第27話「包囲網」
管理局の動きが加速した。
翌日から、立て続けに3つのことが起きた。
一つ。メイナス商店との管理局納品契約が「審査中」として凍結された。理由は「取引先の信用調査が必要」。形式的には通常の審査手続きだが、タイミングが露骨だ。制限区画へのアクセスが閉じた。ヴェルが必要とする文書への道が、封じられた。
二つ。ヴェルが「業務見直し」を理由に、フィールドでの観察活動を禁じられた。管理局内の業務に専念するよう、ヘルドから直接指示が出た。ヘルドの声は穏やかだったという。「お前のためだ」と言いながら、翼をもぐ。
三つ。俺のC級カードに——新たな注記が追加された。「結晶定着不全患者。要観察」。たった一行の注記だ。でもこの一行が——カードを出すたびに、相手に見える。依頼主に。店主に。受付に。
包囲網だ。
直接的な処分ではない。免職も逮捕もない。告発者を逮捕するような露骨な弾圧は、ギルドとの関係を壊す。管理局は——もっと静かなやり方を選んだ。手続きの範囲内で、じわじわと行動の自由を奪う。書類上は何一つ問題のない、完璧な包囲。
カードの注記が効いた。「結晶定着不全患者。要観察」——この一行が見えるだけで、依頼主の態度が変わる。
「あの商人——管理局にマークされてるらしいぞ」
「触らぬ神に祟りなし、ってやつだろ」
「C級の商人なんて、他にいくらでもいる」
ギルドの食堂で、そういう囁き声が聞こえる。スプーンが皿を叩く音。椅子を引く音。前を通ると——声がやむ。目を逸らされる。食堂の油の匂いが、いつもと同じなのに違って感じる。弓兵の件の時とは違う種類の排除だ。あの時は怒りだった。今は——回避。面倒に巻き込まれたくないという、冷たい合理性。
依頼がゼロの日が続いた。3日。5日。1週間。
◇
「カイさん。依頼、今日も——」
「ゼロですか」
「……ゼロです」
リラの声が硬い。怒っている。でも、怒りをぶつける相手がいない。管理局は手続きの範囲内でやっている。規則違反は一つもない。
ノアが俺の膝の上で耳をぺたりと伏せた。周囲の敵意を肌で拾っているのだろう。小さな体がわずかに強張っている。
リラがスプーンを置いた。金属がテーブルに当たる音が、妙に大きく響いた。
「……カイさん。最悪の場合——何が起きると思いますか」
「最悪? 俺が依頼を一切受けられなくなる。商人の免許が停止される。冒険者登録を——取り消される可能性もある」
「取り消し——」
「可能性の話です。管理局にそこまでの権限があるかは——わからない」
「……リラさん。依頼は受けられてますか」
「私は——はい。魔物使いとしての依頼は変わってないです。Lv5に届きそうで——使役できる魔物の種類も増えました。カイさんと一緒じゃなければ、依頼は問題なく——」
「じゃあ、しばらく一人で受けてください」
「……え?」
「俺と一緒にいると、リラさんまで巻き込まれる。せっかくの成長を止めたくない。せっかく見つけた場所を——俺のせいで失わせたくない」
リラが黙った。数秒間。テーブルの上のスープが冷めていく。
「……嫌です」
静かだが——硬い声だった。路地裏の時と同じ。あの時も「嫌です」と言った。一人にしませんと言った。
「リラさん——」
「嫌です。一人にしません。前にも言いました」
「……何回目ですか、それ」
「数えてません。必要な回数だけ言います」
「前と状況が違う。管理局が——」
「管理局が何だろうと——私は自分で選びます。カイさんが教えてくれたことでしょう。選択肢は自分のものだって」
……俺が教えた。そうだ。選択肢を返せと——俺が管理局に言った。なのに、リラの選択肢を俺が奪おうとしている。
俺が教えた言葉を、俺に返してきた。
「……参りました」
「何がですか」
「リラさんの方が、俺より強い」
「強いんじゃないです。カイさんに——そう教わっただけです」
「……わかりました。ただ、気をつけてください。管理局の目が——」
「ノアがいます。ノアは——結晶の縛りの強い人間を感知できます。管理局の職員が近づいたら——ノアが先に気づきます」
「……いつの間にノアの能力をそこまで」
「毎日一緒にいれば、わかります。魔物使いですから」
ノアが俺の膝で「クゥ」と鳴いた。同意するように。
ヴェルは管理局の中で孤立している。フィールド調査を禁じられ、帳簿の一部を没収された。でも——データは消えていない。ヴェルの頭の中に、すべて残っている。技師の記憶力は伊達じゃない。17回分の結晶データ、安定化処置の文書の内容、色相変動の数値——全部、ヴェルの頭の中に入っている。
「帳簿は取り上げられましたが——私の頭は没収できません」
ヴェルが淡々と言った。管理局の方角から鐘の音が聞こえた。定時を知らせる鐘だ。いつもと同じ音が、今日は遠く感じる。白衣の襟が少し乱れている。いつもはきっちり折り返している袖が——今日は片方だけ折り返し忘れている。でも——目だけは、いつも通りだ。データを追う目。事実を見る目。眼鏡の奥の目が据わっている。この男は——追い詰められるほど冷静になる。
包囲網は狭まっている。でも——まだ、動ける。窓の外から夜風が忍び込んで、蝋燭の炎が揺れた。ヴェルの影が壁で一瞬だけ大きく広がって、また縮んだ。
ノアが膝から降りて、影の中に潜った。食堂のテーブルの下を泳ぐように移動して、入り口の方に耳を向けた。何かを感知しているのか——ただの巡回か。こいつなりの見張りなのかもしれない。
商人の仕事はメイナス商店経由が使えなくなったが、街の他の店とのつながりは生きている。小さな取引を一つ一つ。鍛冶師時代の知識で武具の修繕助言をして、薬師の経験で薬草の品質を見て、盗賊の感覚で出土品の真贋を嗅ぎ分けて。一件あたりの報酬は銅貨数枚。でも——17職分の知識は管理局に取り上げられない。結晶の色は取り上げられても、手に残るものは消せない。
夕方。ギルドの食堂のカウンターで、一人でスープを啜っていた。塩気が舌に染みる。温かいものが胃に落ちると、体の芯がほどけた。カウンターの木が手で磨り減っている。何十年分の冒険者の肘が削った跡だ。隣の席が空いている。いつものことだ。
ノアが膝の上で丸くなっている。こいつだけは、いつもここにいる。
……面倒くさい。面倒くさい世界だ。
でも——面倒くさいことに付き合ってくれる人間が、隣にいる。リラは今日もソロの依頼をこなして、報酬を持って帰ってくるだろう。ヴェルは管理局の窓際の席で、頭の中のデータを整理しているだろう。
でも、見える目は没収できない。
それだけで、まだ戦える。




