第4話 信じてるから①
和也はバイトを始めてから、店で過ごす時間がどんどん楽しくなっていた。
忙しい時間はそれなりに大変だったが、同年代のバイト仲間も多かった。暇になれば休憩室やバックヤードでくだらない話をして、仕事が終わればそのまま飲みに行くこともあった。
そんなバイト仲間の一人に、ミホという同い年の女がいた。地方から出てきて、和也の家からそれほど遠くない専門学校へ通っている。
「だからバイト面白いんですよ」
「仕事が?」
「仕事じゃなくて、人が」
「仕事じゃねえのかよ」
「学校だと女の子ばっかりだから。男の人って、考えてること全然違うじゃないですか」
「まあ違うだろうな」
「話してると面白いです」
そう言って、ミホは口元に手を添えて笑った。よく見る仕草で、そのせいかどことなく育ちがよさそうに見えた。
冗談も通じて、気楽に話せる。スタイルもよく、胸も大きかった。
◇
「店の女で一番ヤりたいの誰?」
ジョッキを持ったリョウが聞いてきた。二人で飲みに行けば、女の話になることは珍しくなかった。
「カオリ」
和也が即答すると、リョウが笑った。
「だよな」
カオリは年下のバイトで、和也が以前から気になっていた女だった。胸が大きく、声まで色っぽい。本人は普通に仕事をしているだけなのに、髪を結んでも、少しかがんでも、棚の上の物を取っていても、和也にはいちいちエロく見えた。
「あれは反則だろ」
「分かる。胸だけじゃなくて、声までエロいもんな。でもあいつ、結構ガード硬いんだよな」
「硬い。俺も連絡先交換できるまで時間かかったわ」
「俺も。しかもずっと彼氏いるじゃん」
「隙間ねえんだよな」
彼氏と別れたらしいと聞いたと思えば、いつの間にか次の彼氏がいる。連絡先は交換できても、その先へ進む隙はなかなかなかった。
「じゃあカオリ以外なら?」
「ミホかな」
「あー、分かる。あいつもいいよな」
「普通にいい」
「胸でかいし」
「お前、胸しか見てねえじゃん」
「お前にだけは言われたくねえよ」
二人で笑った。
◇
ある日、休憩室でミホと和也とリョウの三人になった。最初は普通に仕事の話をしていたが、それを崩したのはやっぱりリョウだった。
「ミホってさ」
「はい?」
「おっぱいでかいよな」
「え?」
ミホが露骨に顔をしかめた。
「いきなり何言ってるんですか」
「いや、普通にでかいなと思って」
「セクハラじゃないですか」
「和也も思ってるだろ?」
急に振られ、和也はリョウを見る。
「俺に振るなよ」
「思ってないの?」
「見てないとは言わない」
「ほら」
「最低」
ミホは少し引いた顔をしたが、話はそこで終わらなかった。
「でも、友達にもよく言われます」
「でかいって?」
「そうです。揉まれたりもしますし」
「……友達に?」
和也が聞くと、ミホが呆れたようにこちらを見る。
「女の子ですよ?」
「そこは分かってる」
和也とリョウが顔を見合わせた。
「何ですか。絶対なんか考えてるでしょ」
「いや、別に」
「男ってほんとくだらない」
下ネタには少し引くのに、聞かれたことには意外と普通に答える。そのちぐはぐさが、和也には少し気になった。
仕事中のミホを見ていても、似たようなことがあった。
「ミホ、悪いんだけど、これだけやっといてくれない?」
「はい」
上がる時間の直前でも、頼まれると引き受ける。
「もう上がりじゃなかった?」
あとで和也が聞くと、ミホは作業を続けながら答えた。
「そうなんですけど、すぐ終わると思うので」
「それ、お前がやらなくてもよくね?」
「でも頼まれたし」
結局、すぐには終わらず残業になった。
そういうことが一度や二度ではなく、嫌そうな顔をしても、強く断ることはあまりなかった。
――こういう子、押したらいけるんじゃねえか?
根拠なんて、その程度だった。
◇
ある日の休憩中、何の流れだったか、手相の話になった。
「私、なんかあります?」
ミホが手のひらを見ながら聞いた。
「見せてみ」
「和也くん、分かるんですか?」
「知らん」
「何それ」
差し出された手を、和也は何気なく握った。
「どれどれ」
「絶対分かってないでしょ」
「今見てんの」
「どこ見てるんですか?」
手のひらを覗き込みながら、適当に指で線をなぞる。ふと顔を上げると、ミホの頬が少し赤くなっていた。
和也は気づかないふりをした。
「ここだな」
「何がですか?」
「知らん」
「やっぱり分かってないじゃないですか」
そのまま手のひらを押したり、指を軽く揉んだりしていると、ミホの手が小さくぴくっと動いた。
「何?」
「何でもないです」
「そう?」
「ちゃんと手相見てくださいよ」
「だから見てるって」
「絶対嘘」
そう言いながらも、ミホは手を引かなかった。
――あれ?
少し前からあった考えが、また頭に浮かんだ。
◇
それから和也は、ミホと休憩が重なるたび、意識して褒めるようになった。
「ミホってほんと可愛いよね」
「またそれですか。すぐ可愛いって言うじゃないですか」
「可愛いから言ってんだけど」
「適当」
「適当じゃねえって」
褒めるのは、見た目だけではなかった。
「お前、声通るよな」
「声大きいってことですか?」
「違う違う。忙しいときでも聞こえるから仕事しやすい」
「それ褒めてます?」
「めちゃくちゃ褒めてる。ミホいるとほんと助かるよ」
「ほんとですか?」
「うん。俺にとって癒しだし」
「何ですか、それ」
ミホは口元を手で隠した。
その合間に、軽い下ネタも混ぜた。
「最近も友達におっぱい揉まれてんの?」
「何でそれ覚えてるんですか」
「そりゃ覚えてるよ」
「忘れてくださいよ」
「無理だろ。男からしたら最高級だからね」
「ほんと最低」
「褒めてんだけど」
「褒め方がおかしいんですよ」
最初の頃は、褒めるたびに困ったように照れていた。それが何か月も続くと、少しずつ反応が変わってきた。
前なら「また言ってる」で終わっていたのに、いつの間にか素直に嬉しそうな顔をするようになった。目が合ったまま話すことも増えた。
――これ、俺に気あるだろ。
最初に感じた「いけそう」とは少し違う。今度は、そう思えるだけの反応があった。
◇
そんなやり取りを何か月か続けていた頃だった。
その日は和也が車でバイトへ来ていて、ミホと上がる時間が重なった。
「今日どうやって帰るの?」
「電車です」
「送ろうか?」
「いいんですか?」
「いいよ。そんな遠くないだろ」
「じゃあお願いします」
車なら15分もあれば着く距離だった。
ミホを助手席に乗せて、しばらく普通に走る。
「ねえ」
「はい?」
「もっと話したいから、適当にドライブしていい?」
ミホが少しだけ驚いた顔をした。
「いいですよ」
和也はそのまま、家とは違う方向へ車を走らせた。
仕事や学校、地方にいる友達のことなど、休憩室でするような話をしながら、適当に道を選んで走った。
「男と話すのが面白いって言ってたけど、リョウの下ネタも新鮮?」
「あれは新鮮とかじゃないです」
「じゃあ俺のは?」
「和也くんも普通に下ネタ言いますよね」
「俺は上品だろ」
「どこがですか」
話はいつの間にか、また下ネタに戻った。
「そういやミホって、彼氏いたことある?」
「ないですよ」
「キスも?」
「ないです」
「マジか」
「だからその反応やめてください」
ミホが恥ずかしそうに窓の外を見た。
「じゃあ、そういうの全然興味ないの?」
「そういうのって?」
「そういうの」
「……別に、ないわけじゃないです」
「一人でしたり?」
ミホがこちらを見る。
「それ聞きます?」
「聞いちゃ駄目?」
しばらく黙ってから、小さな声で答えた。
「……たまに」
「へえ」
「これ絶対内緒ですからね」
「はいはい」
「もうこの話終わりです」
「何で」
「恥ずかしいから」
和也は少し間を置いた。
「じゃあさ、一回してみる?」
「……何を?」
「分かってるだろ」
「えー……」
「嫌ならやめるけど」
ミホは返事をせず、しばらく窓の外を見ていた。
「……行ってみます」
「ほんとに?」
「何回も聞かないでください」
「はいはい」
和也は近くのホテルへ向かった。
駐車場へ入ると、さっきまで普通に喋っていたミホが急に静かになった。車を停めても、すぐには降りようとしない。
「ほんとに嫌なら、このまま出るよ」
ミホはホテルの建物を見たまま黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……行きます」
◇
その日、二人は初めて一線を越えた。
少し落ち着いてから話しているうち、学校の友達の話になった。
「そういや、結構知ってたよね。いろいろ」
「友達が詳しいんですよ」
「学校の子?」
「そうです。エロ漫画めちゃくちゃ読む子がいて、いろいろ教えてくるんです」
「すげえ友達だな」
「面白い子ですよ」
しばらくして、ミホがぽつりと言った。
「でも漫画とかだと、複数の人とするのとかあるじゃないですか」
「あるな」
「ああいうの、ちょっと興味あります」
「複数? 二人とか三人とか?」
「そういうの」
「やってみたいの?」
「やってみたいっていうか、興味あるだけです」
「へえ」
「何ですか、その顔」
「いや、意外だなと思って」
「絶対変なこと考えてる」
「考えてないよ」
「嘘」
ミホは口元を手で隠した。
◇
それきりになることはなく、休憩が重なれば今まで通り話し、仕事の前後に会うこともあった。
「和也くん、今日何時から?」
「夕方」
「その前暇?」
「暇だけど」
「じゃあどっか行こうよ」
付き合うという話は一度も出なかった。和也も聞かなかったし、ミホも言わなかった。
そんな関係が続いていたある日、リョウから声をかけられた。
「今日飲み行かね?」
「いいよ」
和也には、ちょうどリョウに話したいことがあった。




