第62話 追憶の断章 才媛
王都の一角、王国の叡智が結集する魔導技術開発局。
その重厚な石造りの門を、試験監督のマルクス・ヴァレンタインが血相を変えて叩き、魔導理論研究室指導班の窓口に一通の答案用紙を叩きつけた。
「これを、早急にロバート・ガイル主任へ。一刻を争う事態だ!」
窓口の若き魔導士は、答案の表紙に躍る『初等科一年・エリカ・ヴァイン』の文字を一瞥し、鼻で笑った。
「マルクス先生。ここは学園の落とし物預かり所ではありませんよ。我々指導班は今、国家プロジェクトである『海の大型ヴィルヘルに対応する爆破魔法で撃ち込むことが可能な大型魔導銛砲』の開発で不眠不休なんです。初等生の答案を精査する暇などありません」
「落書きかどうか、お前のその節穴で確かめてみろ! 」
マルクスの気迫に、受付は毒づきながらも解答欄の数式に目を落とした。
数分後、魔導理論研究室からあらゆる雑音が消え失せた。
資料を奪い取った指導班主任、ロバート・ガイルは震える指で数式を追っていた。
「……馬鹿な。ありえない。既存の魔導空間理論を根本から否定している。いや、これは『否定』ではない。魔導空間を『箱』ではなく『流体』として計算しているのか……!?」
研究室内の専門家たちが一斉に集まり、紙面を食い入るように見つめ絶句した。
「主任、この第九項を見てください……。欠落していた『エテルナ定数』の逆説的アプローチが完璧に埋まっています。これだけで、我々が十年費やした研究がすべてゴミに変わる……」
ガイルは呻いた。
「おい、このエリカ・ヴァインとは何者だ。どこかの魔導名家が隠していた秘蔵っ子か? 天才という言葉では足りない。これは……深淵そのものだ」
事態は研究室の壁を突き破り、物理的な速度で王国中枢へと波及した。
「早馬を出せ! 第一から第五までの全魔導師団長、並びに魔導師団司令官ヴォルガード公爵へ! 拒否は許さん、国家の存亡に関わる発見だ!」
ロバートの叫びと共に、数騎の早馬が石畳を鳴らして王都を駆け抜けた。
さらに事態を重く見た聖教会の大司教クリストフ(※1)、そしてついに、王宮の女王ローザ・マリア(※2)へも「初等生の答案用紙が、世界の真理を書き換えた」との急報が届けられた。
第一師団長、ドラグノフが、法衣を翻して指導班の部屋へ踏み込んできた。
「ガイル! 初等生の紙切れ一枚で私を呼び出したのが間違いなら、この場で魔導の塵にしてくれるぞ!」
「師団長、まずはこれをお読みなさい!神が!女神の降臨です!」
(※1)クリストフ:本編開始時の大司教の前任にあたる人物。
(※2)ローザ・マリア:本編開始時の女王の前任にあたる人物。
開発局の最深部、厳重に閉ざされた会議室。
円卓を囲むのは、各魔導師団の長と王国の重鎮たちであった。
「どうしていいかわからないわ……。これが、たった九歳の少女が書いたものだなんて」
第三師団の才女、ベアトリス団長が青ざめた顔で溜息をついた。
未解決問題である以上、この理論が100%正しいと客観的に証明するには、この聖国魔導理論研究室の精鋭たちが再演算しても最低3日はかかる。
しかし、ここにいるプロたちがざっと目を通した限り、矛盾も、破綻も、一点の曇りもなかった。
今までに誰もが考えられなかった理論を、彼女は呼吸するように使いこなしていた。
誰もが魔導空間の『歪み』を直そうとした。
だが、この娘は『歪みごと魔導空間を吸収する』という、誰も思いつかなかった逆転の発想を使っている」
司令官ヴォルガードが重々しく口を開いた。 「理論は合っているだろう。問題は、これを彼女が『試験の合間』に、暇つぶしのパズルのように書き上げたという事実だ……。我々は、至宝を見つけたのではない。女神の指先を、見つけてしまったのかもしれん」
会議室は、異常な緊張感に包まれた。
その頃、当のエリカは学園の食堂で「あの問題、ちょっと難しかったけど、パズルみたいで楽しかったね」とセレナやファミールと無邪気に笑い合っていた。
午前中の魔導実地試験では、エリカと組み合わせ予定だったトビー・ラングが「急な腹痛」で欠席した事が、彼女らの新しい話題になっていたのだ。




