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第25話「黙りません」

 ヴェルが管理局の内部告発文書を作成した。


 報告書ではない。告発文だ。宛先は管理局理事会。差出人は登録管理部結晶技師ヴェル・ログ。内容は——結晶安定化処置の存在と、全登録結晶の改造の事実。


「これを出したら——取り消せません」


 ヴェルが文書を手にしている。封筒に入れる前の、最後の確認。


 夕方のギルド裏手。三人と一匹。いつもの路地裏。石壁が夕陽で赤く染まっている。影が長い。ノアがヴェルの影に潜り込んでいる。珍しいことだ。普段は俺かリラの影にしかいないのに——今日は、ヴェルの近くにいる。


「わかっています」


「前回の左遷じゃ済まない可能性がある。免職。最悪——」


「カイさん」


 ヴェルが文書を握る手を、ゆっくりと下ろした。


「前回、鑑査士の時。評価基準のおかしさを指摘して、左遷された。あの時、私は抗議しなかった。黙って辞令を受け入れた。それが正しい対応だと思った」


「……」


「でも違った。黙ったから、何も変わらなかった。評価基準は今も同じままだ。そして結晶の改造は200年間、隠され続けてきた。黙る人間がいたから」


 ヴェルの目が揺れていない。前に見た震えが、ない。


「あなたは——17回、結晶の色を失った。17回、『壊れている』と言われた。17回分の記録が、管理局のファイルに残っている。全部、『結晶定着不全・標準処理』。——17回、嘘が書かれた」


「嘘——」


「嘘です。あなたの結晶は正常です。不全なのは——制度の方です」


 リラが黙って立っている。泣いていない。目が乾いている。覚悟を決めた人間の目だ。


「……ヴェルさん。文書を出す前に——一つ確認させてください」


「何ですか」


「あなたの動機は何ですか。正義感か。怒りか。それとも——」


「報告書に書く必要があるから——」


「それ以外で」


 ヴェルが黙った。帳簿を持っていない手が——拳を握っていた。


「……私の結晶も——改造されているんです」


 静かな告白だった。


「白銀のLv6。結晶技師の色」


 ヴェルが自分の手の甲を見た。白銀の結晶が魔力灯に照らされて鈍く光っている。


「この色も——本来なら、Lv7で消える可能性があった。消えて、別のジョブを選べたかもしれない。鑑査士を左遷された時——技師になるしかなかった。でもあれは本当に『なるしかなかった』のか。もし結晶が色を返してくれたら——別の道を選べたかもしれない」


 声が低い。怒りではない。もっと深い何か。


「消えないから——ずっと『ここにいろ』と聞こえていた。——偽物の声を」


「それが——嫌なんですか」


「嫌ではありません。技師の仕事は好きです。でも——『選べなかった』ことが嫌なんです。選んだのではなく、選ばされた。それは——」


「自由じゃない」


「はい」


 自由。


 プロアが言っていた。結晶は選択肢を返す仕組みだと。続けるか変えるかを、本人が選べる仕組みだと。


 それを——管理局が奪った。200年間。


「……文書、出してください」


「カイさん——」


「俺の名前を使っていいです。17回の記録を証拠として添付してください。管理局が『定着不全』と嘘を書いた17回分を」


 ヴェルが俺を見た。目が——濡れていた。


「……ありがとうございます」


「礼はいりません。俺は——自分の結晶の名誉を取り戻したいだけです。面倒くさいですけど」


 リラが小さく笑った。


「面倒くさいのに、やるんですね」


「やらないと、また17回黙ったことになる」


 風が路地を抜けた。ノアの耳がぴくりと動いた。遠くからギルドの喧噪が流れてきて、すぐに消えた。


 ヴェルが文書を封筒に入れた。丁寧に折って、封を閉じて。封蝋を温めて——押した。ヴェルの技師印。この印が押された以上、差出人はヴェルだと特定される。匿名の告発ではない。名前と顔を出した、正面からの告発。


 管理局の内部郵便で理事会に直送する。ヘルドを経由しない。副部長の頭を超えて、直接理事会に届ける。


「これで——秘密は、秘密でなくなります」


 ヴェルが封筒を持ち上げた。投函口の前で——一瞬、手が止まった。


 リラが見ている。俺が見ている。ノアがヴェルの影の中から見上げている。


 ヴェルの手が——動いた。指先が一瞬だけ震えた。それから——離した。封筒が投函口に落ちた。金属の蓋がかちんと閉まる音がした。管理局の石壁に、その音が反響した。小さな音だ。


 もう取り消せない。


 三人で、投函口の前に立っていた。しばらく、誰も口を開かなかった。ノアだけが「クゥ」と小さく鳴いた。


「……怖いですか、ヴェルさん」


「怖いです。手が——まだ震えてる」


 ヴェルが自分の手を見た。確かに震えている。でも——目は震えていない。


「怖いですけど——黙っている方が、もっと怖い。次に結晶の色が消える冒険者に、また『定着不全ですね』と言う自分が——もっと怖い」


 ノアが三人の足元で「クゥ」と鳴いた。小さく。


 日が沈んでいく。管理局の建物が、夕陽で赤く染まっている。200年間、秘密を守ってきた石壁が赤い。まるで——燃えているように見えた。


 明日から、何が起きるかわからない。管理局がどう動くか。ヘルドがどう反応するか。理事会が、局長のオルドが、何を考えているか。


 でも三人と一匹で、ここまで来た。


「飯、食いに行きましょう。腹が減った」


「カイさん。こういう時に——飯の話できるの、すごいですね」


「腹は減りますよ。告発しても」


 リラが笑った。ヴェルも——少しだけ笑った。


 街の食堂に向かう三人の影が、夕陽に長く伸びている。石畳の上に——三つの長い影と、一つの小さな影。ノアの影だけが、三つの影の間を自由に行き来していた。


 影の中を移動するノアは、どの影にも属さない。でも、どの影にもいられる。


「カイさん。何にしますか」


「飯。温かいやつ」


「温かいやつ、って——全部温かいですよ」


「じゃあ何でもいい」


「面倒くさがりすぎですよ」


 リラが笑った。ヴェルが眼鏡を押し上げて、微かに口元を緩めた。


 告発した日の夜——飯が美味かった。


 聞かなかった。ヴェルが何を思って食べているか。聞く必要がない。


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