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第64話 追憶の断章 休暇

 ファミール邸の書庫。

 静寂が支配するはずの場所に、セレナの激しい身悶えとクッションを叩く音が響いていました。 「ああ、もう! どうして私だけがあんな報告を聞いてしまったの!? 思い出すだけで、もう……顔が火を噴きそうだわ!」  

 セレナは顔を真っ赤にして叫びます。

 学園内ではまだ誰も知らない、けれど彼女の家では既に決まった厳然たる事実。

 憧れのジュリアン先生が、美貌の師団エリートである自慢の姉と結ばれる――その決定は、セレナの心に激震をもたらしていました。


 その様子を、愛読書から目を離さずにいたファミールが、静かに本を閉じました。

「セレナ、落ち着きなさい。あなたの動揺のせいで、物語の続きが頭に入ってこないわ。……大人が決めた約束に、心が追いつかないのは無理もありません。でも、秘密を抱えるのが辛いなら、私の前でくらい、その重荷を降ろしてもいいのよ」  

 ファミールはエリカの小さな手を、そっと包み込みました。

「エリカ、あなたも。飛び級という孤独な道を歩むのは、暗い夜の森を一人で進むようなもの。でも、忘れないで。私という親友が、あなたの歩む道を、美しい詩の一節のように整えてあげますわ。……あなたはただ、あなたの信じる明日だけを綴っていればいいの」


「ファミール……。ありがとう、心強いわ。ちょっと詩的過ぎるけど」  

 エリカが微笑むと、セレナも「そうよ! 私だって力であなたを守るわ。お姉様の結婚準備でもじもじしちゃうけど!」と、力強く頷きました。


 翌日、ファミール邸の庭を訪ねたテオドールは、エリカに一冊の魔導書を差し出しました。 「エリカさん。……飛び級おめでとう。君という稀代の才能を前にして、自分が立ち止まっていること、それが何より口惜しいんだ」  

 テオドールは真っ直ぐにエリカを見つめました。

 名門ランバート家の次男として、魔導の深淵を覗く者としての静かな自負がその瞳に宿っています。

「兄上だけではなく、僕もまた、君を苛むあの『闇』を鎮めるすべを極めたい。来期までに、精神負荷軽減魔法――を完璧に習得してみせるよ」

 その言葉には、少年らしい焦燥を超えた、気高い決意が込められていました。


 エリカが「ありがとうございます、テオドール様。私も負けないように頑張ります」と微笑むと、テラスからそれを見ていたファミールが、凛とした声を投げました。

「テオドール様、口上は立派ですが、あなたの魔導演算はまだその自負に追いついていませんわ。エリカの『隣』という座席がどれほど得がたいものか、お分かりになって? 私を納得させたければ、まずはその言葉通り、私とファミールに魔力演算だけでも並ぶことね」

「ファミール嬢……。厳しいな。でも、君に認められなければ、エリカさんの横には立てないということだね。受けて立つよ」


 後半の五日間、セレナの伯爵邸でのパーティー。

 親しい者だけを招いた小規模な席に、姉の婚約者となったジュリアン先生が姿を見せると、セレナの挙動不審は頂点に達しました。

「せ、先生! 本日はあちらの……あちらのバラが、とってもトゲトゲしていますわね! 健やかで何よりですっ!」  

 支離滅裂な挨拶をして逃げ出すセレナを、ジュリアンが不思議そうに見送ります。

「……セレナ嬢はどうしたんだ? 以前にも増して情緒が不安定なようだが」


 すかさずファミールが割って入り、ジュリアンの視線を遮りました。

「先生、乙女の心は秋の空よりも移ろいやすく、複雑なもの。特に、敬愛する師が家族の一員になるという変化は、劇薬のようなものですわ。それを不躾に探るのは、紳士としての作法に欠けます」

「すまなかった。私の負けだ」

 ジュリアンは、苦情するしかなかった。


 翌朝、村へと帰る馬車が用意されました。

「エリカ、村に帰っても私のことを想って。あなたの物語の中に、私の名前を刻んでおいてほしいの」


「ファミール、ロマンチックすぎるわよ! エリカ、私のことも忘れないでね。次に会う時は、私もこの『もじもじ』を克服して、もっと素敵なお話をしてあげるから!」  

 二人の親友の言葉を胸に、エリカは手を振りました。

 馬車は春の光の中、懐かしい故郷へと走り出していったのです。

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