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第24話「善意の壁」

 ヴェルがヘルドと対面した。


 管理局の会議室。俺とリラは建物の外のベンチで待っていた。午前の日差しが石畳を暖めている。管理局の建物は石造りで重厚だ。200年前から変わっていない外壁。この壁の中で、秘密が守られてきた。


 ノアが俺の影に潜り込んで、建物の方に耳を向けている。中の音が聞こえるわけがないのに、何かを感知しようとしている。リラも目を閉じて感知を広げているが、建物の中までは届かない。


「……長いですね」


 管理局の建物から、時計の鐘が低く鳴った。一つ。正午を過ぎている。ベンチの石が、日に暖められてじんわりと温かい。外壁の目地を見た。石工をやってた時に覚えた癖だ。目地の幅が均一で、補修の跡がほとんどない。200年間、この壁を壊す必要がなかった——ということだ。壊す必要がなければ、誰も中を見ない。


「ああ」


「カイさん。もし——ヴェルさんが、また左遷されたら」


「その時は俺たちが外から動く。ヴェルさんのデータは俺たちも共有してる。技師じゃなくても、証拠は証拠だ」


 リラが頷いた。拳を膝の上で握っている。


 1時間後。ヴェルが出てきた。


 顔色が——灰色だった。眼鏡がずれている。手が微かに震えている。帳簿を握りしめる力が、入りすぎている。


「……だめでした」


 声がかすれていた。一時間、ヘルドと対面で話した疲労が、体に出ている。


 路地裏に移動した。ヴェルが壁にもたれて、深く息を吐いた。


「ヘルドは——こう言いました」


 ヴェルが目を閉じた。


「『ヴェル。お前の能力は買っている。だからこそ——忠告する。この件は深入りするな。管理局の制度は200年間、この国の冒険者を守ってきた。お前が見つけたものは——事実かもしれない。でも、事実だからといって、今の制度を壊す理由にはならない。Lv7で結晶が消えたら、冒険者はどうなる? 一生を費やしたジョブを失う人間が大量に出る。混乱が起きる。俺は——それを守る側の人間なんだ』」


 善意だった。25年間制度を回してきた人間の、本物の善意。


「ヘルドは——改造の事実を認めたんですか」


「認めてはいません。『事実かもしれない』と言いました。つまり、信じたくないんです。信じたら、25年間の仕事が——」


「嘘の上に建っていたことになる」


「はい」


 リラが拳を握りしめていた。


「でも嘘じゃないですか。カイさんの結晶が正常なら、他の全員の結晶が改造されてるなら——みんな、選択肢を奪われてるんですよ」


「リラさん。あなたも——」


「私も。8年間、剣士を続けた理由の一つは——結晶がずっと赤だったからです。変えていいなんて、思わなかった。結晶が赤なら、剣士を続けるのが当然だと思ってた」


 ……。


 リラの言葉が、静かに重い。


「ヴェルさん。ヘルドの善意は——わかります。制度を守りたい気持ちも。でも——カイさんは17回、『壊れている』と言われ続けた。壊れてなんかいないのに」


「わかっています」


「じゃあ——」


「ヘルドのさらに上に行きます」


 ヴェルの声が変わった。


「ヘルドの上って、管理局の理事会ですか?」


「理事会に直接行くことはできません。でも理事会の議事録は、管理局の公文書として保管されているはずです。200年前の決議第37号がその後どう運用されたか。誰が知っていたか。追跡できます」


「それは前回の左遷より、もっと危険じゃないですか」


「危険です。でも——」


 ヴェルが俺を見た。


「カイさん。あなたは前に、『2回目はどうするかは、お前の基準で決めろ』と言いました」


「……言いましたっけ」


「言いました。前に正しいことを言って飛ばされた、って話をした時に。覚えてないんですか」


「……なんとなく」


「2回目の答えは——決まっています。前回は黙った。今回は——黙りません」


 ヴェルの白衣の袖口が汚れていた。帳簿のインクだ。書きすぎて袖についたのだろう。


「……ヴェルさん。俺にできることがあれば言ってください」


「商人としての納品ルートは維持してください。制限区画へのアクセスが必要になるかもしれません」


「わかりました」


「あと——カイさん」


「何ですか」


「報告書には書きませんが——あなたのことは、私が守ります。データとして」


「……データとして、ですか」


「あなたの結晶が正常であるという記録を——管理局の内部システムに残します。ヘルドに握りつぶされても、データは消えません。私が技師である限り」


 ……。


 ヴェルの手が震えていた。でも、ペンを持つ手ではなく——拳を握る手が震えていた。前回は握りつぶされて黙った男が、今度は拳を握っている。


「……ありがとうございます」


「礼には及びません。——報告書に書く必要がありますので」


 最後にいつもの口癖が出た。リラが小さく笑った。泣き笑いに近い。


「……カイさん。一つだけ聞いていいですか」


「何ですか」


「カイさんは——前に、弓兵にタイミングを間違えて指摘した時。あの後——やり方を変えましたよね」


「……ああ。見えても、伝え方を選ぶようになった」


「ヘルドも——同じだと思うんです。真実を見せられても、すぐには受け入れられない。でも——時間をかければ。やり方を変えれば」


「ヴェルさんの方が、俺より人を信じてますね」


「技師は——データを信じます。人のデータも。ヘルドは——悪い人じゃない。時間がかかるだけです」


 ノアが三人の足元で丸くなっていた。影の中に溶けかけて、目だけが光っている。金色の瞳が——三つの人間を、静かに見守っている。


 帰り道。三人で並んで歩いた。夕陽が通りを赤く染めている。


「ヴェルさん。次の手は」


「データを積みます。カイさんの結晶のデータを——もっと精密に。ヘルドが否定できないほどの量を」


 ヴェルの目が静かに燃えている。


「俺にできることは」


「商人としての仕事を続けてください。管理局との接点を維持してください」


「わかりました」


 リラが三人の真ん中を歩いている。全体を見渡す立ち位置に、自然と立っている。


「……三人で、やれますね」


「三人と一匹ですよ、リラさん」


 ノアが「クゥ」と鳴いた。


 面倒くさい。でも——悪くない。


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