第2話 話を聞いてよ
和也が所属していたサークルは、全学年を合わせて60人ほどの規模で、そこそこ大きかった。名前だけあってほとんど来ない者も珍しくなかったが、和也は飲み会でも遊びでも、声をかけられればだいたい顔を出した。特定の誰かと固まることもなく、その場にいる相手と普通に話した。
アヤは二つ上の先輩で、サークルの中でもかなり目立った。明るい髪に派手めの服で、日焼けサロンにも通っているらしく、どう見てもギャルだった。大人数で集まればいつの間にか真ん中で喋っているような女で、スタイルもよかった。
最初、和也はそんなアヤとほとんど話したことがなかった。
「お疲れっす」
「おー、お疲れ」
顔を合わせても、その程度だった。それでも何度も会ううちに一言二言が増え、そのうちどうでもいい話まで普通にするようになった。
その頃のことで、和也がよく覚えているのは、サークルで海へ行った日のことだった。
普段から日に焼けた肌と明るい髪で目立つアヤは、水着になるとさらに目を引いた。砂浜を歩けば、サークルの男連中の視線が分かりやすくそちらへ向く。
何人かは海に入ったあと、なぜか妙に長いこと上がってこなかった。
和也も人のことは言えず、しっかり見ていた。
あとで飲み物を取りに戻ったところで、アヤに呼び止められた。
「お前さ」
「はい?」
「見ただろ」
「何をです?」
「とぼけんな。胸」
和也は一瞬だけ黙った。
「……見てないとは言わないっす」
「正直かよ」
「いや、あれは見るでしょ」
「開き直んな」
アヤは呆れたように和也を見たが、すぐに吹き出した。
海ではアヤの周りに男が集まっていた。飲み物を持ってくる者もいれば、写真を撮ろうと声をかける者もいる。和也も一緒に笑ってはいたが、そこへ張り付くほどではなかった。しばらくすれば男友達と海へ入り、別の先輩に呼ばれればそちらへ行く。
後になって、アヤからこんなことを言われたことがある。
「お前って、あんまり女にガツガツしないよね」
「そうっすか?」
「普通もっと来るじゃん」
「喋りたいときは喋りますけど」
「何それ」
それから、アヤの方から話しかけてくることが増えた。飲み会で近くになれば話し、大学で見かければ向こうから声をかけてくる。やがて、たまにメールも届くようになった。
内容は、だいたい恋愛絡みだった。
『彼氏マジむかつくんだけど』
『また?』
『聞いてよ』
そこから長い。
和也は気の利いた助言ができるわけでもない。ただ、人の話を聞くことは苦にならなかった。
『それはだるいっすね』
『でしょ?』
『で、どうなったんすか』
喧嘩したと思えば仲直りし、また揉める。付き合っている男が変わることもあった。そんな話を何度聞いたか、和也も覚えていない。
ある日、大学を出たところでアヤと鉢合わせた。
「あ、和也じゃん」
「お疲れっす」
「今帰り?」
「そうっすね。特に予定ないんで」
アヤは少し考えてから言った。
「じゃあさ、ちょっと話聞いてよ」
またか、と思ったが、断る理由もない。
「いいっすよ」
二人の帰る方向が同じなのは知っていた。電車に乗り、アヤの最寄り駅で一緒に降りる。そのまま駅近くの居酒屋へ入った頃は、まだ夜というには少し早い時間だった。
席について酒が来るなり、アヤは喋り始めた。
「マジ意味わかんなくない? 普通そこまで言う?」
「まあ、それはきついっすね」
「だよね!」
和也が相槌を打つたび、アヤの話は続いた。どうやら昨日、彼氏と別れたらしい。
別れた直後ということもあって、愚痴は次から次へと出てきた。最初は腹を立てていたはずなのに、酒が進むにつれて話の中身も声の調子も少しずつ変わっていく。
「もうさあ……なんなんだろうね、男って」
「俺に聞きます?」
「お前も男だろ」
「そうですけど」
「じゃあ分かれよ」
「無茶言わないでくださいよ」
そんなことを言いながら飲んでいるうちに外はすっかり暗くなり、帰る頃にはアヤの足元も少し危なくなっていた。
「一人で帰れます?」
「帰れるし」
「絶対帰れないでしょ」
「うるさい」
幸い、店からアヤの家までは歩いて行ける距離だった。ここで放って帰るのも気が引けて、和也はそのままマンションまで送ることにした。
「じゃあ俺、帰りますね」
「待って」
「はい?」
「部屋まで連れてけ」
「そこまで?」
「早く」
言われるまま部屋までついていくと、玄関に入ったところでアヤが急に黙った。
「大丈夫です?」
「……ちょっと待って」
次の瞬間、トイレへ駆け込んだ。
「うわ、マジか」
和也は水を用意し、そのまましばらくそばにいた。やがて顔色も戻り、自分で水を飲んで普通に受け答えするようになると、アヤはまた彼氏の話を始めた。
さっきまで居酒屋で散々聞いたはずなのに、まだ出てくる。あのときこう言われた、本当はこうしてほしかった、自分にも悪いところはあったのかもしれない――それでも、やっぱり腹が立つ。和也は床に座って、それを聞いていた。
「それでさ……」
「うん」
「……ありがと」
急に小さな声だった。
「何がです?」
「ずっと聞いてくれてるじゃん」
「まあ、そりゃ」
それを言われると余計に帰りづらくなった。そのまままた話を聞き、ときどき水を飲ませているうちに、かなり時間が経っていた。
和也が時計を見て、声を漏らした。
「あ」
「何?」
「電車ないっす」
「じゃあ泊まってけば?」
アヤは何でもないことのように言った。
「いいんすか? 彼氏に……あー、そっか」
言った瞬間、和也は失敗したと思った。
「お前、ぶっ飛ばすぞ?」
「すんません」
「昨日振られた女にそれ言う?」
「いや、いつもの癖で」
「余計むかつくわ」
そう言いながらも、アヤの口元は少し緩んでいた。
部屋にベッドは一つしかなかったが、フローリングにはマットが敷いてあった。和也はそちらを指した。
「俺、ここで大丈夫っすよ」
「別に好きにすれば」
アヤをベッドに寝かせて、自分はマットの上で寝ればいい。和也は本気でそう考えていた。
「ほら、もう寝た方がいいっすよ」
ベッドに入るよう促すと、アヤが和也を見た。
「お前も来れば?」
「いや、俺ここで大丈夫っすよ」
「いいから来いよ」
腕を引かれ、結局和也もベッドへ上がることになった。二人で寝るには狭く、横になれば肩が触れるほど近かった。
アヤはスタイルがよく、胸も大きかった。普段なら服の上から見ているだけのものが、今はすぐ横にある。
和也を引っ張った手は強引だったくせに、その指先はどこか落ち着かなかった。近すぎて、アヤの呼吸の音まで分かる。
ふと目が合った。
和也は何となく視線を外して天井を見たが、アヤは顔をこちらへ向けたままだった。アヤがさらに少し身体を寄せると、和也の腕に柔らかな感触が触れた。
さすがに意識しない方が無理だった。
「近くないっすか?」
「狭いんだからしょうがないじゃん」
「いや、こんな近かったら、俺でもその気になりますよ?」
半分は冗談だったが、残り半分はそうでもなかった。
アヤが鼻で笑う。
「何言ってんの。もう立ってるくせに、生意気だな」
「え?」
アヤの手が伸び、次の瞬間、彼女の表情が少し変わった。
「うわ、かっった……」
「ちょっ――」
そこから先は、もう冗談では済まなかった。
◇
翌朝、先に目を覚ました和也はしばらく天井を見ていた。隣ではアヤが寝ている。昨日まで普通に彼氏の愚痴を聞いていた先輩と同じベッドにいることが、妙に現実味を欠いていた。
やがてアヤが目を覚ました。
「……おはよ」
「おはようございます」
「頭いてえ」
「そりゃ、あんだけ飲めば」
「私、吐いた?」
「吐きましたね」
「最悪」
昨夜のことについては、どちらも何も言わなかった。
付き合ったわけではないし、好きだと言われたわけでもない。和也も告白などせず、大学ではまたいつもの先輩と後輩だった。ただ、アヤに彼氏がいなくなると、ときどき和也に連絡が来るようになった。
『暇?』
『まあ』
『来れる?』
用件を聞かなくても、だいたい分かった。サークルでは他の先輩や友人と変わらないのに、二人で会えば、ときどき男女の関係になる。そんな妙な付き合いが続いた。
あるとき、和也が冗談半分で聞いたことがある。
「俺と付き合うとかはないんすか?」
アヤは少しも悩まなかった。
「ない」
「即答っすか」
「だって、あんたの顔、別に好みじゃないし」
「ひでえ」
「それに私、年上が好きだし」
和也は少し間を置いてからアヤを見る。
「……今、フォローしました?」
「したした」
「全然フォローになってないっすよ」
「うるさいな」
年上が好きだというのは、フォローのつもりだったのだろう。それでも、顔は好みじゃないと言われたのに、ときどき呼ばれる。その辺は和也にもよく分からなかった。
やがてアヤは就職活動で忙しくなり、サークルで顔を見ることも減った。卒業して働き始めるとメールも減り、そのまま会わなくなった。付き合っていたわけではないから、別れ話もない。最後に会ったのがいつだったのかさえ、和也ははっきり覚えていない。
気づけば、アヤとの関係は終わっていた。




