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門を叩く

爽やかな春風が、草原を撫でて駆け抜ける。


次の瞬間、二つの影が重なり――弾かれるように離れた。

間断なく交錯する動き。


ルカとカヤト。

親子でありながら、今はただの対戦者として向き合っていた。

振り下ろされた踵を、カヤトは両腕で交差し受け止める。

衝撃を殺しきると同時に、無駄のない軌道で拳を返した。

鋭い一撃。


ルカは咄嗟に身を捻り、間一髪でそれを躱す。

そのまま相手の腕を掴み、遠心力に乗せて旋回。

流れるような動作から、裏拳を叩き込んだ。


――入った。

確信した殴打。

だが。


「……っ」


視界から、消失。カヤトはすでに身を屈め、その一撃を紙一重でやり過ごしていた。


「え……嘘」


空を切った拳の先で、ルカの思考が一瞬止まる。


「隙ありだ」


低く、静かな声。

次の瞬間には、懐に踏み込まれていた。

突き上げられる顎。


衝撃が頭蓋を震わせ、視界が反転する。

背中に感じるのは、柔らかな芝の感触。


「……また、負けた」


仰向けのまま、ルカはぽつりと呟いた。


「はっはっは、また俺の勝ちだな」


見下ろすカヤトは、いかにも楽しげに笑う。

勝者の余裕と、どこか父親らしい温かさが混じっていた。


「うぅ……あと一歩だったのに……」


ルカはごろりと寝返りを打ち、芝を掻く。


「詰めが甘いんだよ、お前は」


軽く肩をすくめながらも、その声はどこか優しい。


「だって、今のは完全に入ったと思ったんだもん」

「いつも言ってんだろ。技が外れた時の想定を常にしとけって」


ぐうの音も出ない。

ルカは唇を尖らせた。


「……もう一回」


勢いよく起き上がる。


「駄目だ」


即答だった。


「今日は入校式だろ。遅れるぞ」

「あと一回だけ。お願い、父さん」


食い下がる。

その眼差しは、真剣そのものだった。


「寮生活になるし……しばらく会えないでしょ」


瞳にあるのは、単なる悔しさだけではない。

カヤトは一瞬だけ黙り、息を吐いた。


「……しょうがねぇな。もう一回だけだぞ」


ルカの顔がぱっと明るくなる。

再び構え、二人は距離を詰めた。



「――さあ、行って来い」


荷を背負ったルカに、カヤトが声をかける。

だが、ルカはすぐに言葉を返せなかった。


――行ってきます。


たったそれだけの言葉が、喉の奥で引っかかる。

この家に来た日のこと。

カヤトを「父さん」と呼ぶようになった日のこと。

八年分の記憶が、胸の奥から溢れ出してくる。


「どうかしたか?」


不思議そうに眺めるカヤト。


「……何でもない」


ルカは小さく息を吐き、扉に手をかけた。


「行ってきます」


その瞬間。


「――あとでな、ルカ」


何気ない声が背中に届く。


「……え?」


振り返る。


「ああ、言ってなかったか。俺は、来賓で呼ばれてんだ」


一瞬、理解が追いつかない。


「……聞いてないけど」


ため息交じりに呟いた。


「挨拶もするからな」


あっけらかんと言い放つ。

胸に張り付いていた重さが、嘘みたいにほどけていく。


「そういうのは先に言ってよ……」

「悪い悪い」


カヤトは苦笑する。

ルカは一度だけ深く息を吸い込み――


「行ってきます、父さん」


改めて、弾む声で言った。

それから、振り返らずに歩き出す。

その背中は、もう迷っていなかった。



土色のレンガが続く一本道。

年に一度、この道は若者たちで埋め尽くされる。

オーダーリロジア隊員育成校――その新入生たちだ。

ルカもまた、その流れの中にいた。

やがて視界の先に、巨大な建造物が現れる。



(想像より、ずっと大きい……)


近隣諸国からも人が集まると聞いていたが、規模が桁違いだった。

校舎へ足を踏み入れると、すぐに人の流れに飲み込まれる。

指示に従い進むものの、内部構造は複雑極まりない。

まるで迷宮だ。


「……やっと着いた」


長い廊下を抜け、ようやく辿り着く。


「709号室……ここだよね」


ドアノブに手をかけ、ゆっくりと開く。


「おっ、お前がルームメイトか?」


中から声が飛んできた。

視線を向ける。

そこには、褐色の髪をした少年が立っていた。


「俺はエンジ・ユベン。よろしくな。エンジでいいぜ」


気さくな笑みとともに、手が差し出される。


「僕はルカ・レアルド。ルカでいいよ」


握手を交わす。

わずかな緊張がほどけた気がした。


「式まで時間あるし、荷物片付けちまおうぜ」

「そうだね」


二人は手分けして荷を整理し始める。

戸棚に衣類を収め、簡素な家具の配置を整えた。


「二段ベッド、どっち使う?」


シーツをかけながらエンジが尋ねる。


「こっちでいいよ」


下の段を指さす。


「風呂、思ったより広いな」

「……ちょっと埃っぽいぞ」


エンジは終始しゃべりっぱなしだった。

だが、そのおかげで空気は妙に軽い。

気づけばルカの肩の力も抜けていた。


「――よし、こんなもんか」

「そろそろ、講堂に向かおう」


二人は部屋を出た。

寮から入校式が行われる講堂までは、想像以上に距離がある。


「小都市並みの面積があるってのは、誇張じゃねなこりゃ?」


横を歩くエンジが語った。

広大な敷地に圧倒されているようだ。


「広すぎるよね……」


ルカは、思わず苦笑した。

歩けども、景色がほとんど変わらない。


そのときだった。

進路の先に、二人の少年が立ちはだかる。


「これはこれは、レアルド君」

「親が導官だと、さぞ居心地がいいだろうな」


嫌味な言葉と嘲笑。

周囲の視線が集まる。


「……げっ、ミヨクにサダリ」


ルカは露骨に顔をしかめた。


「悪いけど、急いでるんだ」


そのまま横を抜けようとする。

だが。

ミヨクが肩を掴む。


「無視とは、随分な礼儀だな」

「品のない連中とは関わるな、そう教わってるんだ」


淡々と言い放ち、手を払いのける。

そして振り返らずに歩き出した。

取り残された二人は、言葉を失って立ち尽くす。


「何だったんだ、あの変な二人組」


エンジが率直な疑問をぶつける。


「あいつらは、ミヨクとサダリ、ラード共和国政府高官の息子」

「それをいいことに威張り散らしてる、どうしようもない奴らさ」


散々な説明。


「あまりにもひどいから一発ぶん殴ったんだ」


ルカはさらに続ける。


「それ以来、ああやっていつも絡んでくるんだよ」

「はっ、お前、大人しい面した割に大胆なことするんだな」


エンジは、面白そうに吹き出した。


「あの時は、僕も幼かったからね」


引きつった笑みを浮かべるルカ。



講堂は厳粛な空気に包まれていた。

式は滞りなく進行していく。

来賓の挨拶が続く中、ルカは徐々に姿勢を保つのが辛くなってきた。


(長い……)


横目で周囲を見る。

緊張で固まっている者。

平然としている者。

そして。


(エンジ……寝てるし)


隣に座るエンジは、完全にうたた寝をしていた。


「――オーダーリロジア導官、カヤト・バイエル」


その名が呼ばれた瞬間。

ルカの背筋が伸びる。

壇上に現れるカヤトの姿。


「……あれが英雄カヤトか」


いつの間にか起きていたエンジが呟く。


(……似合ってないな、父さん)


心の中でだけ、そう思う。


「隊員候補生諸君」


開口一番、よく通る声。


「今日、君たちと出会えたことを嬉しく思う」


ざわめきが消える。


「これから先訪れるのは苦難の連鎖。だが、乗り越えて見せろ」

「かつて我々がそうしてきたように」


短く、しかし情熱のこもった言葉。


「次代の英雄たちよ。健闘を祈る」


拍手が巻き起こる。

カヤトはそれを受け流すように、静かに壇を降りた。

その背中を、ルカは目で追う。

ルカはかつて抱いた憧れをいま一度思い出す。


「本校の主任教官を拝命している、オーサー・フィークスだ」


隻脚の男が壇上に立つ。

義足が地面に接触する乾いた音が、講堂に響く。


「この足は、九年前に失った」


どよめきが走る。


「あの時、命を落とした者もいる」


壮年の男の痛々しい傷跡。

歴戦の勇士が受けた痛みを物語っていた。


「オーダーリロジアは平和と秩序の象徴」

「それがいかなることなのかその身に刻め」


重苦しい言説。


「ここはそういう場所だ」


式が終わる。


人の流れに身を任せながら、ルカは歩く。


守りたいもの。

なりたい自分。


それらが、まだ曖昧な輪郭のまま胸の内にあった。


「どうしたんだ?」


エンジが覗き込む。


「……何でもない」


小さく首を振る。


「行こう」


希望と不安が入り混じる中で。

ルカは、一歩を踏み出した。          

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