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第77話 追憶の断章 真実と友情

 聖都の空に、世界の夜明けを告げる鐘の音が響き渡っていました。  

 魔導士団駐屯地の広場には、全隊員が集結し、張り詰めた静寂が支配しています。


「大隊長訓示!」

  女性士官による高らかな指示の声が、冬の朝の澄んだ空気に響き渡りました。

 壇上に立った大隊長は、重厚な声を全軍へ届けます。


「諸君、静粛に。本日、我らが女王陛下より、全大陸に向けた歴史的な宣言がなされた。諸君らもその肌で感じている通り、世界から忌々しい『ヴィルヘル』が消え去ったのだ」


 地鳴りのようなざわめきが広がるのを、大隊長は一喝して制しました。

「この奇跡は、偶然ではない。人知れぬ辺境の地で、二千年にわたり『魔王の封印』を命がけで守り続けてきた一族がいた。その封印の術とは、自らの命を触媒とする過酷な儀式であり、一族の若き魂の体内にこそ、魔王の意志は繋ぎ止められていたのだ。 その一族は、この非情な宿命を継承するべく、高貴な血筋にありながらも、平民としてその存在すら秘匿し続けてきた。……しかし、いかに強靭な血筋といえど、魔王を体内に宿せば、魔法を行使するたびに邪悪な魔力に侵食される。隣に立つ仲間を、愛する者を殺戮したいという抗えぬ衝動に焼き尽くされるのだ。その絶望的な孤独の中、魔王を倒し、世界を救うために立ち上がったのが、今回の英雄たちである」


 大隊長は手元の名簿を厳かに掲げ、二人を呼び出しました。

「セレナ・ランバルト・フォン・シュトラハヴィッツ第三小隊長准尉、ならびにファミール・ベルンシュタイン・フォン・エーデルガルト第六小隊長准尉。前へ!」

「「はっ!」 」

 二人は一歩前へ出ました。大隊長の言葉の端々に漂う不穏な気配に、胸の鼓動は激しく打ち鳴らされていました。


「英雄のうちの一人は、君らの親友エリカ・ヴァインだ。彼女と、ゼーレドルフ家嫡男ディオン・ゼーレドルフの二人にこそ、魔王は封じられていた。……ランバルト准尉、エーデルガルト准尉。君たちは、人がそんな邪悪な神を体内に飼って生きていけると思うかね?」


 その問いが投げかけられた瞬間、二人の脳裏には、あの駐屯地で見せたエリカの凍てつくような瞳が蘇りました。

(……あの日、あの子は。あの冷たい瞳の裏で、私たちを殺したいという『魔』の声と戦いながら、それでも必死に私たちを遠ざけて守ろうとしていたの……?)

 あまりに残酷な真実に打ちのめされたセレナの瞳から、大粒の涙が溢れ出し石畳に吸い込まれていきました。


「……いや、その涙で十分だ。二人とも、隊列に戻るがいい」  

 大隊長は、崩れ落ちそうな足取りで戻る二人に、さらに言葉を続けました。


「我が大隊の他部隊ではあるが、エリカ・ヴァイン元中隊長の中には、『魔王の意志』が封印されていた。魔法の行使は即座にその封印を蝕み、愛する者たちを殺戮したいという抗えぬ衝動を呼び起こしていたことになる。彼女が軍を辞め、村に隠棲したのは、ひとえに魔導師団の仲間をその牙から守るための、孤独な自己犠牲であったのだ」


 セレナとファミールは、訓示の最中であるというのに、もはや自力で立っていることすらできませんでした。

 止まらない嗚咽に肩を震わせる二人。

 いつも厳しく、軍人としての体裁を崩さない小隊長二人のその痛々しい変貌に、並んでいた部下たちまでもが堪えきれず、涙を流しました。

 周囲の同僚たちがそっと肩を貸しましたが、それを咎める者など一人もいませんでした。


 大隊長は再び全軍に向き直り、残る英雄たちの名を、魂を込めて読み上げた。

「さらなる英雄の名を刻め。古代エルフの叡智をもつ魔導弓の達人、アルベローゼ・ル・シルフェーン。鉄壁の盾となり、その身を砕いて仲間を守り抜いた盾の英雄、バハル・ストルツ・ガング。聖なる祈りで絶望の淵を支え続けた、ライナス・ゼーレドルフ。そして自らの魂を槍に宿し、一閃をもって絶望を切り裂いた槍使い、リニ・ストルツ・ガング……」


 だが、二人にはその言葉が、霧の向こう側へと遠ざかっていくように感じられていた。


 大隊長の声が一段と低く、鋭さを増す。

「彼らは我らの知らぬ異境へと赴き、魔王を屠った。その戦いは凄惨を極めたという。熱く焼けた鉄柱に内臓を撃ち抜かれ、四肢を飛ばされ、それを回復魔法で繋ぎ止めては、自らの寿命を削る魔導や剣技を行使したと聞く。……諸君らに、回復魔法が肉体をつなぎ合わせる際の『凄まじい痛み』を説明する必要はあるまい。この偉業は、永遠に語り継がれる伝説である。諸君、英雄を讃えよ! 我らの、民らの安寧をその身で守り抜いた、真の守護者たちを!」


 駐屯地は、地を揺るがすような歓声と拍手に包まれた。

 しかし、二人にはもはやその熱狂すら届かない。

 大隊長の演説も、兵士たちの叫びも、すべては現実味を失ったどこか遠い場所の出来事のように響いていた。


 翌日、夜勤を終えた二人は、その足で特別病室へと駆け込みました。  

 扉の前で立ち止まり、セレナは震える手をもう片方の手で必死に押さえました。

「……そんなの、あんまりじゃない」  

 内臓を撃ち抜かれ、四肢を飛ばされるほどの死闘。

 腰に帯びた真紅のサーベルが重く感じるほど、扉の向こうにいる親友の絶望は深く、重いものでした。


 ファミールも、祈るように胸元で手を組んでいました。

「私たちは、彼女が冷たくなったと……自分たちを置いて先へ行ったのだと、勝手に傷ついていた。でも、彼女は私たちの笑顔を守るために、自分を『化け物』だと蔑みながら、一人で凍えていたのね……」


 二人は壊れ物を扱うように、静かに、けれど固い決意を持って扉を押し開けました。  

 ベッドには全身を痛々しく包帯で巻かれたエリカが横たわっていました。

「……セレナ……ファミール……?」


 その掠れた声を聞いた瞬間、セレナはベッド脇に崩れ落ち、膝をつきました。

「エリカ……あんた、本当に生きてるのね。昨日、全部聞いたわよ。魔法を使うたびに、私たちが『獲物』に見えてたんでしょう? 私たちの首を絞めたくなる自分を、どれだけ呪ってたのよ……!」


 ファミールも、包帯に巻かれていないエリカの指先をそっと包み込みました。

「エリカ……私たちが、あなたに『追いつく』なんて言ったとき、あなたはどんな気持ちだったの? 自分の苦しみも知らないで……どれほどあなたを追い詰めていたかと思うと……」


 エリカの瞳から、三年間止めていた涙が溢れ出しました。

「……違うわ。あなたたちの……その真っ直ぐな眩しさが、私を『魔王』にさせない唯一の繋ぎ目だったのよ。でも、もう大丈夫。仲間たちが、私の中からあの『声』を追い出してくれたから」


 セレナはエリカの手を握り直し、泣き笑いの顔で顔を上げました。

「当たり前よ。いい、准尉として命令するわ。二度と一人で地獄に行かないこと。いいわね?」


 ファミールも、涙を拭って凛とした声で告げました。

「ええ。これからは私たちがあなたの監視役です。退院後の凱旋パレードも、戦勝パーティーも……警護の任務を無理矢理、騎士団に代わってもらってでも、私たちがあなたの傍に張り付きますから」


 二人の頼もしい言葉に、エリカは少し困ったように、けれど幸せそうに微笑みました。

「……私達のわがままって、通るかしら? 私、パーティーで警護されるのは嫌。二人には警護じゃなくて、私と一緒にパーティーを楽しんでほしいな。あの、私たちが無邪気に輝いていた魔法学園の初等科の時みたいに……」


 セレナとファミールは顔を見合わせ、大きく頷きました。

「任せなさい。大隊長に直談判してでも、あんたの隣を勝ち取ってあげるわ!」


 窓の外の聖都には、英雄たちの帰還と世界の夜明けを祝う鐘の音が、どこまでも清らかに響き渡っていました。

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