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第16話「繋ぐ色」

 三日間、何もしなかった。


 透明な結晶に三人の姿が映っていた日から——三日。あの日の温もりがまだ手の甲に残っている。色が消えたのに、冷たくなかった。初めてのことだった。


 結晶が透明に戻ってから——初めて、次のジョブを選べずにいる。


 宿の窓から、朝の市場の声が聞こえている。呼び売りの声。荷車の車輪が石畳を擦る音。どこかで焼き栗の甘い煙が上がっていて、窓の隙間から忍び込んでくる。いつもの朝だ。でも手の甲を見ると——透明だ。何者でもない朝。


 今まで17回、選択は簡単だった。掲示板を見て、面白そうなものを選ぶ。それだけ。戦闘系、魔法系、生産系、探索系、管理系——どの大分類も3つか4つは経験した。完全に未知の領域はもうほとんどない。


 でも今回は違う。


 リラがいる。ヴェルがいる。ノアがいる。


 鑑定士だった時に作ったチーム。リラの感知と俺の鑑定で依頼をこなし、ヴェルが結晶データを観察する。その形が——鑑定士でなくなった瞬間に、崩れた。


 リラは魔物使いとして成長を続けている。Lv4に届きそうだ。使役できる魔物の種類が増えて、角兎だけでなく森猪の感知もできるようになった。ヴェルは管理局の中で何かを調べ続けている。古い文献を探しているらしいが、詳細は教えてくれない。二人とも、自分の道を歩いている。


 俺だけが——透明な結晶を見つめて、止まっている。宿の部屋で、窓から差し込む朝日が透明な結晶を通過して、壁に小さな虹を落としていた。色のない石が、光を分解して色を生む。皮肉だ。


 ◇


「カイさん。そろそろ——決めないとですよね」


 ギルドの食堂。昼時の喧噪と、肉の焼ける音。スパイスの効いた煮込みの匂いが漂っている。リラがおずおずと切り出した。ノアが俺の膝で丸くなっている。透明な結晶に鼻先を寄せて、目を閉じている。


「……ああ」


「何か候補は」


「40種のうち18種はやった。残り22種。どれでも選べます」


「どれでも選べるのに——選べないんですか」


 ……鋭い。


「今まで——何で選んでたんですか?」


「面白そうかどうか」


「今回は?」


「今回は——面白さだけじゃ決められない」


 リラが黙った。何かを考えている。


「……私のこと、気にしてます?」


「気にしてません」


「嘘ですよ。カイさん、私がいるから選べないんでしょう。鑑定士じゃなくなったら、一緒に依頼を受ける理由がなくなるって——」


「……」


「私は——どのジョブでもいいです。カイさんの目は結晶の色じゃないですから」


「それは前にも聞きました。でも——現実的に、ジョブの組み合わせが噛み合わないとパーティが組めない」


 リラが首をかしげた。


「じゃあ——噛み合うジョブを選べばいいんじゃないですか?」


「……え?」


「今まで、面白さで選んでたんですよね。今回は——一緒にいるために選ぶ。それって、ダメなことですか」


 リラの声が落ち着いている。3ヶ月前とは違う声だ。


 ノアが俺の膝から降りて、リラの足元に座った。見上げている。金色の瞳が、リラの顔を映している。こいつもリラの味方だ。……いつからかは知らないが、たぶん最初からだ。


 ……。


 一緒にいるために選ぶ。


 17回、そんな選び方をしたことがなかった。一人だったから。一人で面白いものを追いかけていれば、それでよかった。


 でも——今は一人じゃない。


「……ヴェルさんに相談してみます」


 ◇


 管理局。ヴェルのブース。


 結晶が透明な状態で管理局に来ると、職員の反応が微妙だ。「ああ、あの人ね」という目。18回目の透明。いい加減、顔なじみだ。


「ジョブの選択で——相談があります。報告書に書く必要はないやつです」


「珍しいですね。カイさんが相談なんて」


 ヴェルが少し驚いた顔をした。


「今までは面白さで選んでた。でも今回は——リラさんと一緒に動けるジョブを選びたい」


「……なるほど。条件を整理しましょう」


 ヴェルが帳簿の新しいページを開いた。紙がめくれる乾いた音。インクの匂いがブースの空気に混じった。技師の顔になっている。


「リラさんは魔物使いLv4。後衛・感知型。カイさんに必要なのは——リラさんの後衛と組める前衛か、あるいは両者を繋ぐ役割のジョブ。戦闘系の前衛は結晶増幅なしでは厳しい」


「……ああ」


「生産系は現場に出ない。探索系は鑑定士とかぶる。魔法系は結晶依存度が高い。残るのは——」


「管理系」


「商人はどうですか」


 商人。管理系の中では珍しく、フィールドに出る。物品の流通・取引・交渉が主な役割。結晶の増幅に頼る部分が少なく、経験と知識で仕事ができる。


「商人なら——素材の売買で鑑定の知識が活きる。鍛冶師時代の武具の目利きも使える。リラさんの魔物使いと組めば、素材の採集から売買までカバーできる」


 ヴェルが帳簿に書きながら言った。


「それに——商人は人と人を繋ぐジョブです。カイさんの17職分の知識を活かすなら、見抜く力を人と人の間で使う方が——」


「面倒くさそうですね」


「ですが——合理的です。そして、カイさんが今まで見抜きを活かしきれなかった原因——C級の信用不足——を補える可能性がある。商人は取引相手との信頼で仕事をする。ランクではなく、実績で」


 ……面白いな、それ。


 面白いと思った。久しぶりに。


「……商人、か」


 ……そうか。


「決めました。商人で」


「……迷いませんね」


「3日迷いました。俺にしては長い。17回目までは1日で決めてた」


 ヴェルが帳簿を閉じた。眼鏡の奥の目が、少しだけ穏やかだった。


 管理局の窓口で手続きをした。透明な結晶に、淡い灰銀色が染まり始めた。商人の色。Lv1の薄い色。


 冷たかった手の甲に、じんわりと温もりが戻った。結晶が手の甲で微かに振動している——新しい色が馴染もうとしている感覚。19番目の色。


 ギルドに戻ると、リラが待っていた。掲示板の前で——今度は依頼書を睨んでいない。俺の手を見ている。


「……灰色? 銀色?」


「灰銀。商人の色です」


「商人——」


 リラの目が少し見開かれた。予想外だったのだろう。


「鑑定士じゃないんですね。……でも、なんでまた商人を?」


「繋ぐジョブだからです。リラさんの魔物使いと組める。素材の売買で鑑定の知識も活きる。……あと」


「あと?」


「一緒にいるために選んだ」


 口が勝手に動いた。また。


 リラの耳が赤くなった。ノアが俺の肩の上で尻尾をぱたぱたと振った。空気を読んでいるのか、煽っているのか。


「……カイさん。それ——普通、もう少し照れて言いませんか」


「何がですか」


「……何でもないです」


 ノアが肩の上で「クゥ」と鳴いた。尻尾を振っている。


 灰銀のLv1。19番目の色。薄くて頼りない光だ。


 不思議な感覚だ。重いのに——足取りが軽い。


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