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しんぶんしぶ  作者: 氷星凪
間章
32/33

第8話①:八荒

 体を叩かれている。肩を、叩かれている。控えめかつ一定の、心拍数を思わせる間隔。コンダクの着ぐるみの中で睡方がうっすらと瞼を押し上げる。二度寝をする気になれないほどやけに目が覚めてしまった午前四時。そんなことを頭に浮かべながら、自身に覆い被さんとする長身の体躯の異形を認識する。

「戻ってきたんだな……」

「ああ」

 辺りを見渡さなくても分かる、フレームレートの落ちた視界が帰郷を示す。こんなところで産まれた覚えなど一切無いのに。

 起きていたのは、想汰だけだった。彼は最小限の動きで睡方を起こすと、無言で遠くを指した。とは言っても、終わりの見えないこの世界では彼の言う「遠く」がどれほど遠くなのかは彼次第になる。

 なんだ、と声を出す。彼は反射的に首を横に振った。察する。他の皆は起こしたくないのだろう。歩き出す彼に結局黙って付いて行く。そこまで足を動かす必要は無かった。仰臥(ぎょうが)する彼女らの姿がそれぞれ葡萄(ぶどう)の一粒に見える所で二人は腰を下ろす。来るまでの間、会話も、その予感も無かった。

「なんだよ」

「聞きたいことがある。部長のことで」

「あー……九華か、なんだ」

 九華と聞き、脳の狭い部屋に押し込んでいた一つの皺だらけのプリントが伸ばされる。意識して後回しにしていた訳じゃないけど、タイミングが無くて取り出す機会を待っているそれ。もしかして。想汰も同じことを考えていたのではないか。

 彼の神妙な顔に、若干の緊張感を筋肉にもたらせつつ耳を傾ける。想汰は口を開く。

「君とは、どういう関係なんだ?」

 強張らせていた筋肉が一つずつ横にズレる。そんな感覚と共に首を前に出す。

 拍子抜けだ。

「……あいつとは、小学校からの仲だよ。三年の時に同じクラスになってそれが中学校に入っても続いてる」

「いや、そういう訳ではなくてな」

 次に言おうとしている単語の頭文字であろう音を出し損ねて、誤魔化しのつもりか手でかさの溝をなぞっている。それからじっと顔を見続けてくるのに一切動かないから、急に初対面同士みたいな時間を過ごす。

 睡方は思わず言葉を付け足した。

「すまん、質問の意図が理解できないんだが」

 顎に手を当てているのが大きな頭の影に隠れて見えた。だが、想汰が返事をする気配はない。顔のみが体と分離して綺麗に傾げる。

 睡方はそんな様子を覗き込みつつ。あぐらをかいて座ると丁度良い位置に来る右足の柔らかな肌を拳で弾いて遊ぶのも、飽きを感じてきた頃だった。

「なんか、変だぞ。いつものお前じゃない」

「変か?」

「ああ」

「そうか。……それならば、もう明瞭に言おう」

 膝を抱えて座っていた体の向きを丸ごと、睡方へと向ける。浮き沈みなどへったくれもない、平然たる口ぶりで。

「君は……部長と恋人関係か?」

 間隙。いるはずのない鴉が一匹がカーカー、と通る。そうでないとおかしい沈黙が、永遠と、そして一瞬で流れた。

「……は!?」

 顔を上げる。風で、想汰の溝の塵が数ミリ後退する。

「俺が?」

「君が」

「なんでだ!?」

「一旦教えてくれ」

「何を!」

「君が彼女と恋人関係なのかどうかだ。とりあえず答えだけくれ!」

 感情的な冷水をぶっかけられて、更には無いお互いの鼻がくっつきそうな勢いで捲し立てられる。喉を鳴らして、それが着ぐるみ越しにこもって響いて。膝を肘置きに。目線を投げやりに知らない場所に。あぐらを組み直して答える。

「……ねぇよ。んなもん」

 途端だった。上半身を支えている想汰の手が若干地面に沈んで、脱力が見えた。そうか、とだけ呟いて、すぐさま彼は膝の中に顔を戻した。

 初めてこの着ぐるみが邪魔に思えた。表情が、読めない。自分の頭の上を、前後一往復手が滑っていく。巣戻りの亀を即座に呼び戻す。

「なんで、そう思ったんだ」

「よく喋るだろう。君達は積極的に言葉を交わす機会が多く見えた。その様子が今思い返せば、親密な関係に見えてきたんだ」

「それはお前だって同じだろ。大体なんだってそんなことを今聞くんだよ……」

 話半分の質問。言葉の余韻の中を漂いつつ、思いついた愚問がよぎる。だが待て。そんなことあるのか。いや。でも、一応。

「もしかしてお前、九華のことが好きなのか?」

 彼の、次の一言に意識を集中させる。

「……真実を追い求める彼女は、好きだ」

 歯痒さを感じる。恐らく想汰が感じていたのと同じ種類の。

「じゃなくて……なんていうんだろうな。うーん……。女子。女子としてだ」

「分からない」

 乾いた笑いが口端から漏れる。

「恥ずかしがってんのか」

「違う。本当に分からないんだ」

「はぁ? なんだよ、それ」

 若干呆れつつ、両手を枕にした状態で地面に倒れ込む。珍しい。地面を見ても空を見ても、映る光景はどちらも悠久に広がっていた。考え事をするには丁度良い世界だ。

 想汰の返事は、確かに太い芯が入っていた。その場しのぎではなく、本心で分からないと言ったのだろう。隣の彼も座ったまま空を見ていた。

「不思議な体験をした。現実世界に行った時、部長は僕に対して言葉をかけてくれた。『新聞部には一人も欠けてはならなくて、それは僕も例外ではない』という旨の。こんなことを、君にも言われた気がする」

「覚えてる。すぐそこでな」

「どちらにも感謝してる。その上で君には申し訳ないんだが。いや、申し訳ないというのも変な話ではあるが」

「……なんだよ」

「同じ言葉なのに、部長から聞いた時だけ心の動き方が異なったんだ。言葉では言い表せない、でも熱だけは酷く帯びた、黙殺出来ない現象が、起きたんだ」

「お前それ……」

「そりゃあ……恋だね」

 突然足元から声がして体を起き上がらせる。姿はない。

「聞いてたのか」

 想汰が言った方を向く。そこには、地面に這いつくばる由依の姿があった。

「もち。ちょいと耳が良くてね〜。聞こえちゃったから来ちゃったって感じ。ごめんね想っち。でも九っち達は起こさずに来たから」

「いっつも急に来るんだよな。ほんとびっくりした……。ていうか、想汰も気づけよ!」

「なぜ僕が叱られているんだ」

「ひひ。それがバレないようにほふく前進で来たのだよ。ってってそんなことより! 想っち、九っちのこと気になるんでしょ!? 想っちはこれからどうしたいの!?」

「どうしたい……ってなんだ?」

 由依が体を後方にのけぞらせる。背中と腰がつきそうな勢い。いやそれほどまでは行かないが、若干という程度は優に超えた姿勢と冷ややかな目線。

「ア、プ、ロ、ー、チ。うじうじしてたら、言うタイミング無くしちゃうかもよ?」

「ちょっと待ってくれ。話が飛躍してないか。僕はただ彼女の言葉から感じた心の動きの正体を知りたかっただけなんだ」

「ほー。じゃあなんで俺がわざわざあいつと付き合ってるかなんて聞いたんだよ」

「…………それは」

 言葉が止まる。静か、といっても想汰を見る由依の目線がうるさい。三人の呼吸がありありと聞こえる。

 当の彼は、固まってしまった。今度は何かを言おうという意思すら見せず、その手前の脳内辞書のページ捲りでもう一杯一杯になっている。癖で透明な眼鏡を、手で持ち上げた。

 静寂は思考時間とも言い換えられる。彼が引き出した九華の話題。それを最初に聞いた時から、開けられた記憶の引き出しの中に入っていたくしゃくしゃのプリントの皺がようやく伸び切って、文字が読めるようになった。胸のしこりというか、些細な息詰まりを吐き出すために拳で体の真ん中を叩く。

 ドンドン。

 はぁ。遠くに見える九華に視線をやり、まだ彼女が起きていないのを確認する。自然と口を噤んでいた二人の方を向く。会話が進む気配は見られない。よし。

「というか、丁度良かった。俺ももう一度この三人で話したいことがあったんだ、それも九華のことで」

「なんだ」

 いの一番の想汰の返事に鼻息が飛び出る。でも事実、九華の話だ。由依も口に手を当てて彼を横目で見つつ正座する。

 睡方は一瞬の間を置く。

「あいつ、気づかず無理しすぎるんだよ。世界の全てを自分事だと思って、つい一人でなんでもかんでも背負おうとする。だからこの前は、それが限界に達して俺達の前を去ったんだと個人的には思ってる」

「それについては……ウチも、同意。それが九っちの良いところでもあるんだけどね……」

「想汰は?」

 彼が視線を落とす。やけにマーブル模様の黒色が集中する自分の二の腕の中央部分を触ったまま。

「感じは、したさ。まだ……あの時の感覚が残ってる」

 遺品を触るかのように手をそっと滑らせる。腕から続く肌は当たり前に全身を覆っており、コンダクを構成している。その腕も、彼を構成する立派な一部だ。

 睡方は自分の腕を見やる。凹凸が目立つ、それでいて白と黒が汚く入り混じる表面。

 良かった。と同時に、過去の憂いが思い返される。すぐ近くの由依を思ってのものだった。幾多の感情やそれ未満のものを混じり合わせ、その水を頭蓋骨の隙間から脳へと染み込ませていく。

 とめどないそれを注ぎ切る前に、置き去りになっていた本題に戻る。前の三人会合では言い損ねた、未完成でもあった心根を。

「どうにかしないといけないと思うんだ。あいつも部長である前に、部員だ。あいつにだけ引き受けさせる訳にはいかない。今度は……帰ってこなくなるぞ」

「だが、部長に『僕達に任せて』と言って素直に任せてくれると思うか?」

 想汰は深く息を吸う。

「とてもじゃないが想像出来ない」

「……まあ。それも、確かにな……」

 幼い頃から既に完成された瀬尾九華という絢爛な城は、天守閣に上るだけでも精一杯だ。辿り着いてもそこに待っているのは意固地な箱入り娘。背負い続けることを自ら選んで城の深層へと進み続け、いつしか自分でもどの襖が出口か分からなくなってしまっている。あまつさえ厄介なことにその城、外見は立派だが、石垣のどれか一つでも無くなればすぐさま崩れてしまう。そしてその脆弱性に城主自身が、気づいていない。

 故に真正面から、それも、攻め入る、のではいけない。そんなことは睡方自身が十分承知している。しかしその具体的な方法が分かっていたら今こうして二人に粘り気のある時間を過ごさせてはいない。

 由依が名案を思いついたように背筋を伸ばす。

「想っちがさ、思い切って告白と一緒に伝えちゃえばいいんじゃない?」

「告白だと?」

 二人が向き合ったのを見て、思わず言葉を漏らす。

「……想汰に言われるのが、あいつにとっては一番効くかもな」

「待て待て待て。また話が飛躍している。そもそもだ。僕が今から告白しても、余りに突拍子が無いだろ。そういうのはまず、二人でどこかに遊覧しに行ったり、出掛けたりを何回か重ねて粛々とお互いの気持ちを共有しつつ、関係の中に生まれるある程度の恋愛関係の芳香が出来てから行うべきだ」

「あ、ちゃんと流れを大事にするタイプなんだ…………」

 由依が顔だけは想汰の方を向けたまま、頭を小さく上下に振る。会釈みたいな動き。

 睡方が片方のこめかみを手で押し潰しつつ。

「別に無理やりそういう関係になることを望んでいるわけじゃない。あいつには、こう、なんか、なんだろうな。普通の中学生?っていうか、そういう……うーん、なんて言うんだろ」

「年相応、か?」

「そう、そんな感じ。もっと力を抜く場面みたいなのがあいつには必要だと思うんだよ」

 男二人の会話に今度はぶんぶんと頷く由依。

「確かに……。せっかく集まれたんだし、もっと四人で遊ぶ時間があってもいいのにな〜!」

「それは単に君が遊びたいだけなんじゃないか」

「違うよー! ちゃんと九っちのことを思って考えたんだから!」

 二人を見ていて、机をくっつけてよく行った新聞部の定例会議での光景がなんだか重なる。いつも想汰か由依が議題から脱線し始めて、それに睡方もいつの間に乗せられて、場がしっちゃかめっちゃかになる。そんな時、大概の問題をまとめてくれるのはいつも九華だった。

 ここにはいないはずなのに、なんだかやけに彼女の存在を感じてしまう。いや、いないから、なのかもしれない。

「君達ー! ちょっとこっちに来てくれー!」

 遠くからの呼び声。言い合いになっている二人を止めて振り返させる。

 注視、するが揺らめく影が見える程度。想汰が腰のスイッチを押し、頭を飛び出させる。確認した彼は、スフィンクスの頭が声を荒げていると教えてくれた。先生か。思い返せばそんな声だった気もする。

「他の二人は?」

「まだ起きてない。けどあんなに叫んでたらじきだろうな」

「早めに先生の所に戻ろう。三人で固まって話してることが九華にバレたら何か企んでるって怪しまれる」

「そだね、いこいこ」

 三人は腰を上げて、足や臀部(でんぶ)についた塵や灰やらを叩き落とす。それから足跡を一歩、また一歩と地面につけていく。歩いている最中。

「さっきのこと、勝手に言うなよ。部長が変に誤解して伝わったら困る」

「そうだな」

「わかってるって〜」

 由依のいつもの軽々とした調子のせいで、疑念を込めた視線が彼女を貫いて睡方まで届く。

 九華が体を捩らせたのを捉えて、一行は動きを早めた。

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