屋上の決闘
だが、ここで勝気な金髪女子は、二人の予想を超える行動に出る。
「しゃああ!」
希空の体全体が赤々と光り、大きな魔力が周囲に溢れ出した。身体能力を大幅に高めるバフ魔法を自らにかけているのだ。
「え、え。希空さん——」
幽奈が戸惑い声をかけようとした時には、なんとビルの壁を蹴りながら駆け上がっていった。最短で男の待つ屋上へと到達するつもりだ。
「希空さん! ちょっと待って!」
静もまた、弾丸のような彼女の動きに驚いている。幽奈はどうしようと悩みつつ、とにかく自身はビルの入り口へと足を踏み入れた。
商業用ビルであり、普通に人が出入りしている。希空は偶然にも中を歩く人には見つかっていないかもしれないが、自分の場合はどうなるか分からない。
最悪不審者として捕まる可能性もある。あまり目立ったことはしたくないと思いつつ、のんびりしている場合でもない気がした。
一方、希空はあっという間に屋上へと辿り着き、最後の跳躍をしたところで腰に下げていた剣を抜いた。今回は大剣ではなく、一般的なサイズのロングソードである。
褐色肌の男は、無表情にその場で仁王立ちをしている。
希空は着地するなり、二十メートルほど先にいる男を睨みつけた。
「アンタ。なんでここにいんの?」
「……」
男は黙っている。腕組みをしていた両手をだらりと下げると、真っ直ぐに希空と向かい合った。
「シャムを何処にやったの? アンタ目立つし、こんな所にいたんじゃすぐ警察に見つかるよ。先に吐いて自首したほうがいいんじゃない?」
「……我は捕まらぬ」
重々しい一言。その声と態度に、少女は違和感を覚える。
「アンタ……なんか配信の時と違うね」
「はいしん? 皆目見当がつかぬが」
褐色肌のスキンヘッドは、ゆっくりと自らの魔力を解放していく。黒い瘴気が周囲に溢れ、異常な魔力が噴出していった。
(この魔力……)
肌で感じるそれは、異常なほど高く不気味な力に感じられた。この男はおかしい。
違和感の答えはすぐに出た。黒い瘴気を掻き分けるようにして、アッキーに化けていたそれが姿を現したからだ。
鎧兜に身を包み、大小の日本刀を腰に刺した男の顔は、闇に染まって見えていない。
この実体化した悪霊系モンスターは、大昔の武人であった。以前シャムの元マネージャーが白髪の男に会いに行った際、隠れていた影は彼である。
「我こそ、現世に甦りし武人なり。主の命に従い、お主とお主の一味を……切る」
「はぁ? アンタ、実体化した悪霊ってこと?」
希空はすぐに剣を構えた。鎧武者はゆっくりと腰に差していた日本刀を抜き、だらりと下げたまま歩みを進める。
(こいつ……舐めてんの)
しかし、今回の相手に何も対策をしていないわけではなかった。少女が手にしているロングソードは、剣身が黄金の色合いをしている。
これは悪霊にも剣が通るよう、除霊の力を持つ降魔石という石で作られた逸品だ。物理的には岩すら楽に切り裂くと言われ、汎用性の高さでは群を抜いている武器である。
しかし、それだけに価格は相応に高い。実は彼女はなけなしの金をはたき、この剣を用意していた。
だからこそ、武器では劣らぬ自信がある。希空は意識を剣に集中した。魔力を注ぐなり、あっという間に金の輝きが周囲を照らしていく。
「……!」
突如として現れた強烈な光に、一瞬だが鎧武者は動きが止まる。その隙を逃さず、希空は飛び込んだ。
「はっ!」
短い気合と共に、ガラ空きの頭部目掛けて剣を振り下ろした。彼女は自らに赤きオーラを纏っており、さながら火球が落下したかのよう。
直後、四方に火が飛び散ったかのような輝きが生じた。渾身の一撃はバフ魔法により速度も大幅に高められている。
どんな魔物も、この一撃をかわせなかった。事実、鎧武者もかわしてはいない。
ただ、敵は日本刀で受けただけだった。
「……は?」
希空は全身全霊の一撃が、まさか片手で持っていた日本刀に受けられてしまうとは想像もしなかった。直後、払う動きで少女を吹き飛ばすと、何事もなかったかのように迫ってくる。
着地した彼女は、ゆっくりと迫り来る魔物に、ただならぬ脅威を感じていた。しかし、それでも足を止めない。戦う気持ちに変わりはない。
「はあぁっ!」
彼女は良くも悪くも戦士だった。相対する鎧武者も、生前は名を馳せた戦士であった。
だからなのかは分からないが、二人はよく噛み合っている。ゆるりと迫る鎧武者が刀を降る時、希空はその流れるような切先を読んで回避した。
反対に希空が攻めに回った時は、鎧武者は鈍足ながらも様々な体捌きでそれを凌ぐ。
ビルの屋上で、人知れず無数の斬り合いが続いている。一瞬でも手を誤れば、希空はすぐにでも殺されていただろう。彼女は縦横無尽に回避と跳躍を続け、怪物を相手に善戦していた。
だが、勝負における経験の違いは明らかだ。無数の刃が交錯する戦いの中、明らかに鎧武者の脇が空いた。
その隙を逃すことなく、希空はすぐさま水平に剣を振り、確かに空いた脇腹を切った。
「やっ——!?」
やったと思った瞬間、違和感が脳を支配する。切られた相手は倒れるかと思いきや、体勢を崩すことなく、大上段から剣を振る。
咄嗟に後方に退こうとしたが間に合わず、希空はどうにか急所ではなく腕で剣を受けて後ろに転んでしまった。
「あ……く……」
「ほう。よく免れたものよ。しかし、どの道結果は見えたな」
私服のシャツが破け、中から血が滴り落ちる。ダンジョン探索用の防具を中に着こんでいたが、それでも防ぎきれなかった。
「こんのぉ!」
「おっと」
剣を片手持ちにして、すぐに立ちあがろうとしたが、ここで鎧武者が今までとは違う素早さで迫り、再び剣を振るう。
希空が立ち上がる余裕を、鎧武者は与えない。雨のように刃が降り注ぎ、防いでいても傷が増えていく。
そして手にしていた剣が、一瞬の隙をついて弾き飛ばされてしまった。
「楽しかったぞ娘。では、さらばだ」
「く、くっそ」
少女は逃げることすらできず、ただ武者を睨みつけるしかない。素手で攻撃に転じようとしても、日本刀を防ごうとしても、結果は見えている。
武者は久しぶりに人を斬る喜びを隠しきれず、思わずブルブルと震えた。
そして、意気揚々と日本刀を首筋めがけて振り下ろそうとした時、彼の中で予想もしていないことが起きる。
彼女に迫るはずが、なぜか後ろに下がっている自分がいた。
「ん? これは……」
右足が万力に絞められているような痛みを感じる。見れば、地面から現れた手が、足首を掴んでいた。
「うおお!」
鎧武者は今度は前のめりになり、そのまま倒れ込んでしまった。希空は驚きつつも、どうにか立ち上がる。
「き、貴様! 何奴だ!」
悪霊の武人は、何百年と感じたことのないものに戸惑っていた。白い手とともに、ゆっくりと地面から浮かんでくるそれは、忘れていた恐怖を呼び起こすに十分な存在。
「お、お、お……お前は」
「幽奈!」
鎧武者は怯え、希空は驚きで叫ぶ。
床から顔半分だけを出した恐ろしい女が、赤い瞳でこちらを見つめている。




