何かが変わった目。


「カイ。話がある」


「……またですか」


「前回は説教した。今回は——頼みに来た」


 談話室。前回と同じ場所。同じテーブル。同じ椅子。でも、空気が全然違う。前回は——シンが上から説教していた。今は——二人が同じ高さにいる。


 シンの手の甲を見た。Lv9の深い赤。変わっていない。でも——シンの目が変わった。昨日の聴聞会で真実を知って——20年間信じていたものが崩れた後の目。壊れたのではなく、揺れている。


「結晶の安定化処置を——解除してほしい」


「……俺にはその権限はないですよ。管理局に——」


「わかってる。手続きは管理局に出す。でも——その前に。お前に聞きたいことがある」


 シンが——手の甲を差し出した。深い赤。20年分の赤。


「俺の結晶——壊せるか」


「壊す、とは」


「処置を解除したら——明滅が始まるんだろう。Lv9の結晶に、飽和のサインが出る。そうしたら——」


「壁を越えるチャンスが来ます。飽和のサインが来たら——今のやり方を一度壊して、新しいやり方を見つける。それが壁の越え方です」


「それは——お前が17回やってきたことか」


「俺の場合は強制でしたけど。シンの場合は——自分で選ぶことになる」


 シンが黙った。深い赤の結晶を、自分で見つめている。20年間見続けてきた色。一度も揺れなかった色。


「……正直に言う。昨日の聴聞会で——オルドの口から聞いた時。俺の結晶が明滅しなかった理由が改造だったと知った時。膝から力が抜けた。20年。20年間の鍛錬が——無意味だったとは思わない。でも——壁を越えるための情報を、結晶が出してくれなかった。出せなかった。それが——」


 シンの拳が握りしめられた。


「悔しいんじゃない。怖いんだ。20年分を——壊すのか、と思うと」


 シンの手が——テーブルの縁を握っていた。指の関節が白い。剣士の手だ。20年間、剣を握り続けた手。その手が——今、何も握っていないものを握りしめている。


「壊しても残るものがあります。消えるのは——要らなかったものだけです」


 窓から差し込む光が、シンの手の甲を照らしていた。深い赤が明滅している。灯っては消え、灯っては消える。20年分の赤が——呼吸するように揺れている。


 前に会った時は言えなかった言葉を、今なら言える。


 シンの手が震えていた。でも——前に会った時の苛立ちとは違う。怖いのだろう。20年積み上げたものを壊す恐怖。


「……怖いか」


「怖いです。当たり前でしょう」


「でも——選ぶんだな」


「ああ。——やり方は認めないと言った。でも——お前は認めると言った。……今は、少しわかる。お前のやり方が、なぜ正しいのか」


「正しいかどうかは——」


「わからない。でも——選べることが大事なんだろう。続けるか、壊すか。自分で選べることが」


 シンが立ち上がった。椅子が石の床を擦る音が鳴った。


「管理局に行ってくる。処置の解除を申請する」


「……待ってください。一つだけ」


「何だ」


「壊す覚悟はある——って言いましたよね。でも、壊し方は知ってますか」


 シンが止まった。


「……知らない。20年間——壊したことがないからな。Lv9まで、ひたすら積み上げてきた。壊すための筋肉がない」


「壊し方は——俺が知ってます。17回壊されたから。結晶が明滅し始めたら、スキルの精度が落ちる。体が言うことを聞かなくなる。今まで通りのやり方が通用しなくなる。——それが壊れる前兆です」


「……それが来たら」


「慌てないでください。抗わないでください。結晶が返そうとしているものを——受け取ってください。痛みはない。冷たくなるだけです。……あと、喉の奥に何か引っかかります。名前のない、小さなもの」


「名前のないもの——」


「17回感じても名前がつかなかった。でも——多分、悪いものじゃない」


 シンが俺を見ている。Lv9の男が——C級の俺の言葉を、まっすぐに聞いている。ランクは関係ない。壁を越えた回数が——ここでは、肩書きより重い。


「明滅が始まったら——来てください。俺が見ます。17回見てきたから——何が起きるか、わかる」


 シンが——笑った。初めて見る笑顔だった。苦笑いではない。覚悟を決めた人間の笑顔。


「……ありがとう。認めないと言ったことは——撤回する」


 シンの手が——一瞬だけ、俺の肩に触れた。重い手だ。20年分の剣の手だ。指先のマメが肩越しに伝わってくる。すぐに離れた。それだけで十分だった。


「やり方を認めてくれるんですか」


「やり方は——まだ認めない。お前を認める。それだけだ」


「面倒くさい人ですね、シンは」


「お前に言われたくない」


 シンが笑った。歯を見せて。


 シンが出ていった。背中が——少しだけ軽く見えた。20年分の重さが、一言で消えるわけがない。でも——選ぶことを決めた人間の背中は、選ばされていた時とは違う。


 一人になった談話室で——息を吐いた。長い息だ。自分でも驚くほど深い。テーブルの上にまだシンが座っていた時の体温が残っている気がした。椅子を引いた跡が、石の床に白い線を残していた。


 ノアが影から出てきた。


 シンがいた時は——影の奥に隠れていた。いつものことだ。Lv9の結晶の前では、ノアは怯える。20年分の「縛り」の圧力を感知しているから。


 でも——シンが去った後。ノアが影から出てきて——尻尾を振っていた。怖がっていない。シンの気配が消えた途端に——リラックスしている。


 シンが処置を解除したら——ノアはどう反応するだろう。確かめたい。


 手の甲を見た。灰銀のLv5。もうすぐLv7に届く。また明滅が来る。19回目の到達返還。


 でも今回は怖くない。


 ノアが肩に飛び乗った。首元で丸くなる。温かい。


 明日も、ギルドに行く。明日も——見えたものを言う。面倒くさがりながら。


 シンの結晶が明滅する日が来る。その時——ノアを連れて行こう。シンの前でノアがどう反応するか——見たい。20年分の縛りが解けた男の前で、ノアが尻尾を振ったら——それが、シンが自由になった証拠だ。


 結晶の色では見えない変化を——ノアだけが、見せてくれる。


 ……面白いな、それ。ヴェルに言ったら怒りそうだが。


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