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しんぶんしぶ  作者: 氷星凪
最終章
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39/41

第10話③:自由、いや、そんなんじゃないけど

 背中に当たる喧騒の粒が、無視できないほどに大きくなっているのが分かる。頭を覆うウールの帽子を押さえながらスツールに座り直し、ダークオーク製のカウンターに腕を置く。一瞥した階段からは数名の宿泊客が降りてきて、また店の中の活気を上げる。コップに注がれたミルクを一飲み。目元を隠した黒い仮面の鼻先が、カツンと当たる。

「で、最近はなんか面白い話はないの? どんな些細なことでもいいんだけど」

 羽ペンを指で回す。ダブレットの襟をもう片方の手で弾きながら、九華は店主に尋ねた。わざと声を低め、男性的な声色を演じる。対面する立派な髭を蓄えた彼がコップを布で荒っぽく拭き上げ、その片手間で言葉を紡ぐ。

「俺も泊まるやつに聞いてるんだがな、最近はめっきり病とお隣の戦争の話ばっかだな」

 今まさにペン先にインクを付け、筆を走らせようとしたところであった。机上の紙にインクが垂れ、無意味な黒点がただただ肥大化する。

「まあ、ここに来るまでの道でそれはお前もお察しだと思うが」

 忙しなく動く店主から視線を下げ、そっとペンをインク瓶に戻す。

「……そうね」

 漏らした嘆息はすぐに戦乱の世の空気に食い潰され、跡形も無くなった。呑気で、無責任で、平和ボケした彼女の吐息など意味を為す事なく。

 店主の背後の棚に並ぶ酒樽の数々がこちらを見ている。そいつらに見せつけるように喉を鳴らしてミルクを飲み干すと、九華は店主におかわりを頼んだ。


 

 初めて世界を滅亡させたのは、もう六十億年も前になる。

 全てが、燃えていた。大地も、植物も、動物も、山も、海も、……人も。鏡面に映る故郷は跡形もなく灰となった。悲鳴を上げる人々は、まるで業火に焼かれる罪人達のようであった。

 青空広がる神殿の麓。四人の神様は、そんな映画のワンシーンみたいな光景に立ち尽くしていた。鏡の前から動かず、誰も一言も話さぬまま。

 なぜ滅んだのか、と聞かれればいくらでも原因は言えるだろう。でも、九華は分かっていた。多分一番良くなかったのは、自分がまだ現実から目を逸らしていたことだったのだ。

 あの日。家庭内で包丁を振り翳して母親と娘を殺そうとした、名も知らぬ父親に天罰を下したのを皮切りに、九華を主体とした四人の神様は、目に映る悪人を同様に片っ端から成敗した。ほとんどが死をもっての制裁だった。反対に、苦難に苛まれる人へ救いの手を差し伸べたこともあった。貧しい地域に食糧を配ることは、しょっちゅうだったと思う。

 世界の安寧を保つための行動としてそれらは、無知な自分たちにとってはあまりに明瞭で、それでいて簡単だった。神様としての矜持と、人間としての正義。自分たちの混濁した二軸の思惟のどちらもを満たすことが出来るこの上ない状況だと、気づかず傲慢になっていた。そして、起きた。

 技術の発展が極地に達していくと、人々は遂に戦争を起こし始めた。最初は一国と一国のそれだった。しかし、瞬く間にその規模は拡大する。鏡越しに、毎日どこかの土地が爆ぜていく。九華はそんな状況をもちろん良しとしなかった。日々血眼になって鏡越しに世界中を監視し、争いを企てた首謀者、指導者、大統領を探し出すと、生え出る芽を絶つように天罰を下して殺した。心が痛まなかったわけではない。人を殺しているという自覚はずっと影となって付いてきている状態で、その事実を彼女自身も十分に理解していた。でも、放置して起こってしまう大勢の犠牲に比べたら、と心に蓋をした。これこそが、神様の仕事なのだと。

 だが、それでも人類は進み続けた。一人を殺したところで、また別の誰かが戦争の開始を宣言する。それに反応して九華は天罰を下し、その者を殺す。すると、またどこかの国家が名乗りを上げる。その者を殺す。争いが始まる。殺す。

 殺す。殺す。殺す。

 いついかなる時も、一刻を争う事態が続く。四人が時間をかけて話し合う暇などなく、それぞれが自分の仕事をこなすために必死だった。この殺戮が本当に正解なのか、想汰、睡方が徐々に疑問を持つ中、九華は手を止められなかった。由依は半ば沈黙していた。人々から着実に笑顔が消えていることを、彼女だけは静かに悟っていた。

 そして、九華は国々のトップのほとんどを殺した。それ以外も、組織のボスや、企業の重鎮、革命家……数え始めればいくら指があっても足りないほど。天啓ポストに山積みになっていた紙の束は、もう二度も補充されたはずなのにまた残り二、三枚であった。だけど、そんな日々ももう終わりだ。悪人は裁き切ったのだ。戦争は終わった。世界から争いは消えた、と安堵した。

 いや、そんなのは誤謬だった。支配者を失った国はどうなるか。崩壊だ。各地で次々、崩壊が始まった。民衆は混乱状態に陥り、その結果、自分たちの領土を守るために今度は自身が軍団となって自ら他国への進軍を始めた。

 争いは激化していく。その頃にはもう手遅れだった。人は隣人と争い、ましてや同種族同士でも無意味な闘争を始めた。誰かと争うことを考えない者など、いない。いつの間にか裁く対象は、全人類という規模にまで膨らんでしまっていた。

 九華はペンを地面に落とした。そこでやっと気づいた。自分が一番の罪人になってしまっていたことを。

 芽留奈市に先進国のミサイルが落ちた。学校、九華の家、みんなの家、みんなの家族、諸共一瞬で吹き飛んだ。更地、だ。その更地に真っ黒な人型の炭の塊が点在する。故郷は、煉獄となった。

 世界中の植物、動物、人。命あるものは等しく灰へと変わる。都市は静かに崩れ、文明の面影は埋葬され、大地は平らになった。海は燃え盛る炎で乾いて幾度となく蒸発し、海洋生物と共に存在を消した。

 立ち尽くすしか、無かった。全知全能であるはずの四人の神様が。ゆっくりと世界が崩壊していくのを見る事しか、もう。

 四人は時間の差さえあれど、等しくその場で崩れ落ちた。大理石の冷たい表面に腰を触れさせ、座り込む。彫刻のように硬直し、いずれの神も天を見れなかった。

 それから、長い長い時間が経った。

 太陽の寿命が尽き、地球そのものが氷漬けとなった。どこからともなくやってきた無数の隕石が惑星を破壊し、故郷の星は跡形も無く爆散した。広がる宇宙。銀河の遥か彼方。発生したブラックホールが時と共に渦を拡大し、星を、光を吸い込み、世界は暗闇に包まれた。こうして、世界には混沌(カオス)だけが残った。世界は、滅亡した。

 鏡の表面に底無しの黒が続く。

 彼女たちの心を、映し出すようだった。

 

 初めに神殿に来た頃、用意されていた指南書に新たな世界の創造の仕方はもちろん載っていて、とっくの昔に全員が目を通していたはずだった。それ以来、次にその該当のページが捲られたのは、神のうちの誰かが幾億年ぶりに立ち上がったことによって吹いた風の勢いを受けてだった。

 すぐには創世をしなかった。というか、する気にはなれなかった。神殿の鏡の前になるべく行きたくなくて、みんな揃って立ち並ぶ本棚のそばへと逃げてきた。そこで気が済むまで本を漁って読んだ。特に倫理の棚の本を、九華はよく手に取った。

 いくら知識を蓄えても、心が癒されることは無い。悲鳴を上げて全身が焦げていく人々の姿が脳裏で思い返される。森が燃え、逃げ惑う野生の動物達。灰を纏い、海面に浮かぶ魚達。全部、自分たちが引き起こしたのだ。そう考えると、心が癒される資格など最初から自分たちには無いのだろうと感じた。それを真っ先に実行した九華には、尚更。

 本を読む時間が増えてから、四人はやっとお互いに少しずつ話をするようになった。前は当たり前だったのに、神になってからは常に仕事に追われていたせいか、まともな会議は一度もしていなかった気がする。

 他愛もない話が交わされる中、唐突に切り出したのは想汰だった。

「すまなかった、部長」

 急に謝られて戸惑うしか無かった。無意識にページを捲る手を止める。

「僕がもっと早く君を止めていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない」

 神様を始めて以来、想汰が躊躇い無しに首を縦に振ることは一度も無かった。懐疑的な姿勢を続け、それを崩さなかった。にも関わらず、彼は九華の提案に強く口を出そうとしたことも一度も無かった。彼女はそれがずっと不思議だった。

 正座をした状態で膝の上で震える彼の両拳が見える。まるで、起こってしまった悲劇を自分のせいだと戒めるように。

 そこで悟った。恐らく彼は、九華を信頼してくれていたのだ。

 唇を震わせ、首を横に振る。

「ごめん……。私こそ、こんな。一人で突っ走ったら駄目だって、何回も学んだはずなのに」

 本を閉じ、そっと遠くにやった。想汰の肩に手を当て、彼の全身の震えを感じて何度も謝った。睡方も鼻にかかった声で。

「……悪いのは、俺もだ。すぐ、周りに流される」

「ウチも、ごめん。何も出来なくて」

 四人が中心に集まり、お互いの体に手を触れ、体温を感じた。そしてただただ、ごめん、と繰り返した。こんな単純な言葉だけで、贖罪になんかならない。死んでいった生き物たちの罪を遍く背負えるはずなどない。

 だけど。

 だけど……。

 一つだけ、その場で決めた。四人全員で話し合って。

 これから、どんな困難が襲ってきても、どれほど罪を犯したとしても、生きとし生ける者の全てがありふれた日常を過ごして幸せを願える、平和な世界を絶対に実現させると。そしてそんな世界の安寧を自分たちの手で守っていくのだと。

 お互いの手を強く握り、そう、誓った。

 二億年後。四神は再び壮大なる神殿の大地を踏みしめていた。暗闇が続く鏡の奥に、希望を見出した創造神たちが。

「それじゃあ、やるぞ」

 四人が横一列に立ち並ぶ中、睡方が前に出て鏡に近づく。追うように三人も鏡に近づく。

「うん」

「ああ」

「ええ──」

 全員が右手を鏡にかざし、指を力強く開く。鏡面の闇が揺らぎ出す。広がる漆黒が鏡から這い出て、四人の掌の中に吸い込まれていく。鏡内が伽藍堂になり、全てが吸収されたのを確認して、そのまま全員が手を強く握り込む。液体と固体が混じっているような曖昧な感触。潰し切ると、反対側の手を鏡にかざす。ゆっくりと指を開き、手のひらから新たな混沌(カオス)が鏡へと流れていく。そして世界は新たな暗闇で満たされた。その後も部員たちは手をかざし続け、強く念じ続けた。それは三日間続いた。

 果てに、混沌(カオス)の中心に小さな閃光が走った。世界に再び、光が生まれた。

 光生まれし世界に、由依が大水を、睡方が空を生み、海と空を区別した。

 九華がひとたび腕を振りかざすと、大地が生まれ、樹木や植物が生い茂った。

 天界に常時浮かぶ太陽と月を模倣してそれらを複製し、現世へと放つ。太陽内にはいずれ人間へ渡すことになる、『火』をこめて想汰が送り出した。

 水中の動物、鳥、地上の動物を順に生み出すと、その後九華が大地創造の時に取っておいた余分な土を使って、自分たちに似せた始祖の人間を四人で作った。人型に固めた土像に魂を吹き込み、世界に送り込む。

 こうして、神の体感では数ヶ月の創世作業を経て、世界は再び始まった。どこかの文献では、神は六日で世界を作られた、なんて言ってたけど、あれはプロの所業だと九華は心の底から思った。それに神分子部には安息日なんてものがなく、創世からはまた働き詰めの日々となった。

 それでも、四人の会議の時間だけは確保するようにした。決めたのだ。この世界は絶対滅ぼさせない。加えて、もう人を無闇に殺したりしない。話し合いの末に、世界を動かしていくのだ。風が吹き、地に満ちた生き物が荘厳なる自然と共に踊る。鏡面に映る光景は圧巻だった。そして心に留めていた決意の結び目が、更に固まっていくのを感じた。

 だが、その世界も長くは持たなかった。今度の原因は、人類の環境適応能力の未発達による種の絶滅。紀元前の、それも初期という早すぎる段階でそれは起きてしまった。

 九華含む神々は前回の反省を活かし、争いの首謀者を滅するのではなく、人類同士が争いに対し逃避的になるよう、間接的な事象の発生を試みた。それにより古代の人類は群れを作ることなく個人行動中心になり、広大なる大地で起こる争いのほとんどが人間の生存本能に起因する食糧確保を名目とした動物の狩猟のみへと変遷した。

 それが不味かった。孤立した人間は群れをなす肉食動物の格好の標的となってしまい、それだけでかなりの数が減ることとなった。また他者とのコミュニケーションを通じて発達されるはずの情報共有ないし言語能力が未成熟なゆえ、同種族にも関わらず相互の助け合いが一切発生しなかった。

 指南書には定期的に飢饉や大災害、伝染病といった大規模な災難を世界にもたらす必要があると記載される中、九華たちはそんな人間を苦しめるような事象を起こすことは出来ないと、新たな矜持に基づいてそれらの行動を拒絶した。だがかえってそれが、人々の進化の機会を奪ってしまっていたのだ。世界が氷河期に突入し、全土が凍てついた頃。食糧としていた動物が次々と絶滅するような過酷な環境下で、個々で行動する人間が生きられるはずもなく、かつそのような前例のない状況に即時に順応することも出来ず、氷河期以後に残った人類はわずか指の数ほどだった。そして、そんな彼らも子孫を残すこと無く地に伏した。

 最後の人間が死ぬと、想汰が文明の利器として人類に与えた火が、遺体から地へと墜ち、草木も海原も、地上海上否応なくそこに棲む生物も悉く焼き払った。人類の滅亡は、世界の滅亡と等しかった。ただいたずらに時間だけを費やして、大地は平らになった。もう生命が産まれる土壌のない地球は、自分の身が氷漬けになるのを待つのみ。こうなってしまったら神々に出来ることも、運命に悔いることしかなかった。

 最終的にはやはり混沌(カオス)のみがそこに残った。四人はまた多くの本を読み、知識を蓄えた。次なる世界の創造まではそう時間を空けなかった。同じ手順を何ヶ月もかけて踏み、三つ目の世界を始めていく。幾多の思案を重ねながらどうすれば良いのかを必死に話し合った。反省を踏まえた結論から、神々は苦悩の末人間たちに苦難を与えることにした。

 天災。流行病。気候変動。

 多くの人が死んだ。多くの動物、植物が犠牲となった。

 その亡骸の上に、種は繋がれた。

 しかし、人は争いを好んだ。国家を形成し始めた紀元前二千年頃、各地で戦争が多発した。戦い、奪い合い、殺すために人々は頭を巡らせて武器を発展させていく。その文化は後世に受け継がれることなかった。人類はまたしてもお互いを食い合って絶滅へと終着してしまったからだ。

 世界は滅び、再び創り変える。その度に生物は争い、地上は火の海となる。

 苦しみ、悶え。大地が鳴動する。まるで生きとし生けるものの慟哭を代弁するかの如く。破壊と創造。四人の神たちはそれを何度も繰り返した。毎回お互いに話し合い、本を読んで知識を蓄え、必ず平和な未来を願ってと、心に深く刻み込みながら。繰り返して、繰り返して。でも、人は争って。滅亡して。

 ふと、我に返った時。九華は全身を纏う真っ白な白装束が、血で汚れていないのが心底気持ち悪かった。

 一体私たちは、何人の人を殺し、何匹の動物を殺し、何本の木を燃やし、何千何万何億の魂を葬ってきたのだろう。星も、宇宙も、世界も。あれから何度破壊し、何度創り直したんだ?

 背中に一筋の寒気が走る。このままではだめだ。このままじゃ。そう口から漏らすのも、また一つの世界を滅ぼした後に過ぎなかった。

 神を継承してから二十何億年が経ち、今日も例に漏れず世界の滅亡を経験した後。九華は一人、神殿の外に出ていた。雲の上であぐらをかく。遠くの方でチトセの頭を乗せたタプが、気ままに走り回っていた。隣に座っている黒甲冑の兄とはわざわざ目は合わせない。

「どうだ。世界は?」

 言われて、足を組み変える。

「また、振り出し」

「……そうか」

 カムイが俯いたのが、金属同士がぶつかる音で分かった。彼らに会うのは、初めて世界を消滅させた時以来だった。あの時は故郷を守れなかった申し訳なさで一杯で、何を喋っていたのかあまり記憶に無い。けど、唯一覚えているのは、誰も四人を叱ったり責めたりしようとしなかったことだ。それが余計辛かったのも、心にずっと残っている。

「俺たちも、何か手伝えることがあればいいんだがな」

 タプとチトセが先程よりも近くで闊歩している。どちらも笑顔で、楽しそうだった。先生にも、残してきた家族はいるだろうに。

「一度、休んだらどうだ? お前たち、あれからずっと世界を動かし続けてるだろ?」

 分厚い装甲の中から沁み出てくる、兄らしさがそこにはあった。遥かに長い時を天界で過ごしたにも関わらず、四人の神と三人のカミの容貌は一切変化していなかった。事実として過ぎた永遠に思える時はあるが、でも、そこには確かに変わらない兄がいた。先生がいた。タプがいた。

 そして神殿に戻れば、変わらぬ仲間たちがいるということも分かっていた。

「……ありがとう。考えておく」

 九華は立ち上がり、カムイに一瞥してからその場を去った。黒鉄の甲冑を貫通する彼の物悲しげな雰囲気が、無情にも伝わってきた。

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