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しんぶんしぶ  作者: 氷星凪
間章
28/33

第6話①:六連星

 地べたが肌に食い込む、内側から圧迫されるような感覚。座り込んだ四人の傍らに見える時計の上に塵が積もり続けている。針は、あと二日と半日を指す。

 ただ腰を休めていた訳ではない。寧ろ、議論はここに移動してからすぐに火蓋を切られた。それぞれが向かい合う、社の位置関係を自然に模した態勢ではどの部員の顔も平等に確認出来る。言葉だけではない。その一つ一つの細かな仕草や姿勢の様々から彼らの感情が痛いほど伝わってくる。伝わってきてしまう。

 九華は視線を地面に落とし、体育座りで顔を膝に(うずくま)らせている。今、再び深呼吸したのは睡方だ。空気が静まって一瞬彼の雰囲気になると、何度目か分からない主張を強くも落ち着いた語気で三人に説いた。

「神様になるのは、俺だ。だって、そもそも俺はあの継承者の血筋の人間なんだぞ。こんなことにならなくてもいつかはこの創界に関わる運命だった。今のこの状況も、本当はわざわざお前達三人が関わる問題じゃなかったのに、こんな大ごとになって……。だから……お前達は元の世界に帰れ。俺はここで仕事を果たす」

 顔を俯かせる隙を一切見せず、全員に視線を傾ける誠実な動き。由依が一人喉を鳴らしてから彼の方を見る。膝に乗せたタプを撫でつつ。

「……だめだよ。睡っちには、素敵な家族がいるじゃん。それに、九っちも、想っちも。みんなウチにとってはかけがえのない友達だから。ウチが新聞部に入ろうってきっかけになったのもみんなだし、ウチの人生に居場所をくれたのもみんなだから……。ウチは元の世界に帰らなくていい。神様になって世界の人々を幸せにする。そのための覚悟は、もう出来てる」

「由依さんそれは、」

「だめだ」

 睡方が言おうとする前に遮ったのは、今まさに腕を組み直した想汰だった。

「君達は何も理解していない。神様というのは、ただそこに存在していればいいだけの銅像ではないんだ。世界を天上から見守り、新たな生命を作り出し、その現世の秩序と均衡を保ち続けなければならない。そういう重大な使命を何年、何千年、いや何億年……どちらにせよ、気が遠くなるまでの時間背負い続けるということなんだぞ? その重みが分かるか? 幾多の神話に目を通してきた僕は分かる。君達にこの役目をこなすことは無理だ。僕が、神様になる」

 相変わらず抑揚のない声で、台本も無いのにつらつらと言葉を紡ぎ続けた。睡方が顔を顰めつつ反論する。落ち着き払った感情は抜け落ち、徐々に元々の口の悪さの片鱗が漏れ出す勢いの口ぶり。

「確かに……そうかもしれない。でも、想汰だってただ神話を読んだことがあるだけだろ……。神様の仕事なんて、この中ではやったことがある奴はもちろん一人もいない。それなら、本来そこに一番近い位置の、継承者の血を引く俺がなるべきだ」

「渓翠睡方。その理論で言うなら、君にも自分自身の反論が当てはまる。今まで継承者というのは、現実で神様の意向を伝えるためだけに存在した役職であり、実際に神様の仕事に関わった部分というのはほとんどないわけだ。つまり、君も実質的には、僕や他の二人と同じ、単なる中学二年生。条件は同じ。だが、君には家という帰るべき場所があるだろう。君が世界から消え、そのことすら抹消されて家族は知らずに君が元からいなかった者として生活をする……非情なことだとは思わないか」

「それは……想汰にだって同じじゃないのか」

 少し黙り、想汰の視線が地面の上を右往左往する。ほんの刹那の間だけ。

「…………僕に、帰る場所なんてない」

 一言が、さざ波で。震えた空気がその場に形を持って落ちた。真っ白な芽留奈市のビルがまた一つ遠くで崩れた音がする。

 睡方は口から漏れる声未満の音ごとすり潰すように、無い唇を噛みしめた。想汰はわずかに頭を振る。小さく呼吸をすると、自分から吐き出した諦念のこもった言葉を、最初から分かっていたとの如く声色を元に戻した。

「時原、君も現世に帰るべきだ」

「……ウチだって、家に帰りたいとは思わない」

「じゃあ誰が、妹の世話をするんだ」

「…………」

 タプを撫でる手が止まった。思わず言葉を詰まらせ、なんとか返事はしようと体は前傾に向きつつも肝心のそれは体の中で薄闇の靄になるだけ、みたいな間が続く。由依の膝の上で大人しくしていたタプがそんな姿を見上げていた。両足を天に上げ、彼女のお腹を突いて飛び跳ねる。

「タプ! タプ!」

「萌香……は…………」

「今まで君と母親の二人で交代で育児をしてきたんだろ。それが母親だけになった時、どうなると思う? 自分の子供への執着が希薄な、あの……母親だぞ」

 表現を迷った軌跡が感じられる言葉の細やかな澱みを残しつつ、彼は言い切った。全てを言葉にするのは野暮で、それ以上に彼自身の良心が止めたのだろう。

「想っちの言いたいことは分かるよ。多分、ママはいざとなったら自分の人生を選ぶ。萌香は、早々にあの家からどんな形でもいなくなるんじゃないかな。良くも、悪くも」

 座り直し、正座の姿勢のまま背筋を伸ばす。顔は少し地面に傾けて。

「だからこそ、思うの。ウチはここに残るべきだって。ウチがいなかったら、恐らく時原家に萌香が生まれることはない。ママとパパが過剰にぶつかることも無くなるし、ウチのせいでパパが死ぬこともない」

「…………タプ。……タプ」

 言葉を聞き、何故かタプが弱々しい鳴き声を響かせる。由依はそんな萎れた桃色の仲間を労わるように、再び撫で始める。

「由依さん……」

 睡方の消えゆく声が、空虚な世界に驚くほど馴染んでいく。自分達以外の時が止まっている感覚。座り続ける足の痺れなど遠くに歩いて、いつ帰ってくるか連絡もよこさない。

 肩が震え出す由依の、その一つ一つが涙混じりの繊細な仕草。淡々と進む語りの深部に確かに、小さな慟哭が見える。

「……今、自分で言っててなんか分かってきた。ウチが神様になりたかったのは、結局みんなの笑顔のためなんかじゃなくて、ウチが救われたいからだったんだ。ウチってやっぱ……ママの子供、なんだな」

 ダムが決壊し、感情が崩壊するかと思われていた彼女は、意外にも冷静に視線を上げた。悲しみなど通り過ぎ、もはや自分と運命に対する諦念が渦巻くような、視線を。一瞬で彼女の空気に染まったその場は、これまでと質量の違う静寂に包み込まれ、睡方は押しつぶされそうになる。

 しかし、想汰だけは歩みを止めることは無かった。

「…………これではっきりした。時原、やはり君には神様になる資格はない」

「……」

 放心状態の由依に、余りにも冷たすぎる刃物が投げかけられたのを見て、思わず立ち上がる。

「ちょっと想汰、お前な……!」

「君もだ。神様という存在は、単なる覚悟だけでなれるほど容易なものではない。いや、もっと詳細に言おう。確かに運命が引き合えば、なること自体は可能かもしれない。だが、世界を動かす重大な役目を背負わされた時、果たしてそれを君は実現出来るか? 自分の振る舞い一つで、君達の家族が住む世界、いや、文明、人類、そして生物が滅ぶかもしれないんだぞ? そんな状況に君は一人で耐えられるのか?」

「…………、それは……!」

「無理だろう。もっと分かりやすく言おうか。君達は、冷静かつ客観的な視点が足りていない。つまり、頭から知恵が抜け落ちている馬鹿だということだ」

「なんだと……?」

 思わず立ち上がりそうになる。ただ立ち上がるだけではない、追随する暴力的な何かが頭の中にあって、どうしようもなくそれを解放してしまいそうなのだ。だめだ。そんなの。全身に力を込めて言い聞かせ、理性で封じ込める。

 顔を向けて浴びせてくる彼の無機質な視線に思わず余韻で睨み返す。だが彼は全く動揺せず、それどころか更に速度を上げて捲し立てるように。

「渓翠はそもそもが世間知らずで、知識の容量が年齢に比例していない馬鹿だ。部長は自分の芯が強すぎて、それが世間に疑われた瞬間使い物にならなくなるほど衰弱してしまい、せっかくの知識量を駄物へと廃棄してしまっている馬鹿。そして時原は、自分の人生を他人に受け渡しており、全く理屈のない論理の主張、行動の反復を行う馬鹿。これら全てが悲しきかな事実であり、現状だ。よって、実は消去法によって神様になるにふさわしいのは、最初から僕と決まっていたんだ。分かったら、君達はさっさと現実世界へと帰、」

 れ、という文字を口から溢しながら彼が小さく吹っ飛んだ。鈍い音。拳の表面に残る感触。気づいた時には睡方は立ち上がっていて、目の前に地面に倒れるその長身の体躯が目に入る。改めて見ると化け物じみた様相だ。一発喰らわせても何事もないかのように起きあがろうとする彼の、首の柔らかな皮膚部分を手で思い切り掴む。

「睡っち!」

 背中から聞こえてくる由依の声は、頭の中でこもって聞こえた。睡方は想汰の目があろう部分に顔を近づける。

「俺を馬鹿にするのは……百歩譲って許す。けどなぁ……九華や由依さんのことまで、悪く言ってんじゃねぇよ……!」

「そういうところだ。部長に似て気が急いているところも」

 目線を合わせずに平気な様子で声をこぼす。無抵抗ゆえ睡方に持ち上げられるまま彼の上半身は若干浮き上がり、そんな様子さえも許せなくて、睡方は皮膚の後ろに存在するはずの彼の本当の首を掴むつもりで二つに分かれた指を食い込ませた。ただ、本能のままに。

「物語本ばっか読んで、それで神様にでもなったつもりか? それとも、物語の主人公気分か? 俺達がここにいるのは、お前の趣味嗜好のために大切な仲間の尊厳を傷つけられるためじゃねぇんだよ……!」

 その瞬間、初めて、彼の体が震えたのが分かった。僅かだったが、今までの彼から考えたら大きすぎるほど。反射的な反応みたいに、睡方の顔の方を向く。心なしか話し方も、手札からカードを出すというより、山札から捲ったカードをそのまま場に突き出すような。

「主人公になんてなったつもりはない……! 僕はただ事実から考えられる論理をまとめただけ、僕が神様になるのは必然なんだ。君は物語のことなど何も理解していない……!」

「それじゃあなんだ? 今までずっと一緒に歩んできた仲間のことを軽蔑するような奴が神様に相応しいってか? 一人二人のことを思いやれずに、世界中の人々を統べる権利がお前にはあるのか!?」

「違う! 君は前提から間違っている! そもそも……君達がこんなところにいること自体、自然なことじゃない! さっさと現実世界に帰れ!」

「ちょっと、二人ともやめなって……!」

 お互いに首を掴んで言い合いになっているのを制止しようと由依が声をかけるが、その勢いは増すばかり。

 三人が体をぶつけ合い、塵が舞う中。ずっと膝に顔を埋めていた九華がほんの少し顔を上げる。

「もう、やめて」

 か細い呟きが世界に一滴垂れる。だが、その揉み合いは止まらない。心の叫びがそのまま形になったような、声が遂に漏れて。

「もう……! いいよ……!」

 三人が動きを止める。久しぶりに新鮮な空気に触れた彼女の顔をおそるおそる覗くように見てくる彼らに、腰を上げて地面に二本の足で立ち、言い放った。

「なんで……あんた達はそんなに平気なの……! 誰かが神様になったら……もう一生会えないんだよ……! 記憶も消えて、その人のことなんて思い出せなくて、二度とこの新聞部で集まることも出来ないんだよ……!?」

 睡方が、静かに想汰の首から手を離す。自然と力が抜けた。先ほどまで争っていた彼の顔をじっと見やる。

「私は……この中の誰も……神様になって欲しくない……! ずっとこの新聞部でいたい……! まだ、方法はあるはず……なの……。四人で現実に帰る方法が……!」

 立ち上がり、目の前で想汰が足に付着した地面だったものの残骸を払い落とす。俯き、ほとんど濁音の連なりで喉を腫らす彼女。彼はまだ息の上がった状態で肩を揺らしつつ、その近くまで歩いていき、止まると。

「部長……。現実を見てくれ。誰かが、なるしかないんだ」

「まだ、方法が……!」

「それが出来なかったから、ここまで来たんだ。これが真実だ。僕達が向き合わなければいけない……真実……」

「…………」

 重力に準じて、力無く垂れた彼女の両腕の先端が小さく震えていた。彼女自身も分かっているはずだった。いくら社を調べても新たな解決策などなく、次第に自分の心の余裕すらも失い、今まさに眼下に見える足跡が、ここまで来てしまったことを表しているのを。

 そう。ここまで来てしまったのだ。もう、決めるしかない。

 でも。

 本当に、これでいいのか。

 感情が渦巻いて、九華の方へと思わず視線を移す。しかし、顔が想汰の後ろ姿に被って上手く見えない。ただ立ち尽くし、沈黙を貫き続ける姿勢。しばらくして震えた息を吐くと、腕で人間時代に目のあった部分を擦った。

「こんなのが、真実なら……知らない方がよかった……」

 小さく呟く。そして突然後ろに振り向き、歩き出した。足音。足音。近くの想汰よりも先に嫌な予感がして声をかける。

「おい、どこに」

「ごめん。一旦、一人にさせて」

 遠ざかる後ろ姿。睡方の呼びかけを聞かずに歩いて行く彼女を、想汰がすかさず追って後ろから片腕を掴む。

「どこまで行くつもりだ」

 だが、それは返答もなしに強く払い除けられた。彼女は足を進め、止まらなかった。想汰はその払われた腕をじっと見つめる。それ以上追いかけることをせず、ただ手に残る拒絶性の高い感覚を肌に染みさせ続けるように、じっと。そんな伏し目がちの彼の横顔は、どことなくマーブルの黒が多かったような気がした。

 九華がまだ視界の奥で歩き続けているのに、睡方含めて三人は足が動かなかった。夢の中のようにそもそも選択肢に無いみたいな感覚で、そのまま彼女が消失点になるまで彼らはずっと同じ方向を向いていた。

 塵が、彼女の足跡をやたらに避けて降ってくるのは、徐々に離れていく彼女との距離を強調したい当てつけだろうか。誰からの、と聞かれれば、恐らくこう答える。

 今を見る、昔の自分達からのだと。

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