第11話「エースの説教」
ギルドに入った瞬間、空気が違った。
いつもの酒と木の匂い。いつもの喧噪。でも、視線の質が違う。冒険者たちが一点を見ている。カウンター近くの——
赤。
深い、濃い赤。見たことのない深度の結晶色。手の甲に嵌まった結晶が、まるで内側から燃えているように光っている。
剣士Lv9。
男。俺と同い年くらい——33歳。背が高く、体格が良い。でも力任せの体つきじゃない。鍛え上げた上に、さらに削ぎ落とした体だ。剣士をやっていた時に見た、上級到達者の体型。
ギルドの冒険者たちが、少し距離を取って見ている。畏怖だ。Lv9は、この国に片手で数えるほどしかいない。
「——カイだろう」
名前を呼ばれた。男がこちらを見ている。
「誰ですか」
「シン。同期だ。……覚えてないか」
同期。13歳でジョブを始めた年が同じ、という意味か。俺が最初の剣士になった年に、同じ年齢で剣士を始めた——
「……ああ。覚えてる。入門式で隣にいた奴」
「覚えてたか」
シンが薄く笑った。20年前、同じ日に剣士の結晶をもらった。俺は4年後にその色を失った。シンは20年間、同じ赤を深くし続けた。
「話がある。付き合え」
命令形。悪気はないのだろう。こういう話し方が自然な人間だ。Lv9まで登り詰めた人間は、周囲が自然と従う。
リラが俺の後ろで固まっている。ノアがリラの影に潜り込んだ。ノアが怯えている。尻尾を巻いて、リラの影の奥に隠れている。
……ノア? B級冒険者が近くを通っても平気だったのに。Lv9の前では——尻尾を巻くのか。
「……リラさん、先に行っててください。依頼の報告、お願いします」
「でも——」
「大丈夫です」
リラが心配そうな顔をしたが、頷いて去った。ノアはリラと一緒に行った。
◇
ギルドの奥にある談話室。普段は使われない部屋だ。
シンが椅子に座った。俺も座った。テーブルを挟んで向かい合う。埃っぽい部屋だ。窓から差し込む光が、テーブルの傷を照らしている。
近くで見ると、シンの結晶は異常だ。赤が深すぎる。暗い赤。血の色に近い。Lv8の結晶でもここまで深くはならない。Lv9というのは、こういう色なのか。
「お前のこと、噂で聞いた」
「悪い方の噂でしょう」
「両方だ。『スキルなしで見抜く鑑定士』と、『余計なお世話のC級』。……あと、Lv6の剣士をジョブ変えさせたって話」
「事実です」
「知ってる。リラ、だったか。あの女の剣は俺も見たことがある。筋は悪くないが、踏み込みが遅かった。お前が魔物使いの適性を見抜いたって?」
「見えたから言っただけです」
シンが俺を見ている。値踏みしている目ではない。もっと真剣な——何かを確かめようとしている目だ。
「カイ。お前ほどの目があれば——一つに絞ればA級は硬い。なぜそれがわからない」
来た。
この手の説教は初めてじゃない。でも、Lv9から言われると重さが違う。
「俺は——」
「17回、ジョブが変わった。Lv7が天井。それは知ってる。でもな、Lv7まで半年で到達するっていうのは、才能がないわけがないんだよ。一つのジョブに留まって、Lv7の壁を越える方法を探した方が——」
「壁を越える方法は知ってます」
シンが黙った。
「Lv7の壁は——今までのやり方の限界です。越え方は一つじゃない。でも、俺が知ってるやり方は一つだけです」
「……知ってるなら、なぜやらない」
「俺の結晶が、先に壊れるからです」
沈黙。
テーブルの上に、午後の光が細く差し込んでいる。埃が光の中で漂っていた。
「シンさん。あんたはLv9だ。20年、一つのジョブを極めてきた。あんたの道は正しい」
「……」
「でも、俺の道が間違ってるとは限らない。やり方が違うだけです」
「やり方が違う——で済むか? お前、C級に据え置かれてるだろう。依頼制限まで食らいかけた。このまま続けて、どうなる」
答えられなかった。
シンが正しいことを言っている。俺のやり方は、数字の上では何も証明していない。C級のLv3。それが俺の現在地だ。Lv7に17回届いたという実績は、管理局のカードのどこにも反映されていない。
「お前は——もったいないんだよ」
シンの声が少し変わった。苛立ちが混じっている。でも、その下に——何か別のものがある。
「俺は20年かけてLv9に届いた。Lv10はまだ見えない。お前が半年でLv7に届く才能を持ってるなら——一つに集中すれば、俺より先にLv10に届くかもしれない。それを——」
「Lv10に興味はないです」
「——何?」
「……別に。Lv10を目指してるわけじゃないんで」
シンの目が鋭くなった。
「じゃあ何を目指してるんだ」
「面白いもの」
シンが黙った。数秒。テーブルの上の埃が、窓からの光の中で浮遊している。時間が止まったような沈黙。Lv9の男が——俺の言葉を噛み砕いている。
シンが腕を組んだ。結晶の赤が、組んだ腕の上で脈打っている。
「面白いだけで、一生C級でいいのか。お前が見る目を持ってることは俺もわかる。でもな——見る目があるやつが底辺にいたら、誰がそれを信じる。ランクは信用だ」
正論だ。弓兵の件が証明している。C級の言葉は、B級の前ではただの雑音になる。
「一生C級でもいいとは思ってません。でも、面白くないことのためにジョブを固定する気もない」
しばらく、二人の間に沈黙が落ちた。
シンが立ち上がった。
「……認めない」
「何をですか」
「お前のやり方を。才能の無駄遣いだ」
ドアに向かって歩き出して——振り返った。
「だが、お前が見たリラの適性は——正しかった。それだけは認める」
それだけ言って、出ていった。
一人になった談話室で、天井を見上げた。
……面倒くさい。
シンの声に混じっていた、あの別のもの。あれは何だ。
苛立ちの下にあったのは——何だ。Lv9。20年かけて届いた場所。でもLv10が見えない。
あと一歩が、いつ届くかわからないまま、歩き続けている男の声だ。
俺には見える。シンの結晶は深い赤で、完成度が高い。高すぎる。完璧に積み上げた剣の結晶が、そのまま固まっている。
でも、20年積み上げたものを壊すのは——
……俺の基準で言えることじゃない。見えても、今は言わない。
ノアが戻ってきた。リラの影から出てきて、俺の膝に飛び乗った。丸くなる。体が微かに震えている。まだ怖がっている。
さっきのノアの反応が気になる。Lv9の前で尻尾を巻いた。B級冒険者が近くを通っても平気だったのに。シンが近づいた瞬間、影の奥に隠れた。
シンの結晶が深すぎるからか。それとも、20年分の何かを、ノアは感じ取っているのか。
……わからない。
わからないことは、保留する。体感で答えが出るまで、待つ。17回、それでやってきた。
ヴェルに聞いてみるか。ノアがLv9の結晶に怯える理由——データで説明がつくかもしれない。
……いや。ヴェルは最近、管理局の中で何かを探っている。聞かれるまでは触れない方がいい。
シンは悪い人間ではない。善意で説教してくる。だから厄介なんだ。
リラの依頼報告を手伝いに行こう。




