↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/22

第3話 ごめんね

 バイトを始めてしばらくすると、ユイという18歳の女と週に3回ほど同じシフトに入るようになった。明るい髪に少し濃いめの化粧で、顔立ちは美人寄り。ぱっと見はそれなりに遊んでいそうだった。


「マジ親うるさいんだよね」


 暇な時間にグラスを拭きながら、ユイが言った。


「何が?」


「帰る時間とか、誰といるのとか。いちいち聞いてくんの」


「普通じゃね?」


「普通じゃないし。めちゃくちゃうるさいから。学校もめんどいし」


「それは分かる」


「和也、大学ちゃんと行ってんの?」


「そこは聞くな」


「行ってないんじゃん」


 ユイが笑った。


 同じシフトが続けば、忙しくない時間に雑談するのが当たり前になる。男の話はほとんど出なかった。


「彼氏とかいないの?」


「いないよ」


「今はいないってこと?」


「今も何も、いたことない」


「マジで?」


「何その反応」


「いや、いると思ってた」


「いないし」


 少し不機嫌そうに言われた。話していると、妙に幼いところもある。


「私、昔ほんと暗かったから」


「今も中身そんな変わってなくね?」


「うるさい」


「見た目だけ頑張った感じ?」


「殴るよ?」


「怖っ」


     ◇


 二人が店の外で会うようになったきっかけは、ある日のバイト終わりだった。


 その日は店が忙しく、ユイの上がる時間が予定よりかなり遅くなった。和也も少し遅れて上がり、着替えて店を出ると、ユイが携帯を見ながら立っていた。


「帰んないの?」


「バス終わった」


「あー」


「最悪。歩いて帰るしかない」


「家どの辺?」


 聞いてみると、車ならそれほど遠くなかった。


「今日、俺車だから送ろうか?」


「いいの?」


「別に。方向そんな変わんないし」


「じゃあお願い」


 家の近くまで送ったのは、それが初めてだった。それをきっかけに、二人は店の外でも会うようになった。


『今日バイト何時?』


『夕方』


『その前暇?』


『暇だけど』


『どっか行こ』


 バイト前に飯を食いに行くこともあれば、終わったあとにそのまま車で走ることもあった。特に目的があるわけでもなく、コンビニで飲み物を買って適当に車を走らせ、どこかに停めて喋る。


 ユイは家にいると親がうるさいらしく、外に出られるだけでも楽しいようだった。


「こんなんで楽しいの?」


「楽しいよ」


「ただ車乗ってるだけじゃん」


「家いるより全然いい」


「そんな厳しいんだ」


「だから言ってんじゃん」


 ある夜も、二人で車の中にいた。何の話からそうなったのか、和也はもう覚えていない。漫画だったような気もするし、ユイの友達の話だったような気もする。気づけば、下ネタになっていた。


「和也ってさ」


「ん?」


「そういうことしたことあるの?」


「あるよ」


「マジで?」


「何でそんな驚くんだよ」


「何回?」


「そこまで聞く?」


「いいじゃん」


 妙に食いつきがよかった。何をしたのか、どんな感じなのか、痛くないのか。さっきまで普通に話していたのに、質問だけは次々出てくる。


「お前は?」


「ないよ」


「まあ、彼氏いたことないもんな」


「うん」


「キスは?」


 ユイが少し黙った。


「……ない」


「マジで?」


「だから何なの、その反応」


「いや、見えないから」


「うるさいな」


 さっきまでより、少しだけ声が小さくなっていた。


 車内が静かになる。


「してみる?」


 ユイが和也を見る。


「……キス?」


「うん」


 少し間があった。


「してみたい」


 和也が顔を近づけても、ユイは逃げなかった。


 ユイの初めてのキスは、驚くほどぎこちなかった。


「どう?」


「分かんない」


「分かんないって何だよ」


「もう一回」


「はいはい」


 その日は、キスを何度かしただけで別れた。


     ◇


 それからしばらくは、会ってもキスをする程度だった。そんな頃、ユイが突然言い出した。


「ねえ、水族館行きたい」


「水族館?」


「うん」


「急だな」


「いいじゃん。行こうよ」


「どこの?」


「八景島」


「結構遠くない?」


「車で行けばいいじゃん」


「俺が運転する前提かよ」


「当たり前じゃん」


 休みが合う日に、高速を使って海沿いまで車を走らせた。着いたのは昼を少し過ぎた頃だった。


 水族館に入り、最初は普通に並んで歩いていた。大きな水槽の前で立ち止まったり、魚を眺めながらどうでもいいことを言い合ったりした。


「ねえ、あっち見よう!」


「どこ?」


「こっち」


 ユイが和也の手を掴んだ。


 そのまま引っ張られ、気づけば手を繋いで歩いていた。和也も離さなかった。


 それからは次の水槽へ移るときも、館内を歩くときも、ほとんど手を繋いだままだった。


「見て見て」


「見てるって」


「全然違うとこ見てんじゃん」


「魚多すぎんだよ」


「水族館なんだから当たり前でしょ」


 いつもの車の中より、ユイはよく喋った。


 イルカショーを見る頃には、隣に座ったユイが自然に和也へ身体を預けていた。


「重い」


「うるさい」


「いや、普通に重――」


「黙って見て」


「はいはい」


 イルカが跳ねるたび、ユイは声を上げた。肩にもたれたまま離れようとしないので、和也もそのままにしていた。


 館内でも、人目がないところでは何度かキスをした。


 その日は写真も何枚か撮った。魚や水槽だけではなく、二人で並んで写ったものもあった。


「これ、親に見られたらまずくない?」


「それはヤバい」


「じゃあ撮んなきゃいいじゃん」


「せっかく来たんだから撮りたい」


「どっちだよ」


 その写真をあとで消したのか、メモリーカードか何かに移したのか、和也はもう覚えていない。ただ、二人で写ったのは、後にも先にもその日だけだった。


 帰りの車でも、ユイはずっと機嫌がよかった。


「楽しかったね」


「結構歩いたけどな」


「そこ?」


「いや、楽しかったよ」


「でしょ?」


 家の近くまで戻った頃には、もう辺りは暗くなっていた。コンビニの駐車場に車を停めると、ユイが窓の外を見回した。


「誰もいない?」


「たぶん」


「ちゃんと見てよ」


「いねえって」


 和也も周囲を見てから、ユイの方を向いた。


 最後にもう一度キスをして、その日は別れた。


     ◇


 水族館へ行ったあとも、バイト前や終わったあとに会うのは変わらなかった。車を停めて話し、帰る前にはキスをする。それがいつの間にか当たり前になっていた。


 ある日、いつものように車で話していると、ユイが聞いてきた。


「ねえ、ホテルって行ったことある?」


「あるよ」


「どんな感じ?」


「どんなって、普通だけど」


「普通なの?」


「何想像してんだよ」


「知らないから聞いてんじゃん」


 ユイは少し考えてから言った。


「見てみたい」


「ホテルを?」


「うん」


「見るだけ?」


「……何その聞き方」


「いや、見たいって言うから」


「とりあえず見たいの」


「じゃあ行ってみる?」


 ユイは一瞬黙った。


「行く」


 近くのホテルへ車を走らせた。


 着くまでは普通に喋っていたのに、駐車場へ入った途端、ユイが静かになった。


「緊張してんの?」


「してないし」


「さっきから全然喋んないじゃん」


「うるさい」


 部屋に入ると、ユイは珍しそうに中を見回した。


「へえ……こんななんだ」


「何だと思ってたんだよ」


「もっとなんか、すごいのかと思ってた」


「すごいって何だよ」


「知らない」


 そう言ったものの、いつもより落ち着かないのは分かった。


 最初は部屋の中を見たり、何となくテレビをつけたりしていた。けれど、どちらも画面はろくに見ていなかった。


 しばらくしてキスをした。いつもの車の中と違って、今度は身体を離す理由もなかった。


 その日、二人は初めて一線を越えた。


     ◇


「……どう? 大丈夫だった?」


 少し落ち着いてから和也が聞くと、ユイはしばらく黙っていた。


「もっと痛いと思ってた」


「痛くなかった?」


「思ってたより全然」


「ならよかった」


 帰るまで、ユイはいろいろと聞いてきた。


 それからは、会ってもキスだけで終わることの方が少なくなった。最初のうちはホテルへ行くことが多かったが、そのうち車の中でもそういう流れになるようになった。


 和也にとっても車の中でするのは初めてで、広い車でもないから何をするにも窮屈だった。


「ちょ、足邪魔」


「和也がそっち行けばいいじゃん」


「行けねえよ、狭いんだから」


「知らないし」


 ユイはまだ慣れておらず、気になることがあればその場で口にした。


「もうちょいゆっくり」


「こう?」


「そうそう。今のいいじゃん」


「ほんと?」


 褒めると、ユイは分かりやすく嬉しそうにした。何度か会ううちに、最初の頃のぎこちなさも少しずつなくなっていった。


 そんな関係になってしばらくした頃、ユイから言われた。


「ねえ」


「ん?」


「彼氏になってよ」


 和也は少し間を置いた。


「いや、付き合うのは違うかな」


「え?」


 ユイはしばらく黙っていた。さすがに言い方が悪かったかと思った頃、口を開いた。


「じゃあ、このままでもいい」


「いいの?」


「会ってくれるなら」


「それなら別に」


 それからも二人は変わらず会った。バイト前に会い、仕事が終われば車で出かけ、休みが合えば昼から遊ぶ。店の外で会うようになってから、半年ほどそんな関係が続いた。


     ◇


 最初に親にバレたのは、バイトが終わったあとも遊んでいたことだった。


『やばい』


 ユイからメールが来た。


『何?』


『親にバレた。バイト終わってから遊んでたの』


『俺のこと?』


『誰とは言ってない』


 ユイの家ではバイト自体は許されていたが、終わったらまっすぐ帰ることになっていたらしい。遅くまで遊んでいたことで、かなり怒られたという。


『しばらく無理かも』


『了解』


 それでも、しばらくするとまた連絡が来た。


『今日会える?』


『大丈夫なの?』


『平気』


『ほんとかよ』


『バレなきゃ平気』


 懲りていなかったし、和也も止めなかった。バイト前に会えばいい。終わったあとでも、少しだけなら大丈夫だろう。


 だが、二度目は駄目だった。


 ある日、ユイがシフトに入っているはずなのに店に来なかった。


「今日ユイ休み?」


「辞めるんだって」


「は?」


「親がなんか怒ってるらしいよ」


 和也は携帯を見た。メールを送っても返事がない。電話をかけても出ない。次の日も、その次の日も連絡はなかった。


 携帯を取り上げられたのかもしれないし、連絡するなと言われたのかもしれない。結局、何があったのか詳しいことは分からなかった。


 あとから店で聞いた話では、誰と遊んでいたのか聞かれても、ユイは最後まで和也の名前を出さなかったらしい。


 最後にユイから届いたメールも、今となっては正確な文面を覚えていない。


 ただ、たしかこう書いてあった。


『ごめんね』


 それきり、ユイから連絡が来ることはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。