重なる戦意
赤黒い火柱が幾条も夜空を貫き、爛れた雲の腹を焦がしていく。
爆音が地を叩くたびに、悲鳴がそれに追い縋るように市街地を這い回った。
石畳は熱を孕み、焦げた木材の匂いと血の匂いが混ざり合って、鼻の奥にまとわりつく。
ルカを先頭に、シュナンとキリックをはじめとする仲間たちが、瓦礫と煙の渦巻く路地を駆け抜ける。
足音は不揃いのようでいて意志は一つのもとに揃っていた。
駆けるルカの脳裏には、決して忘れることの叶わぬ記憶が蘇る。
今、街中に広がっているの炎と、あの夜の炎が、不吉なほど重なり合う。
――盗賊たちの襲撃によって赤々と燃え盛り、悲鳴と血に染まった故郷の村。
ただ恐怖に竦み、母の命すら守れず、足元に広がる血だまりを眺めることしかできなかった、あの惨めで無力な自分。
(……あの時と、同じ炎――僕はもう、奪われるのを黙って見ていたりはしない!)
奥歯を噛みしめ、拳の中で爪が皮膚に食い込む。
過去の無力感と、いま燃える意志とが交錯し、瞳の奥に眠っていた熾火を静かに解き放つ。
「キリック、空からの様子は! 首謀者は、見つかった!?」
後方を走るキリックへ、声を張る。
「捉えた! 三時の方向――明らかに異質な連中がいる。あいつらが、この混乱の中心だ!」
「――僕が先行する!」
言うが早いか、ルカは地を蹴った。爆発的な加速。仲間の声が、風にちぎれて後ろへ流れていく。
市街地の広場は、惨たらしいものだった。
逃げ惑う市民の悲鳴に、理術と刃物を振りかざす『黒い錨』の構成員たちの哄笑が混ざる。
その中心――崩れ落ちた石像の台座の上に、一人の男が悠然と立っていた。
冷たい笑みを浮かべたまま、指先ひとつで部下たちを操っている。
「ケトレー様、首尾は上々かと。炎が街を飲み込むのも時間の問題です」
「そうか。続けろ」
男――ケトレーは、灰混じりの風に前髪を揺らしながら、街の炎を眺めていた。
「さて。オーダーはどう出てくる」
「急報 オーダーが封鎖を解除、我々との交戦を開始しました」
報告に、ケトレーの表情は微塵も動かない。
「ほう。思い切りがいいじゃないか」
薄く笑い、顎をしゃくる。。
「付き合ってやるとするか。奴らを引きつけろ――ボスが逃げる時間を稼ぐぞ」
短く言い放つ。
その刹那、突風とともに広場へ乱入する影があった。まさに、鉄拳。
大気を切り裂く唸りを上げ、ルカの一撃がケトレーへと迫る。
ケトレーは半歩退くと同時に、地中から自身とルカの間に土の防壁を隆起させた。
轟音とともに防壁が砕け散り、粉塵が舞った。
「……意外に、早かったな」
粉塵の向こうで、ケトレーが値踏みするように口角を吊り上げる。
「だが、たった一人で乗り込んでくるその蛮勇――褒められたものじゃないぞ、少年」
「決めつけるはやめろ。これは、蛮勇なんかじゃない。お前を仕留めるっていう、僕の決意だ」
ルカの声に、迷いの色は欠片もない。
決意の籠った眼光が、まっすぐにケトレーを射抜く。
「勇ましいことだ。ならば、その意志ごと全身全霊で叩き潰してやる」
ケトレーが両手を広げ、地に低く声を落とす。
「土属性・中等理術――『土傀の軍人』」
呼応するように空間に土が集い、渦を巻きながら複利的にその質量を増していく。
まずは、礎となる太い足腰が生まれ、次いで巨腕が、最後に鎧を纏った顔貌が形作られる。
創出されたのは、人の体躯を悠々と凌駕する、岩の鎧を纏った巨兵だ。
「さあ、どうする。半人前の隊員くん」
「ぶっ倒す。それだけだ――お前も、その土人形も」
土の巨躯が身じろぎするたび、踏み込んだ足場に幾筋もの亀裂が走る。
勢いを殺すことなくルカへと肉薄し、凄まじい連撃の雨を叩き込む。
視界を覆い隠す巨大な岩拳が、唸りを上げてルカを狙う。
ルカは己の拳でそれを迎え撃つ。
衝突の余波が爆風となって周囲を薙ぎ払い、砂塵が舞い上がった。
衝突の余波が爆風となって周囲を薙ぎ払う。
だが――真の脅威は、土人形ではなくケトレー本人だった。
「がら空きだぜ、少年」
囁くような声が、真横から。
死角から差し込まれたケトレーの拳が、ルカの脇腹を捉える。
鈍い衝撃がルカの身体を貫いた。
「くっ……」
呻きとともに、ルカの体が吹き飛び、建物の残骸へと叩き付けられる。
見れば、ケトレーの腕には土人形と同質の岩鎧がまとわりついていた。
(僕が土人形の攻撃に気を取られた隙に、懐へ入られた……こいつ、戦い慣れてる)
口の端から一筋、血が伝う。
「多勢に無勢――袋叩きとはまさにこのことだ」
ケトレーの合図とともに、控えていた手下たちがルカを取り囲む。
無数の殺意が、じわりと輪を狭めてくる。
「ふっ……」
それでもルカの口元には、崩れることのない自信が滲んでいた。
「僕は先陣を切っただけ。そして、負けるつもりも毛頭ない」
崩れた瓦礫を踏みしめ、立ち上がる。その表情には、疲弊よりも確信が滲んでいた。
「お前、何を――」
いぶかしむケトレーの言葉を遮るように、隣に控えていた部下が突如として巨鳥の襲撃を受け、悲鳴とともに吹き飛ばされる。
続けてもう一人、凄まじい打撃音とともに地に沈んだ。
「ルカ! やっと追いついた、無事か」
シュナンとキリック、そして駆けつけた仲間たちが合流を果たす。
「結構な修羅場じゃないか、援護するぜ」
シュナンが三節棍を軽やかに構え、不敵に笑う。
「あいつをやれば、こいつらは崩壊するんだな」
キリックが鋭くケトレーを睨めつけた。
「はっ。頭数が増えただけだろう」
「少なくとも、数の利は無くなったぞ」
ケトレーの挑発をキリックは、軽くいなす。
「――これからが、本番だ」
ルカが静かに、しかし確かな熱を込めてケトレーに告げる。
混乱の源流を断つ戦いが、今まさに幕を開けた。
同時刻。古城跡地――地下迷宮への入り口。
冷え切った空気が、地の底から吐き出されるように漂っている。
「作戦開始だ。突入しろ」
「行くわよ、付いてきなさい」
エンジの号令にアインが応じ、迷わず暗闇の奥へと真っ先に闇へ踏み込んだ。
部隊もまた、後を追うようにその背に続く。
重々しい闇が横たわる巨大な石造りの穴から、突如として不気味な地鳴りが響き渡った。
空気そのものが震え、肌が粟立つほどの気配。
アインたちが身構えたその瞬間、地下の深淵から湧き出るように、『黒い錨』の構成員たちが怒涛の勢いで溢れ出してきた。
「ちっ」
アインの舌打ちを塗り潰すように、怒号が空間を満たす。
「誰一人として通すな! 地上へ躍り出ろ!」
先頭の男が吠え、侵入を拒む、圧倒的な物量の敵勢が展開された。
(混戦になるわね……)
アインの紅い瞳が、冷徹な光を宿す。
「戦線を整えるわよ。探知・探索ができる人から先行して!」
鞘から剣を滑らせ、雪崩れ込む雑兵たちへ躊躇なく斬り込んだ。
アインを筆頭に、部隊が死闘の火蓋を切る。
剣閃が舞うたび、敵が一人、また一人と斃れていく。
膠着の気配が漂いはじめたその時、構成員を率いる男の背に、突如として炎の翼が生えた。
「炎属性・中等理術――『灼炎の双翼』」
炎の翼が大気を叩く。
夜空が赤く染め上げられ、頭上の空気が陽炎のように歪むほどの熱量が場を支配する。
「退避しろ! シューガさんの攻撃に巻き込まれるぞ!」
その号令一下、構成員たちは瞬時に交戦を解いて場を開ける。
彼らは、まるでアインたちを生贄として捧げるかのように陣形を変え、包囲を組み直す。
「一網打尽だ。短絡的な作戦を立てた己を、悔いるがいい」
高らかな宣言とともに見上げれば、古城跡地の上空には巨大な火の輪がゆらめき、灼熱の熱気が渦を巻いて広がっていた。
『黒い錨』の幹部――シューガ。
その背には、轟々と赤黒い炎を吹き上げる巨大な双翼が、夜を焦がしながら羽ばたいている。
「すべて焼き尽くしてやる!」
シューガが両腕を振り下ろすと同時に、上空から土砂降りのごとく大量の炎弾が翼から掃射される。
地上全体が瞬く間に灼熱の火の海と化し、味方の陣形が瓦解するのは、もはや時間の問題に思われた。
降り注ぐ火炎を、アインは自らの身だけでなく、周囲の味方に届くであろう分まで、たった一本の剣でしのぎ続ける。
それも、束の間の気休めに過ぎない。
だがアインの瞳に、焦りの色は微塵もなかった。
まるで、何かの到来をただ静かに待っているかのように。
(空を飛ぶ敵が現れるなんて、ついてないわね。あんた達の出番よ)
「誰が短絡的だって? この程度の小事、備えるているのが当然だろうが」
シューガの周囲に、薄く煙が漂いはじめる。
「邪属性・煙理操術――『虚空を架ける灰嶺』」
煙が密度を増しながら、宙に足場を編み上げていく。
その上に忽然と現れたのは、エンジだった。
エンジはシューガめがけて跳躍し、薙刀を鋭く振り下ろす。
「ふん。届くと思ったか」
シューガは炎の翼を強く打ち、紙一重の旋回でエンジの一撃を優雅に躱してみせる。
「ああ、届いたさ。俺じゃなかったのが口惜しいけどな」
灰色の足場に、黒い影が一つ残されていた。その漆黒の中から、踊るようにレーシェが躍り出る。
「こっちは最初から、二段構えだよ」
得意げに言い放ち、跳躍した勢いのまま双刀を振るう。
閃光が奔り、シューガの背に生えた片翼を、根元から深々と鮮やかに切り裂いた。
「ぐぅぅ――!?」
翼を半ば失ったシューガは姿勢を大きく崩し、空中から地上へと勢いよく墜落していく。
「ミヨク、やれ!」
エンジの声が響き渡ると、地上で待機していたミヨクが素早く両手を地につき、理術を発動させる。
「土属性・中等理術――陥穽の計」
轟音とともに地面が陥没し、シューガの落下地点の直下に、垂直に切り立った超巨大な深穴が穿たれた。シューガは叫び声とともに、その深い奈落の穴底へと激しく墜落する。
さらに、上空から飛び降りていたエンジとレーシェもまた、その勢いを利用して穴の内壁を滑り降り、落ちたシューガの目の前へと着地した。
「今だ、出口を塞げ!」
エンジの一声を合図に、穴の上方――開口部に向け、待機していた雷属性の味方が即座に理術を発動する。
「雷属性・初等理術――『雷網封殺』」
青白い電流が網目状に交錯し、天井を覆う「雷でできた蓋」が瞬時に構築された。
上空への脱出路は、強烈な電撃の檻によって完全に封鎖される。
光の届かぬ、暗く狭い深穴の底。
電撃の網蓋から漏れる青白い閃光だけが、穴底の惨状を怪しく照らし出している。
背の翼を半ば失い、土にまみれながらも荒い息で立ち上がるシューガ。
その眼前には、逃げ場のない狭小空間の中、静かに武器を構え、冷徹な眼光を向けるエンジとレーシェの姿があった。
「なるほど。俺を孤立させるのが狙いか」
「上策だろう? お前に好き勝手暴れらるわけにはいかないからな」
「浅はかだな。これは、愚策としか言いようがないぞ」
シューガが、ゆっくりと立ち上がる。
「たしかに、足止めが機能すれば策としては上等――だが、お前らごときに俺が止められるとでも?」
言い放つと同時、シューガは半ば失った背の羽を再生させ、腰に佩いた二刀の剣を静かに引き抜く。
切っ先が、青白い電光を映して鈍く光った。
「わからないやつだな。なら、言い直してやるよ」
エンジが、大胆に笑う。
「これは――お前をぶちのめすための、作戦だ」
エンジの意気揚々とした宣告が地下深くに反響し、シューガとの死闘の予感が、その狭小な空間全体を静かに満たしていった。




