表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
しんぶんしぶ  作者: 氷星凪
間章
31/33

第7話②:七寸

「コン……ダク……?」

 佑哉が持っていたスプーンを手先で翻し、立ち上がると同時に先生の首に突き立てる。

「いい加減、妹に付き纏うな」

「そんなに怖い顔するなよ、カムイ。それに、怒りたいのはどちらかと言えば僕の方だ」

「……その名をここで呼ぶな」

 目線が二人の間で激しくぶつかり火花を散らす。

 コンダク? カムイ? 先生は何を。

「ぐぁっ……!」

 頭が痛み、思わずスプーンを皿の上に落とす。側頭部を手で押さえつつ、唸り声を上げる。

「九華!」

 近づき、佑哉が彼女の肩を掴む。大丈夫か、と声をかける彼の顔は必死で、それでも彼女は痛みを抑えられず熱い吐息を口から漏らす。先生が唇を舌で舐めてから、居丈高に声を響かせる。

「瀬尾君! 君なら思い出せるはずだ! この世界で起きたことも! この世界以外で起きたことも!」

「うぁっ……。うぁあああ……!」

「それ以上言うな!」

 苦しむ九華を抱きつつ、佑哉が先生の声を遮るように声を張り上げる。だが頭の痛みは増すばかり。

「佑哉君。また、君の妹が涙を流してもいいのか」

「っ…………。それは…………」

 脳内が熱くなる感覚。痛みの中に、映像が流れてくる。

 ぼやけた人物が三人。ここは、中学のどこかの教室。みんなで集まって、話して、何かを書いて。真っ白な世界を異形の四人が歩いて。子豚に乗る自分達もいて。

 ん……? 自分達……?

 そうだ。その中の一人は、九華自身で。他の三人は、確か、友達……。いや、そんな言葉では収まらない。もっと、大切な。

「本来いるはずの者がいなくなってしまっている! 君の中の、大切なものが!」

 先生の言葉が、体の中で残響となって駆け巡る。

 大切なもの。いるはずの者がいない。

 顔を動かす。小さく、右に、左に。机の上に乗せられた二つの食べかけのオムライス。ここで感じていた。ずっと。

 何かが足りない。いつも食卓にいるはずの、誰か。

「…………パパ、ママ…………!」

 呟いた途端、佑哉が目を見開く。そして先生の方へ顔を向け、彼の顔を強く睨みつけた。その間、九華の中で連鎖的に記憶の種が次々と芽吹いていく。

 あの優しい笑顔の父、仕事を巧みにこなす母。両親はずっと自分の憧れで、そのために何かをしていた。

 新聞だ。

 そうだ。新聞部! 部員の四人!

 渓翠睡方、儘波想汰、時原由依。そして、顧問が尾崎先生。自分含めた四人で、真っ白な世界、創界を旅していたんだ。その途中で神様になる使命を背負わされて、それがどうしても嫌で、そうしたらカムイが現れて。

「あっ……! カムイ……!」

 思わず兄に人差し指を向ける。頭の中に渦に入った瞬間の映像が流れる。やはり、そうだ。あの時、甲冑から出てきた顔は兄の顔だったのだ。

「……思い出した、みたいだね」

 先生が漏らす、柔らかな声。その声に反応して、今度は彼に人差し指を向ける。

「あんたもしかして、あのスフィンクス!?」

「そう! 大正解!」

 彼が指を鳴らし、嬉々とした表情で返事を返す。一方、隣の佑哉は全身から力を抜き、絶望に塗れた顔を浮かべたまま、ただひたすらに先生を見つめることしかしていなかった。

「どういうこと……? 創界に行ったのは、私達だけじゃなかったの?」

「ああそうだ。世界があの眩い光に包まれた日、現実世界にいたほとんどの人間の魂は創界へと移った。そしてカミという不思議な存在となり、みな様々な姿を会得した。君達のコンダクもそうだし、僕らのも、はたまた有象無象のフキヤだって一人一人が元は人間なんだけど……って、これもしかしてツカイから聞いてるかな?」

「ちょっと待って。でも今私たちがいるここは現実世界でしょ? 学校からこの家に帰ってくるまで……みんな普通に生活していたし、景色も何も変わってはいなかったわよ」

「うーん。移動した、というのは、少しニュアンスが違ったかもしれないな。つまり……そう、コピーアンドペーストみたいな感じだ! 人々の魂を複製し、現実世界の都市に似せて全てを創界に甦らせた、そんなイメージだと思ってくれればいい。そしてあの日、全能神及び天上の神が全員絶滅したことにより、現実世界が書きかわってしまったんだ。神様という、概念が存在しない世界へとね」

「概念が……存在しない……?」

「その影響で君の両親はこの世界から消えた。神様っていうのは、ただ天の上に鎮座する、力を持つ者達のことだけを指すんじゃない。誰しもの心の中にある、信条としての神様のことも概念に含まれる。君は恐らく両親のことを自分の中の神様のように思っていた。だからこの世界から消えた。これが今、全ての人間に起きている」

 先生は机の上に横たわるリモコンを拾い上げ、テレビの電源を点けた。映るのは、夜のニュース。中心に座る女性のアナウンサーが、報道機関の一員としての矜持を忘れていないといった様子で声を張って読み上げる。

「今日未明、アラル共和国の最高指導者、モルジ・グディアナ氏が射殺された模様です。現地メディアによりますと、射殺を行ったのは陸軍中尉ら三名を筆頭とした軍内部の者とされており、現地警察はクーデターとして警戒態勢に当たっておりますが、いずれも混乱は続いている模様です」

 先生がチャンネルを変える。青空を基調としたスタジオの背景、そこに映る男性のアナウンサーが口を動かす。

「レカミアのオーウェン大統領が正式にウルクメニスタンとの全面戦争を行うという趣旨の声明を出しました。オーウェン大統領はウルクメニスタンの隣国であるロノンに軍事支援を行い、二国共同で一部都市の制圧を完了させた後、ウルクメニスタン側の報復を目的とした声明に対し『これは自国が脅かされる危機であり、抵抗することは避けられない』と、市民の前でも戦争への意欲を示していました。なお、レカミアとかねてからの同盟国である我が国の大石首相は、本日の記者会見で軍事支援の意向を示しており、憲法に示された平和原則が危ぶまれているのでは無いかと、懸念の声が広まっております」

 テレビの中で平気に流れる爆破、爆撃の映像。その国特有の文化である砂岩で作られた家や建物が次々と破裂していき、瓦礫が辺りに飛び散る。被害者数の表示はされなかった。でも九華は見逃さなかった。見切れた建物の残骸の一部に、赤く黒い血痕が残っていたのを。もはや遠い国の話だと思っていられない。自分達の住んでいる国も、その渦中に顔を出している。

 許せなかった。拳に力が入って、歯を食いしばる。

 それだけじゃない。本来国を守るべき軍がクーデターを起こした。世界の平穏が徐々に音を立てて壊れ始めている。そしてそれはもはや予感や預言といった不透明な存在では収まりきらない事実として、彼女の虹彩を無情にも照らしたのだ。

「何よ……これ……」

「これも、その影響だ。全世界に通じて存在した神様という概念が無くなったことにより、人々は無自覚のうちに心に留めていた、()()()()()()()、の存在を捉えられなくなった。力を持つ者が正義。そういう野蛮ないわゆる動物的思想に世界全体が包まれ、今、各地で紛争や抗争、様々な争いが続々と起き始めている。現に僕らの国も例外じゃない。まだ今の段階では軍事支援止まりかもしれないが、このままだと悲惨な歴史を繰り返すことは自明だ。そうして、争いが争いを生み、人々がお互いを憎しみ合って進んだ先にはたった一つの未来しかない」

「…………何?」

 九華は、嘘をついた。もう既に内心ではその結論が分かっていた。なのに、変にまだ希望があるんじゃないかと、彼からの返答を求めた。言葉口よりも明らかな、あの凄惨で衝撃的な光景が現実であってほしくないという細やかな願いも込めて。

「世界の、滅亡だ」

 息を呑もうとして直前で止める。深く息を吐き、体に染み込ませた。現実を。

「こんなことを実現させてはならない。だから、君達の力が必要なんだ。君達四人の誰かに神様になってもらわなければいけないんだ!」

 九華に近づく尾崎先生の動線を、佑哉がその長身の体躯で塞ぐ。

「九華は……俺の、大切な妹だ」

「カムイ……。君なぁ……!」

 退けようとする先生の腕を、逆に彼は掴み返す。血管を浮かび上がらせた前腕を震わせ、それと同時に震え上がった声を相手の顔に浴びせた。

「ガキの頃から、ずっとだ。九華はただ一人で新聞を書き続けて、毎日毎日苦しそうな顔をして過ごしてた。誰かと遊ぶこともせず、ただひたすらに、文字を書いては消して書いては消してを繰り返す日々。立派だと思った。でも……」

 言葉を、詰まらせる。

「オムライスを食べた時に見せる彼女の自然な笑顔が、俺は一番好きだった。これが彼女本来の姿で、何か使命とか責任とかそういう重苦しいものから解放されている、純粋な妹としての姿。俺はそれを……死んでも守るって決めたんだ……!」

 怒りだと思われていた震えは、言葉が紡がれていくうちに決意の震えへと意味合いが変化した。九華はその立ち向かう彼の大きな背中を見て、体の中から込み上げてくるのを感じ、無意識に唇を噛み締めた。

「だから俺はもし世界が崩壊するのだとしても、九華とここに残り続ける。九華と一緒に、余生を過ごす……! 神様になんて……ならせない……!」

「…………」

 単なる気迫か。または兄としての深なる想いか。先生は圧倒されたみたいに押し黙り、動きを止めた。信念は曲げられない。だが、それが都合よく交わるはずもない。だとしてもお互い譲ることの出来ない、小さな争いの萌芽。佑哉が脱力した先生の腕を跳ね除けて顔を見上げ、その相手は反対に顔を若干俯かせていた。

 一瞬漂う、決着の雰囲気。

 九華は拳を固く握ると、勢いよくその場に立ち上がる。

「お兄ちゃん……私、やるよ」

 空気の、氷結。澄み渡る鋭敏な風が、窓も開いていないのに吹いたよう。振り返った佑哉の目は見開いており、彼は必死で彼女の肩を掴んだ。

「何言ってんだ。お前は、」

「私はもう! 子供じゃないの……。それに……一人じゃないの」

 佑哉は首を横に振る。訴えるような眼光、顎まで長く垂れた黒髪が切なく揺れる。

「考え直せ。お前がそんな運命引き受ける必要なんてない。お前はただここで、幸せに笑っているだけでいいんだ……!」

 言われて、思わず目が潤む。様々な感情が渦巻きつつも、次の言葉を発さないと自分では分かっていて。だけど発してしまったら、とうとう涙が零れてしまいそうで。

「だめ」

「なぜだ! 九華!」

 喉を鳴らす。

「消えちゃう」

「……え?」

 涙を流す彼女の視線に、彼が肩を掴んでいた自分の両手を見やる。そこには明らかに肌が薄くなっている自分の姿があった。腕も、足も、透明に近づき、彼の肌に透けて悲しみで濡れる彼女の学生服が見えてしまっている。

「なんだよ、これ……」

 困惑する兄。彼女の目からは奥底にしまっていた感情の全てが頬を伝って、床に音を立てて落ちていた。肩を小刻みに揺らしながら、そんな薄くなった彼の肌を彼女は年相応の小さな手で優しく撫でる。

「だって……私にとって……お兄ちゃんも、神様だから」

 彼は大きく瞳孔を開いた。鼻を鳴らし、次の瞬間にはもう口の端が震えていた。

「…………消えちゃやだよ」

 儚く呟く彼女のその声。彼は彼女の体を引き寄せた。そして彼女も、背中に手を回した。二人は抱き合ったまま床に崩れ落ち、それぞれの肩をそれぞれの涙で濡らした。声を上げて泣く彼女らの号泣は、この狭い部屋に溢れている多くの雑多なものでも吸収できぬほど大きく、それでいて誰にも邪魔されない唯一無二の密室だった。


 太陽はとっくに沈み、暗闇を一筋の月明かりが照らす。アパートの外に出た三人は敷地近くの殺風景な路地の端に立っていた。

「いいんだね、カムイ」

「ああ」

 項垂れ気味の佑哉の声が、遠吠えとは程遠い繊細さで夜道に響く。先生はどこか申し訳なさそうに体を捩りつつ。

「なんだかんだ、悪いね。次元転移の力は君しか持ってないから」

 九華は彼の肌を見る。やはり、透けている。先ほどのことは夢ではなかった。ただそれだけを確認したかった。

「それで、早速創界へ転移……といきたいところなんだけど。候補は君だけじゃないわけだ。他の三人も見つけて戻さないと。瀬尾君、彼らの家、分かるかい?」

「はい、社で見たので」

「よし、それじゃあ出発だ。カムイが消えてしまうかもしれないから、なるべく早めに行こう」

 三人は歩き出した。

 最初は睡方の家へと向かった。玄関でチャイムを鳴らすと、母の胡桃がエプロン姿で出てきた。新聞部のないこの世界では胡桃は九華のことをクラスメイトの一人としか認識しておらず、基本的に先生が話すこととなった。睡方は家にいるか、と聞くだけの簡単な仕事かと思われたがその言葉を受けた胡桃は顔を顰めて答えた。

「それが、少し前に家を飛び出していってしまったんです……。気づかないうちに出ていってしまったので用事もわからず、連絡も今のところ返ってきていなくて……」

「そうですか……わかりました。もし帰ってきたら連絡の方お願いします」

 先生が言うと、彼女は深々と頭を下げて家に戻った。社で見た通りの穏和な人柄が感じられる振る舞いだった。

 次は想汰の家に行った。自分の生活圏内とは少し離れた場所で、歩くのに思いの外時間がかかった。しかし、玄関の前にまで来て思った。堅牢な鉄格子と、壁中に張り巡らせたボタンの数々。

 途中の順序までは分かっても、結局その玄関が開くことは無かった。先生が父親に電話を試みるも繋がらず。

 途方に暮れた三人。それでも止まらず歩き続けた。この近くにある由依の家がまだ残っている。そこへ向かおう、と全員の意見が一致した。

 閑散としていて、夜間だからではなくそもそも住宅が少ないという理由で音がほとんどしない湿気の多い路地。ひたすらに、歩く。

 しばらく経ったところで、遠くの方に節々が崩れかけている屋根のようなものが見えた。あれは。先生と佑哉に伝える。由依の家までもう少しだ。駆け足で近づき、三人で揃って歩いていく。

 ふと、その足音の間隔からはズレている別の足音が後ろから聞こえてきた。

「あ、見つけた! おーい!」

 どこか聞き慣れた声。足音が細かくなっていき、誰かがこちらに向かってくるのが分かる。振り返ってみると、街灯も照らされていない暗闇から出てきたのは、先ほどまで探し求めていた睡方と想汰だった。

「おーい!」

 三人が足を止める。彼らは目の前で止まると、息切れさせながら嬉々とした表情をその顔に浮かべていた。睡方が膝に両手をつける。

「はぁ……! はぁ……! あー……! やっと見つけた……!」

「あんた達、なんでここに……」

 口を開こうとして一旦体の中の空気を大きく循環させる。顔を上げて。

「探してたんだよ……! 俺達も……! 九華のこと……! 新聞部が無くなって……! どうなってんだって思って……!」

「ちょっと待ってくれ。君、新聞部のこと覚えているのか!?」

 先生が口を挟む。やっと二人の息が整い始める。

「あーいや、俺も最初は忘れてたんですけど。家に帰ってからなんか違和感があるなって思って。そしたら部室に行ってないって気づいて。で、みんなに会うためにすぐに家を出たんです。九華の家だけ前見た構造と変わってたからとりあえず他の三人とは会って、で、想汰と一緒にこの街中をずっと走り回ってたって感じっす」

「由依さんは?」

「妹がいるから離れられないって言って、俺ら二人に捜索を任せてもらったって感じ。そこの家で待ってくれてるよ。……っていうかなんで先生と、あと……」

 九華に向けていた目線を、彼女の両脇で往復させる。先生と佑哉が目を合わせつつ、先生の方が先に口を開いた。

「それはちょっと……うーん、話すと面倒くさいからとりあえずもう一人の部員に合流してから話そうか」

「わ、分かりました。そしたらとりあえず、」

 言葉の余韻をその場に残し、睡方含め進行方向に足を一歩踏み出しそうになった。九華も振り返ろうとした矢先、乾いた声で呼び止められた。

「部長」

 想汰が、顔全体に汗を垂らしながら鋭い目線を向ける。人間としての姿を久しぶりに見たからか、彼の一つ一つの仕草がやけに際立つ。鼻先の震え、肩の動き、呼吸の強弱。喉を鳴らし、静寂を切り裂くように放った言葉の一拍置いて何を言うかと思ったら。

 彼は、頭を下げた。

「この前は、すまなかった。君の心を理解しないような酷い言葉を並べてしまって。これは言い訳になるが、僕はどうしても新聞部を守りたかったんだ。だから君達三人だけでも現実世界に帰したかった。僕が突き放せば……みんな神様にならなくなるだろうと思ったんだ。それゆえ、あんな言葉を使ってしまった。もうこれ以上、あんな言葉は口にしないと誓う。本当に申し訳ない」

 言葉を構成する文字の全てが命を持っているような話し方だった。下げた頭を上げないまま、その声が広く、広く、路地に反響する。九華は口を開けようとして、一度噤んだ。生半可な台詞を吐きたくなかったからだ。一歩前に出て、彼の元へと近づく。

「上げなさいよ」

 言われてからやっと顔を上げる。道に落ちた汗の滴と顎から垂れていく汗が、礼をしていた時間を物語って。

「……こっちこそ、ごめん。あんな何も言わないまま、急に去っていっちゃって。本当はちゃんと私も意見交換をするべきだった。あの時は、どうしてもそこから逃げたくなっちゃって。だから、その、私も悪かった」

「部長……」

「私、あんたの腕に触れた時に分かった。『心』の能力で、今言っていたあんたのそういう、真意っていうの? なんか、意外だった。勝手にそんなこと蚊帳の外なのかなって思ってたから」

 どこかで犬が鳴く。月が自分達を照らしている。そうだ。ここは現実世界。創界のような、空想じみた世界とは真逆の場所。そこで今、自分は真実と向き合っている。

 いや。

 自分だけじゃない。睡方も由依も、先生も佑哉も。そして、想汰も。この瞬間に言葉を出し惜しみして、何になる。全て言うんだ。

「あんたがそう思ってると知れて、嬉しかった。その上で……言うけど。あんたがいなくなったらそんなの新聞部じゃないわ。この前も言ったでしょ。私達は、四人で新聞部よ」

 九華が微笑を露わにする。それを見て彼はやっと、強張った顔の表情を若干緩め、どこかいつものような表情に戻った気がした。彼はいくらか目を瞑る。まるで、彼女の言葉を自分の心の中に染み渡らせるような時間が流れる。彼の隣で見ていた睡方もどこか満足げで、そんな想汰の後ろ姿を優しく見つめていた。

 腕を組み直す。一つ咳払いをして。

「あんたさっき、もう二度と()()()()()は使わないと言ったわよね」

 想汰が眼鏡を直す。

「ああ」

「部員が、自分の位に縛られず、誰かに媚びへつらったりしないで分け隔てない議論が出来るという環境は新聞部にとっては非常に重要だわ。それに、あんまり硬くしすぎても寂しいじゃない。私はあの空気感、そこまで嫌いじゃないし……」

 ちょっと目線を外しながら九華は言う。恥ずかしくなってきたので、若干早口になりながら伝える。

「つまり……。これからはバカと言いたいなら、敬意を持ってバカと言いなさい。これからは、私も敬意を持って妄想オタクって呼んでやるから」

 一瞬の間が空く。その静寂に耐えられたかのように、彼は久しぶりに鼻で笑った。吹き出したかのようにして顔を背けつつ、再び彼女の目を見る。

「ふっ、遵守しよう。これから幾多と行われる活動のために、ね」

 見つめ合う二人。その後ろで先生が佑哉に目配せしつつ、小声で囁く。

「もう心配はいらなそうだね」

「……ああ」

 佑哉が月明かりに照らされた九華を見下ろしていた。その姿はもはや箱入りの娘ではなく、一人の立派な人間だった。

「行こう。由依さんも待ってる」

 睡方が二人の肩を叩き、先陣を切って歩いていく。その後ろをついて行くように、四人も続々と歩き出した。

 古びたアパートの一室の扉を開ける。広がる由依の家の景色。目の前の襖の奥からうっすらと声が聞こえてくる。襖を開けると、そこには由依ともう一人、彼女の膝に座る幼子がいた。

「ママ〜! ママ〜!」

「ウ……ウチはママじゃないんだけどな〜って……。ああ、みんなおかえり〜!」

 先に入った睡方と想汰に続いて、他の三人も和室に入る。幼子は初対面であろう多くの人間が突然視界に入ってきたにも関わらず一切怖がる素振りを見せていない。由依に両手を持たれ、あやされているその身体はふわふわのパジャマで覆われており、顔に浮かべる笑顔は純粋そのものと言った感じで眩しく思える。

「あ、九っち! 見つかったんだ! それに、尾崎先生も! で……この、人は……誰? しかもなんか半透明だし」

 手のひらで彼女に指された彼が少し姿勢を正し、なんだかかしこまった態度で口を開く。

「九華の兄の佑哉です。妹がいつもお世話になってます。半透明なのは……その、話すと少し時間がかかるのでまあ触れないでもらって……」

 絶対に事情を言うな、という熱い目線を送った九華が功を奏し、彼は言葉を濁した。

「あ〜、お兄さん! それはどうもどうも。ウチ、時原由依です。よろしく〜」

「この人は、またの名をカムイとも言う。創界ではそう呼ばれていて、君達を現実世界に戻したのも実は彼なんだ」

 尾崎先生が肩に手を乗せ、佑哉は少し嫌がったような表情で上半身を後傾させる。

「で、僕がシ。またの名をチトセ。あの、スフィンクスと言ったら分かりやすいかな?」

「……えー!? 先生がスフィンクスだったんですか」

 先に声を上げたのは睡方で、他の二人も連続して驚いた。その大声に反応して、彼女の膝の上の幼子がキャッキャッと声を上げる。

「ママー! ママー!」

「由依さん、その子は?」

 由依が照れ笑いをしつつ、九華に目配せする。

「あー九っちは実際に会うの初だよね。ウチの妹の萌香。丁度二歳ぐらいかな。ママが家にいることが少ないから、私のことママって呼んじゃってるみたいなんだけど」

 えへへ〜、と困りげながらどこか満更でもなく目を細める。萌香の頭を撫でる彼女の手がそれはそれは優しく、外部の人間から見ても確かに母親のように思えた。

 先生が一拍手拍子を打ち、その響きが部屋にこだまする。

「さて。全員も揃ったことだし、やることは一つだ。この隣にいるカムイの次元転移能力をもう一度使って、僕達は再び創界に戻る。そして君達四人は使命を果たすんだ。その重要性は、神様のいないこの現実世界を見てもう十分理解しただろう?」

 四人がそれぞれ向き合って重く頷く。先生にもその想いが伝わり、彼は佑哉に目線を向ける。佑哉はそれを合図に左手を天高く掲げて空間を払う動作をすると、そこに部屋を埋める大きな渦を生成した。周りからお〜、という数人規模の歓声が上がる。

「よし、みんな行こう」

 その渦の中に尾崎先生が真っ先に入り、深淵へと吸い込まれる。次に入り口に立っていた佑哉も歩いて行き、体が闇へと消えていく。

 九華と睡方もそれに続こうとした瞬間。想汰が声で問うたのが聞こえた。目線は由依の方を向いている。

「妹はどうするんだ。あっちには連れて行けないだろ?」

 高い声を上げて自分の中の感情を振り撒く萌香が彼女の膝の上で飛び回る。

「ママ、ママ、ママー!」

 そんな萌香を笑顔で見守りつつ、由依は少し上目遣いで三人の方を向く。襟足の伸びた髪を片手で触りながら、どこか言い淀みつつ。

「あのー……。実はね、こっちの世界に来てから気づいたんだけど……」


「「「えー!?」」」

 三人が思わず声を出して響かせた。由依が申し訳なさそうにする間、そんなのお構い無しと言った感じで萌香が四人の周りを自由に歩き回って遊んでいる。

「そうなの……」

「気づかなかったわ……。そもそも先生とかお兄ちゃんがカミだったってことに気づいたのも最近だったし」

「というか、それだとちょっとこれからなんか乗りづらいな……」

「別にそこんところは気にしなくていいよ。何しろ本人にとっても、遊びの一環だと思ってるようだし……」

「いずれにせよだ。置いてかなくて良くなるのは、結論として良かったな」

「ほんと。ってことで、ウチ達もそろそろ行った方が良いよね。萌香! ウチのとこおいで〜」

「ママ〜」

 立ち上がった由依に呼ばれて、彼女と手を繋ぐ萌香。三人に見守られているのに、物怖じしない理由も今思えば合点がいく。

 九華、睡方、想汰、そして由依と萌香。全員が吸い込まれると、渦はすぐさま縮んで消滅した。現実世界にやってきたように、どこか深い穴に落ちていく感覚が身を包む。前回とは対照的に今度は白い光に自分の全身が包まれ、元あった人間の素体の上からコンダクの、着ぐるみとでも言える柔らかな肌が装甲として体に吸い付いていく。コンダク以外もそうだった。闇を彷徨いつつ、意識が途切れる。

 次に起きた時には、覚えのある隆々とした地面の感覚が襲った。灰白色の無地の世界。塵や灰が降り続く平坦な土地の上に皆が集まり寝転がっている。それぞれが意識の覚醒と共に起き上がる中、チトセだけ頭しか無かったためわざわざカムイに持ち上げられており、当の本人は何も気にしていない様子だったがカムイの方はやはり嫌がっている様子だった。

 それを見て笑う四人と、相変わらず元気に走り回る一匹。近くに埋まっている時計は、期日まであと二日。

 現実世界から戻ってきた彼らを待っていたのは第二の現実で、その道を自らの手で選んだのも、何を隠そう彼らだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ