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第30話「借りがある」

 恩の集結は、静かに始まった。


 きっかけは弓兵だった。弓兵が「あの鑑定士の目は本物だ」とパーティに伝えた。パーティのリーダーがギルドで聞き回った。噂が、今度は良い方に回り始めた。


 最初に来たのは、ギルドの掲示板の前にいたB級パーティのリーダーだった。最初の日に、剣士の右膝の古傷と魔法使いの呼吸の浅さを指摘した男。


「カイ。聞いたぞ。管理局に目をつけられてるらしいな」


「まあ——そういう状態です」


「うちの剣士の膝——お前に言われて医者に行った。古傷の手術をした。今は前線に戻ってる。お前に借りがある」


「借りなんて——」


「黙って聞け」


 リーダーが腕を組んだ。深い青の結晶が光っている。B級。実力で勝ち取った肩書き。


「管理局がお前の商人契約を凍結してるなら、うちのパーティの物資調達を任せる。管理局を通さないルートで。C級だろうがLv5だろうが関係ない。カードに何が書いてあろうが、お前の目は信用してる」


 ……。


 リーダーの隣で、剣士が頷いた。右膝の上に手を置いている——でも、前のように庇う仕草ではない。手術痕を撫でる癖がついたのだろう。


「あと——魔法使いも、呼吸法を変えてから退路の確認ができるようになった。この前の依頼で——以前なら逃げ遅れていた場面で、きっちり撤退できた。生存率が上がった。パーティとしての借りだ」


 リーダーが腕を組んで、にやりと笑った。


「お前の目は——俺の20年より確かだ。認めたくないが、事実だ」


 ……20年。シンと同じ言葉だ。


 次に来たのは——メイナス商店の店主の紹介で繋がった、別の商店の主人。


「カイさんに品質鑑定をしてもらった武具が、修理品として高値で売れたんです。あなたの目がなかったら、ガラクタとして廃棄してました。銀貨20枚分の差ですよ。定食20回分」


「……定食で換算するのやめてもらえますか」


「ギルドの物差しですから」


 さらに——メイナス商店の店主が、別の商人を連れてきた。


「この方はギルドの南通りで革細工屋をやっている。カイさんに革の品質を見てもらいたいそうだ」


「管理局の監査は——」


「南通りの店は管理局の管轄外です。管理局が口出しできるのは、冒険者関連の取引だけ。一般の革細工は——関係ありません」


 管理局の包囲に——穴がある。冒険者向けの商取引は管理局の管轄だが、一般商取引はギルドの管轄だ。商人として一般取引を行う分には、管理局は手を出せない。


 ……メイナス商店の店主。この人は——俺よりよほど商売を知っている。


 ◇


 一週間で、カイの周囲に小さな取引ネットワークが生まれた。


 管理局の契約は凍結されたまま。でも民間の商人同士のつながりが、管理局を迂回するルートを作り始めている。


 ただ、全員が戻ってきたわけではない。


 市場で武具の歪みを指摘した鍛冶師がいた。感謝された、と思っていた。でも今日、食堂で目が合った。鍛冶師は視線を逸らして、早足で出口に向かった。カードの「要観察」を見たのだろう。


 メイナス商店の店主も、ギルドの食堂で俺を避けた。いつも小さく手を振ってくれた人が。


 翌日、伝言が届いた。「取引監査が入った。しばらく距離を置きたい。すまない」


 ……わかっている。店主には家族がいる。嫁と、小さな子どもが二人。店が潰れたら——その三人が路頭に迷う。俺一人のために、四人の生活を賭けろとは言えない。


 でも——喉の奥が、久しぶりに冷たかった。温かい方じゃない。冷たい方だ。


 ノアが膝の上で体を硬くしていた。俺の体温が下がったのを感知したのだろう。


 リラも戻ってきた。再検査は通過した。魔物使いとしての適性に問題なし。管理局もデータを無視できなかった。


 リラの手を見た。震えていない。再検査の日、リラは一人で管理局に行った。ノアを肩に乗せて。3秒止まった日の話はしなかったらしい。代わりに、森猪の群れ誘導の実績データをヴェルから借りて、検査官の前に並べた。


「……管理局も、無理はできないんですね」


「表向きの手続きで圧力をかけることはできても、正当な冒険者の権利を直接侵害することは——できない。ギルドと管理局は別組織だから」


「ヴェルさんは——」


「管理局内で孤立してるけど——データは消えていない。ヴェルさんの頭の中にある限り」


 トランも動いていた。


 教官として若手冒険者の訓練を始めたトランが——訓練生たちに、カイの話をしていた。


「17回ジョブが変わった冒険者がいる。その人の目は——本物だ。壁の前にいる人間を見つけて、別の道を教えてくれる。俺も——その人に教えてもらった」


 訓練生たちが、ギルドでカイの名前を口にするようになった。管理局の「要観察」の注記とは別の——口伝えの信用が広がり始めている。


 管理局の注記を、口伝えの信用が上書きし始めている。


 ◇


「カイさん」


 リラが言った。夕方のギルドの食堂。三人と一匹——いや、正確には、もう三人だけじゃない。メイナス商店の店主、B級パーティのリーダー、トランの訓練生——テーブルの周りに、少しずつ人が増えている。


「カイさんって——面倒くさがりのくせに、こんなに人を助けてたんですね」


「助けてません。見えたから言っただけです」


「その『言っただけ』が——今、返ってきてるんですよ」


 ……。


 鑑定士になった最初の日を思い出した。ギルドの掲示板の前で、B級冒険者に「C級、邪魔だ」と言われた日。パーティを組んで笑い合う冒険者たちを横目に——「別に、羨ましいわけじゃない」と思っていた。


 嘘だった。羨ましかった。


 今——ギルドの食堂に、俺の周りに人がいる。


「……面倒くさいな」


「何がですか」


「人が増えると、干し果物の出費が増える」


 リラが笑った。ノアが「クゥ」と鳴いた。テーブルの上の干し果物に、ノアの視線が集まっていた。


 管理局の包囲は続いている。でも——包囲の外に、人がいる。


 俺一人じゃない。


 初めて——本当の意味で、そう思えた。


 ノアがテーブルの下からリラの足に頭をすり寄せた。リラがノアの耳の後ろを撫でた。ノアが目を細めた。……やっぱり、俺にはそんな顔しない。


「カイさん。ノアに嫉妬してます?」


「してません」


「嘘ですよ」


「……面倒くさい」


 面倒くさい。面倒くさいが——悪くない。テーブルの周りに人がいて、ノアが足元にいて、リラが笑っている。干し果物の出費は——確かに増えた。ノアだけじゃなく、リラにも分けるようになったし、トランの訓練生にもやった。


 でも——それ以上に、何かが増えている。名前のつかない何かが。手触りでは測れない。鑑定スキルでも見えない。商人の取引勘でも値段がつかない。


 でも確かにある。テーブルの温度が、少しずつ上がっている。


 食堂の入り口が開いた。ヴェルが立っていた。息が上がっている。走ってきたのか。


「カイさん。——聴聞会の日程が、決まりました」


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