第32話「対面」
聴聞会の大広間。石造りの壁に、管理局の紋章が刻まれている。200年前から変わっていない紋章。この紋章の下で——結晶の改造が決定された。
高い天井から、魔力灯の光が降り注いでいる。冷たい光。石壁が光を吸い込んで、反響する音だけが硬い。足音。椅子を引く音。紙をめくる音。緊張した咳払い。
長いテーブル。理事会のメンバーが並んでいる。7つの椅子。中央に——
オルド。
初めて見た。60歳。白髪を短く刈り込んでいる。深い皺が刻まれた顔。でも——背筋がまっすぐ。座っているだけで空気が変わる。部屋の温度が2度下がったような錯覚。
手の甲に銀白の結晶——書記官Lv10の色。達人級。
Lv10。この国に数人しかいない到達者の一人が——管理局の局長だった。
結晶の銀白が、薄暗い大広間の中でも一際光っている。Lv10の色は——重い。シンのLv9の赤とも違う。完全に飽和した色。もうこれ以上深くなれない色。
ノアなら——この男の前でどう反応するだろう。尻尾を巻くだろうか。それとも——Lv10の結晶は改造が効かないと聞いた。ならばオルドの結晶は——本来の状態に近いのか。
オルドの目が——俺を見た。深い目。何もかも見通す目。
「聴聞会を開会します」
書記官が読み上げた。議題。告発文書の内容。ヴェルの報告。カイの結晶記録。
ヴェルが立ち上がった。椅子が石の床を擦る音が、大広間に響いた。何も持たない手を前に——淡々と、データを読み上げた。声が震えていない。ヴェルは追い詰められるほど冷静になる男だった。
「カイさんの結晶は、17回にわたり、Lv7到達時に色を失っています。色の消え方は均一で、損傷の痕跡がなく、結晶の格子構造が保持されたまま透明に戻っています。これは定着不全ではなく——結晶の本来の挙動です」
「根拠は」
理事の一人が聞いた。
「管理局の地下技術文書保管室に保管されている——理事会決議第37号。全登録結晶に対する安定化処置の施行記録です。この文書により、全結晶がLv7返還を抑制するよう改造されていることが記録されています」
大広間がざわめいた。傍聴席から声が上がる。「安定化処置って何だ」「全員の結晶が改造されてる?」「そんな話、聞いたことがない」。
ヘルドが顔を伏せている。両手をテーブルの下で握りしめているのが見えた。25年間信じてきた制度が——今、目の前で疑われている。
理事たちが互いを見ている。何人かは動揺している。何人かは動揺していない。全員が知らなかったわけではない。
オルドだけが——動かなかった。背筋がまっすぐ。銀白の結晶が静かに光っている。
理事の一人が声を上げた。「安定化処置? そんな記録は——」
別の理事が制止した。「黙って聞け」
ヘルドが額に手を当てていた。握りつぶした報告書が——この場で読み上げられている。
「……ヴェル技師」
オルドが口を開いた。それまでの喧噪が——一瞬で消えた。初めて聞く声だ。低く、落ち着いていて——重い。言葉に力を込めていない。むしろ抑えている。抑えているからこそ、全員が息を止めた。
「その文書の存在は——事実です」
大広間が静まり返った。呼吸の音すら聞こえない沈黙。
「え——」
理事の一人が声を上げた。ヘルドの目が見開かれた。
オルドが知っていた。最初から。
「結晶安定化処置は——200年前に施行されました」
オルドの声が大広間を満たした。静かなのに——全員の耳に届く。達人級の存在感。言葉に力を込めるのではなく、力を抑えることで重さを出す技術。
「理由は——当時の記録にある通りです。Lv7で色が消える自由選択制度のもとで、冒険者の60%がジョブを変更し、専門家集団の維持が困難になった。国境の防衛拠点が——人手不足で崩壊しかけた。魔物の侵攻に対応できる専門家が——足りなくなった。社会の安定のために——処置が行われました」
「局長は——最初から知っていたんですか」
「知っていました。局長就任時に——前任から引き継ぎました。歴代の局長は、全員知っています」
ヴェルの手が震えていた。
「なぜ——隠していたんですか」
「隠していたのではありません。——守っていたのです」
オルドの目が——俺を見た。
「200年前。自由選択の時代。冒険者の6割がLv7でジョブを変えた。結果——この国の防衛力が崩壊しかけた。魔物の脅威に対して、専門家がいなくなった。被害が出た。人が死んだ」
「だから——選択肢を奪ったんですか」
シンの声だった。
振り返ると——シンが大広間の入り口に立っていた。Lv9の深い赤の結晶が光っている。聴聞会の傍聴に来ていた。
「シン——」
「局長。あなたの結晶も——Lv10で色が消えたことがあるんですか」
オルドの目がシンを見た。
「……ある。書記官Lv10に到達した日——結晶の銀白が、透明に戻った。手の甲が冷たくなった。力が抜けた。35年かけて到達した頂点で——色が消えた」
喉の奥が、ほんの少し震えた。
「管理局の改造でも——Lv10の返還は抑えきれない。改造はLv10到達を想定していなかった。稀すぎるから」
シンの顔が——白くなった。
「俺の結晶は——一度も明滅しなかった。20年間。Lv9まで来て——一度も」
「改造された結晶は——明滅のサインを出しません。飽和の兆候が抑制されているからです」
「じゃあ——俺がLv10に届かない理由は——」
「結晶が——『壊すべきだ』というサインを出せないからです。本来なら、Lv7で飽和のサインが出る。そのサインを受けて、冒険者は今のやり方を壊し、新しい方法を見つける。その過程で——壁を越える。あなたの結晶は——そのサインを出せなかった」
シンが——壁に手をついた。膝が折れかけている。深い赤の結晶が、拳を握りしめた手の甲で脈打っている。20年分の赤。20年分の努力。20年分の——壁。
20年間、壁を越えられなかった理由が——才能ではなく、結晶の改造だった。
シンの剣は完璧だった。完璧すぎた。壊すべきサインが来なかったから——壊せなかった。壊すべきだと知ることすらできなかった。
大広間が——静かだった。シンの呼吸だけが聞こえている。荒い。肩が上下している。20年分の感情が——体から漏れている。
傍聴席の冒険者たちが息を呑んでいた。ギルドのエース。次のLv10候補。この国で最も剣に近い男が——壁に手をついて、膝を折りかけている。
……シン。お前の20年は、無駄じゃない。20年間磨いた剣は本物だ。サインが来なかっただけだ。サインが来れば——お前は壊せる。お前ほどの完成度があれば——壊した後に残るものは、途方もなく大きい。
言わなかった。今は——まだだ。
シンが自分の足で立った時に。その時に——言う。




