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しんぶんしぶ  作者: 氷星凪
最終章
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37/41

第10話①:自由、いや、そんなんじゃないけど

「俺!」

「僕だ」

「ウチ!」

「私よ」

 沈黙が流れる。

「…………誰じゃ」

「きちんと言ったじゃない」

 ツカイが頭を掻く。四人の顔を一往復、二往復と流れるように確認してから。

「もう一度申せ」

「だから四人よ四人! 私たち、全員で継承するのよ」

「理論的には可能なはずだろ、ツカイ」

 九華のすぐ横で、想汰が一歩前に出る。候補者が全員神様になる。このような規定の解からは逸脱しているであろう選択を正当化するための論を、彼が述べようとしたその一歩手前。

「ああそうかい。好きにしろ。ほんと人間の考えることなど、昔からよう分からん」

 ツカイは髭の一本も動かさず、立ち尽くしたままだった。

「え? ……いいの?」

「わしにはもう天界のことは関係ないからのう。この際言うがな、最初からお前らに対する興味など一切ないわい。わしはただ与えられた役目をこなしただけじゃ。さ、というわけで。こんな義務的な催事、早く終わらせてしまおう」

 正直、拍子抜けだった。九華的にはもっと、こう、そんなのは出来ない、みたいことをツカイが言って、それを部員たちが論理的に潰していって、自分たちで神様の座を掴み取る、みたいな展開を夢想していたのだが。

「随分、楽に突破してしまったものね」

「まあいいんじゃないか。これはこれで」

 睡方の声でやっと、全身に入っていた力が抜けた感覚がした。そうね、と軽く返してから、ツカイが青く光る神聞紙を目下の地面に置いたのを確認する。

「お前たち。意志は変わらんな」

 お互いの顔を見ることなく四人は同時に頷く。ツカイが白眉を上げ、掌を空の方に向けて手を掲げると、勢いよく神聞紙に向かって振り下ろす。青い閃光が一帯を大きく囲んで渦巻き、一つの場所へと集まっていく。そのままそれは合わさり大きな稲妻となって天高く昇ると、今まで限界があった天空の天井板を木っ端微塵に破壊した。

 創界に空の破片が降り注ぐ。そんな中、四人の全身は光に包まれていき、足が地面から離れ、少しずつ浮き始めていた。その今までに感じたことのない感覚に、九華は空中でバランスを崩しそうになる。不可抗力で天に引っ張られる四人に置いてかれるようにして見上げるタプ。困惑で辺りを飛び跳ねるその桃色の生命力に向かって由依が両手を広げると、タプは自慢の脚力で飛び上がり、彼女の腕の中に着地するとそのまま四人と共に天へと近づき始めた。

 どんどん体が地上から遠ざかっていき、見下ろした時に視界に映る創界の地面の面積が拡大していくのが分かる。そしてその見える範囲が増えていく度に際立っていったのは、足跡だった。

 紛れもなく自分たちがこれまで地面につけてきた、無数の足跡。高度も大分高くなり、創界の長方形の全土が遂に瞳孔に一挙に映る。その土地の端から端まで、至る所に足跡は付いていた。何回も繰り返し通った場所は跡が濃くなっている。

 思った途端、九華にはそれがまるで新聞紙のように見えた。創界という半紙に、滲む軌跡は文字。その軌跡を見るだけで思い出が呼び起こされる。今までの旅の全てが尊く、そしてその集合体がこの景色を形作った。九華の肩は小さく震え、ひとたびひとたびの呼吸が深くなっていく。劇的、だった。何もかもが。

 纏っていたコンダクの着ぐるみが光によって剥がれ、ほんの一瞬制服姿に戻ると、粒子状になった光が体にくっつき、制服が全身を覆う白装束へと変化した。

 突然の重さを肩甲骨辺りに感じる。背中に手を回してみると、なんだか柔らかな感覚。指先に白い羽が付いているのを見て、目を見開いた。背中に感じた重さは、勢いよく生え出した翼だった。三人も同じ格好になったすぐ後、一行は雲の群を通過していく。深く重なった雲層が晴れ、そしてそこに広がったのは。

「ここが、天界じゃ」

 満天の青空。東に太陽、西に月、と相反する空の象徴が同時に存在している。地面に代わって続く雲はその広がりに際限などなく、一帯をびっしりと埋めていた。裸足で乗る雲の上は、どのように角度をつけても足に吸い付いてきてどこかくすぐったい。

 全身を白色に包まれた四人が並び立つその姿には、早くも清廉が醸し出され、神性の瑠璃が玲瓏に輝き始めていた。ツカイが咳払いをし、改めて。

「これでお前たちは正式に神様になったということだ。そこのブタは除いてな」

 タプを顎で指して、続ける。

「よって、世界に神様という概念が復活し、地上の現実世界は元の秩序立った状態へ戻った。これにより創界にいたカミも全員人間に戻り、元の現実に帰ることとなる。創界で過ごした記憶は消され、何事もなく生活を再開するのじゃな」

 言葉を聞いた瞬間、九華は頬の筋肉が無意識に痙攣したのを遅れて感じた。反射で動いた口がツカイに問う。

「……ちょっと待って。今、なんて」

「二度も説明させるな。創界にいた者は元々現実世界の存在の思念体が形になったものじゃ。一つの存在に異なる形が複数あるなんて不均衡なのじゃよ、だから残っていた者は全部現実に戻ったんじゃ」

 時間に追われ、疎かになっていたことに今気づく。兄は。あの、不器用だけど自分のことを誰よりも想っていてくれた兄は。現実に帰ってしまったのか。そうだとしたらもう、会えない……?

「そ、そんなの……聞いてないわよ……!」

「行間を読めばすぐに分かる話のはずじゃ。お前らなら既に理解していると思っとったわい」

 体を脱力させ、膝から崩れ落ちる。そのまま、彼女はカミの頃には無かった立派な五つの指が生えた手で眼前の雲を掻き分け始めた。自分でも訳は分かっていなかった。ただ、まだそこにあるはずだと。必死で指を食い込ませては、掘り進めていく。ほとんど空気に近いのに、可変性のある柔らかさが時間を永遠に感じさせる。雲間が開き、下界が見える。だが、そこにあったのは植物のように生え伸びるビル群だった。その上を飛行機が飛んでいく。あまりにも現実すぎる、地上の世界。創界の残骸など一切、無かった。

「じゃあ、お兄ちゃんとは、もう……」

 勝手に覚悟していたつもりになっていた。だけど。それにしても。

 目配せすら十分に出来なかった、あの後ろ姿が最後だなんて。

 もっと。

 もっと、言葉にしていれば。

「呼んだか?」

 近くで、甲冑の重厚な擦過音。顔を上げる。無限に広がる雲上を、黒鉄の鎧が闊歩してくる。ツカイの隣で止まったカムイは、片手でチトセの頭を抱えていた。だいぶ手慣れた持ち方だった。

「忘れてもらったら困るなぁ、瀬尾君。それに新聞部のみんな」

「先生と、それに九っちのお兄さんまで!」

「あんたたち……! なんでここに……」

「わしが呼んだんじゃよ」

 すっかり肩をすくめた九華に、ツカイが口を開く。

「わしはな、もうこの称号に飽き飽きなんじゃよ。だからこれからは、神に携わるツカイの役目を彼らに託すことにした。お前らとの関わりも多かったしな」

 九華はカムイの方を向く。そして彼もまた彼女と目を合わせる。彼女は長く鼻息を漏らし、うっすらと口角を上げた。

「それじゃあ伝えることは終わりじゃ。あとはもうお前たちに任せるぞ」

 後ろを向こうとするツカイを、睡方が呼び止める。

「いやいやまだ教えて欲しいこといっぱいあるんだけど……。というか、まずあの建物は何なんだよ」

 彼が指差した方向を全員が向く。青空の背景に佇むのは、大理石で構成されたいわゆる神殿のような建造物。その高貴で堅牢な雰囲気を醸し出す圧倒的な異質感もさながら、ドーリア式かつ中心に向かって膨らむエンタシス構造を模する柱から、ギリシア神話に登場する守護神アテネが幽閉されたパルテノンを思い起こさせる。

 神話は嫌いだ。嫌いだからこそ、幼い頃本を読んで知ってしまった関する知識、記憶は中々頭から離れず、こびりついてしまっている。

「わしがここで口で説明するより、その足で向かってみるのが一番早いじゃろう。それに、あの神殿の中心にある卓の上に、神の基本的な仕事を記した指南書を置いておいた。それを見れば大体のことが分かる。はぁ、では」

「待て。あなたはどこに行くんだ? さっきから何をそんなに急いでいる?」

 想汰の質問に、ツカイは不敵な笑みを浮かべる。心の底から漏れ出すような、顔面の皺を歪めた笑み。

「現実世界じゃよ。ようやく……元いた場所に戻れる。使命なんぞ忘れて、普通の生活を送れる……」

 背中の翼が大きく広がり、その衝撃で羽が辺りに舞う。飛び上がったツカイが一行の頭上を高速で旋回すると、体を捩り遠心力を垂直落下への力へと変換させ、そのまま勢いよく雲を突き破って降下していく。水面を穿つさざ波のように雲間に穴が開くと、そこからツカイは勢いよく墜ちていった。早くも彼は見えなくなり、その体ごと地上のコンクリートのジャングルの中に溶けて消えてしまった。一度開いた雲の輪はすぐに収縮していき、元の形に戻ろうと穴を塞ぐ。

 最初から何も起きていない。そんな偽りの事実を一瞬信じてしまうほどの平坦さに、雲海は戻った。

「……なんだったんだろうな」

 嘆息をついた睡方が、九華含め三人の顔を見やる。

「ほんとにねー」

「これで正真正銘、私たち神になったってことかしら」

「どうかな」

 想汰に淡白に返されて、目線を鋭くさせるも。頭を掻きながらの睡方が足を踏み出す。

「……行くか。とりあえず、」

「そうね」

 睡方が先頭を歩くのに、九華、想汰、由依が後ろを続き、加えてカムイ、チトセ、タプも前へと進む。目指すは神殿。これから自分たちの五番目の社となるであろう、そこに。

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