第21話「制限区画」
管理局の正面入口。レンズ研磨材の木箱を肩に担いでいる。
納品伝票を提示した。メイナス商店経由の正式な取引契約。結晶技師部門への消耗品納入。納品先は地下倉庫B棟。制限区画の中だ。
「……納品ですね。こちらへどうぞ」
案内の職員が前を歩く。通常の受付ホールを抜けて、階段を降りる。地下の廊下は天井が低く、魔力灯の光が青白い。空気が冷たい。石と古い紙の匂いがする。
制限区画の扉。分厚い木の扉に、結晶を嵌め込んだ鍵がかかっている。扉の木目が黒く変色している。何十年も閉ざされてきた扉の色だ。職員が鍵を開けた。金属が擦れる重い音がして、冷気が廊下に流れ出た。
「倉庫はこの先の突き当たりです。納品が終わりましたら声をかけてください」
職員が離れた。
一人になった。
廊下の両側にドアが並んでいる。倉庫だけではない。書庫、記録室、そして「技術文書保管室」と書かれた部屋。
ヴェルが探していた場所だ。
倉庫に木箱を運び入れた。納品伝票にサインをする。ここまでは正当な業務だ。
……さて。
廊下に出た。技術文書保管室のドアは開いている。鍵がかかっていない。
中を覗いた。棚が壁一面に並んでいて、古い革装丁の帳簿と巻物が詰め込まれている。埃っぽい。蜘蛛の巣が棚の隅に光っている。空気が乾いていて、喉の奥がかすかにいがらっぽい。最近誰も出入りしていない空気だ。
全部を読む時間はない。でも商人の目で棚を見れば、何がどこにあるかの見当はつく。物の整理方法には癖がある。管理局の書類整理は年代順だ。奥に行くほど古い。
一番奥の棚。革が変色して、文字が薄くなった帳簿。触ると、紙ではなく羊皮紙だ。200年以上前。
一冊を手に取った。革の表面がざらついている。指先に、時間の重みが伝わった。表紙に「結晶安定化処置・施行記録」。
心臓が跳ねた。手が震えた。商人の手は取引で鍛えられているが、この瞬間ばかりは震えを止められなかった。
周囲を見た。廊下に人の気配はない。リラがギルドの外から感知で周囲を見張ってくれているはずだ。でも管理局の中までは届かない。自分の耳だけが頼りだ。
開いた。文字は古い書体だが、読める。羊皮紙にインクが染み込んでいる。200年の歳月を経ても墨がしっかりしている。良い紙に、良いインクで書かれた文書。重要な決定文書だ。
「管理局理事会決議第37号。全登録結晶に対し、安定化処置を施行する。目的:結晶のLv7返還を抑制し、ジョブ継続性を確保する」
Lv7返還を——抑制。
つまり結晶はLv7で色を返すのが本来の挙動。それを管理局が改造した。全員の結晶を。
「理由:Lv7返還の自由選択制度下において、冒険者のジョブ変更率が60%を超え、専門家集団の維持が困難になった。安定化処置により、Lv7返還を抑制し、冒険者を固定ジョブに定着させる」
60%。今は、俺だけだ。
「施行範囲:全新規登録結晶。既存結晶については段階的に処置。処置完了予定:20年」
200年前に全員の結晶を改造した。それ以降、結晶が色を返すことは「異常」とされた。
手が震えていた。帳簿を閉じる指が止まらない。
壊れていたのは、俺じゃなかった。
深呼吸した。石と紙の匂い。200年分の秘密の匂い。
帳簿を元の場所に戻した。位置を正確に覚えた。棚の何段目、左から何冊目。商人の記憶力で地図を焼き付けた。ヴェルに場所を教えれば、あとはヴェルの仕事だ。
帳簿を元に戻して、保管室を出た。廊下を歩いた。足音が反響する。心臓がまだ速い。
倉庫に戻って、納品書の控えを確認した。手が震えている。拳を握って、止めた。
職員を呼んだ。
「納品完了です」
「お疲れさまでした。次回の納品日は——」
「来週で」
「承知しました」
事務的なやり取り。何食わぬ顔で。商人の仕事をしただけだ。レンズ研磨材を運んだだけだ。それ以外は何もしていない。
制限区画を出て、階段を上がった。地上の空気が甘い。地下書庫の冷気から解放された体が、午後の日差しを吸い込んだ。日の光が眩しかった。
◇
ギルドの裏手で、ヴェルに伝えた。
「技術文書保管室。一番奥の棚。革装丁の帳簿。『結晶安定化処置・施行記録』」
ヴェルの顔が——白くなった。
「安定化……処置」
「全結晶の改造記録です。200年前。管理局理事会の決議で、全登録結晶にLv7返還の抑制処置を施行した」
「つまり——」
「本来、結晶はLv7で色を返す。続けるか変えるかを本人が選べた。それを管理局が選べなくした」
ヴェルが壁にもたれた。目を閉じた。
「……カイさんの結晶は——」
「改造が効かなかった。だから17回、本来の挙動通りに色を返した。俺だけが正常だった」
長い沈黙。
ヴェルが目を開けた。眼鏡の奥の目が——据わっている。
「その帳簿を——私が確認する必要があります。あなたの納品のタイミングで、もう一度制限区画に入れますか」
「次の納品は来週です」
「……来週。それまでに——準備します。記録を取る方法を」
リラが黙って聞いていた。ノアがリラの影の中で丸くなっている。
「……全員の結晶が、改造されてるんですか」
「文書の記述が正しければ、はい。私とリラさんの結晶も含めて」
リラが自分の手の甲を見た。菫色の結晶。魔物使いLv5の色。
「これも——本来なら、Lv7で色が消えるはずだったんですか」
「続けるか変えるか、選べたはずです」
リラの手が握りしめられた。怒りではない。何かを受け止めようとしている顔だ。
「……まず、確認しましょう。ヴェルさんが原本を確認してから。それまでは誰にも言わない方がいい」
「同意します。管理局の中にこの秘密を守ろうとしている人間がいるはずです」
ヴェルの目が何かを思い出しているように見えた。言わなかったが。
ノアが影から出てきた。俺の手の甲に鼻先を寄せた。透明ではなく灰銀の色。でも反応は同じだ。
こいつは——最初から何かを嗅ぎ分けていたのかもしれない。
ノアが「クゥ」と鳴いた。手の甲の灰銀色に鼻先を寄せた。尻尾がゆっくり揺れた。
——おかえり。
……いや。今回は色が消えたわけじゃない。結晶は灰銀のまま。でも——ノアがこの仕草をするのは、結晶が「正しい場所にいる」時だ。
俺は今——正しい場所にいるのか。管理局の秘密に手をかけて、危険な道を歩き始めて。
正しいかどうかはわからない。でも——面白い場所にいる。ノアはそれを知っているのだろう。




