第17話「商人の目」
商人Lv1。スキルはまだない。
でも、商人の仕事はスキルがなくても始められる。取引は対話だ。対話に結晶の増幅はいらない。
初日から、メイナス商店に行った。朝の市場は声が飛び交い、干し魚と革の匂いが混ざった空気が肌にまとわりつく。
「カイさん。商人に……?」
店主が俺の手の甲を見て、少し驚いた顔をした。灰銀のLv1。前回来た時は紫色の鑑定士だった。
「鑑定士のジョブが終わりまして。でも——目利きの経験はそのまま使えます。素材の仕入れ、値付け、販路の提案。鑑定士よりも幅広くお手伝いできると思います」
「……なるほど。確かに、あなたの鑑定は最初から——スキルじゃなくて、経験でやってましたもんね」
店主が頷いた。この人は、俺のジョブが変わっても態度が変わらない。ありがたい。
最初の仕事は、メイナス商店が抱えている在庫の整理だった。
中古品を扱う店には、値段のつかない品が溜まる。前回鑑定した金属片のような——用途がわからないまま棚に眠っている品々。それを整理して、適切な販路に流す。
鑑定士の目で品質を見て、鍛冶師の知識で素材価値を判断し、盗賊の経験で出土品の可能性を探る。17職分の知識が——商人のフレームで初めて、全部同時に使える。
指先で皮革の断面を撫でた。繊維の密度が指の腹に伝わる。
「この皮革、表面の加工は粗いですけど革自体は上質です。革細工屋じゃなくて、防具屋に回した方が高く売れます」
次に薬草の束を手に取った。指で茎を折ると、青臭い汁がにじんだ。鼻に近づけると——薬師時代に何度も嗅いだ独特の苦い芳香。品種がわかる。
「この薬草は干し方が雑ですけど、品種が珍しい。薬師ギルドに直接持ち込めば銀貨5枚は——」
「これは……ただのガラクタですね。銅貨2枚で叩き売りましょう」
半日で、在庫の三分の一を整理した。適切な販路に振り分けるだけで、推定利益が銀貨20枚以上増える。商人のスキルがなくても、17職分の知識があれば「何を誰に売るべきか」がわかる。
……と思っていた。
午後、市場で仕入れをした。薬師の経験で品質はわかる。山間部でしか採れない希少種の薬草を見つけて、銀貨8枚で買い付けた。品質は申し分ない。薬師ギルドに持ち込めば倍にはなると踏んでいた。
薬師ギルドの受付で、担当者が首を傾げた。
「品質は確かに良いですが……カイさん、この薬草、先月から産地のギルドが直販を始めたんです。うちは在庫が余ってまして」
銀貨8枚が——そのまま在庫になった。品質を見る目と、市場の流れを読む目は別物だ。17職やっても、商人の目はまだ持っていなかった。
メイナス商店に戻って事情を話すと、店主が笑った。
「カイさん。目利きは確かですけど——売り方がまだですね。品質が良くても、買い手がいなきゃただの草です。そこは商人の仕事です」
「……面倒くさい仕事ですね」
「ええ。面倒くさい仕事です。でも、面倒くさいのが得意でしょう」
店主がカウンターの奥から茶碗を二つ出した。カウンターの木の匂い、ニスと年月が染み込んだ独特の香りが、妙に落ち着く。
「うちの嫁が焙じたやつです。まあ飲んで」
茶碗を受け取った。木の実の香りが湯気と一緒に立ち上る。温かい。銀貨8枚の損失が胃の奥に重いが、この茶の温度が少しだけ溶かしてくれた。
報酬は銀貨7枚。仕入れの失敗を差し引くと、鑑定依頼時代と大差ない。目利きだけでは商売にならない。売り方を覚える必要がある。17回ジョブを変えても、新しいことはまだある。
◇
午後。ヴェルが管理局から出てきた。
フィールドジャケットではなく、白衣のまま。顔が強張っている。
「カイさん。少し——話があります」
「何ですか」
「場所を変えましょう。管理局の近くでは——」
ギルドから離れた路地裏。排水溝から立ち上る湿った石の匂い。壁の隙間から風が吹き抜けて、首筋を冷たくなぞった。リラとノアも一緒だ。ノアがヴェルの影に潜り込んでいる。珍しい。普段は俺かリラの影にしかいないのに。ヴェルの足元で丸くなって、目を閉じている。耳だけが小刻みに動いて、路地の両端を警戒している。不安な人間の近くにいる時の姿勢だ。
「管理局の地下書庫で——古い技術文書を探していました。200年前後の記録を」
「遺跡の壁に刻まれてた文字の年代ですか」
「はい。公式記録からは消えている——結晶の本来の挙動に関する記述を探していたんですが」
ヴェルが声を落とした。
「書庫の奥に——制限区画があります。一般の技師にはアクセス権がない。でも——」
「でも?」
「商人の納品伝票があれば入れるんです。管理局への物品納入業者は、制限区画の倉庫にも出入りできる。形式上は倉庫への納品だから」
……なるほど。
「つまり——俺が商人として管理局に物品を納入する契約を結べば、制限区画に堂々と入れる」
「はい。もちろん——本来の目的は物品の納入であって、文書の閲覧ではありません。でも、倉庫に入った際に周囲の部屋を見ることは——禁止されていません」
ヴェルの目が据わっている。技師の慎重さと、真実を知りたいという衝動が拮抗している。
「……ヴェルさん。あなた、前に左遷されたって言ってましたよね」
「はい」
「同じことになるかもしれない。今回は左遷じゃ済まないかもしれない」
「……わかっています」
「わかってて、やるんですか」
「カイさんの結晶は——正しく動いています。それを『定着不全』と分類し続ける制度は——おかしい。おかしいことを知って、黙っていることは——私には、もうできません」
リラが黙って聞いていた。目が鋭い。何かを決めた顔だ。
「私も手伝います」
「リラさん——」
「魔物使いの感知は、人の気配も読めます。制限区画の近くに人がいるかどうか——私が見張ります」
「……リラさん、そこまで巻き込むわけには——」
「巻き込まれてません。自分で選んでます」
リラの声に、剣士の頃の芯がある。
ノアがヴェルの影から出てきて、俺の肩に飛び乗った。「クゥ」と鳴いた。尻尾が俺の首筋を叩く。同意なのか催促なのか。
……面倒くさい。
面倒くさいが——面白い。管理局が何を隠しているのか。200年前に何があったのか。俺の結晶が「正常」だとしたら、他の全員の結晶は何なのか。
「……わかりました。商人の仕事として、管理局への納品契約を取ります。メイナス商店経由で。結晶技師用の消耗品——測定用レンズの研磨材なら、制限区画の倉庫に直接納入する理由になる」
「そこまで具体的に——」
「商人のスキルはまだ使いこなせませんけど、鍛冶師やってた時にレンズ研磨の素材を扱ったことがある。仕入れルートは知ってます」
17職分の知識が、こういう時に繋がる。
「ありがとうございます」
「礼はいりません。面白そうだから乗るだけです」
嘘だ。面白さだけじゃない。自分の結晶の真実を知りたい。17回色を失った理由を知りたい。「壊れてるんじゃなくて正しく動いている」——ヴェルのあの言葉が、ずっと頭に残っている。
でも——それを口にすると、何かが変わる気がした。だから黙っていた。
路地裏を出ると、夕方の風が三人の間を抜けた。リラの髪が揺れて、ノアが影の中から鼻先だけ出して風の匂いを嗅いだ。街路の石畳がまだ昼の陽気を含んでいて、足の裏から温もりが伝わった。
商人Lv1。灰銀の薄い色。19番目の色。
でも——この色で、初めて開ける扉がある。




