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第33話「自由と安定」

 聴聞会は——対決の場に変わった。


 オルドが立ち上がった。


「カイ。あなたに問いたい」


 銀白の結晶が——大広間の光を受けて、冷たく光った。


「どうぞ」


「結晶の安定化処置を——撤廃すべきだと考えますか。全員の結晶を、本来の状態に戻すべきだと」


「はい」


 迷わなかった。答えは——最初から決まっていた。


「その結果を——想像できますか」


 オルドが一歩、テーブルの前に出た。


「Lv7で色を失う冒険者が大量に出る。60%が——ジョブを変える。ギルドのパーティ構成が崩壊する。前衛がいなくなる。魔法使いがいなくなる。専門家が——消える。この国の防衛力が落ちる。魔物の脅威に対して——人が死ぬかもしれない」


 大広間の空気が重い。オルドの言葉は——脅しではなかった。歴史だ。


「200年前、それが実際に起きた。自由選択の時代——冒険者たちは自由にジョブを変えた。面白い方へ。新しい方へ。誰も止めなかった。結果——国境の要塞を守る剣士がいなくなった日、魔物が村を襲った。3つの村が——壊滅した」


 3つの村。壊滅。


 足の裏が冷たくなった。石の床の冷気が、靴底を通して体を這い上がってくる。


 ……本当に——選択肢を返していいのか。


 俺は17回色を失った。それは俺一人の話だ。でも——全員に返したら。60%がジョブを変えたら。前衛がいなくなって、村が燃えたら。その責任は——。


 拳を握った。手の甲の灰銀が、握りしめた拳の上で薄く光っている。


 ……それでも。


「……」


「私は——その歴史を知った上で、安定を選びました。Lv10で結晶の色が消えた時——自由を知りました。プロアと同じものを見ました。でも——私は、プロアとは違う選択をしました。自由よりも——誰かを守ることを選びました」


 オルドの声に——悪意はなかった。怒りもなかった。プロアの穏やかさとは違う、もっと重い覚悟がある。200年分の歴史の重さを背負った声だ。


 プロアと同じ体験をして、真逆の選択をした人間だ。


 どちらが正しいかなんて、わからない。


「局長。一つ聞いていいですか」


「何か」


「あなたは——Lv10で結晶の色が消えた。その時、選択肢が戻ってきた。続けるか、変えるか。——あなたは、続けることを選んだ」


「そうです」


「じゃあ——あなたは、選べた。選択肢があった上で、続けることを選んだ。それは——自由な選択だ」


「……」


「でも——他の全員は、選べなかった。改造された結晶が、選択肢を出さなかった。続けるしかなかった。それは——自由じゃない」


 オルドの目が動いた。


「自由を与えれば——混乱が起きる」


「起きるかもしれない。でも——選択肢を奪う権利は、誰にもないはずです」


 オルドが動いた。テーブルの上に、一冊の帳簿を置いた。古い。革が変色している。200年前のものだ。


「選択肢を返す。聞こえは良い。では——これを」


 オルドが帳簿を開いた。黄ばんだ紙に、細かい文字と数字が並んでいる。


「国境砦トゥーラの記録。自由選択時代の5年目。砦の常駐剣士が28名から6名に減少。魔法使いは11名から2名に。残った者たちは過労で倒れ始めた。——そして7年目の冬。魔物の大規模侵攻。トゥーラ砦は陥落し、周辺3村が壊滅。民間人の死者は327名」


 大広間が凍りついた。


「327名です。子どもも、老人も含めて。——自由に選んだ結果、誰も砦に残らなかった。剣士は面白いからと魔法使いに転じ、魔法使いは刺激を求めて探索者になった。誰も悪くない。全員が自分の意志で選んだ。——それでも、327人が死んだ」


 足の裏が冷たくなった。石の床の冷気が、靴底を通して体を這い上がってくる。


 327人。数字が頭に残って消えない。


 ……本当に、選択肢を返していいのか。俺は17回色を失った。それは俺一人の話だ。でも全員に返したら。また砦が空になったら。村が燃えたら。


 答えが出なかった。


 拳を握った。手の甲の灰銀が、握りしめた拳の上で薄く光っている。17回壊されて、「選択肢を返せ」と言い切れると思っていた。でも——327人の重みの前で、言葉が喉で詰まった。


 沈黙が大広間を満たした。オルドの目が俺を見ている。答えを待っている。


 傍聴席で椅子が鳴った。誰かが立ち上がった。シンだ。壁にもたれていた体を起こして、一歩、前に出た。


 シンが口を開いた。声が震えていた。でも膝はもう折れていなかった。


「局長。327人が死んだのは事実だろう。だが——俺に聞いてくれ。俺は20年、一つの道を歩いてきた。それは誇りだ。でも今日知った。俺の結晶が明滅しなかったのは、改造のせいだったと」


 シンの手の甲の深い赤が、会場の光を受けて脈打っている。


「俺が『一つに絞る』を選んだのか、『一つに絞らされた』のか。今はわからない。でも——知った上で選びたかった。327人を守るためだったとしても、俺の20年を俺に黙って決めてよかったのか」


 オルドの目が動いた。シンを見ている。Lv9の男を。20年間壁にぶつかり続けた男を。


「壁を越えるチャンスを。結晶が出すべきだったサインを、今からでも——返してほしい。選んだ上で、俺は剣を握り続けるかもしれない。でもそれは俺が決める」


 大広間が静まり返った。


 俺は何も言えなかった。327人の重みで喉が詰まった俺の代わりに、シンが立った。正論ではなく、20年分の体重を乗せた言葉で。


 オルドが目を閉じた。長い沈黙。


 俺は立ち上がった。喉の詰まりが、まだ残っている。でもシンの言葉が道を作ってくれた。


「局長。327人の命の重さを否定する気はありません。でも——嘘を制度として運用すると、こうなるんです。嘘をつく側も、つかれる側も、誰も悪くないまま、全員が嘘の上で生きることになる。17回、それを体験しました」


 管理局の時計が鳴った。低い鐘の音が、壁を伝って床を這うように広がった。


 オルドが目を開けた。


「事実は——認めよう。安定化処置は存在する。あなたの結晶は正常だ。だが——」


 だが。


「だが、変えることはできない。327人の命と、この200年間の安定を天秤にかけて——変えないことを選んだ先人の判断を、私は否定しない」


 大広間が凍った。事実を認めた上で、制度を維持する。最悪の回答だ。


 足の裏が冷たい。石の床の冷気が体を這い上がってくる。また327人が頭を占める。正論では崩せない。論理では動かない。オルドは200年分の歴史を背負って、ここに座っている。


 でも——俺には論理じゃないものがある。


「局長。17回、結晶が色を返しました。毎回、手の甲が冷たくなります。毎回、喉の奥に何かが引っかかります。名前のないもの。悲しいとも悔しいとも違う。17回繰り返しても名前がつかなかった」


 声が震えていた。自分でも驚いた。こんな場所で震えるとは思わなかった。


「でも最近わかりました。あれは——結晶が『十分だ。次に行っていい』と言ってくれていたんです。17回、おめでとうと言ってくれていた。なのに俺は17回、『壊れている』と返された。結晶の声を、制度が塗りつぶしていた」


 オルドの目が動いた。


「あの冷たさを、知っているはずです。局長。Lv10で結晶が透明に戻った日。あなたも——あれを感じたはずだ」


 沈黙。


 オルドの手の甲の銀白が、かすかに揺れた気がした。気のせいかもしれない。でも——目は揺れていた。17職分の目で、見えた。


「……撤廃は——すぐにはできない」


 オルドの声が変わった。局長の声ではなく、一人の人間の声になった。


「200年間の制度を一夜で変えることは混乱を招きます。段階的な移行が必要です」


「段階的——」


「まず、事実を公開する。結晶の安定化処置の存在を。全冒険者に——真実を告げる。そして——希望者に対して、処置の解除を認める。強制はしない。続けたい者は続けていい。変えたい者は変えていい。選択を——返す」


「……選択肢を返す、ということですか」


「そうです。200年間奪っていた選択肢を——返します。——ですが、条件があります」


 オルドが俺を見た。


「カイ。あなたが——この制度変更の当事者として、公の場で証言すること。17回の結晶返還の記録を公開し、本来の結晶の挙動を証明すること」


「……俺が」


「あなた以外に——17回、本来の結晶の挙動を体験した人間はいない。あなたの記録が、唯一の生きた証拠だ」


 17回の記録。17回の「結晶定着不全」。17回の「壊れている」。


 それを——「正常だった」と証明する。俺の体で。俺の記録で。


「……やります」


「カイさん——」


 リラの声が聞こえた。大広間の入り口から。傍聴の列の最前列に立っていた。目が潤んでいる。


「ヴェル技師」


 オルドがヴェルを見た。


「あなたの告発は——正当なものでした。技師として、データに基づいた報告を行った。処分は撤回します。フィールド調査の許可と、帳簿を返却します」


 ヴェルの手が——空のまま震えた。


「……ありがとう、ございます」


「礼には及ばない。——あなたが黙らなかったから、この場が生まれた」


 オルドが全員を見渡した。


「聴聞会を——閉会とします。後日、理事会で制度変更の詳細を決定します。——200年前の過ちを、正す時が来ました」


 大広間の扉が開いた。外から光が差し込んだ。


 大広間に、陽の光が差し込んだ。開いた扉から、外の暖かい空気が流れ込んでくる。石壁に閉じ込められていた冷気が、ゆっくりと溶けていくように。


 傍聴席から——拍手が一つ。リラだ。それが二つになり、三つになり——大広間に広がった。拍手の中に、ノアの「クゥ」が混じっていた。


 ヴェルが帳簿を——いや、帳簿はない。でも、空の手で——何かを握りしめていた。見えない帳簿を。データが生きている証拠を。


「……終わりましたね」


「終わりました。——始まりますね」


「ああ。始まる」


 200年間閉じていた扉が、開いた。


 大広間を出る時、ヘルドとすれ違った。ヘルドは——何も言わなかった。でも——目が赤かった。25年間信じてきたものが崩れた日の目だ。


 ……いつか——ヘルドと、ちゃんと話をしたい。壊れても残るものが——この人にもあるはずだ。


 大広間の外で、シンが壁にもたれていた。腕を組んで目を閉じている。


 ——手の甲の赤が、一瞬だけ揺れた気がした。


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