第10話④:自由、いや、そんなんじゃないけど
羽、青空に聳える神殿に舞う。空を過ぎる九華が翼の動きを小さくして、本棚の前に降り、手に持った本を元の場所へと戻した。別の棚に移り、一冊を引き出すと、蜻蛉返りで神殿の中に戻ってくる。置かれた机の近くに手をかざす。無から木製の椅子が生成され、すぐに実体となった。顔の筋肉一つ動かさず背中をもたれさせ、ページを捲り、書かれた文章を静かに目で追い始める。
得た知識量に似合わぬ淡白な音が、本を閉じた時に聞こえた。翼を広げ、体を宙に浮かせて、九華は本棚の方へと進む。途中で他の部員たちも本を読んでいるのが見えた。持っていた本を棚に戻し、次は何を読もうかと、この繰り返し。世界をどうしても簡単に滅ぼしたくなかった。破壊と創世、両方の度に絶対に次の世界は護り切ると言い張って、それをいとも容易く無下にしてしまうのが許せなかったのだ。
ある日。立ち並ぶ本棚群の最奥へと、九華は遂に辿り着いた。五つに区分された本棚はそれぞれ奥へと続く本棚の数が微妙に異なっており、中でも『文明』区分の本棚が一番長く続いていて、その最後の棚の前に今立っている。木製の棚の中には、まだ二段分しか本が埋まっていなかった。今まで書籍でびっしりと埋まってきた光景ばかり見てきたため、何だかやけに隙間が目立って見えた。
その中でも一番下側にある、つまり、最も新しい文献に目がいった。それだけ、今まで読んできた本とは明らかに異なる、折り畳まれた薄い紙切れだったからだ。
手に取り、広げてみた。そこまで大きくない。
「これって……」
双眸が見開いた。
それは、自分たちが創界にいた時に急いで書き終えた新聞だった。
確かに、いつの間に無くなったと思っていた。社を巡った時に執筆した神聞紙が儀式に使用され消滅したように、この新聞もその勢いで消滅しただろうと今の今まで思い込んでいた。だけど、今、この手に残っている。全体に目を通しながら、個性が浮き出る筆跡を咀嚼する。思わずその場で立ったまま読み進めてしまう。
時間も無いのに自ら創界を駆け回り、様々なカミと過ごして突貫工事で作り上げた記事の数々。当時は必死だったが、今思い返せばあのわずかな時間でさえも楽しかった。
無意識に笑顔が溢れた。懐古ではない。本来思い出の範疇に留まってしまうはずのそれが、今この掌の上でもう一度行われているかのようだった。文章から伝わってくる感情の機微。タプに乗って書いたゆえ、荒々しくなっている筆跡が臨場感を増幅させる。
また、四人でこんなことが出来れば。こんな日常が続く、世界を創ることが出来れば。思わず新聞を握る力が強くなる。
ふと、九華は眉を上げた。時代を超えて遺り続ける、自分たちが作り上げた軌跡にもう一度視線を下ろして。
「……やっぱり、今の私たちに必要なのは」
新聞を折り畳み、翼を広げて飛び上がった。神速で滑空し、本棚と本棚の間をすり抜けて、来た道をなぞっていく。九華は各々好きな場所で読書を続けていた部員たちに声をかけ、神殿の中へと集めた。それぞれが生成した椅子に座って向かい合い、まるでここが部室であるかのような空気感が漂う。
机に新聞を置いて、彼らに見せた。
驚いた様子だった。同時に、目の色が変わった気がした。常に希望を持って前を向き続ける、あの頃の彼らのような色に。
「提案があるの」
両手を付け、前傾に。顔に視線が集中する。
「私たち、やっぱり現実世界をこの目で見る必要があると思う。地上に降り立って、人間が生きていくには何が重要なのかを見極めるのよ。あんな鏡一枚隔てて、世界の全部なんて分からない」
睡方が声を絞り出す。
「でも俺たちが現実世界に行ったら、ツカイみたいに記憶が消えちまうんじゃないのか」
「それなんだけど。きっとうちの兄なら、実現できる気がして」
「お兄さんが?」
問いかける由依。隣に座る想汰が顎に手を当てる。
「なるほど。カムイの能力だったら、次元転移可能なポータルを生成することが出来る。以前僕たちが、創界から地上の世界に強制的に送り込まれた時のように」
「……だとして。上手くいくのか。俺たちだってまだここの仕組み、完璧に把握してるわけじゃないんだし」
「それも含めて相談したいの、あっちには先生もいるし。……どうしても、このままじゃ上手くいく気がしなくて」
息を吐き切るにつれて、絞り出すような声が力無く着地した。彼女の顔を見た睡方は口を噤んだ。発した言葉のそれ以上の意味を、細胞一つ一つで読み取っていくような沈黙。口端がおぼつかない九華に、睡方が返す。
「俺は、賛成しないとは言ってない。それはお前らだって、同じだろ」
二人の顔を覗き込み、想汰と由依が頷く。久しぶりに想汰が躊躇いなく首肯したところを見た気がした。
「九っち、やろう。うちら、腐っても新聞部だよ」
奥底から溢れる笑顔が、由依の顔を彩っていた。九華は胸を前に突き出す。
「ええ。やりましょう、みんなで」
四神が立ち上がり、椅子は炭になって崩れた。新聞紙を手に取ってそのまま神殿の外へと足を運ぶ。
カムイに提案の全容を伝えた。そのうちに、チトセとタプが集まってきて意図せず全員が揃った。
「現実世界への転移か」
「どう、行けそう?」
「前にお前たちを送り込んだ方法と変わらないだろ。不可能じゃない」
鞘から刀を抜き、近場の空気を一閃してカムイの背丈と同じほどの紫色の渦が生み出され、その内側から裂けるようにして黒い闇が顔を出した。流石の手慣れた刀捌き。安堵した一行だったが、カムイの手に乗ったチトセが瞼を震わせる。
「いや。ちょっと待ってくれ。このままこれを通るのは危険だ。前回の事例を鑑みたら、瀬尾君は現実世界の記憶に脳を上書きされかけていた。他の三人が自力で記憶を取り戻せた特異点と考えたとしても、今度は取り返しがつかなくなるかもしれない。それに今の状況は前回とは微妙に異なる。創界は現実を模倣して創られた、いわば現実世界の延長線上のような存在だった。それゆえ地上とのコネクションはある程度担保されていた状態。けどここ、天界は地上の世界とは大きく隔離している。それを表すのがこの無限に広がる青空だ。地上の世界がいくら混沌に飲み込まれても、ここだけは青空のままというのが何よりの証拠だね」
「じゃあ、ここは地上とは別世界ってこと?」
「憶測の範疇は出ないけどね。あの神の使いとかいう爺さんは恐らくこの雲の間から落ちた先で地上へと転移し、その過程で記憶を消され、元から地上にいた存在として世界に処理されたんだと思う」
「うーん……。神になっても、よく分かんないものは分かんないままだな」
呟く睡方に、チトセが笑いかけた。
「ははは。ごめん、つい喋りすぎちゃうんだ。要するに、このポータルには実験と改良が必要というわけさ」
「実験? 改良?」
「ああ。記憶を保持した状態で魂ありし者が天界から現実世界に行けるのかどうか。それが最終目標だね。さ、というわけで、一つ。君たちに頼みがある」
由依が背を伸ばす。
「なに、先生?」
チトセは満面の笑顔で返した。
「ここにとりあえず工具一式を生み出してくれないかな? これから必要になるし、何より神の力とやらを是非一度この目にしてみたくてね」
虹彩を煌々とさせ、まるで少年のような目つきでこちらを見てくる。好奇心が先走る、流石新聞部を育てた先生という感じの。
呆れる九華。その横で由依が威勢よく返事して、空中に手を翳した。掌に光が灯ると、無だったはずのそこから次々と生まれてくる工具が雲に落ちて山となっていく。狼狽するカムイ。その彼の手の中で、興奮を隠せないチトセが嬉々として声を漏らす。
「おおおお! 話には聞いてたけど、本当に何でも生み出せるんだ!」
「へへ〜ん。うち、すごいでしょ!」
積み重なる工具の山の上をタプがひょいと軽い足取りで登っていく。その最中も、山は段々と標高を高くし、その頂上で桃色の体が座り込む。
「タプ!」
「ねえねえねえ、じゃあそしたらさ! 次は歴史上最も貴重と言われていて、今では現物が存在しないと言われている国宝の生成を、」
九華が割り込む。
「はいはい! わざわざ生成しなくても、ポータルが実現したらその歴史上に自分が見に行けるわよ」
チトセは目を瞬かせた。
「そっか! さっすが瀬尾君、頭良いね! てことでポータルの完成を急ぐとして……あ、そうだ。あと、前に話してくれた神殿にある本棚から、ありったけの本をここに持ってきてくれない? 特に理工学系とか天文学系の! 流石の僕でもまっさらな状態での開発はね」
「はぁ……。了解」
何十億年ぶりに振り回されて、頼れる大人として声をかけたのが馬鹿らしくなった。でも、ちょっぴり九華は胸を撫で下ろした。故郷の香りがまだ少し残っているような感じがして。
それから本棚と神殿外の往復を、四人で何度も繰り返した。大量の本を持って滑空し、随分とバランス感覚が鍛えられた。結局、学問区分の本棚にあった書籍を全て引っ張り出してきて、後は彼らに任せることにした。彼らがポータルの開発をしている間、四人の神様はまだ読みきれていない本を読み、幾度の会議を重ね、次の世界の管理に向けて準備を果てしなく行った。
先生からの一回目の呼び出しが来た。神殿外から轟音が鳴り響いていると思ったら、タプが神殿の内と外を隔てる透明な境界に何度も体当たりをし、九華たちに呼び出しを気づかせようとしていたのだという。後々あれは心臓に悪いからやめて欲しいと伝えた。
行ってみると、ポータルの様相は以前と特に変わっていなかった。主に作業をしているのはどうやらカムイが主体らしく、前に見た時より甲冑に傷跡が増えている。それはそうか。頭だけの先生が、せいぜい工具を持てる所と言ったら口しか無いだろうし。まあ、お喋りな口を塞ぐにはそれがもってこいかもしれないけど。
そんな砂像は今日も例に漏れず口を開ける。
「まずは一回目の実験だ。後ろに見えるポータルは今、地上と繋がっている。混沌しかないはずの地上にだ。今回やりたいのはその暗闇の中に簡易的な大地を生成してもらって、こちらからマウスを一匹ポータルに流し、無事生存した状態でその大地に転移出来るかという実験になる。そんなわけで、準備……してくれたよね?」
「……ええ」
彼の眉を上げた呼びかけに、一息で返す。大地を作るのも一朝一夕ではない。それすら見越してチトセは数日前にこの実験の概要を九華に伝えていた。おかげで今神殿の鏡には、暗闇の中にぽつんと平地が浮いている。
「では、さっそく始めよう。瀬尾君、頼むよ」
言われなくても、と思いながらポータルの前まで近づく。目の前の吸い込まれそうな漆黒は深く深く渦巻いていた。その前に立ち、九華は目を瞑って力強く手を握る。後ろから部員が見守っているのを感じる。
「チュー」
念じてすぐに、手の中が強く熱を持った。指を開くと、掌の上には灰色の毛を纏ったマウスが自分が今この瞬間に産まれたことなど気づかず、元気に鳴いていた。思わず両手で椀を作り、その中を走らせる。だがひとたび顔を上げれば、そこには際限のない闇へと続く深淵が存在感を放っていた。
手をポータルに近づけ、マウスを放そうとして直前で止める。つぶらな瞳と生気溢れる温度が情を沸かせてしまう。今まで幾万の生物を殺した、罪深き者に。
「……ねえ。死なない、よね?」
振り返って、チトセに尋ねた。あまりに野暮な愚問を。
「それを確かめるのが、実験さ」
瞬きもせずに言い放たれる。九華は体を屈め、膝立ちになった状態で手を雲の上へと下ろした。マウスをわざとポータルの黒い渦の直前に、下ろしてやった。このまま踵を返して走り出して、広大なる天界のどこかに消えていってしまえ。逃げろ。逃げるんだ。なぜかそう思った。
マウスは鳴き声一つ上げ、そして直進した。何も疑わず、体は渦の中へと吸い込まれた。まだ手に残る温もりが、九華をじんわりと責めているようだった。
すぐに羽ばたき、四人で鏡の前へとやってきた。果てしない黒の中に佇む大地。その中心に小さな粒が見える。恐らくここにポータルがあるのだろう。指でその部分を拡大する。拡大して、拡大して。
そのポータルの近くに、いた。マウスは地上を踏みしめていた。身体的特徴も、先ほど送り出した種類に間違いなかった。唯一先ほどと違う所と言えば、もう全身を地面に伏して一切動かなかったところであろうか。大きな嘆息が口から漏れた。
結果をチトセたちに伝えた。次の実験に活かす、と言っていた。喜ぶべきはずの新たな進歩だ。それなのに。九華はどうしても罪悪感を捨てきれなかった。
それから日に日に呼び出しの頻度は増え、その度にポータルは改良を重ねられた。必ずしも経過した時間と成果が比例する訳では無かったが、それでも毎回の犠牲の上に着実に段階は進んでいた。いや、進めなければいけないと途中からは思っていた気がする。
そしてその時はやってきた。ポータルの前に全員が揃い、チトセがいつもより大きく息を吸ってから重々しく話し出す。
「今日で──。上手くいけば、最後の実験になるかもしれない。最後は一番大事な、生物を記憶ごと転移可能かの実践に移る。瀬尾君、用意はしてきてくれたよね?」
「ええ」
彼女の両手には、溢れんばかりの土が盛られていた。常の如く混沌に地を生成した際に得ておいた、余剰分の大地。チトセに頼まれた時から何をすべきは明白だった。
「……やるわよ」
全員と目を一度合わせ、土を雲の上へと静かに置く。彼女含めて睡方、想汰、由依が土の四方を囲むように立ち、一行は小柄な土の山に向かって一斉に手をかざした。
中から、青い閃光が弾ける。
つむじ風に舞い上がるように、土が立ち上っていく。空中で渦巻き、段々と人の形を成してくる。脚、腿、腰、腹、腕、胸、首、頭。冗長にも思えるほど丁寧にそれらは形成されていった。要所の筋肉が隆起し始め、生物としての萌芽を感じさせる。
「……短期的に記憶に残すなら、強い感情の方が良い。それもネガティブな。発言の真偽は問わない。分かっているね?」
念押しするようなチトセの言葉に、九華は四人を代表して厳かに頷いた。腕が生命誕生の衝撃で震え、白装束の裾が激しくはためく。
傀儡だった土の塊は強く弾けた大きな閃光をきっかけに、急激に部位と部位の接合を始めた。それからは一瞬だった。瞬きを二度行った後、目の前で熱を帯びた煙が揺蕩う。そこには、人間が立っていた。身を包む衣も無く、それを自覚さえしない、純粋無垢な真っ白の生物。今から行われる実験のために生まれた、存在。
九華は指を弾くと、その男に知恵を与えた。脱力し、虚ろな目で顎を前に出していた男は夢から醒めたように、瞼を瞬かせた。首を左右に振り、自分がどこにいるかを確認している。九華は彼に近づき、言語能力を与えた。戸惑った男は眼前の彼女に訝しく問う。
「ここは……」
「天界。私たち神が、住んでいる場所。私たちはあなたを生んだ、創造主よ」
「あなたたちが私を……?」
男は四方を見やった。まだ自分の状況を理解しきれていない状態で半ば混乱しているようだった。そんな中、彼は背後にある黒く渦巻くポータルに視線を止めて、九華に聞いた。
「あれは……」
九華は深く息を吐いた。一度、彼の顔を見ないようにしてから。強く目を合わせて。
「……あなたは罪を犯したの。創世主である私たちを失望させるような真似をしでかした」
「え?」
「あなたはこの神聖な場所にいてはならない。だからあなたは一生地上で暮らすのよ。そして罪を反省しなさい」
男は口端を震わす。
「待ってください。私には何の身に覚えも……」
九華は手のひらを彼に向けて勢いよく突き出す。彼の体は浮き上がり、彼自身でも動きを制御できないまま、ポータルへと向かっていく。
「待ってください神様! 私は本当に何もしていません! 罪を犯すなどなおさら!」
九華が腕を下ろすことは無かった。四肢を空気に固定され、喚きながら懇願する男の体は無情にも深い闇の中へと吸い込まれた。全身が入ったのを確認すると、カムイは刀を鞘に納めてポータルを消滅させた。
どこかから息を呑んだ音が聞こえる。睡方が顔を俯かせていた。
「……行くぞ」
彼は飛び上がり、神殿へと滑空していった。その表情は舞い散った羽根で見えない。想汰も飛び、由依と九華が残る。由依は瞑目したまま、立ち止まっていた。九華は飛び上がろうとして広げた翼を静止させる。
「由依さん……」
「ごめん。うちも行く」
二人で共に、空へと体を浮き上がらせた。神殿に置いてある鏡の元に四人が集まる。
鏡面には、混沌の中に佇む浮島。その地上の中心に、体を横たわらせた人間がいた。男は上半身を起き上がらせ、下半身だけを地面に沿わせている。目からはおんおんと大粒の涙を溢しており、あまりの悲惨に腰が引けて立ち上がれないようだった。
「ああ……神様……! なぜ、なぜなんです……! 私は何もしていません……! 私は創造主であるあなた方を冒涜した覚えなど……!」
暗闇に包まれる無の世界で、一人、彼の慟哭のみが響き渡る。簡易的に作られたゆえ、生命の息吹など皆無でやたらに広大なだけの荒野。そこに初めて涙、という水が注がれた。しかし、光なき暗闇ではそれ以上のことは起きなかった。
「記憶は……あるみたいだ」
想汰が眼鏡を指で上げ、呟く。彼の言う通り、泣き喚く男のその姿は本来祝福すべき出来事であった。現状に嘆くその悲惨な様相こそが実験の成功を意味していた。
だが誰一人、歓喜の声を上げた者はいなかった。九華は鏡に近づき、男の姿をじっと瞳孔に焼き付ける。無意識に指を鏡に這わせ、彼の体を撫でた。冷たい鏡面が神経をかじかませる。九華の奥歯と奥歯は強くひしめき合っていた。
「ねえ、みんな」
か細く、腹の底から湧き上がった声が唸る。
「彼を、始まりにしてもいいかしら?」
振り向いた九華が見た三人は、似たような表情をしていた。
「準備はもう十分してきた。そうだろ?」
睡方がまっすぐな目で訴える。静かに頷く想汰。由依が手を差し伸べる。九華は彼女の手を掴み、その温かみを感じた。どうやら彼らと気持ちは一つらしい。
神殿外へと戻り、実験成功の旨をチトセ達に伝えた。チトセは噛み締めるようにしていた。恐らく九華たちの雰囲気を汲み取っての反応だろう。明らかに抑え込んでいる気がした。
そしてこれから行う新たな開闢についても伝えた。チトセは部員たちの目を見て。
「まあ。選択肢を与えるのが、僕たちの役目だ。あとは、自由に。君たちがやりたいよ〜にやったらいい。なあ、カムイ?」
「お前にだけは気安く呼ばれたくないんだがな。しっかし、悔しいが、こいつの言ってることには賛成だ。この洒落にならない時間、伊達に神様やってないんだろ。お前ら、自信持てよ」
四人が深く息を吸って、吐く。余韻を残さぬまま、九華が顔を上げる。
「カムイ、いや、佑哉。頼むわよ」
「ああ。最後の仕事……かもな」
言われて、鞘から刀を引き抜き、カムイが空気を真っ二つに切り裂く。一度消滅したポータルがまた生み出され、暗闇が形を持って目の前に現れる。
「行ってこい」
カムイの言葉を背に受け、四人はそのポータルへと進んでいった。体が闇に包まれ、気がついたら鏡で見ていた地上に立っていた。眼下には泣き喚く男がいる。彼は自分たちの存在に気づくと、怯えた表情で目を見開いた。九華は口の中が徐々に乾いていくのを感じた。最大限表情を綻ばせ、どこか幼さの残った声で話し出す。
「ごめんなさい」
「……」
男は沈黙していた。呆気に取られているようで、首を小刻みに揺らすのみ。
「私、さっき嘘を吐いたのよ」
「……嘘?」
「事実じゃないことを偽って言ったということよ。あなたは罪なんて犯してなかったの。なのにあれほど酷い言葉を浴びせてしまって、申し訳なかったわ」
男は顔を俯かせ、体を硬直させる。言いたいことが沢山ある中で、頭を整理して言葉を選んでいるような印象。
「……私を作ったのは、本当に貴方なんですか?」
「ええ、そうよ。正確に言えば、私たち、ね。みんな神様なの。……それから。今から伝えることに嘘は一切無いわ。信じてほしい」
睡方が前に出る。
「俺たちは人間を嫌ってるわけじゃない。寧ろ……。守ってやりたいと思ってる」
想汰が足を進める。
「だが、世界の安寧を保つため、生きとし生けるものが生を謳歌するため、そして人間が豊かになるために、僕たちは災いを降り掛からせる。その道中では、多くの生物が死に、泣き叫ぶ声がこだまするだろう」
男が大地に手を食い込ませ、土を力強く掴む。握れば握るほどそれらは手から溢れていき、元の場所へと乱雑に積もってしまう。喉をしゃくり上げていた。首だけがゆっくりと自分を創造した主へと向く。
「そんなこと……矛盾しています」
由依が長髪を揺らし。
「それは、うちらもそうだと思ってる。本当にそれしか方法が無いだなんて思いたくない。なんだけど、今の自分たちに出来ることって無限じゃない。だから、謝りに来た」
「……」
「でもね、諦めたわけではないんだ。うちらは今自分たちに出来る精一杯を尽くして、みんなの笑顔が少しでも増えるそんな世界を作る。そのためになら、この四人はどんな時も進み続けるよ」
昼も夜も無い世界で沈黙が刹那を穿つ。風など吹かぬ。植物たちはざわめかず。鳥は鳴かず、空はあらず。そんな中生み落とされた人間は、言葉を漏らす素振りさえ見せなかった。神の言葉に、ひれ伏すことも打ち砕かれることも出来なかった。
「……許さないでいいわ。あなたより、私たちなんかの方がよっぽど罪人よ。でもこれだけは伝えておきたかったの。これから種を繋いでいく、あなたに」
男が顔を上げ、眉と目の距離を近づけた。九華は手を差し伸べる。彼は恐る恐る、それに目をやる。先ほど彼を制裁した右手とは、反対の左手。目の前にある滑らかな掌に、男は指先を震わせながら触れて、掴んできた。
温かかった。人間の温かみがした。同時に、彼も目を見開いた。九華の温度を感じて驚いているようだった。元人間としての残香が本能的に伝わったのかもしれない。立ち上がった彼を、見上げる。
「あなたを、この世界の始まりの人間とする。私たちがこれからあなたたち人間にしてあげられることは、良いことばかりじゃない。むしろみんなが言ったように悪いことの方が多いかもしれない。だから……せめて見てて。この世界の元来の素晴らしさを。そしていつか来る、平和な日常、すなわち私たちの理想を」
強く、絞り出す。
「今から、世界を創るから」
言い残し、四人の神はポータルへと入っていく。渦は闇に溶けて、消えた。
今から、世界を創る。創造主の放った言葉に、男はまだ理解しかねていた。自分を地上へと連れてきた黒い渦も、あの四人の神様がこの場を去るとともに消滅してしまった。裸足にめり込む石の感覚だけが脳へと急ぐ。
立ち尽くし、辺りを見回す。暗闇。漆黒。深淵。果てしないようにも見え、鳥籠のようにも見えるこの朦朧とした世界に一人。心が飲み込まれそうになった、その時だった。
突如、世界の中心に光が生まれた。眩さに思わず腕で目元を隠す。灯火のようなそれは一瞬で世界中に広がり、地上は煌々と輝らされた。矢継ぎ早に空と海が頭上に現れる。玲瓏たる水の層を通して、凛と澄んだ青空が見えた。天と地が分かれる。海と共に地上には恵みの雨が降り注ぎ、荒れた地面に生命の息吹を予感させる。
全身を貫いてくる風。目に染みて、髪が激しく逆立つ。薄目から徐々に瞼を開ける。そこではいつの間にか視界いっぱいに萌黄色の植物たちが体を揺らしていた。青空の遥か遠くに太陽。陽光を降り注がせ、この世の全てを肯定するような温もりを男は身体中の細胞で感じる。生み出された動物や昆虫の鳴き声が遠くから次第に聞こえてきて、それらは星全体の歓喜の叫びに聞こえた。魚が跳ね、水の中に戻る。泳ぎ踊る流麗な姿。
今、男は世界を全感覚で享受していた。両手を大きく広げて、深く息を吸い込む。のびのびと生え出た若草が脛をくすぐっている。暗闇を払い、急激に色づいた光景はまさに希望そのもので、世界のそこら中を希望が跳ね、希望が飛び、希望が這い、希望が走っていた。
ああ、そうか。これが、創造主たちの夢見た世界なのか。
流れた朝露が頬に一筋伝っていく。風が男に向かって強く抱擁する。
身を世界に預け、堪能している中。どこか空の遠方から声が聞こえてきた。全く異なる声色が入り混じりつつも四人の声が綺麗に揃った、荘厳な便りが。
「産めよ、増えよ、地に満ちよ。そして、地と共に生きよ」
世界は、始まった。




