第61話 追憶の断章 試験
グラングラム先生の「誰か相手をする者はいるか」という問いに、教室内が静まり返る中、一人の少年が勢いよく手を挙げました。
「はいはーい! 俺がやりまーす! エリカちゃんと一発、ドカンとやり合いたかったんだよね!」
名乗り出たのは、クラス一番のお調子者、トビー・ラング。
成績は下から数えた方が早く、いつも授業中に居眠りをしては怒られている少年です。
途端、クラスのあちこちから容赦ない野次が飛びました。
「おいトビー、正気か? 秒で蒸発して消滅するぞ」
「葬式の準備なら今からしてやろうか?」
防御魔法の権威であるグラングラム先生までもが、哀れみの視線をトビーに向けます。
「……ラング君。君の勇気だけは認めよう。だが、もしエリカ君が手加減を誤れば、死体が残れば運がいい方だ。遺言書は今日の放課後までに提出したまえ」
「えっ、先生!? 冗談きついって!」
トビーは顔をひきつらせましたが、エリカは申し訳なさそうに「……なるべく、優しく撃つね?」と小声でフォローするのでした。
実技試験を数日後に控え、女子寮のエリカの部屋には、セレナとファミールが集まっていました。
「ねえ、トビーのあの顔見た? 先生に遺言書って言われた時の顔!」
セレナがベッドの上で転げ回りながら笑います。
「でも笑い事じゃないわ。エリカ、トビーを相手にするなら、魔力を極限まで絞らなきゃダメよ。彼、防御魔法も苦手なんだから」
ファミールが眼鏡を直しながら真面目にアドバイスしますが、話題はいつの間にか、聖夜にジュリアン先生の家で飲んだココアの味や、直しているドレスの進捗状況へと流れていきます。
「あ、いけない! 勉強しなきゃ!」
エリカが慌てて参考書を開きますが、セレナが「ねえねえ、そういえばテオドール様がね……」と新しい話題を振ると、再び三人の笑い声が部屋に響きます。
結局、参考書が一ページも進まないまま、夜は更けていくのでした。
そして迎えた筆記試験当日。
教室にはペンが紙を走らせる音だけが響いています。
エリカは、迷うことなくスラスラと解答を埋めていきました。
試験監督を務めるのは、厳しい指導で知られるマルクス・ヴァレンタイン先生。
(……おかしい。他の生徒が頭を抱えている第5問も、彼女は一切手を止めない)
マルクス先生は、エリカの横を通るたびにチラチラと彼女の答案を盗み見ます。
彼女のペン先から生み出される数式は、まるで生き物のように美しく、淀みがありませんでした。
実は今回の試験、マルクス先生はある「仕掛け」をしていました。
最終問題に、現代の魔導理論では未だ解決されていない『空間干渉における魔力損失の再定義』という超難解な理論の一部を紛れ込ませていたのです。
(考え方さえ筋が通っていれば合格にするつもりだったが……まさか、これ、解いているのか……!?)
エリカの答案に並ぶのは、既存の教科書には載っていない独自の定理。
しかし、その論理構造はあまりにも完璧でした。
テスト終了を告げる鐘が鳴り、答案を回収したマルクス先生の手は、興奮で小さく震えていました。
(これは私一人の手には負えない……。すぐに、魔導技術開発局の魔導理論研究室、指導班に持っていかなければ!)
エリカ本人は「ちょっと難しかったかな?」と首を傾げながら友達と教室を出ていきますが、残されたマルクス先生は、歴史が動く瞬間に立ち会っているという予感に心臓の鼓動が止まりませんでした。




