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第26話「反撃の始まり」

 告発文書を出してから、3日間、何も起きなかった。


 不気味な静けさだった。ヴェルは通常通り管理局に出勤し、通常通りの業務をこなしている。処分も呼び出しもない。ヘルドからの接触もない。同僚の態度も変わらない。まるで何も起きていないかのように。


 でも、何も起きていないはずがない。理事会宛の告発文書だ。結晶安定化処置の存在を暴く文書だ。200年間の秘密に触れた文書が、3日間、何の反応も返ってこない。


「理事会が動いていないか、あるいは——動き始めたが、表に出ていないか」


 ヴェルが帳簿を閉じながら言った。声は平静だが——ページをめくる指先が少し速い。緊張している。


「後者でしょう。3日も黙っているのは——対応を練っている」


「同感です。問題は——どういう対応か」


 4日目の朝——動いた。


 ギルドの受付から、俺に呼び出しがかかった。管理局からの出頭要請。


「カイさん。管理局から——登録管理部への出頭を求められています。理由は——『結晶定着不全に関する追加調査』」


 追加調査。定着不全の。


 胃が重くなった。——来た。ヴェルの告発に対する、管理局の最初の動きだ。


「ヴェルさんには連絡が——」


「ヴェルさんには——別途、管理局内部で通達があったようです」


 別途。つまり——分離されている。俺とヴェルを別々に呼んで、口裏を合わせられないようにしている。


 管理局が動いた。


「……わかりました。行きます」


 声が平静であることに、自分で少し驚いた。17回、この建物に通った。何も怖くない——はずだ。


 リラが隣で固まっている。


「カイさん——」


「大丈夫です。調査って言ってる以上は、手続きの範囲内。問題があるなら、商人の取引記録を求められるかもしれないけど——正規の納品ですから、何も隠してない」


「でも——」


「リラさんは、ギルドにいてください。ノアと一緒に。何かあったら——トランに伝えてください」


「トラン、さん?」


「教官のトラン。若手育成の指導者。ギルドの中で、俺とリラさん以外に信用できる人間が一人いた方がいい」


 リラが頷いた。目が鋭い。魔物使いの目。全体を見渡して、状況を読む目。


「……わかりました。待ってます」


 ◇


 管理局の会議室。昨日まで通っていた建物が——今日は、空気が違う。


 窓のない部屋だ。魔力灯の白い光がテーブルの上に落ちている。紙とインクの匂いがする。壁に管理局の紋章が刻まれていた。


 対面に座っているのは——ヘルドだった。


 42歳。鑑査士Lv8の手の甲。灰白の結晶が鈍く光っている。中間管理職の顔だ。疲れているが、目は鋭い。


「カイさん。お忙しいところ恐縮です」


「いえ。追加調査ということですが」


「ああ。あなたの結晶の——状態について、いくつか確認させてください。ヴェル技師から提出された報告書の内容に基づいて」


 報告書。告発文書ではなく、報告書。形を変えている。告発を「調査報告」として処理しようとしている。


「具体的には」


「あなたの結晶が——Lv7で色を失う際の挙動について。ヴェル技師は『定着不全ではなく正常な動作である可能性がある』と報告しています。この見解について——あなた自身の認識をお聞きしたい」


「俺の認識は——ヴェルさんのデータに基づいています。自分の結晶がどう動いているかは、技師でないとわからない」


「ヴェル技師のデータは——正しいとお考えですか」


「ヴェルさんは技師として誠実な人間です。データを捏造するような人じゃない」


 ヘルドが黙った。しばらく俺を見ていた。


「……カイさん。率直に聞きます。制限区画の技術文書——ご覧になりましたか」


 嘘をつく選択肢もあった。でも——


「見ました。商人として納品業務中に、技術文書保管室の存在に気づきました」


「内容は」


「結晶安定化処置の施行記録。全登録結晶に対する改造の記録です」


 ヘルドの顔が動かなかった。予想していたのだろう。


「……あの文書の存在は——管理局として、機密扱いです。管理局の外部に——」


「誰にも言っていません。ヴェルさんと、もう一人の冒険者仲間だけです」


「冒険者仲間——リラさんですか」


「はい」


 ヘルドが溜息をついた。深い溜息だった。テーブルの上に置かれた茶碗が冷めている。出されてから一口も飲んでいない。25年分の疲れが乗っている。


「カイさん。あなたに聞きたいことがある。管理局の人間としてではなく——一人の冒険者として」


「どうぞ」


「あの文書の内容が——もし事実だとしたら。全員の結晶が改造されていて、本来はLv7で色が消えるものだとしたら。——それを公表すべきだと思いますか」


 ……。


「俺の意見を聞いてどうするんですか」


「……わからない。わからないから聞いている」


 ヘルドの目が——揺れていた。善意の壁が、ひび割れかけている。


「俺は——選択肢を返してほしいだけです。続けるか変えるかを、本人が選べるようにしてほしい。制度が『変えるな』と決めるんじゃなくて」


「それが——混乱を生むとしても?」


「混乱は起きるかもしれない。でも——嘘を続けることの方が、もっと大きな混乱を生むと思います。17回、嘘を書かれた人間として——言えます」


 ヘルドが目を閉じた。長い沈黙。


「……わかりました。今日の聴取は——終わりです。処分の話はしません。ただ——」


「ただ?」


「この件は——私の権限では、どうにもなりません。理事会が動くかどうかは——局長次第です」


 局長。オルド。誰にも会わない人間。


 管理局の建物を見上げた。石壁に管理局の紋章が刻まれている。200年間——この紋章の下で秘密が守られてきた。今日——その秘密に、最初のひびが入った。


 ヘルドは味方ではない。でも敵でもない。揺れている。あと少し、時間が必要かもしれない。


「……もう一つだけ聞いていいですか」


「何ですか」


「局長のオルドは——改造のことを知ってるんですか」


 ヘルドが答えなかった。答えないことが——答えだった。


 会議室を出た。廊下を歩いた。管理局の石壁が——いつもより重く感じた。この建物の中で——200年分の嘘が、今も機能している。


 でも——ひびが入り始めている。


 ひびは——もう埋められない。


 外に出た。日差しが眩しかった。リラが走ってきた。


「どうでしたか」


「処分はなし。でも——局長のオルドが、改造のことを知ってる」


「知ってる——」


「ヘルドが答えなかった。知ってるかと聞いたら——黙った。それが答えだ」


 リラの拳が握りしめられた。ノアが足元で「クゥ」と鳴いた。


 戦いは——まだ始まったばかりだ。


 ギルドに戻って、リラとノアと合流した。ギルドの食堂で、隅のテーブルに座った。


「ヘルドは——敵じゃない。でも味方でもない。善意の壁だ」


「善意の壁……」


「悪意なら壊せる。でも善意は——」


「壊すと相手が傷つく、ですか」


「……リラさん。最近——俺の言いたいことを先に言うようになりましたね」


「魔物使いの感知力です。……嘘です。一緒にいれば、わかります」


 ノアが「クゥ」と鳴いた。同意するように。


 面倒くさい。でも——心強い。


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