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選別の森

霧が立ち込め、周囲はまだ薄暗かった。

湿った空気の中、眠気の抜けきらない生徒たちが次々と広場に集まってくる。


「なんだよ……こんな朝っぱらから」


エンジが目をこすりながら、不満を隠そうともせず呟いた。


「これも訓練の一環でしょ」


ルカは小さく欠伸を噛み殺しながら答える。

やがて教官たちが現れ、生徒たちに整列を命じた。


「遅い! もたもたするな!」


怒号が霧を切り裂く。

その声に、ルカの心臓が強く締めつけられた。

生徒たちは慌てて列を整える。


「改めて見ると……壮観だな」


隣に並んだエンジが、小声で囁いた。

視線の先には、乱れのない整然とした隊列。

確かに圧巻だった。


「全員が揃うのは、入校式以来だね」


ルカも同じく声を潜めて応じる。

教官の一人が前に出た。背後には、険しい山並みがそびえている。


「入校から五日間、諸君らには寮ごとに基礎訓練を受けてもらった」


低く、よく通る声だった。


「だが本日より、訓練は次の段階へ進む」


一拍置いて、教官は山を指す。


「最初の課題は――あの山の向こうにある拠点へ到達することだ」


ざわめきが走る。


「なお、制限時間内に到達できなかった者には――フィークス教官による特別指導を受けてもらう」


その名が出た瞬間、空気が変わった。


「……また、あれかよ」


エンジがあからさまに眉をひそめる。


「確かに……二度とやりたくないね」


ルカも苦笑を浮かべた。

基礎訓練で受けた、あの苛烈な指導を思い出したのだろう。

周囲の反応が一様なのも無理はない。

やがて生徒たちは山林の入口へと移動させられた。


「制限時間は五時間――訓練開始!」


号令と同時に、全員が一斉に駆け出した。

地面が震えるような足音。

その中で、ルカは誰よりも早く前へと飛び出す。

木々の間を縫い、乱れた足場を軽やかに蹴る。

倒木や岩を、まるで存在しないかのように回避していく。


洗練された動き。

カヤトとの特訓で鍛えられた足腰は頭一つ抜けている。



(速い……)


エンジは舌を巻きながらも、その背にぴたりと食らいつく。


「お前、どこで鍛えたんだ? 普通じゃ身につかないぞ」

「父さんに、みっちり叩き込まれたんだ」


ルカは振り返らずに答える。


「君こそ、ついて来れるなんて」

「家庭の方針だ。……まあ、そんなもんさ」


エンジは肩をすくめた。

互いに笑う余裕すらある。


やがてコースの中盤に差しかかった頃――


「トップは、俺がもらう」


エンジが得意げに笑い、速度を上げる。


「受けて立つよ」


ルカも応じ同様に速度を上げた。

二人の距離が、わずかに広がる。


それからしばらく――


「見つけたぞ、レアルド!」


背後から声が飛んだ。

後ろから、二人の生徒が迫ってくる。


「入校式のときの……!」


エンジが目を見開いた。


「素直に先へ行かせると思ったか?」


叫ぶや否や、もう一人が石を投げる。

風を裂く音。


ルカは最小限の動きでそれを躱した。

石がかすめ、髪がふわりと揺れる。


「何するんだ!」


「バカめ、課題は“到達”だ。妨害禁止なんて言われてないだろ?」


挑発的な笑みを浮かべるミヨク。


「……あいつら」


ルカは小さく息を吐いた。

呆れすぎて腹も立たない。


「じゃあ、こっちが反撃しようと文句はねえよな」


エンジが投擲。

二投目を用意していたサダリに被弾。

四人の間に緊張が走る。



しばらく互いを牽制し合っていた。


――次の瞬間。


いきなり地面が崩れた。


「っ!」


ミヨクとサダリが足を踏み外し、落とし穴に消える。


「罠……!」


驚く暇もない。

左右から、縄で括られた丸太が振り子のように襲いかかる。

ルカは身体を反らし、ぎりぎりで回避した。


「気をつけろ、この辺りから仕掛けがある!」


エンジの警告が飛ぶ。


「事前説明なし……かよ」


愚痴をこぼすエンジ。


「これも訓練ってわけだね」


ルカは身を引き締めた。


「次から次へと、この嫌な配置。仕掛けたのはフィークス教官か、あの性悪爺いが」


周囲を把握する。


「決めつけは早いよ」

「いいや、絶対あいつだ」


言いながらも、二人は足を止めない。

ぬかるんだ斜面に差しかかる。


「滑るぞ!」


「上から、行こう!」


ルカは木の枝に飛び乗り足をかけた――

その瞬間、鈍い音とともに枝が折れる。


「っ!」


身体が宙に浮いた。


「ルカ!」


エンジの声。

だがルカは体勢を立て直し、地面へと着地する。

直後、上から岩が転がり落ちてきた。


「くっ……!」


身を丸め、衝撃に備える。

激突。

重みが全身にのしかかる。


「……無事か!」


「なんとかね」


ルカは笑ってみせた。

だが、呼吸はわずかに乱れている。

エンジは折れた幹を見下ろした。

断面は不自然なほど滑らか――人為的に切断されている。


「ここまでやるか……」


「時間、使っちゃったね」


ルカは再び走り出した。


森を抜けた先――

二人はほぼ同時に拠点へと飛び込んだ。


「はぁ……っ」


息を切らし、膝に手をつく。


「で、どっちが勝ったんだ?」


座り込み、空を見上げてエンジは言った。


「ほぼ同時だな」


低い声が返ってくる。

顔を向けると、壮年の男が立っていた。


「フィークス教官……!」


二人は慌てて姿勢を正す。


「そのままで構わん。他の生徒が来るまで待機だ」


短く告げる。

フィークスは、どこか愉しげに二人を見ていた。


「今年は、なかなかの粒ぞろいのようだ」

「さて、何人辿り着けるか見ものだな」


光が差し込み、彼の義足が鈍く光る。


拠点の建物へと足を踏み入れると、ひんやりとした空気が迎えた。


「俺たちが最初というわけじゃねえみたいだ……先客がいるぞ」


エンジが顎で示す。

視線の先――窓辺に、一人の少女が立っていた。


腰まで届く銀色の髪。

差し込む光を受け、淡く輝いている。


「僕たちより先に……?」


ルカは思わず呟いた。

その背中は微動だにせず、ただ静かに外を見つめている。


――そのとき。

背後の扉が勢いよく開いた。


「アインちゃんてば、速すぎだよ~!」


明るい声とともに、少女が駆け込んでくる。

肩で揃えられた紫色の髪に、黒がわずかに混じっていた。


「……ん?」


「……あ」


ルカとエンジは、彼女と目が合う。


「あなたたちも、今来たの?」


少女は人懐っこい笑みを浮かべた。


「ああ、ついさっきな」


エンジが軽く答える。


「じゃあ、あたしは四番目かぁ」


楽しげに笑うその表情は、どこか愛嬌に満ちていた。


「あたしは、レーシェ・シティ。あなたたちは?」


「僕は、ルカ・レアルド」


「エンジ・ユベンだ」


レーシェは満足そうに頷く。


「で、あっちにいるのが――」


彼女は窓辺の少女を見た。


「アインちゃん」


三人の視線が、同時に向けられる。

ゆっくりと、少女が振り返った。


白い肌。

深紅の瞳。


光を受けたその姿は、現実離れした美しさを帯びていた。


(……綺麗な子だな)


ルカは息を呑む。


思考が、一瞬止まった。

整った顔立ち。

無駄のない所作。

感情をほとんど表に出さない、静かな佇まい。


物語の中のお姫様すら霞む美貌――


「アイン・ルサロナよ」


短く、それだけを告げる。

それ以上の言葉はなかった。

すぐに視線を外し、再び外の景色へと意識を戻す。

首に着けたシルクのネックカバーを整えて。


「もう、相変わらず無愛想なんだから」


レーシェが苦笑する。


「気にしないでね。誰にでもあんな感じだから」


フォローを入れるが――

ルカの耳には、ほとんど届いていなかった。


(なんだ……これ……)


胸の奥が、わずかにざわつく。

視線が離せない。


「おい、ルカ」


「……え?」


肩を揺すられ、我に返る。


「どうしたんだ、さっきから変だぞ」


「い、いや……なんでもない」


慌てて視線を逸らした。


「とりあえず、座ろうぜ。腹減った」


エンジは壁際を指し示しながら、携帯食を取り出す。

ルカもそれに従った。


やがて、制限時間が過ぎる。

再び、生徒たちは外へと集められた。

だが、その様子は出発時とは明らかに違う。


泥にまみれ、息も絶え絶え。

中には立っているのがやっとの者もいる。


「……到達できたのは、半数以下か」


フィークスが低く呟いた。

次の瞬間、鋭い声が響く。


「その脆弱さ――わしが叩き直してやる」


空気が凍る。


「……こんなの、理不尽だ」


誰かが絞り出すように言った。


「何だと?」


フィークスの鋭利な視線が貫く。


「あの罠……聞いていませんでした!」


「何度も死にかけたんです!」


次々と、不満の声が上がる。


「ただの訓練で、なんであんなことを……!」


「そうだ!」


「やりすぎだ!」


声が広がっていく。

だが――


「ほざくな、青二才ども」


一喝。

それだけで、場は沈黙した。

圧倒的な威圧。


誰一人、口を開けない。


「最初に言ったはずだ」


フィークスの声は、低く重い。


「オーダーリロジアは、平和と秩序を守る存在だと」


一歩、踏み出す。


「現場で起きる、想定外の数々」


「罠も、奇襲も、人質も――すべてが現実だ」


「命の危機は、いつも突然やってくる」


重圧がのしかかった声音。


「そして――それで死ぬのは、お前たちではない」


その言葉には、実体験に裏打ちされた重みがあった。

静まり返る空間。


「そのとき――お前たちは、人を守れるのか?」


問いかけは、鋭く胸に突き刺さる。

誰も、答えられない。

ルカは、拳を握りしめ、ジッと見つめた。


(……守れるのか)


心の奥に、問いが落ちる。


逃げ場はない。

フィークスの言葉は、確かに現実だった。

その重さが――


ゆっくりと、胸の奥へ沈み込んでいく。

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